移動メニューにジャンプ

(No162) 京都市美術館 親鸞聖人七百五十回忌 真宗教団連合四十周年記念「親鸞展 〜生涯とゆかりの名宝〜」鑑賞記 その1


 平成23年4月30日(土)に行った時の鑑賞メモ。

 

 


第1章 親鸞聖人の教えと生涯


 公式HPによる第1章の概説は次のとおり。

 

 日本仏教史上に大きな足跡をのこした親鸞。親鸞の人柄を今にしのぶ「御影(ごえい)」と呼ばれる肖像画や坐像、ありし日の肉筆を中心に、その波乱にみちた生涯と教えの特質を紹介する。
 そのなかでも親鸞の主著として知られる「教行信証
(きょうぎょうしんしょう)」は、インド・中国・日本の高僧の説を読み解き、浄土に生まれる教えの系統を明らかにしたものとして知られる。

 また詞書(ことばがき)と絵画で親鸞の得度(とくど)から大谷廟堂(おおたにびょうどう)の成立までを描く伝絵(でんね)は、その美術的価値とともに、祖師伝のはやいものとして史料的価値が高い


 公式解説はどうであれ、まずは親鸞の肖像画や絵伝を中心に紹介する。

3  黄地十字名号  賛親鸞筆 鎌倉時代 建長7年(1255) 三重・専修寺

 親鸞83歳時の字といわれる。


7 国宝 親鸞聖人影像(安城御影)  法眼朝円画・賛親鸞筆・裏書蓮如筆 鎌倉時代 建長7年(1255) 京都・西本願寺

8 国宝 親鸞聖人影像(安城御影副本)  賛・裏書蓮如筆 室町時代(15世紀) 京都・西本願寺

 7も8も現物は観ていない。8の画像はビラ又は新聞で。


9 重文 親鸞聖人影像(安城御影)  賛親鸞筆 鎌倉時代 建長7年(1255) 京都・東本願寺

 画像はリンク切れになるまではHPのここで。

 HPの解説文は、

 建長7年(1255)親鸞83歳の肖像画。
 原本がはじめ三河国(愛知県)安城に伝わったことから「安城御影」と呼ばれる。西本願寺本と同様の像容で草履や杖などの愛用品とともに描かれるが、状態もよく、老齢の親鸞の相貌が見て取れる。
 絵の上下3段に記された賛は『浄土論
(じょうどろん)などからの引用で、西本願寺本とほぼ同じで若干異なる箇所もあるが、いずれも親鸞真筆とみられる。
(展示期間:4月19日〜5月1日)


10 重文 親鸞聖人影像(熊皮御影)  室町時代 15世紀 奈良国立博物館

 これも現物は観ていない。画像はビラで(右側)。奈良博HPのここでも。本画は熊皮の上に坐し、安城御影は狸皮の上に座しているらしいのだが、違いはよく分からない。

 会場で配付していた主催の朝日新聞の「号外」では、本画は「くまがわのえい」。しかし、後は観てないが鏡御影(かがみのえい)、安城御影(あんじょうのえい)と読むようだ。その違いはなぜ?

 ところで、「鏡御影」の画像は、西本願寺HPで。法然と違い、自分で鏡を見て修正・・・というエピソードはなく、単に鏡に写したようにそっくり・・・・という意味らしい。師匠・弟子とも共通する逸話か・・・と期待したのだが。

 なお、安城御影は杖のほか、火箱と草履を描くが、本画は杖のみ。

 

11  親鸞聖人影像(花御影)  康楽寺浄耀画 南北朝時代 文和3年(1354) 京都・常楽臺

 正面向き、椅子に座った珍しい肖像画。

 

14 重文 善信上人絵(琳阿本) 詞書覚如筆 鎌倉時代 13世紀 京都・西本願寺

 琳阿弥陀仏の署名から琳阿本と呼ばれる。めちゃくちゃ基本的なことが分かっていないのだが、「琳阿弥陀仏」氏は法然の絵も親鸞の絵も描いたのか?

 上巻末に定禅夢想(入西監察)の段があることが特徴。

 展示されていたのは出家学道の段と吉水入室の段。前者で得度している親鸞の後ろに控える束帯姿の人物は叔父の日野範綱。正面は戒師の慈円
 後者は法然の庵を訪ねるところ。


 ビラの中央あたりに、本画の部分で法然から著作『選択集』と御影を伝授される親鸞を描く場が載っている。


15 重文 本願寺聖人伝絵(康永本) 上:康楽寺円寂画・詞書覚如筆 下:宗舜画・詞書覚如筆 南北朝時代 康永2年(1343) 京都・東本願寺

 南北朝の戦火で永仁初稿本を失った覚如が74歳で再製したもの。下巻を描いた宗舜は円寂の弟子。

 展示されていたのは「選択付属」の場。親鸞法然から『選択集』の書写を許され、その後、法然の影像に自ら賛を書いてもらう場面。

 画像は、ビラで。ビラに載っているのは9歳の親鸞得度の場。14の出家学道の場も剃髪の場で登場人物は同じだが、角度というか、叔父や慈円の位置が微妙に違う。


16 重文 本願寺聖人親鸞伝絵(弘願本) 詞書善如筆 南北朝時代 貞和2年(1346) 京都・東本願寺

 展示されていたのは「洛陽遷化」の場で、親鸞が火葬されているところ。


17 重文 本願寺聖人親鸞伝絵 詞書存覚筆 南北朝時代 14世紀 大阪・天満定専坊

 覚如の長男である存覚が錦織寺の住持となった我が子慈観に贈った絵といわれる。展示されていたのは15と同じ「選択付属」の場。


19 親鸞聖人絵伝(万福寺伝来) 南北朝時代 14世紀 京都・西本願寺

 画像はHPのここで。HPでの解説文は以下のとおり。

 掛軸に親鸞の生涯を描く「絵伝」は、絵巻物形式の「伝絵」の絵の部分だけを抽出(ちゅうしゅつ)したもので、時間をおって画面下から上へと描かれる。
 この「絵伝」は甲斐
(かい)国等々力(とどろき)万福寺に伝来していたもので、親鸞が善光寺に参詣している様子など、ほかにはみられない独特の場面が織り込まれている。
(展示期間:3月17日〜4月17日)

 画像はビラの左側にも載っている。右側にこの絵伝の一部が載っている。立っている僧が座っている僧に書物を差し出している。これは「選択付属」の場である。このビラでは左にこの絵が、右には琳阿本の絵が載っているが、同じ差し出し方でも微妙に違う。

20 親鸞聖人絵伝 南北朝〜室町時代 14〜15世紀 愛知・願照寺

 3幅の絵伝。特徴ある場面の解説が会場で掲げられていた。

 1幅目では「母遺訓」。臥せっている母の前の幼な児が親鸞。こういう場が描かれているのは珍しいそうだ。

 2幅目は「信心諍論」。奥に座っているのが法然。その前の帽子(もうす)という襟巻きを首に巻いているのが親鸞。
 とりあえず「マフラー」が親鸞のトレードマークのようだ。廊下に黒い笠が置いてある。本画では「信行両座」、「信心諍論」、「箱根霊告」の3場面にのみ黒い笠が描かれているそうだ。

 3幅目は「親鸞入滅〜廟堂創立」の場。火葬の場で白い幕が描かれていること、廟堂の扉が閉ざされているのが大きな特徴だそうだ。

 

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

inserted by FC2 system