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(No125) 特別展「妙心寺」土曜講座「妙心寺と狩野元信」 聴講記 その3 

 平成21年4月18日(土)に、上記講演会があった・・・・・・・の完結編。


 
 
 「玉浦宗a像」は、衣文線などは元信のそれと同じです。堂々たるプロポーションをしています。永正
(えいしょう)12年の寿像(存命中の像)です。

 大休宗休は特芳禅傑門下の俊才です。「大休宗休像」は、天文8年(1539)の作です。

 松井雲江というのは熊本の武士です。細川高国らの連合軍に敗れ兄を亡くしました。「松井雲江像」は、京都亀岡の龍潭寺所蔵です。立ち姿で杖を持った肖像画というのは、ほとんど例がありません。大休宗休の賛があります。亨禄3年(1530)の作です。

 「出山釈迦図」も龍潭寺所蔵です。大休宗休の賛ですが、これは特芳禅傑の旧賛を転記したものと思われます。

 細川高国は、先ほどの松井雲江の仇敵です。「細川高国像」は元信筆と伝えられています。これも大休宗休の賛があります。1543年の作です。

 霊雲院は、大休宗休が師特芳禅傑を勧請開山として招き大永6年(1526)に開基した塔頭(たっちゅう)です。

 開基は、寺院の創建者。
 開山は、初代住職。
 大休は、師を住職として勧請し、自らは二世となった。そして師の死後は、龍安寺塔頭の西源院に移った。

 天文12年(1543)に改築したことが天井裏の墨書銘から分かっています。それでは、なぜ天文12年に改築したのでしょうか?
 それは、後奈良天皇が行幸されたためと思われます。

 後奈良天皇は元信のファンでした。全12面の室中に障壁画が描かれています。元信67歳の作品ですが、最良のものです。

 霊雲院の「方丈」は1543年に栂尾の阿伽井房を移築したと、ここのブログなどにある。

 先生の資料では1543年に方丈が建立され、元信一門が障壁画を描いたとあります。

 霊雲院方丈の重文の障壁画、「琴棋書画図」は真体です。端正で理想的なスタイルであり、破綻がありません。
 元信筆と伝えられていますが、そうではないという説もあり、少し元信とは画風が違うので異説(元信ではない)の方が有力です。

 「渓山問奇図」は行体と言ってよいでしょう。元信の作ではないと思われます。スカーッ!と開けた広々とした空間が描かれています。

 「雪景山水図」は、元信筆と言われていますが、異説もあります。

 「月夜山水図」は、草体です。大徳寺通仙院の山水図と同じく、墨のにじみ、ぼかしだけで表現されています。

 方丈では西北を衣鉢の間、東南を礼の間と呼びます。

 「日本美術史ノート」という素晴らしいHPがあるが、そちらのここに方丈の各部屋の名称を含め、いろいろ載せていただいている。

 これによると、上記の各絵は、下図のような配置になるようである。

 なお先生にいただいた資料では、衣鉢の間を西北の間。檀那の間を西南の間(「琴〜」のほか「山水落雁図」)。書院の間を東北の間。礼の間を東南の間と表現していた。
 また、仏間の東の「眠蔵」という所の障壁画として「宿鴉宿鴨図」と書かれていた。

衣鉢の間
「雪景山水図」元信・行体
仏間 書院の間
「月夜山水図」元信・草体

檀那の間
「琴棋書画図」元信・真体

室中の間
「四季花鳥図」元信・牧谿様(行体)
礼の間
「渓山問奇図」元信・行体?



 霊雲院方丈の障壁画はどの間を見ても水平線がピシーっと揃っています。真・行・草、いずれも見ても何の違和感もありません。
 真・行・草三つの画体が揃っているのはここだけです。
 大徳寺大仙院の障壁画も素晴らしいですが、そこのは真体だけです。

 時々永徳と元信とでは、どちらが上手でしょうか?なんてことを訊かれるのですが、技量は断然元信が上だと思います。
 永徳は、どちらかというとパワープレー

 

 元信の「瀟湘八景図」(「寺村」。あと、「月雁 雨雪」)は重文です。妙心寺東海庵所蔵です。もともと霊雲院にあったという箱書が残っているようです。
 行体の山水図ですが、霊雲院の山水図よりやや古いのではないかと思われます。

 時間を過ぎていますが、最後一つだけ元信の絵を紹介して終ります。

 「浄瓶踢倒図」(じょうへいてきとうず)です。「禅宗祖師図」の中の一つです。
 潙山霊佑
(いざんれいゆう)懐海(えかい)から、花瓶で禅問答を問われ、その瓶を蹴り倒して去っていくところを描いたものです。

 禅宗では物の区別などどうでもよいと考えるところがあります。ですから、画面右手前の潙山霊佑はムッとした表情をしています。
 一方、画面左奥の懐海らは、はっ!と驚いたような表情をしています。

 

 潙山霊佑は唐代の禅僧。
 百丈懐海は潙山霊佑の師匠である。師匠の問いに瓶を蹴り倒したのか。やるなぁ。

 ここのブログに、潙山霊佑のことがいくつか載っていた。
 箒で掃いていて、石が竹に当たる音で悟りを開く香厳は、兄弟子のの潙山から「父母が生まれる前のお前とは何じゃあ!」と問われて悩んだらしい。

 また、潙山は毎度、師匠をコケにしていた訳ではなく、「通り一遍の見方しか、してなかったぁ」と一本取られて反省することもあったと先のブログに載っていた。

 

 


 


 

  まとまりがないが、これで一応完結です。いつものことですが、殴り書きのメモとおぼろげな記憶で再構成してますので間違いはご容赦ください。  

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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