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(No163) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その2
第1章 親鸞聖人の教えと生涯
22 国宝 教行信証(坂東本) 親鸞筆 鎌倉時代 13世紀 京都・東本願寺
正式名称は『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』という。
浄土真宗の教義の綱格(こうかく)と念仏往生の真義(しんぎ)を明かした根本聖典である。 現存諸本のうち唯一の親鸞真筆本で、全篇に残された記号や朱筆、校合(きょうごう)・推敲(すいこう)の筆からは、親鸞の思索の跡をうかがうことができる。 坂東報恩寺(ばんどうほうおんじ)(現 東京都台東区)に伝来したため「坂東本」とも称される。 会場での解説文では、親鸞が60歳から81歳の頃まで真剣に手を入れ続けた「歴史」がうかがえるとあった。 確か会場の解説文で親鸞は「烈」とか「為」などの「れんが」(横に四つの点」を三つしか打たない書き癖があり、ここにもその癖が顕れているので親鸞真跡と分かるそうだ、 41 信徴上人御釈 親鸞筆 鎌倉時代 13世紀 京都・西本願寺 私が確認した限り、上記41と43では、三つだった。よって、この2点については私、石野陽虎が親鸞真跡と鑑定いたしましょう!(←何のこっちゃ) 会場解説文では厚手の写経用紙を袋綴じにしたものに書かれており、紙幅の中央に継ぎ目がある、とあった。確かに紙はごつかった。 27 浄土三経往生文類(広本) 伝親鸞筆 鎌倉時代 13世紀 京都・興正寺 27は展示期間の関係で観ていないが、画像がビラに載っている。略本と広本がどう違うかは調べていない。 32 重文 尊号真像銘文 親鸞筆 鎌倉時代 正嘉2年(1258) 三重・専修寺 内容は特に覚えていないが、確か解説に86歳の時の字であるとあった。
九願文というのは、阿弥陀如来(法蔵菩薩)の四十八願のうち、11、12、13、17、18、19、20、22、23の九つの願文を抜書きしたものである。 ここの大谷大学のHP記事によると、親鸞が特に重要だと思ったものを抜書きしたようだ。となると、親鸞は何を重視したのか気になるところである。 で、そもそも四十八願とは何かというと、法蔵菩薩の誓願である。マニフェストと表現しているサイトもあった。 京都の浄土宗善想寺のHPでは、新・佛教辞典(中村元 監修)の本文が紹介されているので引用する。 ◇「四十八願」― 大無量寿経に説く、阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時に立てた願をいう。仏になった暁には、下に述べるようなことがすべて存在しないように、もしその時なお下のようなことがあるならば、仏とはならない、と誓ったものである。いま代表的なもの幾つかをあげると(数字は願の番号)、11)国中の人・天が必ずさとりを得ないならば、仏とはならない。 12)光明と、13) 寿命に限りがあるならば、仏とはならない。17)一切世界の諸仏が私をほめたたえないならば、仏とはならない、18)一切の生あるものが、至心に信楽(しんぎょう)して私の浄土に生れようと欲し、わずか十声の念仏でも称えたひとを救えないならば、仏とはならない、19)そのような人の臨終の床に迎えに行けないならば、仏とはならない、などと誓われている。 上記で11から19の6つは紹介した。 22は「還相廻向の願・必至補処の願・一生補処の願」で、「設我得佛 他方佛土 諸菩薩衆 來生我國 究竟必至 一生補處 除其本願 自在所化 爲衆生故 被弘誓鎧 積累コ本 度脱一切 遊諸佛國 修菩薩行 供養十方 諸佛如來 開化恆沙 無量衆生 使立無上正眞之道 超出常倫 諸地之行現前 修習普賢之コ 若不爾者 不取正覺」。 33は、「触光柔軟の願」で「設我得佛 十方無量 不可思議 諸佛世界 衆生之類 蒙我光明 觸其身者 身心柔輭 超過人天 若不爾者 不取正覺」。
同、和訳は「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国 に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」とある。 Wiki には、法然はこの願を最も重要な願ととらえ、『選択本願念仏集』において、「故知 四十八願之中 既以念仏往生之願而為本願中之王也」と解釈したことから、「王本願」とも呼ばれる・・・とある。 なぜ重視されるか・・・と考えるに、法蔵菩薩が悟りを開いてほとけ(如来)になるに当たっての誓いであるから、阿弥陀如来になっている以上、この誓願は達成されたとみねばならない。 そりゃ、法然や親鸞の教えの「キモ」となっているのも頷ける。 42−2 「第二十・二十二願文」断簡 鎌倉時代 康元元年(1256) 愛知・立圓寺 その九願文の一部である。 45 国宝 三帖和讃 親鸞・真仏筆 鎌倉時代 13世紀 三重・専修寺
「浄土和讃(じょうどわさん)」「浄土高僧和讃(じょうどこうそうわさん)」「正像末法和讃(しょうぞうまっぽうわさん)」の三帖からなっており、仏菩薩や高僧の徳を讃えた讃歌は日々のお勤めの中でも最もなじみ深い。
「浄土和讃」と「浄土高僧和讃」は、親鸞76歳の宝治2年(1248)完成の225首の和讃に、大勢至(だいせいし)和讃を8首加えて成立したもの。 外題(げだい)のほか浄土和讃の首尾の振仮名や左訓、表裏見返しの文言などが親鸞自筆で、本文は親鸞直弟で専修寺第2世の真仏(しんぶつ)の筆と考えられている。 また、正像末法和讃のうち第1首から9首目までは親鸞自筆の草稿である。 (展示期間:4月19日〜5月29日) 私が行った時に展示されていたのは「浄土和讃」。
46 重文 親鸞聖人書状類 親鸞筆 鎌倉時代 13世紀 京都・西本願寺 内容はよく分からないが、親鸞の遺言に近い内容であると会場展示の解説にあった。
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