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(No80) 正倉院学術シンポジウム2006 その7 「国家珍宝帳について」 聴講記 

 2006年10月29日(日)に開催された正倉院学術シンポジウム2006は、春日大社「感謝・共生の館」にて午前9時より、梶谷亮治奈良国立博物館学芸課長の司会進行により、湯山賢一奈良国立博物館長及び葉室頼昭春日大社宮司の挨拶を経て開会された。

 6番目の講演は、宮内庁正倉院事務所保存課長:杉本一樹氏による「国家珍宝帳について」である。

 レジュメの内容は白枠内に示す。



国家珍宝帳について

 国家珍宝帳は、北倉所属の一宝物であるが、ある意味で、宝物を超えた存在である。

〜そこには、天平勝宝8歳6月21日の献納宝物がひとつ漏らさず集約され、献物帳一巻が、理念としては記載された宝物の全てをあわせたものと等価である。それが目録のあり方である。そして(それ故に)、その巻頭に光明皇后の願文がおかれるのである。

〜天平勝宝八歳六月二十一日献物帳(国家珍宝帳。北倉158二巻の内)
 紙本墨書、巻子装1軸。緑色紙の原褾、白檀撥型軸端の原軸。外題は「東大寺献物帳」。
 本紙一八張は、長さ約88cm、長尺の上質な料紙を用いる。これは、当時「三尺麻紙」、「白長麻紙」、「唐長麻紙」などと呼ばれた高級紙であろう。
 縦横の墨界を施し、紙面全体と外題上に「天皇御璽」を捺す。

 内容は、聖武帝の七七忌にあたって、天皇遺愛の品をはじめとする宝物六百数十点を東大寺毘盧遮那仏に奉献した際の目録である。

 巻首に「奉為 太上天皇捨国家珍宝等入東大寺願文」と題する光明皇后御製の願文を置き、次いで献納宝物の詳細なリストを連ね、最後にもう一度奉献の趣旨を繰り返す。

 中間のリストの部分は、「御袈裟合九領」から「御床二張」に至るが、この部分は、品名・数量を見出しとして、法量・材質・技法などの注記を加え、由緒について述べるべきことがあれば、その品の記述の末尾に記すという構成をとる。

 巻末には関係者の位連書があり、日付の後に、藤原仲麻呂・同永手・巨萬福信・賀茂角足・葛木戸主の連署がある。

 縦25.9cm、全長1474cm。

〜全巻が一時に見渡せる、という経験は、十数年ぶりのことである。〜



(追加レジュメ)

【 題 】         「奉為  太上天皇、捨国家珍宝等、入東大寺願文」
【 前願文 】   「妾聞・・・」
  【 リスト 】       「献  廬舎那仏」
【 後願文 】   「右件皆是・・・」
【 日付 】   天平勝宝八歳六月二十一日
【 位署書 】 藤原仲麻呂・同永手・巨萬福信・賀茂角足・葛木戸主


(前願文) 「国家珍宝・種々翫好及御帯・牙笏・弓箭・刀剣、兼書法・楽器等」
(後願文) 「右件、皆是先帝翫弄之珍、内司供擬之物」

御大刀壹佰口、御弓壹佰張、御矢壹佰具、御甲壹佰領、御鏡貮拾面、御屏風壹佰畳、
  リスト本文
個別 名称(技法、材質)、数量、重量 寸法、技法、材質、特徴、付属品
まとめて 納器、由緒

※ 製作手順・製作事情  継、打、界、装書、印、押し癖、鏡の題籤、付箋による訂正


 題としては、「奉為」とあって、その後は少し欠字となっています。

 また、3行目には「妾聞」とあり、ずっと後で「廬舎那仏に献ず」といった文が書かれています。
(※ 石野注)
 「国家珍宝帳」の願文などについては、HP「なら奈良館」正倉院特集で原文、訳文などが紹介されている。この願文、なかなか泣かせる文章である。


