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(No138) 大阪歴史博物館  特別展「聖地チベット」関連講演会 「チベット文化の白眉 〜密教の美術〜」聴講記 その1

 平成22年2月14日(日)、上記講演会を聴きに行った時のメモ。


チベット文化の白眉 〜密教の美術〜

                     種智院大学学長・教授 頼富 本宏

 

1.チベット密教と日本密教

共通点
・ 現在も生き続けている宗教である。
     インド・東南アジア・中央アジアでは、今は遺跡・遺品として残るのみ

・ いずれも”宗派仏教”として発展している

・ 他の仏教宗派に比べて、成仏を体現するための実践が中心となる。
     実践儀礼こそが、密教の核心


相違点
・ チベット密教は、すべての宗派に密教を含む

・ 日本仏教で密教を重視するのは、真言宗と天台宗のみ

・ いずれも「仏との合一」を目指すが、合一する対象が異なる

・ 日本密教は、インドとの中期密教を基盤とし、チベット密教はそれを踏まえつつも、
  最終発展形である後期密教を重視する

 

(石野註)

 いつものように、先生からいただいたレジュメの内容は、別囲みで示す。

 また、これもいつも通り、録音はしてない(できない)ので、殴り書きのメモとぼんやりした記憶で、「こんなこと、おっしゃってたかな?」と再構成してるし、若干、レジュメの記載順に合わせて編集しているので、会場でお聴きになっていた人は、「違うな?」と思われるかもしれないが、お許しいただきたい。


 今日はバレンタインデーですね。まあ、チベットの文化にはありませんが。

 私は神戸に住んでいます。今日は、(神戸元町の)南京町では春節祭りを祝っています。

 ちょっと私自身のことを申し上げると、京都の東寺のところにある大学で学びました。チベット語、サンスクリット語の研究から入ったんです。

 四国出身なんで、お遍路さんにも馴染みがあります。

 1970年代、昭和50年過ぎにヒマラヤの西への調査団に参加しました。団長が高野山の館長の松長有慶です。

(石野註)
 「ひとこと書評」にもあげているが、松長氏は『密教』(岩波新書)の著者。
 また、講師の頼富氏は、京大の大学院仏教学科修了で『密教』(講談社現代新書)の著者。
 両著には、それぞれチベットのラダック地方への学術調査のことなどが書かれてある。


 暗い堂内でマンダラがありました。それを見ていると、何だか宇宙のふところに抱かれているような、母の胎内にいるような感覚になりました。

 これが、まさに胎蔵マンダラの世界なんですね。

 レジュメにも書きましたが、日本とチベットの密教には共通点もありますし、相違点もあります。

 共通点の第一としては、いずれも仏教が生活の中で生き続けているという点です。
 インドや、東南アジア、中央アジア。シルクロードやガンダーラといったところでは、既に仏教文化は遺跡・遺品という形でしか残っていないといっていいでしょう。

 共通点の第2としては、宗派仏教として発展してきたという点です。インドでは、宗派というより学派ですね。

 共通点の第3としては、成仏を体現するための実践が中心であり、実践儀礼こそが密教の核心ということです。

 日本の密教でも即身成仏といいますね。また、お遍路さんでは「同行二人」と笠などに書いたりします。

 次に相違点ですが、日本では、多くの宗派がありますが、別にその中に密教的要素はなくてもかまいません。お念仏だとか、それだけでもよいのです。
 逆に、密教を重視するのは、空海の真言宗(東密)と最澄の天台宗(台密)のみといってよいでしょう。
 一方、チベットでは、どの宗派にも密教があります。

 また、いずれも「仏との合一」を目指すのですが、その仏が、チベットの仏は、妻を持っていたり、怒っていたりします。

 日本では、密教を初期、中期、後期に分類することが多いのですが、日本は中期の密教が中心であり、チベットは後期密教を重視します。

 日本では、唯一、聖天さんが後期密教に近いといえるでしょうね。

(石野註)
 確かに日本では、初期密教を、古くは「雑密(ぞうみつ)」、雑部密教などとして不完全なものとみている。

 一方、空海などがもちかえった密教(7世紀頃インドで新たに成立した『大日経』『金剛頂経』などを基盤とする中期密教)を「純密」として高く評価し、その後の後期密教は、タントラ仏教とか、「左道密教」として、性的要素から邪教視している部分がある。

