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(No102) 講演「音声菩薩の奏でる音とは」聴講記 その1 

 2007年9月26日(水)、講演者は東大寺執務執事 狭川普門先生。

 風貌やしゃべり方が「探偵ナイトスクープ」などに出ている桂小枝に似ている。
 話があっちゃ飛び、こっちゃ飛びするので、本編とあまり関係のないところは細字、関係の深いところは太字とする。

 また、先生からいただいたレジュメの内容は、いつも通り白枠の中に表示する。各章の見出しも私が適当につけたもの。この見出しに合わせて若干の編集をしているので、もし当日この講演を聴かれた方が本稿を読まれると「こんな順番じゃなかった!」と怒られるかもしれないがご容赦いただきたい。


 


【 1.東大寺と進駐軍 】

 私のマイクの声は、そこ(柱の上)のスピーカーから流れています。アメリカ製のものは嫌いなんですが、水の中でも鳴るスピーカーはこれだけなんでね。メーカー名は消してますが、全部BOSEです。
 私、昭和○○年生まれです。皆さん、私よりお若いですよね。私より上の方、いらっしゃいます?あ、手ぇ挙げてもらわんでもけっこうですけど。

 
この夏、暑かったせいか、大仏殿の前の鏡池の水質が悪くなりまして。奈良県河川課の協力も得て、EM法ゆう水質浄化の方法を実験してます。

 
この鏡池ゆうと、昔うちの学校には○○先生ゆう先生がいらっしゃって、模型の好きな方で。
 よくグライダー飛ばしたり、船の模型を池に浮かべて遊びました。ちゃんと船の底は赤く塗ってね。当時はラジコンとかゆうのはないので、電池か何かで動かすんですが、途中で転覆するんですね。何でかなあ?思ってたら、テリトリーを侵されたゆうて鯉が体当たりしよるんです。そしたら、生徒呼んで、ロープで船を引き寄せて・・・。ええ時代でした。

 
私の頃で定員が95、6名やったんですが、○○期生でもう7人死んでるんです。かなりパーセンテージが高い。

 
昔はね、進駐軍ゆうのがいてました。ご存知の方、いらっしゃいます?
 二月堂に上がる参道を無理にジープで上がりよったそうです。悔しいけど、しゃあない。
 で、ある進駐軍の将校が大仏殿の鴟尾(しび)を見て、あそこに上がらさんかい、と、まあアメリカ人ですから関西弁は使わんでしょうが、そうゆうたそうです。
 何を〜!?と思ったけど、これもしゃあない。案内してやったそうです。
 革靴を脱げ、ゆうたんですが「脱がへん」、と。ま、アメリカ人ですから「脱がへん」とは言わんでしょうが、脱がんと上がったそうです。
 で、あともう少しで鴟尾ゆうとこで、その辺になると、もう直角に近いような勾配です。そこで、その偉そうにゆうてた将校、足がすくんでそれ以上進めんようになったそうです。
 すると、案内していたS長老、この方は慣れてますからな、ひらりと鴟尾の所へ行って、その将校に「来れるもんやったら来てみろ」と手招きしてゆうたけど、よう来ん。
 それで、S長老は罵詈雑言の限りを浴びせたそうですな。放送禁止用語なんかも混じってたらしい。まあ、日本語やから相手にはわかりません。さすがの通訳の人も、よう訳さんかったそうです。

 
新薬師寺のF住職なんかも、鴟尾ん所上がるのに慣れてはります。
 夏なんか鴟尾自体がものすごく熱くなってます。うっかり触ったらアチチ!・・・・って郷ひろみかっ!郷ひろみゆうたら最近松田聖子の歌うとてますな。あれぐらいハジケたいもんです。GO!GO!ゆうてね。
 まあ、そのF住職が、私らのこうゆう衣、真衣(まごろも)ゆうんですが、それ着て上がったんですが、先ほどもゆうた通り、屋根の上ですから、とにかく暑い。
 で、思わず衣を脱いだら、それが下に落ちた。下におったもんはびっくりして「あっ!Fが落ちた!」。ところが、よお見たら、何や、衣だけか・・・・って、テンプラかっ!

