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(No113) 京都国立博物館 特別展覧会「狩野永徳」 鑑賞記 その3

 2007年10月16日(火)〜11月18日(日)、京都国立博物館にて開催された特別展覧会「狩野永徳」の鑑賞記・・・・の続き。


 為政者たちのはざまで

【 36  織田信長像 狩野永徳 京都・大徳寺 】

  

【 37  織田信長像 伝狩野永徳 京都・総見院 】


 いずれも織田信長を描いたものだが、(36)は「どこか近寄りがたい、凄みのある顔立ち」と表現され、(37)は「(36)ほどの凄みや迫真性はなく、むしろ柔和で表情も優しげ」と表現される。

 確かに、(36)と(37)とでは受ける印象が随分違う。それはなぜなんだろう。 

【 36 織田信長像 】 【 37 織田信長像 】


 まず言えるのは目の違いであろう。
 (36)は、目頭の部分がぐっと持ち上がり、目じりの方へすぼまっていく感じ。
 これに対し(37)は、瞳を中心に、目頭と目じりへ平均的にすぼまっていく感じで、曲線が滑らかである。
 この目の形が、目の上の皺の形にも反映されている。

 目も黒目のうち色の薄い部分の割合が(36)の方が大きく、何だか鳥とか爬虫類っぽい感じを受ける。

 さらには(36)の方が顔色が白く、白皙って印象を受け、その上、眉間に刻まれた皺の表現がきつく、図録解説にあるように「像主の神経質な一面をうかがわせる」。

【 36 織田信長像 】 【 37 織田信長像 】


 口元で言うと、(36)は鼻の横の皺の表現が深い。
 また、口が(37)に比して大きく、より「への字」カーブがきついので、より厳しい印象を受けるのではないだろうか。

【 36 織田信長像 】 【 37 織田信長像 】


 耳の形というのは、けっこう画家の描き癖が出やすい部分で、贋作か否かを見分けるポイントにもなると漫画『ギャラリーフェイク』で読んだり、興福寺の仏像に関する講演会で聴いた記憶がある。

 両者の耳の形はずいぶん違う。もし正確にスケッチして描いていたとしたら同一人物の耳とは思えない。

 私は(36)は実際に信長をスケッチして描いたのでは?と思っていた。というのも、(36)の目の上の皺が、(37)と違って、きれいに弧を描いているものばかりじゃなくて、左目の上にはごく短い皺が描かれていたり、右目の上では皺が弧を描かず途中で食い違った格好になってる点などが結構リアルだなあと感じたのだ。

 しかし、図録解説では「目や鼻、口などの各部の表現は思いのほか画一的で〜その点、実際のスケッチに基づく寿像とみるよりは、信長没後に生前の面影を想像して描いた遺像と考えるのが妥当であろう」とある。

 う〜ん。私はてっきり、実際の信長も(36)みたいにほとんど耳たぶのない、「福耳」と真っ向反対の耳をしていたと思ったのだが。



【 38  細川昭元夫人像 狩野派 京都・龍安寺 】

 細川昭元に嫁いだ女性というのは、信長の妹で、有名な「お市の方」の妹にあたる「お犬の方」という人物だそうだ。

【 38 細川昭元夫人像 】 【 37 織田信長像 】


 その美貌は、没後に描かれた本画の賛(妙心寺第44世 月航宗津=げっこうそうしん)によれば「楊妃観音現身」とあるから、楊貴妃に喩えられるほどの美人として名高かったのであろう。

 図録解説にいうように確かに目の描写などは(37)のそれに似ている。



【 39 重要美術品  豊臣秀吉像 狩野光信 慶長6年(1601) 】

【 39 豊臣秀吉像 】 【 36 織田信長像 】


 目の描き方としては、(37)よりも(36)のそれの方が近いと思う。
 本画は永徳の長男狩野光信(1565〜1608)の筆とされている。
 図録解説によると「体躯に比して手が極端に小さいという光信画の特徴」があるそうだが、本画もまさしくそうだとのこと。確かに小さい。威風堂々たる唐冠・直衣指貫姿の下の肉体は思いのほか貧弱なのかもしれないが、それにしても、この手は小さすぎるだろう。 

【 39 豊臣秀吉像 】


 


  

 まだ、続きます。どうもお疲れ様でした。

 
  

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