移動メニューにジャンプ

(No114) 京都国立博物館 特別展覧会「狩野永徳」 鑑賞記 その4

 2007年10月16日(火)〜11月18日(日)、京都国立博物館にて開催された特別展覧会「狩野永徳」の鑑賞記・・・・の続き。


4 時代の息づかい 〜風俗画〜

【 48  洛中洛外図屏風 狩野永徳 米沢市上杉博物館 】

 これまで信長が直接永徳に制作を命じたと考えられてきたが、最近では第13代将軍足利義輝が注文主では?という説が有力のようだ。さらに、左隻第四扇下方の「公方邸〜に詣でる輿に乗る貴人の一行を義輝と盟約関係にあった謙信とみなし、本図は義輝が謙信に贈るべく制作されたという説が提示された」そうである。

 また、義輝は永禄8年(1565)5月に自刃しているが、『(謙信公)御書集』という新史料では永徳は本図を同年9月3日に描き終えたと記されたそうなので、注文主を失った画を23歳の永徳が引き続き完成させたことになる。 

 さて、「図は、右隻(下京隻)に、祇園祭で賑わう下京の町並みを中心として御所や清水寺、東寺などがあらわされ、左隻(上京隻)には公方邸や細川邸を大きく配する形で上京の景観が捉えられている」とある。

 会場では、まず清水寺に目が行った。大舞台があり、横に石段があり、その下に三筋、音羽の滝がおちている。その右下には横長の建物の前に弓を持った人がいるので三十三間堂か?とわかる。
 観覧順路からいっても右隻の一扇から順に観て行くことになる。しかも、絵の上に寺の名前などが小さく書いてあったりするので、え?これは・・・・などと探すのが楽しい。(止まらずに、さっさと移動しろと係員から言われるのだが)

洛中洛外図屏風 右隻 一扇〜三扇

 となると、ついつい描かれている寺社と、実際の位置関係はどうなのかな?と気になってしまう。
 もちろん、絵は表現上、位置のアレンジもあるだろうし、当時、それほど正確な地図が簡単に手に入ったのかどうかも分からない。
 かつ、現在の地図上の寺社も場所が移転している可能性もある。

 よって、参考程度と考えたい。

 では屏風と地図共通で、1:東福寺、2:三十三間堂、3:五条橋、4:建仁寺、5:清水寺、6:祇園社(八坂神社)、7:智恩院、少し飛んで、15:東寺
 

  現代の京都地図


  この屏風を陶板画で再現したのが、ここのサイトである。非常に参考になる。


 


  

 まだ、続きます。どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system