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中国美術展(19)「中国国宝展」鑑賞記Part5

1 概要

 平成17年1月18日から3月27日の会期で、国立国際美術館(大阪・中之島)において「中国国宝展」が開催されました。
 平成17年1月29日(土)の「中国考古学の新発見」という記念講演会、2月11日の関西オフ会のレポを兼ねてご報告します・・・・・の第5部。


2 仏教美術 一 仏教の伝来と受容 後漢・三国・晋・五胡十六国

 
展示会全体は、「考古学の新発見」と「仏教美術」という2コーナーに分かれている。

 それでは、目についたものを適宜紹介する。

 

(72) 仏像付揺銭樹台座 後漢・2〜3世紀

 四川省彭山県116号墓出土。
 揺銭樹(ようせんじゅ)とは「死後の富貴や繁栄を願って墓に埋葬された副葬品で、後漢から三国時代にかけて、現在の四川省、陝西省、雲南省など中国西部で流行した」とある。

 また、会場や図録での解説では、仏像が通肩(つうけん)に衣をまとっているのがインド風であるとされていた。「通肩」とは、両肩をおおっていることである。

 リンク切れになっていなければ、公式サイトに画像あり。



(75) 仏像付神亭壺 三国(呉)〜西晋・3世紀後半

 江蘇省金壇市唐王東呉墓出土。
 図録には「神亭壺(しんていこ)とは、3世紀後半から4世紀初期にかけて長江下流域で製作された青磁の壺で、もっぱら墓の中に納められた」とある。
 神亭壺というのはとにかく装飾過剰で、とりわけ蓋の所がごちゃごちゃしている。

  どこに仏像があるのやら。どうも蓋の方じゃなく、「み」と言うか、壺の上部に3列ほど動物が並んでいる。一番上は猿。一番下は魚かな?カエルかな?で、真ん中の列、麒麟のような動物の間にいる何者かがどうやら「仏像」らしい。

 公式サイトのミニギャラリー参照。



(78) 仏立像金板 東晋末・4世紀末〜5世紀初

 江蘇省鎮江市跑馬山東晋墓出土。

  ぶっちゃけて言ってしまうと有り難味も何もなくなるのだが、「子どもの落書き」と言われたら納得してしまいそうである。
 金製の薄い板に、「円形二重の光背を背負い、頭頂に肉髻(にくけい)を備えた人物の立像が、線刻によって表現されている」のだが、口の片端が「へっ!」と笑ってるみたいにひん曲がってるし、両手は手のひらを前にしてだあ〜っと広げてるし、足はつま先を両外側に180度開脚してるし、そして何より裸だし。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


2 仏教美術 二 仏教の広がり 南北朝

 
展示会全体では仏教美術の占める割合が大きい。駆け足でご紹介する。



(82) 如来坐像 北魏・5世紀後半

 北京市延慶県宗家営出土。
 中国で仏教文化が花開いたというとやはり北魏時代だろう。何せ「一」のところでは単独の本格的な「仏像」そのものが展示されていなかった。

 本像は、「太和年間頃の北魏仏の典型的な作例」だそうだ。金色がよく残っている。

 チラシ表面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(83) 如来三尊立像(にょらいさんぞんりゅうぞう) 北魏・6世紀前半

 河南省淇県城関出土。
 北魏時代には「それまでの西方様式に連なる仏像とまったく異質で、中国の伝統的な要素の色濃い仏像が作られるようになった」とある。
 具体的には「袖が長く伸び、衣の裾を足下まで垂らして左右方向に張り出させた〜平面を基調にし、線刻による仕上げを要とした」とある。その左右対称の魚鰭(ひれ)状に広がる衣の表現は本像や91の如来三尊立像に顕著である。


 公式サイトに画像あり。
  チラシ表面及び裏面参照。


(85) 弥勒菩薩交脚坐像龕(みろくぼさつこうきゃくざぞうがん) 北魏・孝昌元年(525)

 河南省滎陽市大海寺址出土。

 大きな石の塊から彫り出して、正面に穿たれた龕には交脚の弥勒菩薩坐像。左右に菩薩立像と比丘立像が高浮彫りで表わされている。

 ただ一番印象的なのは、下部にある平面的な浮彫りの僧侶像のところに「比丘道恵」、「比丘道景」などとやたら人名が彫られている点。


(89) 釈迦・弥勒像龕 北魏・太昌元年(532)

 陝西省収集。
 幅50cm弱、高さ1mほどの長方形の砂岩の上部に如来坐像、下段に交脚の弥勒菩薩坐像、そして周囲にも菩薩半跏像や伎楽天などびっしりと彫り出されている。

 図録では「目をひくのは、釈迦の両脇外側で膝を曲げて立ちながら合掌するインドのバラモン風の人物である」とあるが、私には中央部分の梯形アーチに彫られた逆立ちしている雑技団風の人物や、交脚菩薩の足の下で、眼を見開きながら支えている人物に注目してしまった。