 
昭和22年の7月4日、独立記念日、INDEPENDENCE DAYですな。進駐軍がうちの学校のグラウンドで花火大会をしぃたいと言い出して。
 その花火が飛んで、本坊やら桧皮葺(ひわだぶき)の建物、そこらじゅう丸焼けですわ。
 しかし、一切報道もされず、補償もされず。昔はそんなもんです。
 沖縄の軍事基地とかでもね、女性がひどい目にあわされても、そんなことでした。最近でこそ、少しは変わってきましたが。
 建て替えるにしても、木がなくてね。伊勢神宮から用材をもらいました。あちらは遷宮のため木材を準備してますからね。こんなことは初めてです。木(気)ぃ使います。

 
明治以降は違いますが、昔は神仏習合でした。つまり神さん事(かみさんごと)をやってから仏教のことをする。つまり神さんが先なんです。おかみさんが先。家庭と同じですな。うちもおかみさんが、すべて優先です。

 H長老もおっしゃってますがもちろん、こころも大切にしなければいけませんが、モノを大事にすることも必要です。形から入る、形式や儀式を尊重する、例えば朝の挨拶とかね、そういうことも大切なんです。

 昔はぜいたくできんかったゆうか、お菓子なんかもなかったですね。チョコレートも金属のチューブに入ってたりしました。知ってはります?
 あれも、すぐに全部食べてしもたらもったいないから、少しずつ食べて、ズボンのポケットに入れてたら、破れてスボン汚したりして怒られました。
 ジュースも、コンクジュース、渡辺のジュースの素ゆうやつですな。粉ジュース。舌、まっ黄っ黄ぃになったりして。サッカリンだらけです。

 まあ、一つにはコンビニができて、だいぶ変わってきたような気がします。何にもしゃべらんでも、いつでも簡単にものが買える。がまんすることが出来なくなってしまっている。

 ・・・・・・・・・・まあ、この辺が「つかみ」ですな。キャッチコピーが我々の仕事では大事です。私らはプレゼンのテクニック・・・・というか、強さが必要ですからね。ぼそぼそぼそ・・・では誰も聞いてくれない。
 まあ、もっとも私なんかは早よしゃべりすぎて、何を言ってるのかさっぱりわからんとよう言われますけどね。あと、人の話を聞かん、とも。こら、私だけやないと思いますが。
 で、私らは昔から長寿の職業やと言われてます。あとは、医者、学校の先生、てゆうとこですか。
 しかし、最近ではお医者さんでも産婦人科の先生なんかは仕事が不規則できついのに、いつ訴えられるかわからん、責任が重いゆうことで長寿・・・とはなかなかいかんようですが。



【 2.八角灯籠:音声菩薩像について 】

(レジュメ)
1.八角灯籠  
          
総高462cm。
宝珠には康和三年(1101)の修理銘。
火袋北面の扉にも寛文八年(1668)の修理銘。
2.制作年次 聖武帝一周忌の天平宝宇元年(757)以後か?
3.火袋 奏楽の天人 横笛(南西)、尺八(北西)、銅鈸子(ばっし。北東)、笙(しょう。南東)
4.棹 上下二段に各面7本の罫線を引き、6行ずつの経文を線刻する。
『菩薩本行経』、『阿闍世(あじゃせ)王受決経』、『業報差別経』など燃灯供養に関する経典。
※ 棹も基壇の蓮華座も平安期の後補

 さて、そろそろ本編に入ります。

 なぜ、あそこに、東大寺大仏殿の境内に音声菩薩
(おんじょうぼさつ)が据えられているのか?なぜ大仏殿の前に一基だけあるのか・・・といったことを考えていかなければならないと思います。
 奈良時代から、ずっと一基らしいんですね。

 南大門のところの仁王も、東大寺の仁王は向かい合っているのが特徴です。これも浅墓な人間の中には、東大寺の仁王も昔は他の寺と同じように前を向いていたなどと主張する者がいます。
 しかし、少し前に仁王像を全面解体修理したところ、奈良時代から今と同じように向かい合っていたということがわかりました。
 過去の伝説をデタラメだと現代の感覚で軽々に判断するのは誤りなんですね。

(※ 石野注)

【 仁王像の違いについて 】 
1.一般的な仁王像
 向かって左          向かって右
【 吽形 】           【 阿形 】
  ↓                ↓

※ 二像とも前を向く ※ 下写真は法隆寺中門

2.若干のバリエーション
 向かって左           向かって右
【 吽形 】→         ←【 阿形 】

※ 左右の配置は一般的だが、二像が向き合っている。
※ 下写真は薬師寺中門
3.東大寺式の仁王像
 向かって左          向かって右
【 阿形 】→        ←【 吽形 】

※ 左右の配置も逆で、二像が向かい合う。
※ 下写真は東大寺南大門

 この八角灯籠は1300年、この場所に立ち続けているのです。
 ところが、この20年間で中国からの酸性雨で急速に傷んでいます。それで、文化庁は、レプリカを作って据えようとしました。
 しかしレプリカでは、1300年前に建立した人のこころが伝わりません。
 東京芸大のトップの教授も、我々東大寺もこぞって反対し、レプリカに代えることは中止され、本物を修復することになりました。

