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(No107) 第26回東大寺現代仏教講演会「現代の『原人論』 〜人間であることの総点検〜」聴講記 その1 

 2007年10月20日に開催された講演会の聴講記。

 まず、前半は花園大学名誉教授 小林圓照先生の講演。いつものように先生にいただいたレジュメの内容は白い枠囲みの中で表現する。



 『原人論』(げんにんろん)は、華厳祖師の一人、宗密(しゅうみつ)の著作です。

 「原人」(げんにん)とは、訓読みすれば「人を原(たず)ねる」と読みます。北京「原人」(ぺきんげんじん)などとは違います。

 人間とは何か、人間の本質とは何か?がテーマです。

(※ 石野注)
 Wikipedia では、以下のとおり。

(華厳宗の)開祖は杜順(557年-640年)、第2祖は智儼(602年-668年)、第3祖は法蔵(643年-712年)、第4祖は澄観(738年-839年)、第5祖は宗密(780年-839年)と相承されている。

 この中国の五祖の前に、2世紀頃のインドの馬鳴(アシュバゴーシャ。カニシュカ王の友人。)と龍樹(ナーガルジュナ)を加えて七祖とすることもある。

 日本における華厳宗は、第3祖法蔵門下の審祥(しんしょう)によって736年に伝えられた。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において華厳経・梵網経に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)され、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然(ぎょうねん)による教学の確立がなされた。

 

(会場配布資料)

【 1 】
 宗密「原人」の意図
(1) 中心テーマは「人間とは何か」である。
(2) 目的は、人間の本源(霊性)の探求である。
(3) 対象の範囲は、中国の当時の代表思想(儒・道・仏)の全般に亙る。
(4) 方法は、仏教の教義分析と批判法を利用する。
(5) 特色は、批評・批判(全揀=ぜんけん)と会通(えつう)・再評価(全収)の二つの視点と方途である。
(6) 成果は、代表思想の融和とその通路である人間覚性の顕正を表明した。

【 2 】(省略)

【 3 】
 原人とは「人を原(たず)ねる」こと、すなわち人間性の探求にほかならない。
 宗密を支持した居士である裴休(はいきゅう)の『華厳原人論序』では「人道の根本を原ねる」と読んでいる。(以下略)

【 4 】
 会昌の破仏(845年)直前に宗密は活躍したのであるが、当時の代表的な儒者であった韓愈(768〜824)の仏教批判、あるいはその著『原人』『原性』『原道』など所説の階級的な人間論に対して、仏教の側から人間の本質を究明し主張したのが『原人論』であったといわれる。

【 5 】
 宇宙の中でこころと生命(万霊)をもち、生き生きと躍動しているものには、皆、その本源があ 〜 る。
〜 (万物の運行と生成の父・母とされる)天・地と並んで、もっとも発達した精神生活を営むわれわれ人間(三才中の最霊=さいれい)に、どうして生まれてきた根源がないなどと言えようか。

【 6 】〜【 8 】(省略)

 遺伝子とはいのちの設計図ですが、DNAの解析が進んでいます。ヒトもチンパンジーもイネも遺伝子の総数はほぼ同じで、しかも4割程度は共通しているそうです。

 37億年前から、いのちはつながってきた。進化と共生という新しい生命観・人間観でこの世界をみつめたいと松沢さんという京大の先生が朝日新聞に書いておられます。これは新しい生物学からみた原人論といえるでしょう。


【 9 】
「〜01年にヒトゲノム〜、05年にチンパンジーゲノムが解読され、同年にイネゲノムも解読された。人間もチンパンジーも稲も遺伝子の数は約3万個程度で、稲の遺伝子の約4割は人間やチンパンジーと相同だという。
 〜多様な生命がこの地球をすみ分けている。ものに連続性があるように、じつはいのちもつながっている。進化と共生という新しい生命観・人間観で、もう一度この世界を見つめたい」
(朝日新聞 07・9・2 京都大学霊長類研究所長 松沢哲郎)

【 10 】(省略)

【 11 】
 人間存在の諸相
1.身体的存在(フィジカル・ビーイング)
2.生命的存在(ヴァイタル・ビーイング)
3.心知的存在(メンタル・ビーイング) 
4.霊性的存在(スピリチュアル・ビーイング)

5.社会的存在(ソーシャル・ビーイング)


【 12 】、【 13 】(省略)


 宗密と空海の著作を比較してみます。法相宗というのは、宗教的深層心理学といってもよいような内容です。

 宗密は真言宗の存在を知らないのですが、二人の著作の構成は、よく似ています。

『原人論』 宗密(780〜841) 『十住心体系』 空海(774〜835)
序文

1 儒・道・仏の説く人間論の要点
2 三教の特色とその調和
3 この論の目的と構成

【第一住心 倫理以前の世界】

第一住心 異生羝羊心(いしょうていようしん)・・・倫理以前の世界

 無知な者は迷って、わが迷いをさとっていない。雄羊のように、ただ性と食とのことを思いつづけるだけである。
第一編 儒教・道教に従う学徒の迷執を斥ける(斥迷執第一)

