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(No125) 特別展「妙心寺」土曜講座「妙心寺と狩野元信」 聴講記 その3
大休宗休は特芳禅傑門下の俊才です。「大休宗休像」は、天文8年(1539)の作です。 松井雲江というのは熊本の武士です。細川高国らの連合軍に敗れ兄を亡くしました。「松井雲江像」は、京都亀岡の龍潭寺所蔵です。立ち姿で杖を持った肖像画というのは、ほとんど例がありません。大休宗休の賛があります。亨禄3年(1530)の作です。 「出山釈迦図」も龍潭寺所蔵です。大休宗休の賛ですが、これは特芳禅傑の旧賛を転記したものと思われます。 細川高国は、先ほどの松井雲江の仇敵です。「細川高国像」は元信筆と伝えられています。これも大休宗休の賛があります。1543年の作です。 霊雲院は、大休宗休が師特芳禅傑を勧請開山として招き大永6年(1526)に開基した塔頭(たっちゅう)です。
天文12年(1543)に改築したことが天井裏の墨書銘から分かっています。それでは、なぜ天文12年に改築したのでしょうか? 後奈良天皇は元信のファンでした。全12面の室中に障壁画が描かれています。元信67歳の作品ですが、最良のものです。
霊雲院方丈の重文の障壁画、「琴棋書画図」は真体です。端正で理想的なスタイルであり、破綻がありません。 「渓山問奇図」は行体と言ってよいでしょう。元信の作ではないと思われます。スカーッ!と開けた広々とした空間が描かれています。 「雪景山水図」は、元信筆と言われていますが、異説もあります。 方丈では西北を衣鉢の間、東南を礼の間と呼びます。
時々永徳と元信とでは、どちらが上手でしょうか?なんてことを訊かれるのですが、技量は断然元信が上だと思います。
元信の「瀟湘八景図」(「寺村」。あと、「月雁 雨雪」)は重文です。妙心寺東海庵所蔵です。もともと霊雲院にあったという箱書が残っているようです。 時間を過ぎていますが、最後一つだけ元信の絵を紹介して終ります。 「浄瓶踢倒図」(じょうへいてきとうず)です。「禅宗祖師図」の中の一つです。
まとまりがないが、これで一応完結です。いつものことですが、殴り書きのメモとおぼろげな記憶で再構成してますので間違いはご容赦ください。
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