 灯籠をね、蒸留水で洗い、1年に1回コーティングしています。皆さんも、お顔パックしてまっしゃろ?コーティングというのは、パックと同じです。

 今の雨というのはPH4を切ってますからね。中性がPH7ですから、ものすごい酸性です。
 で、また中国の酸性雨というのは、北海道や九州、沖縄にはあまり降りまへんねんな。ちょうど、近畿、つまり文化財が一番多いところを狙うように降ってくるんです。
 ブロンズの作品は軒並みにやられています。

 銅の錆でも緑青
(ろくしょう)というのは色もきれいですし、それ以上さびないのでかえって文化財の保護に役立ちます。
 しかし、酸性雨が降ると穴が開いてしまいます。汚れるし、中に水もしみ込んでしまいます。

 今では奈良も、大阪の繁華街と同じような大気ですし、同じような酸性雨が降っています。

 

(※ 石野注)

 東大寺全般に関するすばらしく詳細な情報はHP「東大寺」にて。

 ここのHP「八角灯籠」では、東大寺のお坊さんが「八角灯籠はレプリカに変わるので、もう見納めだ」と言ったとある。HP作者の聞き間違いなのか、そのお坊さんがええ加減なことを言ったのか、それとも実際にそうなりそうだったが、関係者の努力で形勢逆転に成功したのか? 

 ここのHP「京奈和高速自動車道」では、奈良大学西山教授による八角灯籠と酸性雨に関する講演録が載っている。

 また、HP「錆の組成を調べる」では、八角灯籠のコーティングについて載っている。

 

 八角灯籠の音声菩薩は四面に一体ずつあり、それぞれ笙、鈸子(ばっし。シンバル)、横笛、尺八という四種の楽器を演奏しています。
 これらは、単にデザインとして用いられているのではないのですね。誰が、何のために、誰に発注して作ったのか・・・ということを一から考えていかねばなりません。

 八角灯籠は聖武天皇の一周忌の頃に建立されたと考えられています。

 音声菩薩は、国宝の誕生仏と同じお顔をしておられます。ふくよかな童子
(わらべ)の顔です。おそらくは同じ工房による作品なのでしょう。

 この音声菩薩の面は、1体盗まれまして、そこの1体のみ電気鋳造によって新しく作り直しております。

  (※ 石野注)

 先生に確認はしていないのだが、「国宝の誕生仏と同じ顔」というのは、今、奈良国立博物館に寄託されている灌水盤とセットの誕生仏のことを指しているのだと思う。
  確かに似てると言えばよく似てるが・・・。

 なお、先ほどのHPなどによれば後補のレプリカは、北東面のようである。




(※ 石野注)

 以下、講演後に参観した八角灯籠の写真を参考のため載せておく。

 左写真は、八角灯籠を正面から見たところ。

 灯籠の後ろに大仏殿が見える。

 正面を南面とすれば、東西南北の各面はそれぞれ四体の獅子の彫刻が施されている。

 
 

(※ 石野注)

 南東面の音声菩薩。
 笙(しょう)を演奏している。

 

 

 

 

 

 

 
 

(※ 石野注)

 北東面。
 鈸子(ばっし)というのは小さなシンバル。

 

 

 

 

 
(※ 石野注)

 西面。

 灯籠の向こうに少しだけ瓦屋根が見えるが、灯籠の東側に位置する手水舎(ちょうずや)である。

 
 

(※ 石野注)

 南西面。

 横笛を演奏中。

 

 

 

 

 

 

 
 

 

(※ 石野注)

 北西面。

 縦笛というか尺八を演奏中。

 

 

 

 

 
(※ 石野注)

 これは狭川先生がレジュメで「棹」(さお)と表現されていた部分。

 レジュメでは「上下二段に各面7本の罫線を引き、6行ずつの経文を線刻」とあるが、この大きさでは分かりにくい。

 
(※ 石野注)

 経文部分のアップ。

 経文の行と行の間に罫線が引かれているのがお分かりだろうか?

 
(※ 石野注)

 写真上でだいたい上から三分の二くらいの所に、上下を二段に分かる横線が3本引かれているのがお分かりだろうか?

 
(※ 石野注)

 再度、棹の全体像。

 上下を区分する横線は上の写真よりも分かりやすいと思う。

 
(※ 石野注)

 蓮華座の部分。

 


 ここでいったん切らせていただく。

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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