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(No46) 大阪市立東洋陶磁美術館 「北宋汝窯青磁 考古発掘成果展」記念講演会 聴講記 その2 平成21年12月5日(土)に、上記講演会を聴きに行った時のメモの続き。
(二) 皇宮遺址出土 南宋出土情況 1 太廟 (南宋時代の李嵩の「西湖図巻」が映し出される。 この絵は、今日のお話とは特に関係ありません。臨安、杭州の雰囲気を感じていただきたいと思って観ていただきました。 太廟は、王朝の祭祀のための廟です。杭州の太廟遺址からは南宋官窯の作の鬲(れき)式炉(三足炉)の残片が発見されています。
2 恭聖仁烈皇后宅 恭聖仁烈皇后宅の庭園の池から南宋官窯の陶片が89片、汝窯の梅瓶の陶片が1片発見されています。 恭聖仁烈皇后は1162年〜1232年の人(石野註 私のメモでは「〜1232」とあるが、家の『中国歴代皇帝人物事典』(岡崎由美・王敏監修、河出書房新社)では1233年没とある)で、南宋四代皇帝の寧宗こと趙擴(1168〜1224)の皇后であり、氏は楊です。 書画に長けていたと伝えられています。楊妹子という署名が残っています。元代の呉師道も題詞で楊妹子のことを書いています。
(三) 宮廷器物 A 汝窯 1 汝窯 天青盤 北京故宮に「寿成殿 皇后閣」という汝窯の盤が伝えられています。 寿成殿とは、寿成皇后、つまり孝宗皇后の謝氏と予想されています。(石野註 前掲の『中国歴代皇帝人物事典』では、孝宗は南宋の二代皇帝で南宋第一の名君とある。また、謝皇后は地味で温厚な性格で孝宗の世話をよくし、自身は倹約を心がけ、1203年に没したとある) 2 汝窯青磁「奉華」碟 乾隆帝も、この青磁について文章を残しています。 この「奉華」という銘は清朝の時代に刻んだという説もありますが、私は南宋代と思います。
1 「玉津園」銘 粉青官窯の紙槌瓶で、日本の関西人コレクター所蔵です。 「玉津園」とは、皇室専用の園林のことで、開封にも同名の場所があります。 2 「殿」銘 官窯天青 杭州から出土したものです。 「殿」については、周密の『武林旧事』巻四に垂拱殿、文徳殿、紫辰殿等の名前が出ています。 『宋史』には、宋室が南渡し、高宗が臨安に都を定めてからは「随事易名」、つまり不確定性が大きくなったとしています。 つまり、○○殿と固有名詞を入れても変わってしまうので、汎用的に、単に「殿」と刻ませたのではないか、と考えられています。 このほか、「内苑」という銘の碗の底片や「苑徳寿」という銘の盤、「徳寿后苑」や「徳后」銘の碗底などが残っています。 また、「坤」という字の陶片も残っています。「坤」は、「坤寧宮」の簡称です。 「苑」字の片、「太后(?)」の底片、「(?)寧殿」という片も出土しています。これは、おそらく「坤寧殿」のことでしょう。
こうした出土品の器形から宮廷の日常生活が想像できます。 (一) 飲食器 汝窯では花口の温碗や、盞托などが多く出ています。 五代の「韓熙載夜宴図」には、宋代の食器、盞托などが描かれています。(石野註 この時に映し出された画像については、ここのHPで)
(二) 香器 先ほどの周密『武林旧事』巻九に紹興21年10月に張俊が高宗に奉ったもののリストが載っていますが、その多くが香にまつわるものです。
徐競の『宣和奉使高麗図経』の炉の条に汝窯の出香について記載があります。獅子の口から香の煙が出たようです。
北宋の李公麟の「維摩演経図巻」にも出ています。 蓮弁座の上に獅子の形のものがあり、その獅子の口から香が香ります。 宋代の呉自牧の『夢梁録』巻三には「出香金獅〜」という表現があります。
また、北宋の趙佶、いわゆる徽宗の描いた「聴琴図」にも香炉が描かれています。
お疲れ様でした。
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