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中国美術展(18)「中国国宝展」鑑賞記Part4

1 概要

 平成17年1月18日から3月27日の会期で、国立国際美術館(大阪・中之島)において「中国国宝展」が開催されました。
 平成17年1月29日(土)の「中国考古学の新発見」という記念講演会、2月11日の関西オフ会のレポを兼ねてご報告します・・・・・の第4部。


2 考古学の新発見 二 秦時代〜唐時代

 
展示会全体は、「考古学の新発見」と「仏教美術」という2コーナーに分かれている。

 それでは、目についたものを適宜紹介する。

 

(47) 文官俑 秦・BC3世紀

 陝西省西安市始皇帝陵0006号坑出土。

 安定を良くするためか、他の兵馬俑と同じく足は短めだが、すらりとした文官の俑。「冠の形などから下級の官吏とは考えられない」とのことである。
 右腰に鞘に入った刀子(とうす。ナイフ)と砥石を下げている。当時は木や竹の札に筆で文字を書き、間違ったらそのナイフで削り取った。「刀筆の吏」という言葉はここから出ている。

 宣和堂さんが「李斯もこんな格好をしてたんだろうか」とつぶやいておられたのが印象的だった。

 公式サイトのミニギャラリー参照。



(48) 雑技俑 秦・BC3世紀

 同9901号坑出土。

 頭と足の先がない。上半身裸で、スカートのようなものをつけている。相撲取りのようなたくましい体だが、手は、(49)の「船漕ぎ俑」とは逆に、左手の甲を上、右手の甲を下にして、何かを握っていたように見える。

 リンク切れになっていなければ、公式サイトに画像あり。
 チラシ裏面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。



(51・52) 石製鎧・石製甲 秦・BC3世紀

 同9801号坑出土。

  石灰石を加工して厚み6〜7mmの薄片にし、銅製の針金で綴ったものだが、重い割に防御力は期待できないし、少し動いたら銅線との摩擦で破損する可能性が高い。
 よって、いずれも実用品とは考えられていないようである。

 確かに、石の甲(かぶと。兜)なんかかぶってた日にゃあ、殴られたら重みで、(かぶってない時より)ダメージを受けそうな気がする。

 公式サイトに画像あり。
  鎧のみチラシ表面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。 


(53)  秦・BC3世紀

 同0007号坑出土。この坑からは、「白鳥、雁、鶴など33羽の銅製の鳥が発見された」そうである。
 この鶴は嘴の先に魚をくわえているのだが、眼はいきいきとしているし、すばらしく現代的センスにあふれ、写実的である。

 惜しいことに今では細い足が折れてしまい自立できないようだが、実にバランスのいい作品である。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(54) 金縷玉衣(きんるぎょくい) 前漢・BC2世紀

 江蘇省徐州市獅子山楚王陵出土。
 ともかく使われている玉の質が極めて高く、非常に美しい。透明感があり、ところどころ緑色の玉も混じっている。
 前回ご紹介した玉覆面と違い、別の玉器に使ったものの再生品などは使われていないようだ。

 玉を長方形のタイルのような形にして、黄金の針金で綴り合わせて遺体をおおう衣装の形にしているのだが、眼や乳首のところは丸い形の玉板にしたり、その他、身体の曲面に合うように巧みに加工されている。

 綴っている針金の金色があまりに鮮やかなので驚いたのだが、これはもちろん前漢当時のものではない。
 昔の盗掘者は、黄金の針金だけを抜き取ってしまったのだが、よくぞ玉の方は置いていってくれたものだ。

 公式サイトに画像あり。
 チラシ裏面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(56) 玉豹 前漢・BC2世紀

 同楚王陵出土。

 『図録』をお持ちだったら、ぜひご覧いただきたい。
 少し歯をのぞかせているその表情が、まるでチェシャ猫のようだ・・・・・って、言いたかったのは、そのことだけ。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(62) 玉巵(ぎょくし) 前漢・BC2世紀

 同楚王陵出土。巵(し)とは「飲み物や食べ物を入れる円筒形の容器」と図録にある。
 底には小さな脚が三つついている。
 蓋には、五弁の花や、渦巻き状の装飾など、立体的に彫り出されている。

 会場では真上から照明があてられており、その光が底面を抜け、巵が置かれている平面にまで達していた。精密に加工された半透明の玉器は透光性に富んでいることがわかる。


(64) 狩猟場面貯貝器 前漢・BC2〜BC1世紀

 雲南省晋寧県石寨山71号墓出土。

 雲南省で戦国時代から前漢時代にかけて花開いた独自の青銅器文化の代表的器物が銅鼓(どうこ)という打楽器なのだが、この貯貝器は銅鼓を二つ積み重ねてつくられている。

 蓋の部分には、馬に乗った人物が二名(うち一人は金メッキ付き)、猟犬を連れて大きな鹿を狩ろうとしている。中央の徒歩の人物は、騎馬の人物の従者と思われるが、三人とも手に持っていたと思われる武器(槍をかざしているように見える)が失われているため、今では拳を振り上げて威嚇しているだけのように見える。

 公式サイトに画像あり。
 チラシ表面及び裏面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(68) 天王俑 唐・8世紀

 陝西省西安市西北政法学院34号唐墓出土。

 図録では2体あるが、大阪会場には右手を高く振り上げず、兜のような帽子をかぶっている1体だけが展示されていたように思う。

 先日、TVで新薬師寺の十二神将の製作当時の色をコンピュータグラフィック技術を駆使して再現する・・・・・という番組があった。その番組の中で、中国本土で当時の極彩色を残した像が出土した・・・という報道があったが、その像がこれだったのだろうか。

 公式サイトに画像あり。
  チラシ表面及び裏面参照。

(69) 鎮墓獣(ちんぼじゅう) 唐・8世紀

 同34号唐墓出土。

 これも図録では人面の鎮墓獣と獣面のそれと2体の写真が載っていたが、会場では獣面の方しかなかったように思う。
 両肩から火炎のように立ちのぼっているのは羽根らしい。

 ぐっ!と両側に開いた後ろ足は実にみごとな「M字開脚」ぶりで、「よっ!インリン・オブ・ジョイトイ!!」と声をかけたかったのだが、どうも浮いてしまいそうだったので黙っていた。


(70) 女子俑 唐・8世紀

 同34号唐墓出土。

 いかにも玄宗皇帝好みの豊満な姿態の女性。ちと豊満にも程があるって気はするが。

 図録には「左手先のみを袖から出して人差し指を立てるという仕草が何を意味したものか定かでない」とあるが、東洋陶磁美術館所蔵の加彩婦女俑の解説では「胸の前にかかげた手の指先には小鳥がとまっていたらしい」とあったので、すぐにそれを連想してしまった。




 ようやく展示第1部が終わり、後半の仏教美術へ。

 前途まだまだ遥かではあるが、気長にお付き合いいただけたら幸いである。

 

 

 

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