1 儒・道二教の人間論
2 二教批判の理由
3 大道・自然・元気・鬼神・天命などの各説の矛盾点

【第二住心 倫理的世界(世間一般の思想:例 儒教・仏教の倫理道徳)】

第二住心 愚童持斎心(ぐどうじさいしん)・・・倫理的世界

 他の縁によって、たちまちに節食を思う。他の者に与える心がめばえるのは、穀物が播かれて発芽するようなものである。
第二編 仏法の真意がまだ充分に示し尽くされていない前階梯の教えに従う立場を偏狭で浅薄であると斥ける(斥偏浅第二)

1 仏教内の教理と修行の深浅・・・・五種の宗旨に分類
2 人天教の要旨とその人間論への批判

【第三住心 救済的宗教(例 道教・バラモン教、インド諸哲学】

第三住心 嬰童無畏心(ようどうむいしん)・・・宗教心の目ざめ

 天上の世界に生まれて、しばらく復活することができる。それは幼児や子牛が母にしたがうようなもので、一事の安らぎにすぎない。
3 小乗教の要旨とその人間論への批判 【第四住心 声聞の教え(小乗仏教)】

第四住心 唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)・・・無我を知る

 ただ物のみが実在することを知って、個体存在の実在を否定する。教えを聞いてさとる者の説は、すべてこのようなものである。

【第五住心 縁覚の教え(小乗仏教)】

第五住心 抜業因種心(ばつごういんじゅしん)・・・おのれの無知を除く

 いっさいは因縁よりなることを体得して、無知のものを取り除く。このようにして迷いの世界を除いて、ただひとり、さとりの世界を得る。

4 大乗法相教の要旨とその人間論
5 大乗破相教の要旨とその人間論・・・・法相教への批判を含む
6 大乗破相教への批判
7 四教に対する結論
【第六住心 法相宗(大乗仏教に準ずるもの)】

第六住心 他縁大乗心(たえんだいじょうしん)・・・人びとの苦悩を救う

 一切衆生に対して計り知れない愛の心をおこすことによって、大なる慈愛がはじめて生ずる。すべての物を幻影と観じて、ただ心のはたらきのみが実在とする。

【第七住心 三論宗(大乗仏教に準ずるもの)】

第七住心 覚心不生心(かくしんふしょうしん)・・・いっさいは空である

 あらゆる現象の実在を否定することによって、実在に対する迷妄を断ち切り、ひたすら空を観ずれば、心は静まってなんらの相(すがた)なく安楽である。
第三編 直ちに仏法の真源を顕す教え(直顕真源第三)

1 一乗顕性教の要旨
2 一乗顕性教への批評
【第八住心 天台宗(真実の大乗仏教)】

第八住心 一道無為心(いちどうむいしん)・・・すべてが真実である

 現象はわけへだてなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して仏(大日如来)というのである。

【第九住心 華厳宗(真実の大乗仏教)】

第九住心 極無自性心(ごくむじしょうしん)・・・対立を越える

 水にはそれ自体の定まった性(しょう)はない。風があって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。

【第十住心 真言宗(秘密仏教・・・密教)】

第十住心 秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)・・・無限の展開

 密教以外の一般仏教は塵を払うだけで、真言密教は庫(くら)の扉を開く。そこで庫の中の宝はたちまちに現れて、あらゆる価値が実現されるのである。

第四編 仏法の真源による諸教の再評価と人間論の総括(会通本末第四)

1 真実の心性・法性から身心の諸様相へ
2 真性の原点としての顕性の意義と如来蔵
3 諸教の評価とその会通
4 人間論の総括
 


 レジュメの内容ばかりで、ほとんど「講演内容」の記載がなくて申し訳ない。
 聴いていなかった訳ではないのだ。

 失礼な言い方で申し訳ないが、お伝えする(というか、お伝えしたい)内容があまりないのである。

 香川県善通寺で生まれ、小学5年生で敗戦を迎え、6年でお寺の小僧さんに入ったとのこと。
 70歳で大学時代の同窓会幹事を仰せつかり、金毘羅さんで会を開いたそうだ。階段を上るのでみんな杖を持った姿で記念写真を撮り「10年先の写真が撮れたわい」と大笑いになった・・・・・・と、それはそれは楽しそうに語っておられるのだが、もう一つ聞いてる者には楽しくない。

 最近『原人論』というタイトルの本を著されたそうで「東大寺さんから、本を出したんだから、それで話をしてみたら・・・と言われたので安請合いしてしまった。皆さんに、特に積極的に聞いてもらわなならんテーマはないんです」とおっしゃった。がっくり来た。
 途中で「何を話していたかわからなくなってきた」ともおっしゃった。

 私も講演めいたものをしたことは何度かあるが、少なくともこうしたマイナスイメージの言葉を口にしないようにいつも心がけている。
 一生懸命聴こうとしてくれてる人は必ずいる。それなのに、聴いてもらおうとしている側が水をぶっかけてどうするんだ、と私は思うからだ。ただ私はそう思うというだけなんで、これ以上は書かない。


 


 どうもお疲れ様でした。

 
  

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