(90) 五層四面塔 北魏・6世紀前半

 甘肅省荘浪県水洛城徐家碾。

 やや上すぼまりになった「サイコロ」を5段積んだような高さ2m強の石塔。図録には「制作当初は、石と石の間に屋根の形をした別の石材をはさんでいたらし」いとある。

 さて、そのサイコロの各面には様々な仏教伝承が彫られているので、いわば20ページの仏画アルバムを眺めているような気になる。
 個々の内容については図録に解説されているので詳細は避けるが、オフ会メンバーに特にうけていたのが、第二層4)の「涅槃(ねはん)」。
 釈迦入定のシーンなのだが、釈迦の背後の6名が両手を挙げ、要するに「バンザ〜イ!!」と歓喜しているように見えるのだ。
 いや違う、釈迦を亡くし悲嘆、呆然としているのだと一所懸命に思い込もうとしたのだが、どうしてもそうは見えなかった。


(93) 火頭明王(かずみょうおう) 北朝・6世紀

 甘肅省天水市麦積山石窟第78窟出土。

 (92)の「伎楽天」(ぎがくてん。公式サイトのミニギャラリー参照。)と同じく石窟の瓦礫の中から発見された壁画の断片。「緑色の体をして頭の上と両手から炎を噴き出」しているのが火頭明王というらしいのだが、非常に現代的なタッチで、こじゃれたラテン親父って感じ。

(94) 迦葉立像(かしょうりゅうぞう) 北魏〜西魏・6世紀

 甘肅省天水市麦積山石窟第87窟出土。

 迦葉は、釈迦の十大弟子の一人で「額に刻まれた大きな皺、張り出した眉、おちくぼんだ目、かぎ鼻という風貌は、老齢のインド僧の雰囲気を巧みに表出している」とあるがユダヤ人的雰囲気もある。ここまでキツイ顔にしなくても・・・とは思う。



(98) 菩薩立像 東魏・6世紀

 山東省青州市龍興寺址出土。

  図録の表紙にも採用されているし、この中国国宝展のメインキャラと言えるだろう。
 2000年の秋頃の放映だったように思うが、『中国謎のビーナス』という番組があった。龍興寺出土の仏像ということで、それが収録されたビデオを観直してみた。
 薬師丸ひろ子が上海、泰山、青州、五台山、西安などを巡る。近年グラウンド整備をしようと掘り返したら、400体ほどの仏像が出土したのが龍興寺址。その番組で「青州ビーナス」と持ち上げていた仏像は今回展示されていない。それは多分図録P226図5の仏像だと思う。その番組では、それらの仏像が埋められたのは唐代の武宗による仏教弾圧の際であるとされていた。

 さて、本仏像に話を戻す。本菩薩は釈迦三尊像の右脇侍(みぎわきじ。中央でなく、向かって左)であるから、はっきり言えば「脇役」なのであるが、その上品なお顔立ちときたら、いくら口の悪いわたくしでも、ほとほと感服つかまつりました。

 公式サイトに画像あり。
  チラシ表面及び裏面参照。

 公式サイトのミニギャラリー参照。


(99) 菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう) 北斉・6世紀後半

 山東省青州市龍興寺址出土。

 公式サイトに画像あり。足を組んでるんで「イナセ」というか、スケバンっぽい雰囲気すら漂う。

 公式サイトのミニギャラリー参照。

(102) 如来立像 北斉・6世紀後半

 山東省青州市龍興寺址出土。

 北斉の仏像の特徴と言えば、何と言っても「丸い頭」。ボーリングの球とまでは言わないが、頭部は球形に近く見える。

 丸い頭に加え、その穏やかで端正な顔立ちと、初めから彩色仕上げを念頭に置いているためか、数本の曲線で襞(ひだ)をまばらに表わすにとどまる衣の表現から「北斉時代の特色をもっともよく示す」と評価されるのであろう。

 公式サイトのミニギャラリー参照。




(111) 諸尊像龕碑(しょそんぞうがんぴ) 北斉・天統4年(568)

 河南省襄城県西孫荘出土。

 高さ142cm、幅65cmの石灰岩に横2つ、上下3段計6区画にそれぞれ正面1体、両脇3体ずつで計7体の尊像が彫り出されている。
 印象深いのは裏面に発願者の氏名がびっしりと刻まれている点。
 オフ会で話題になっていたのは、その氏名のうち「邑子○○」というのと「清佶△△」というのはどう違うのだろうか、ということだった。結論はまだ出ていないのだが、男子と女子の違いでは?というのが我々の意見であった。

 公式サイトのミニギャラリー参照。

 




 仏教美術はまだまだ続く。

 前途なお遥かではあるが、気長にお付き合いいただけたら幸いである。

 

 

 

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