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(No43) 大阪市立美術館 特別展「道教の美術」 講演会 「道教とその美術」聴講記 

 平成21年10月10日(土)に、標記企画展を観に行き、学芸員斎藤龍一氏の講演を聴いた。

 



 マイクを持つなり、「学芸員が講演する時は、司会進行も全部自分でやらないといけないんです」と笑わせ、自ら会場の電気を消す。

(左はチケット)

 今回の美術展では出品は約330件。

 出展元は110機関に及びます。異例の多さです。北は仙台から南は長崎まで。

 会期は9月15日から10月25日。6週間です。
 よく、短いと怒られるんですが、国宝は1年に6週間しか展示してはいけないという決まりがあるんです。

 今年、東京と2箇所で開催してるんですが、3週間で入れ替えなければならないんです。

 また、国宝は、1年に2つ以上の会場で展示してはいけないという決まりもあります。
 ですから、この展示会でご覧になった国宝は、少なくとも今年中は二度と観ることができません。まあ、翌年も難しいですが。

 本展示会は、道教をテーマとした日本で最初の展示会です。
 実は構想自体はずいぶん前からありました。うちの学芸員で東北大に行かれた「いずみ」さんなんかも考えていたのですが、これは大変だ・・・ということでやめちゃった。

 今回、あまり難しく考えずにやっちゃうことにしました。
 基本コンセプトは二つ。
 一つ目は、道教を宗教として扱うこと。哲学というか老荘思想にはまり込んでしまうと、どうしようもなくなる。

 二つ目は、道教とは何か・・・を深く追求せず、ともかく関連のありそうなものを集める。

 集めるものも、三つに分かれるだろうと考えていました。

1.道教の尊像
2.道教の影響を受けたもの
3.道教と仏教の混淆したもの・・・・・・・・の三つです。

 実際に集めてみると、日本には1はほとんどなく、ほとんどが2か3であることが分かりました。

 そこで台湾の道士(仏教における僧侶)に頼んで尊像を借りてきました。

 展示会の構成は、第1章 中国古代の神仙思想、第2章 老子と道教の成立、第3章 道教の信仰と尊像、第4章 古代日本と道教第5章 陰陽道となってます。

 陰陽道というと安倍晴明が有名ですね。

 第6章は、 地獄と冥界・十王思想です。ここで皆さんもああ、閻魔さん・・・と馴染みが出てきましたね。
(パワーポイントで展示室の写真を出し)このコーナーは、壁を真っ赤にしてみました。周りからはバカか!と言われたんですが、地獄の絵ですから、赤の方が血が鮮やかに見えるものと思いまして。

 よく四十九日といいますが、あれは七七日と書きます。初七日のように、七日ごとに裁かれるのですが、七回目の裁判の日ということです。我々は泰山王という知らない神様に裁かれるんですねえ。
(注 各裁判の担当王については、ここで)

 あとは、第7章 北斗七星と星宿信仰、第8章 禅宗と道教、第9章 仙人/道教の神々と民間信仰、第10章 道教思想のひろがり、第11章 近代日本と道教第12章 拡散する道教のイメージとなっています。

 岡倉天心は『茶の本』で、茶とは道教だという過激なことを言っています。

 要するに、日本で道教がどう受容されたのか、日本にどのような影響を与えたのかということがテーマです。

 

 皆さんも夏になると、お中元が気になりますね。ところで、道教には上元、中元、下元の区別があります。日常生活のすぐ横まで、道教が来ていたんですねぇ。

 道は、TAO。現在の中国語の発音ではDAOなのですが、誰もダオイズムとはいいません。

 道教とは原始宗教をもとに中国で発生した宗教です。
注 この辺、展示会のパンフから引用する。
 道教とは、道を説き不老長寿を究極の理想とする、中国で生まれた宗教です。老子をその祖として崇め、神仙思想や風水、星宿、易をはじめとする古代の思想・信仰・神話、そして仏教をも取り込みながら発展し続けてきました。)

 不死が理想ですが、それはできないので望める最高は不老長寿であり、老いずに何でもできる仙人が究極の存在ということになります。

 医学も昔の医学ですから、半分は占いみたいなものですね。ですから、医学も道教の範疇に含まれます。

 老子が道教の祖とされています。別に老子が道教をつくった訳ではないのですが。
 老子は司馬遷『史記』に書かれている実在の人物です。本名は李耳といいます。
 何かの事件で関所を越えていこうとしたとき、尹喜という役人から請われて著したのが、5000字もの『老子道徳経』といわれています。

 関所を越えて・・・といいますが、越えてどこへ行ったかは分かっていません。ですから老子の墓というのも見つかっていません。

 道徳経の冒頭は「道可道非常道」。何のことか分かりませんね。道の道たるは常の道にあらず。英語では、単純に TAO IS THE LOAD.なんて訳されています。

 老子の絵というと、牛に乗って、関所が描かれているのが常です。

 

 道教の神々を整理するのは非常に難しいのですが、その理由の第一として、数が非常に多いことがあげられます。

 次に時代によってヒエラルキーが変わってしまうことがあります。順位が一定ではありません。

 さらに名前も帝から名前を賜ったりして、どんどん名前が変わってしまいます。(老君のほか、ずらずらずらと異名があげられた)

