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(No161) 京都国立博物館 法然上人特別展覧会「法然 〜生涯と美術〜」鑑賞記 その5


 平成23年4月22日(金)に行った時の鑑賞メモ・・・・の続き。

 

 


II−(3) 弟子たちの活躍

 

92 国宝  法然上人絵伝 四十八巻のうち巻四十三  鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院

 国宝の絵伝で、四十三巻以降は諸弟子列伝となっている。
 後期で展示されていたのは(全期展示も含め)43巻(カタログ番号92)、44巻(97)、45巻(93)、47巻(98)。46巻(96)のみは前期展示だった。

 信空湛空源智、そして重源なども描かれる。そして、特に一巻まるまる費やされているのが、現在の浄土宗を確立したといわれる弁長(46巻)、そして西山三派の祖である証空(47巻)だそうだ。

 で、どれもそれら高弟の「往生」のシーンが描かれていた。建物の中で合掌している人物のところに阿弥陀如来からの光が射している。
 畳の上で寝ている僧もいれば、来迎図の前で座っている僧もいる。これを手にすると極楽に・・・といわれている五色の糸を手にしている僧もいる。

 描き方も雑になってるのか、それとも実際はバラバラだからそれをリアルに再現したのか、実際は統一されていたのをバリエーションをつけたのか真相は分からないが、仰向けに寝ている者、横を向いている者、阿弥陀の光も頭に当たっているもの、腹に突き刺さっているもの、まちまちである。

 国宝を、しかも宗教絵画をこんな風にひとくくりにしては怒られそうだが、宇宙からのレーザービームで人間が次々に撃ち抜かれているように見えてくる。

 


94 重文 聖光上人坐像  鎌倉時代(13〜14世紀) 福岡・善導寺

 聖光房弁長の坐像。迫力あるお顔。


102 当麻曼荼羅図  鎌倉時代(13世紀) 京都・三鈷寺

 当麻曼荼羅(たいままんだら)は、『観経』『観無量寿経』)の内容を周縁部に図示した阿弥陀浄土変相図の一つ。

 鎌倉時代初期に西山派祖の証空が、その内容が師・法然の重んじた善導『観経疏』に正確に依拠している点に着目し、『当麻曼荼羅註』を撰述するなどして積極的に流布した。

 当麻曼荼羅の構成については、私のサイトの「仏教絵画ゼミナール」(浄土教絵画)をご参照いただきたい。

 


II−(4) ゆかりの美術

103 国宝 当麻曼荼羅縁起(上)(下)  鎌倉時代(13世紀) 神奈川・光明寺

 後期に展示されていたのは巻下第一段で、若い女が曼荼羅を織り上げ、雲に乗って飛び去っていく場を描く。



104 国宝  一遍聖絵 十二巻のうち巻九 巻十二  法眼円伊筆 鎌倉時代 正安元年(1299) 神奈川・清浄光寺

 後期展示は巻十二で一遍往生の場。

 一遍は証空の弟子である聖達のもとで浄土教を究め、善光寺で二河白道図を見て念仏勧化を決意し、生涯を念仏賦算の旅におくった。

 

105  金銅密観宝珠舎利容器  鎌倉〜南北朝時代(14世紀) 京都・禅林寺

 水晶の中を刳り、舎利を納め、周りを金銅製の火焔が囲む火焔宝珠。その火焔宝珠は蓮台に乗る。そして、その宝珠と蓮台は台座の上に立った五鈷杵の上に乗り、両脇を龍が支えるという凝った造作。

 画像はここここで。リンク切れになるまでは、京博HPのここここで。後者の方が図像が大きい。

 宝珠の中に乳白色の舎利が見える。これが釈迦の歯か?骨なのか?と興奮した。(←まあ、それほど熱くなる必要はない)

 

106 国宝 金銅蓮華文磬  平安時代(12世紀) 京都・禅林寺

 法要で導師が打ち鳴らす磬(けい)というものだが、国宝と聴いて、え?と思うくらい艶々と黒光りして、薄く、女性のベルトの幅広バックルを連想させるような、現代的センスさえ感じさせる品。

 

109 仏涅槃図 平安時代(12世紀) 京都・西念寺

 涅槃図(ねはんず)とは釈迦(しゃか)の入滅、つまりお亡くなりになった時の絵。平成22年に発見されたとのことである。

 私は以前、仏画ゼミ(19)で涅槃図の2類型を紹介した。

 本図は、右手が体側に伸びている点、視点が足元側、画面が方形ないし横長という点では、第1類型に該当し、時代の古い(平安時代)涅槃図であることに合致する。

 一方、第1類型には動物の参加は少ないという特徴があるのだが、本図では十六種類もの動物が描かれているそうである。
 したがって、平安時代から鎌倉時代の過渡期の作品と考えられる。

 

111 重文 山越阿弥陀図  鎌倉時代(13世紀) 京都・金戒光明寺

 前期には、

110 国宝 山越阿弥陀図 鎌倉時代(13世紀) 京都・禅林寺

 が展示されていたとのことである。

 京都国立博物館蔵の、やはり国宝の山越阿弥陀図(やまごしあみだず)の画像としてはここを参照。

 上掲の110と111がどう違うかというと、衣の色などの表現や、両菩薩の位置関係等が異なり、それで時代が類推される。

 表形式でまとめると以下のとおり。

出典 仏体表現 両菩薩の位置 構図(向き) 時代
禅林寺本 服装は普通の色の衣を着ている。 観音、勢至両菩薩は、既に山を越えている。 正面 13世紀前半
金戒光明寺本 「皆金色身」として金泥を塗りこめた仏体表現 両菩薩は阿弥陀とともに山の向こう。 正面 13世紀末
京博本 皆金色身 眷属すべて山の向こう 斜め(来迎図的な角度) 金戒本に近く13世紀末か?

 

112 重文 十体阿弥陀図 鎌倉時代 京都・知恩寺

 横3体が3列、さらに、その後ろに1体で計10体の阿弥陀なのだろうが、私には、それぞれの区別はつかない。

 

114 国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎) 鎌倉時代(14世紀) 京都・知恩院

 今回の「法然」展にあたり、前期・後期の展示替えは特に意識せず、22日の落語会に併せ、鑑賞させていただいたのだが、たまさか、この「早来迎」の展示と巡り会え、感動している。
 ほんと、これだけで後期に観に行った値打ちがあったと思いました。 

  これまで各種HPや写真集などでは観ていたのですが、この奔流が如き阿弥陀らの飛雲と、一方での山肌での桜花。この配置の妙を、展示会場で現実に眼にすることができたのは大きな収穫でした。

(感動のあまり、ですます調になっている)

 画像はチラシ京博だよりで。リンク切れになるまでは京博HPのここここで。

120 地蔵十王図 十一幅のうち地蔵菩薩・秦広王・初江王・平等王・閻羅王 中国・南宋時代(13世紀) 京都・誓願寺

 閻魔の絵は「いかにも・・・」という感じだが、地蔵菩薩が座り方といい、顔つきといい、何かいわくありげな「陰のボス」的な雰囲気を漂わせている。

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

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