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(No165) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その4
第2章 浄土真宗のひろがり
65 光明本尊 南北朝時代 14世紀 福井・毫摂寺 掛け軸形式の本尊。 中央に九字の名号が書かれ、向かって左上部に善導ら唐・天竺の高僧ら。向かって右上部には聖徳太子を含む日本の高僧らが描かれる。 67 光明本尊厨子(奥野家伝来) 室町時代 文明14年(1482) 京都・佛光寺 厨子におさめられた阿弥陀如来の像。それはいいのだが、像をおさめた厨子内部には名号が大書され、されに観音開きの厨子の扉の内側には高僧連座像が描かれた珍しい一品。
描かれた十二の仏はそれぞれ印相が異なって描き分けられている。こうした形式の図像は信越地方にのみ存在するそうである。
来迎印をむすぶ阿弥陀如来像。 70 阿弥陀如来立像 慶俊作 鎌倉時代 延応2年(1240) 三重・専修寺 71と並べて展示。後補であろうが、光輪がついていた。作者は名前からして慶派の仏師なんでしょうね。
73 聖徳太子・高僧連坐像 桃山時代 16世紀 愛知・満性寺 そして下部には聖徳太子だけでなく善導も描かれている。
一番上に善導、そして源空、親鸞が、そして、その下はさらに真仏・・・・・などと続く。
76 真仏坐像 南北朝〜室町時代 14〜15世紀 茨城・称名寺 真仏とは「まことのほとけ」って感じで凄い名前だが、親鸞の高弟の一人。観た瞬間、黒人か!と思った。艶々と黒光りしている。寛永13年(1636)に塗り直したという記録が残ってるそうだが、もっと最近塗り直したように見えた。
79 重文 善然坐像 南北朝時代 14世紀三重・太子寺 痩躯であるが威厳のある佇まい。重源の坐像を連想させる雰囲気。
明法はもと山伏で、親鸞を害そうとしたが、威徳にうたれ帰依したと伝えられる。宗教の東西を問わず、いや、宗教に限らず、この手の話は多いな。
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