 一応、道教の神のベスト3としてあげられることが多いのが、元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊で、この道徳天尊の別名が太上老君というように、老子が神格化しています。

 道教の三尊像(と、画像を表示して)では元始天尊が真ん中で、向って右が霊宝、左が道徳ですが、ほとんど区別がつきませんね。

 台湾での道教の祭祀を見学しましたが、屋外で掛け軸として掛けているので非常に傷みます。そして、向こうの人は傷んだらすぐに棄てますから、古い尊像の画軸はほとんど残っておらず、最も古いものでもせいぜい100年ほど前のものしか残っていないのです。これは意外でした。


 もともと道教には偶像はありませんでした。

 法琳『弁正論』には、陶弘景の言として、昔、道教には天尊など形がなかった。しかし、仏教の真似をして、左右に二人の真人を配して、仏教の三尊像を模倣しているとしています。
 多分、これは事実だと思います。

 現在、最古の道教の像は、南北朝5〜6世紀の頃のものです。

067  道教三尊像    北魏・延昌四年(515)銘 大阪 大阪市立美術館

 を観てみましょう。

 中央の人物は、ひげがあり、宝冠をかぶっています。手にしているのは麈尾
(しゅび)という法具です。麈尾は、鹿の毛を使うので、このような字が使われています。

 向って左の人物は仏教の三尊像と違い、合掌してませんし、横を向いて酒瓶のようなものを持っていますが、その中には仙薬が入っているのかもしれません。

 

070  道教四面像  大阪市立美術館

 には、道民という字が刻まれています。北海道民じゃないですからね。仏教徒なら仏弟子などとするところ、道民というのは道教を信奉する者ということです。よって、これは道教像ということになります。


072  道教三尊像  天和三年(568)    東京 東京芸術大学美術館

 これは、道教像として非常に有名なものです。明治40年(1907)、中国の年号では光緒33年の時に買い入れしたものです。

 腹の所にT字形のものが見えます。これは、貴族などが体をもたれさせるものです。
 日本の殿様が使う脇息
(きょうそく)は、真っ直ぐで2本足、体の横に置いてもたれるものですが、中国では半円形で3本足のものが多いのです。

 ちょっと赤ちゃんの使う歩行器みたいな感じなのだが、ズバリ写真を出しちゃうと、こんな感じ。

 これの正式名称が凭几(ひょうき)。

 呉(3世紀中頃)の朱然墓から凭几が出土しています。

 石造道教四面像  建徳元年(572)銘  の拓本では、主尊にT字形のものが見えます。

 北周 天和三年(568)銘 山西永済市博物館 所蔵の像も、左手は凭几に触れ、右手は麈尾を持っています。

 これは現在展示されているものですが、背面を観てください。そこに老君と刻まれているので、この主尊は老子であると分かります。

 この拓本には、元始天尊像碑一區とあります。この主尊は、元始天尊ということになります。

 中国の5〜6世紀の頃は仏教も道教も像の区別がつかないことが多いのです。ほとんど、作った本人がどう自称しているかにかかっていると言えます。

 

 道教神は、中国の高貴な男性をイメージしたものだと言えるでしょう。

 中国の高貴な男性を探るのに、中国では墓の被葬者の絵を残すので男性墓主像を調べることにしました。

 これは東晋(4世紀)の明器として出土したものですが、陶製の凭几です。明器というのは、被葬者が冥土で使うため、副葬品として入れるものです。

 ほかには、陶製の牛車の中に凭几だけが積んであるものもあります。

 南京象山7号墓からも凭几が1個だけ出土しています。

 高句麗(357)安岳3号墓、高句麗(408)徳興里墓、北魏(5世紀後半)山西大同の墓の墓主像です。

 北魏というのは、鮮卑族です。頭にかぶっているのは、こうした遊牧民族がよくかぶる毛皮の帽子です。ですが、そんな男でも、凭几が描かれています。

 夫婦ともに埋葬される場合、画像には奥さんも描かれていますが、明器として出土するのは絶対に一つだけです。
 また、女性に凭几が描かれることはありません。

 手に麈尾、腰に凭几というのが、高貴な男性の象徴と言えます。

081  天尊図   奈良 法隆寺

 は、日本最古の天尊図といわれます。

 清時代の20世紀の天尊像でもまだ、凭几が描かれています。

 ただ、獣足の一部だけが残っており、それ以外の部分は房に変わっています。

 絵のバランスが崩れても無理やり凭几を描いたり、房に変わっても凭几を描き続けるというのは、それだけ凭几が最重要アイテムだということでしょう。

 

 先ほども言いましたが、借り出し先が110にも及びました。
 ですから、こんな展示会は、もう二度とできないと思います。最初から赤字覚悟ですから。

 役所をだまして予算を取りましたが、二度は出来ないでしょう。

 まだ時間がありますので、この後、会場をご覧下さい。私もよく分からないんです。道教に関する百科事典みたいな展示会ですので、難しく考えて最初から全部丁寧にご覧にならなくて結構です。
 気軽に回られて、興味の惹かれた所だけじっくり観ていただいたら。

 分からないものがあれば、道教を疑えといってよいと思います。

 

  


 どうもお疲れ様でした。

 
  

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