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(No33) 東寺 たしか、HP「N県」のぐんままさんが仏像なら東寺!とおっしゃっていたような気がする。で、行ってみた。
1.東寺
近鉄に東寺という駅があるようだが、私はJR京都駅から歩いた。そう大した距離でもない。
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境内の外から見上げた五重塔。 |
2.東寺五重塔
高さ55m。江戸時代に再建されたものである。国宝。
右写真は五重塔。
逆光なので、こないだの興福寺五重塔と同じく、何か真っ黒でよくわからない写真となった。 |
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3.東寺金堂
金堂の創建は延暦15年(796)。文明18年(1486)に消失し、豊臣秀頼発願により慶長8年(1603)に再建されたそうだ。国宝。
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金堂 |
4.東寺金堂
これも金堂。本尊は薬師如来。脇侍は向かって右が日光菩薩。左が月光菩薩。台座の周囲には眷属の十二神将を配している。いずれも重文。
金堂 |
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解説によると「ええ、今日は小学生でもわかるような解説をします。皆さんが小学生並みだと言っているのではありませんよ。わかりやすく、という意味です。
薬師如来は、総合病院の院長さんと考えたらいいでしょう。そして日光菩薩が昼の間の看護婦長さん。月光菩薩が夜の間の婦長さん。こうして24時間、私達の健康を守ってくれているわけです」とのこと。
この手の、妙に観光ずれした口調は好きじゃない。
5.東寺講堂
東寺創建時には講堂はなかったが、弘法大師によって着工され、9世紀に完成。文明18年(1486)に、土一揆による戦火で消失。延徳3年(1491)に再建された。こちらは重文。金堂よりつくりが単純だからなんだろうか?
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講堂 |
講堂の内部には立体曼荼羅が。中央には如来部ということで大日如来を中心に、周りに阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の計5体。いずれも重文。
向かって右が菩薩部で、中央の金剛波羅密多菩薩の周りに、金剛薩埵(こんごうさった)、金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩の計5体。中央は後補でしかも時代が新しいのか重文ですらないが、周りの4体は平安時代のもので国宝。
向かって左は明王部。不動明王を中心に金剛夜叉明王、降三世明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳明王の計5体。いずれも国宝(平安時代)。
そして、これら如来部、菩薩部、明王部の周囲が天部。菩薩部の右側に梵天。明王部の左側に帝釈天(たいしゃくてん。柴門ふみ氏が『ぶつぞう入門』で「日本一ハンサムな仏像」と絶賛)。そして四隅に多聞天、地国天、増長天、広目天の計6体で、いずれも国宝(平安時代)。
6.組み物ファンにはたまらない
組み物とは、古建築の軒先などにある木材を複雑に組み合わせた部分のことだが、下の写真は、講堂の軒先から金堂を見たところ。
講堂から金堂 |
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7.ますます、組み物ファンにはたまらない
まあ別に私自身は、組み物ファンというわけではないのですが。
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金堂の軒先 |
8.五重塔やや遠景
金堂・講堂・五重塔がある一角は、柵で区切られ拝観料が必要。瓢箪池の周りは緑あふれる庭園になっている。上の写真は、瓢箪池の真ん中あたりで撮ったもの。
この写真は拝観ゾーンの北端から、南端に位置する塔を撮ったものだが、時間もそれほどたってないし、同じような写真となってしまった。 |
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塔の内部はお正月しかあけないのだが、何でもGW期間中は特別公開していたそうだ。知らなかったからな、そんなこと。
9.東寺観智院
弘法大師帰朝1200年記念特別公開とかで、金堂・講堂と宝物館、そして観智院の特別3点セット1000円也の特別鑑賞券が売っていたので、それを購入。
観智院には、いったん北大門を出なくてはならない。
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観智院 |
観智院には吉岡一門を破った宮本武蔵が復讐を避けるため一時隠棲したそうで、その時描き残した竹林の襖絵と、鷲の絵が特別公開されていた。
床の間正面に二羽の鷲が左右に描かれている。だいぶ薄れていて、絵柄は見にくい。
床の間左手の襖に描かれた竹は、ずいぶん節の張った、力強い絵であった。
あと、内部では五大虚空蔵菩薩 重文 唐時代と、愛染明王像 鎌倉時代 が公開されていた。
10.東寺大師堂
西院御影堂(さいいんみえどう)ともいう。
弘法大師の住坊だったそうだ。 |
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11.東寺宝殿
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校倉造りになっている。 |
帰り道にはDXな東寺もあった。そのうちに、そっちもお参りするかもしれない。
どうもお疲れ様でした。
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