 この国家珍宝帳に記載された600点以上のリストのうち、現存しているの宝物は100点程度です。
 600点のうち100点「しか」残っていないと見ることもできますが、正倉院以外にこれが保存されていたとしたら、おそらくほとんど残っていなかったのではないでしょうか。

 宝物の保存方法としては、唐太宗の陵やエジプトのピラミッドのように遺物を墓の中にしまいこんでしまう(塗りこめてしまう)というのも一つの方法ですが、正倉院は木造倉庫に入れ、定期的に点検するという、いわば「人力リレー方式」をとりました。

 では、品目リスト部分を順に見ていきましょう。

(画像紹介)
琴一張、御袈裟、厨子、書法(王羲之)、御帯(帯からさげる装飾品も含む)、牙笏、楽器、御大刀、
御弓、御箭、御甲、先帝ないしお供えのもの、御鏡、漆胡瓶、御屏風、肘付き、ツインベッド

 リスト部分は、つめて書かれていますが、願文はやや空けてあります。これは、読む場合のリズムを考慮して、このように書かれているのではないでしょうか?
(※ 石野注)
 先生は、各品目別に、相当するリスト部分の画像を順に紹介された。上記は必死にメモしたものであるが、書き漏れがあるかもしれないし、先生の紹介自体、全てを網羅していないかもしれない。
 もし今回の正倉院展の図録などが手に入って、全文章が掲載されているようなら見てみたい。

 楽器(螺鈿紫檀五絃琵琶=らでんしたんごげんびわ)や漆胡瓶(しっこへい)についてはHP正倉院【平城京】にて。

 この珍宝帳は、非常に立派な書体で書かれています。書風としては、王羲之の流れをくむものではないでしょうか。
(※ 石野注)
 国家珍宝帳の書体については川上貴子氏が「国家珍宝帳の書」という論文で、顔真卿の書体を採っているのではないかという指摘をされている。

 これまで国家珍宝帳の書は、当時第一の名筆とされた人物の手になるものということまでは共通していたが、書風としては神田喜一郎氏が欧陽詢の流れをくむものとし、本講演をしていただいた杉本一樹氏は王羲之七世の孫である隋・智永の書が基調となっていると指摘していたそうだ。

 確かに王羲之は書の第一位として尊敬される存在であるし、光明皇后の献物帳の中にも王羲之・王献之の書を献じた際のリスト、「大小王真跡帳」があるくらいである。

 しかし、川上氏は、書体の分析比較により国家珍宝帳の書体は、顔真卿による多宝塔碑文の書体と共通性があると指摘。
 本碑文は、珍宝帳のわずか4年前にあたる752年(天平勝宝4年)に記されたばかりのものである。
 754年に吉備真備ら第十次遣唐使が鑑真を伴って帰国した際に顔真卿の書体を持ち帰り、珍宝帳の筆者はいわば当時最新鋭の書体を採用したのではないかというのが川上氏の主張(HP「大和古代ニュース」記載の朝日新聞記事) とのことである。


 天皇御璽が1行に3箇所びっしりと押されています。
 経巻では界線を設け上下に余白をとり、そこへ印を押す、というのが通例です。
 ところが本帳では余白がないので、おそらく、御璽縦3個分のところで紙の上下を裁断しているものと思われます。
 こうした手法は巻物では異例であり、こうした特例的な印の押し方がされているのは、天皇御璽はすべてを支配するという考え方に基づくものではないかと思われます。

 また、この御璽に使用された朱印ですが、最近の研究で朱と鉛丹を1:3の割合で配合したものであるとわかりました。
 これまで奈良時代の印で高価な水銀を使ったものは見つかっていなかったのですが、天皇御璽で初めて発見されました。
(※ 石野注)
 その御璽がびっしりと紙一面に押されているところは、この画像でご確認を。



 珍宝帳は全長14mに及ぶものですが、今回は全巻が展示されています。ぜひ会場で実物をご覧ください。

 



 どうもお疲れ様でした。

 
  

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