 で、聖天さんの「歓喜仏」が、まさに「後期密教」的な部分であろう。

 


 

2.密教美術に見るチベット密教と日本密教の相違

日本密教:両部密教(中期密教)中心
・ 温和な如来像・菩薩像が多い

・ 不動明王などの五大明王が、護法の働きをする

・ 金剛界・胎蔵の両部マンダラ


チベット密教:後期密教中心
・ シヴァ神のイメージから成立した秘密仏と呼ばれる、恐ろしい形相の忿怒尊が主力

・ その生産力を示すため、女尊を伴うことが多い

・ 原則として多面多臂像となる

・ グヒヤサマージャ、カーラチャクラなどの後期密教系のほとけが中心


 日本でのマンダラは両部マンダラが中心です。中心の仏からみて左が胎蔵マンダラ、右が金剛界マンダラ。

 仏の姿は、如来、菩薩など穏やかなものが多いですね。

(右写真は講演会資料より転載)

 真ん中に大日如来がいて、周りを明王が守護している。日本では明王といえば不動明王が中心で、不動明王を中心とする五大明王が主です。

 一方、チベットでは、それほどシャカを強調しません。

 、シヴァ神のイメージから成立した荒ぶる神、西洋でいうとディオニソス、日本でいうとスサノオノミコトといった感じでしょうか。そのような、力を強調した忿怒尊が多いのが特徴です。

 

 また、女尊が重要であり、多面多臂が原則となっています。

 日本では、千手観音は少ないですね。

 

 

 


 

3.チベット密教美術の特徴

・ マンダラが多用される

・ 色彩感覚が豊かである

・ 祖師・高僧の像・図画が多い

・ 後期密教系の像が主尊となることが多い

・ 忿怒護法尊を集めて、専用の護法堂をつくる

・ 十八羅漢などの中国系尊像も祀られることがある


 チベット密教美術の特徴としては、第一にマンダラが多用されるということがあります。

 第二に、色彩感覚が豊かだということです。
 もちろん、チベットにも水墨画のような文化もあるのですよ。しかし、それよりも色に命、教えをこめると申しましょうか、極彩色のものが多いのが特徴です。

 ここには、目に見えるものに聖なるものの表れをみるという考えがあるとも考えられます。

 一般には、青が知恵、赤が慈悲、そして黄色が富を象徴する色とされています。

 第三には、祖師・高僧の像・図画が多いということです。

(石野註)

 左写真は、講演会資料より転載。

 カラー版については、ここから。

 『チベット密教』(著:ツルティム・ケサン、正木晃。ちくま新書)によると、サンスクリット語の「グヒヤ」は、「秘密」。「サマージャ」は「集まり」を意味する。
 よって、日本語訳すると「秘密集会」という、まるで「(後期密教の)『般若・母タントラ』には、一種の乱交的要素、あるいはブラック・マジック的な部分もないわけではなく」(頼富氏『密教』)といった、チベット密教にまつわるイメージそのものといった感じになってしまう。

 なお、カーラチャクラマンダラの画像については、ここ又はここで。

 仏の教えは、なかなか庶民には理解できません。それを仏と庶民の中間でガイドしてくれるのが僧、ラマだと考えられています。

 第四には、グヒヤサマージャ、カーラチャクラなど後期密教系の像が本尊となることが多いという点です。

 第五は、忿怒護法尊を集めて、専用の護法堂をつくるということです。これは、後でさらに説明しますが、守護尊と違い、単独で本尊となれない護法尊は、いくつか集められて護法堂に祀られます。

 第六は、羅漢など中国系尊像も祀られるということです。
 チベットは、インドと中国の中間に位置します。インドからチベットに仏教が伝わりましたが、唐の時代、中国で流行った仏教が逆に入ってきました。禅宗の羅漢も多いのです。

 


 

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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