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(No43) 大阪市立美術館 特別展「道教の美術」 講演会 「道教とその美術」聴講記
今回、あまり難しく考えずにやっちゃうことにしました。 集めるものも、三つに分かれるだろうと考えていました。 1.道教の尊像 そこで台湾の道士(仏教における僧侶)に頼んで尊像を借りてきました。 展示会の構成は、第1章 中国古代の神仙思想、第2章 老子と道教の成立、第3章 道教の信仰と尊像、第4章 古代日本と道教、第5章 陰陽道となってます。 第6章は、 地獄と冥界・十王思想です。ここで皆さんもああ、閻魔さん・・・と馴染みが出てきましたね。 よく四十九日といいますが、あれは七七日と書きます。初七日のように、七日ごとに裁かれるのですが、七回目の裁判の日ということです。我々は泰山王という知らない神様に裁かれるんですねえ。 あとは、第7章 北斗七星と星宿信仰、第8章 禅宗と道教、第9章 仙人/道教の神々と民間信仰、第10章 道教思想のひろがり、第11章 近代日本と道教、第12章 拡散する道教のイメージとなっています。 岡倉天心は『茶の本』で、茶とは道教だという過激なことを言っています。 要するに、日本で道教がどう受容されたのか、日本にどのような影響を与えたのかということがテーマです。
皆さんも夏になると、お中元が気になりますね。ところで、道教には上元、中元、下元の区別があります。日常生活のすぐ横まで、道教が来ていたんですねぇ。 道は、TAO。現在の中国語の発音ではDAOなのですが、誰もダオイズムとはいいません。 道教とは原始宗教をもとに中国で発生した宗教です。 不死が理想ですが、それはできないので望める最高は不老長寿であり、老いずに何でもできる仙人が究極の存在ということになります。 医学も昔の医学ですから、半分は占いみたいなものですね。ですから、医学も道教の範疇に含まれます。 老子が道教の祖とされています。別に老子が道教をつくった訳ではないのですが。 老子の絵というと、牛に乗って、関所が描かれているのが常です。
道教の神々を整理するのは非常に難しいのですが、その理由の第一として、数が非常に多いことがあげられます。 さらに名前も帝から名前を賜ったりして、どんどん名前が変わってしまいます。(老君のほか、ずらずらずらと異名があげられた) 一応、道教の神のベスト3としてあげられることが多いのが、元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊で、この道徳天尊の別名が太上老君というように、老子が神格化しています。 道教の三尊像(と、画像を表示して)では元始天尊が真ん中で、向って右が霊宝、左が道徳ですが、ほとんど区別がつきませんね。 台湾での道教の祭祀を見学しましたが、屋外で掛け軸として掛けているので非常に傷みます。そして、向こうの人は傷んだらすぐに棄てますから、古い尊像の画軸はほとんど残っておらず、最も古いものでもせいぜい100年ほど前のものしか残っていないのです。これは意外でした。
現在、最古の道教の像は、南北朝5〜6世紀の頃のものです。 067 道教三尊像 北魏・延昌四年(515)銘 大阪 大阪市立美術館 を観てみましょう。
070 道教四面像 大阪市立美術館 には、道民という字が刻まれています。北海道民じゃないですからね。仏教徒なら仏弟子などとするところ、道民というのは道教を信奉する者ということです。よって、これは道教像ということになります。
これは、道教像として非常に有名なものです。明治40年(1907)、中国の年号では光緒33年の時に買い入れしたものです。 腹の所にT字形のものが見えます。これは、貴族などが体をもたれさせるものです。
呉(3世紀中頃)の朱然墓から凭几が出土しています。 石造道教四面像 建徳元年(572)銘 の拓本では、主尊にT字形のものが見えます。 北周 天和三年(568)銘 山西永済市博物館 所蔵の像も、左手は凭几に触れ、右手は麈尾を持っています。 これは現在展示されているものですが、背面を観てください。そこに老君と刻まれているので、この主尊は老子であると分かります。 この拓本には、元始天尊像碑一區とあります。この主尊は、元始天尊ということになります。
道教神は、中国の高貴な男性をイメージしたものだと言えるでしょう。 中国の高貴な男性を探るのに、中国では墓の被葬者の絵を残すので男性墓主像を調べることにしました。 ほかには、陶製の牛車の中に凭几だけが積んであるものもあります。 南京象山7号墓からも凭几が1個だけ出土しています。 高句麗(357)安岳3号墓、高句麗(408)徳興里墓、北魏(5世紀後半)山西大同の墓の墓主像です。 北魏というのは、鮮卑族です。頭にかぶっているのは、こうした遊牧民族がよくかぶる毛皮の帽子です。ですが、そんな男でも、凭几が描かれています。 夫婦ともに埋葬される場合、画像には奥さんも描かれていますが、明器として出土するのは絶対に一つだけです。 手に麈尾、腰に凭几というのが、高貴な男性の象徴と言えます。 081 天尊図 奈良 法隆寺 は、日本最古の天尊図といわれます。 清時代の20世紀の天尊像でもまだ、凭几が描かれています。 ただ、獣足の一部だけが残っており、それ以外の部分は房に変わっています。 絵のバランスが崩れても無理やり凭几を描いたり、房に変わっても凭几を描き続けるというのは、それだけ凭几が最重要アイテムだということでしょう。
先ほども言いましたが、借り出し先が110にも及びました。 役所をだまして予算を取りましたが、二度は出来ないでしょう。 まだ時間がありますので、この後、会場をご覧下さい。私もよく分からないんです。道教に関する百科事典みたいな展示会ですので、難しく考えて最初から全部丁寧にご覧にならなくて結構です。
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