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(No164) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その3


 平成23年4月30日(土)に行った時の鑑賞メモ。

 

 


第1章 親鸞聖人の教えと生涯


 続いて、仏像などを。

 

49 親鸞聖人坐像 南北朝時代 14世紀 三重・専修寺

 公式HPにおける解説文は以下のとおり。

 

 この像は、もとは専修寺(せんじゅじ)境内東側に所在の慈智院(じちいん)に安置されていたもの。

 聖人83歳のときに画かれた「安城御影
(あんじょうのごえい)」を手本に、寄木造(よせぎづくり)の木像とし、祖師像の立体化を目指して制作された作品。

 像高30.5cmという小さな像ではあるが、 絵の中の聖人像をよく活写し、現存する聖人木像のうちでも最も古くかつ優れた作例として評価されている。この像の胎内納入文書と伝える書状により、南北朝時代・14世紀半ばころの制作と考えられている。

 画像は上記HPのほか、ビラ東京展ビラ、その他新聞でも。

 

51 重文 親鸞聖人坐像 鎌倉時代 14世紀 神奈川県・善幅寺

 はっきり言って、肖像画や49の仏像とは全く印象の異なる顔。私の後ろで鑑賞されていた女性も「こら、完全に別人やん・・・・・」と言っていた。

 しかし、宝永2年(1705)に像内に納入された文書にも、これは親鸞聖人の像だと明記してあるそうだ。

 

54 恵信尼絵像 江戸時代 17世紀 龍谷大学図書館

 落ち着いた印象を受ける女性の肖像画。もちろん親鸞の奥さんである。


53 恵信尼書状類 恵信尼筆 鎌倉時代 13世紀 京都・西本願寺

 明治時代に「親鸞非実在」説が提唱されたそうだ。それを打ち消したのが、1921年に発見された妻恵信尼の手紙で、親鸞の臨終をみとった娘に親鸞の人となりを綴った手紙を送ったそうである。

 画像は新聞で。


58 本願寺系図 伝証如筆 室町時代 16世紀 京都・西本願寺

 親鸞が「範宴」という名(日野家の息子としての名か?)で記載されている。

 

60 重文 歎異抄 蓮如筆 室町時代 15世紀 京都・西本願寺

 公式HPの解説文は以下のとおり。

 

 親鸞の没後、関東の門弟のあいだで、もともとの教えとは異なる見解が生じたことをなげいて書かれた親鸞の法語録(ほうごろく)

 著者は常陸
(ひたち)国河和田(かわだ)唯円(ゆいえん)だとされている。
 これは蓮如筆の書写本で、現存する最古の写本である。第三条「善人ナヲモテ往生ヲトク、イハンヤ悪人ヲヤ」の一節はつとに有名である。

 

63 上宮太子御記 覚如ほか筆 鎌倉時代 徳治2年(1307) 京都・西本願寺

 寂忍という僧が、親鸞自筆の本から書写した本を所持していて、それを覚如らが書写したと伝えられる。

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

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