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(No47) 大阪市立東洋陶磁美術館 「北宋汝窯青磁 考古発掘成果展」記念講演会 聴講記 その3

 平成21年12月5日(土)に、上記講演会を聴きに行った時のメモの続き。

 

 



「宮廷生活における汝窯と宋代官窯青瓷」 (3)         劉朝暉(上海・復旦大学文物與博物館学系副教授)

 

 

(三) 花器

1 花挿

 南宋盥手観花図
(天津市芸術博物館)   

(石野註)
 メモした簡体字を辞書でひいて、グーグルしたら、これが出た。その時表示された画像がこれだったかは定かな自信がない
 ただ、何か花生けのようなものは描かれている。

 

 汝窯の梅瓶が伝わっています。
 この「梅瓶」というのは、何が起源なのか、よく分かっていません。

 「経瓶」とか「金瓶」という言葉は残っています。これらの言葉が転じて「梅瓶」となったのかもしれません。

 老虎洞窯からは花盆も伝わっています。


 南宋の官窯、修内司官窯では、青銅器に倣った礼器、祭器が伝わっています。陶質の祭器です。

 1999年、鳳凰山老虎洞窯址東側から南宋時代の陶製祭器が見つかりました。饕餮(とうてつ)文や虁龍(きりゅう)文、雷文などです。

 2004年には、張官巷遺址から、圏足のある祭器が、見つかりました。南宋皇城の城内に位置する場所ですから宮廷がコントロールしていたものと考えられます。

 郊壇下窯からは「碧玉明月照」と称される陶製の型が見つかっています。

 

 南宋の「女孝経図 巻」をみると、祭祀の様子が分かります。「豆」などが使われています。

 鼎や尊、獣環壺、方壺など同器形のものが出土しています。青銅器うつしの礼器なのでしょうか?それにしては、小さすぎるような感じもします。

 汝窯の素焼きの片で、青銅器のような文様が施されているものがあります。
 汝窯に素焼きの礼器があったのでしょうか?

 残っているは円壺、方壺の3点だけで、判断は難しいところです。

 

(石野註)
 
 当時のメモで再現しているが、うまく意味が通らない。

 当日の講演では、通訳の方は、なかなか的確に訳されていたと思うのだが、何せ文字情報は簡体字ばかりで、すぐ意味が分からない。

 で、日数が経過し、記憶も薄れてしまったので、せっかくの講演内容もうまく雰囲気をお伝えできない点はお詫びしたい。

 

 



(石野註)

 既に予定時間は超過していたのだが、「せっかくの機会だから・・・・・・」ということで、主催者側が質問を募られた。

 で、私も一問質問させていただいた。

 しかし、その後、「時間もないので、あと1問だけ・・・・」と主催者側がお願いしているにもかかわらず、質問ではなく、単に自己アピール(それも単なる自己満足な自慢話で、全く内容の空虚なもの)を延々と続ける奴、また、勝手に「関連やから・・・・」と、関連のない質問を平気で延々と語り続ける奴の横行で、時間は、何ぼでもオーバーしていくのであった。

 「質問を・・・・・」と言ってるのに、「私は、○○という説を提唱していて、××大学のの△△先生や、□□美術館の●●先生と話をしたこともあって・・・・・・・」なんて話を延々としていたおっさん!寝言は寝てる時にしてくれ。自慢話は他所でやってくれ

 

 その他の主なQ&Aの要点

質 問 回 答
 貫入の入り方が違うのは焼き方が違うのか?釉薬が違うのか?

 「天青」を生むのは釉薬に「瑪瑙」を含むからだと言われているが、釉薬の成分はどの程度解明されたのか?

 

 貫入については技術的な問題、胎土、釉薬、焼成の条件の違いなど様々な要素が絡み合う。

 意図的に造り分けていたのか?そんなことが可能なのか?

 釉が薄いのに、なぜ「青」が発色するのか?

 厚い釉薬のものもある。光の屈折、光の拡散のし方がちがう。

 成分の分析も進んでいるが、汝窯で特に成分において特徴的なものはない。

 


 お疲れ様でした。

 録音してはおりません(殴り書きのメモとおぼろげな記憶で勝手に再構成してます)ので、記録違い、記憶違いはご容赦ください。

 
  

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