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(No151) 地域主権シンポジウム 聴講記 その1
平成23年2月13日(日)ヴィアーレ大阪で開催された地域主権シンポジウムの聴講メモ。
大阪市長 平松 邦夫 氏
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基調講演はご多忙な中、東京大学名誉教授で総務省地方財政審議会会長を務めておられる神野
直彦教授に来ていただいております。
本日はパネリスト宇治市の久保田
勇市長、近畿市長会の会長をしていただいています。
また、八尾市の田中 誠太市長をお招きしております。八尾市と大阪市は昭和36年に行政協定を締結して50周年を迎えます。
コーディネーターは大阪大学准教授の北村 亘(きたむらわたる)先生をお招きしています。よろしくお願いします。 |
東京大学名誉教授 神野 直彦(じんのなおひこ) 氏
最近はすっかり目が悪くなっておりまして、失礼をするかもしれません。
目だけでなく、もう余命いくばくもないと思いますが、今日は間違いのないことを言い残しておきたいと思っております。
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現在は歴史の危機の時代で、人類は圧倒的な力を発揮しなければいけない時期でございます。
そして私の経験上、人類が圧倒的な力を発揮できる時期というのは、お互いが疑い合っているのではなく信じ合っている時期、憎しみ合っている時期ではなく愛し合っている時期だと確信しております。
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日本人は、このことを忘れつつあるような気がしてなりません。
レジュメに掲げた詩をご覧いただきたいと存じます。
わたしは日が照っていないときでも
太陽の存在を信じます
愛を感じることができなくても
愛の存在を信じます
(第2次大戦で被爆されたケルンの地下室に残された言葉)
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まず「点」のようなものをお話したいと思います。点というのは長さもなく面積もありません。ただ位置のみがあるものです。
人間というのは生きていくうえで妥協を余儀なくされる場面もございます。しかし、妥協というのは、あくまで「点」というものを維持したうえで初めて成り立つもので、その人の点(位置)まで失ってしまうと、それは最早妥協ですらありません。
まず我々は何のために地域主権をやるのか、なぜ地域主権を進めようとしているのかということをお話したいと思います。
我々が地域主権をやろうと決意したのは今から約20年前、平成5年(1993年)の国会決議でございます。
お手元の参考資料、最後のページをご覧ください。
そこには「国民が待望するゆとりと豊かさを実感できる社会を作り上げていくために〜抜本的な施策を総力をあげて断行すべきである。右決議する」とあります。
この決議を受け、平成7年には地方分権推進法が制定されました。その第1条(目的)には「国民がゆとりと豊かさを実感できる社会を実現することの緊要性」とあります。これが「点」であります。
この前には地方6団体による意見書が平成6年に出されています。
そこには、「〜成長優先の政策から生活重視の政策への転換〜生活の向上と魅力ある地域づくり〜今こそ地方公共団体は〜より足腰を強めて『自立する』ことが肝要である」とあります。
これは20年前の話です。
ところが、その後、この決議書に課題として挙げられた「首都圏への一極集中、地方における過疎化、地域経済の空洞化」などが、逆に一気に加速しました。
完全に間違えたのです。成長よりも生活重視と言っていたのに、(小泉改革で)「改革なくして成長なし」などと繰り返していったのです。
地域主権ないしは地方分権の目的地、約束の地とは何でしょう?それは「ゆとりと豊かさを実感できる社会」であります。
我々は成長優先から生活重視へと社会目標を転換していく、そう決意したのであります。
では我々はなぜゆとりを実感できないのでしょう?それは、これまで全国一律のサービスを行ってきたから、同じ型紙の洋服に太った人も痩せた人もいるのに、洋服に体を合わせろと言ってきた。それで生活を守ろうとしてきたのです。
これまでは現金給付が主でした。金の再分配で社会を守ろうとしてきました。しかし、そこから現金給付からサービス給付へ、というのが世界的流れです。これが地方分権が求められる背景です。
それはなぜか、と言うと、これまでは重化学工業中心の社会でした。そこでは同質の筋肉労働が多量に求められます。要するに男性の労働力が必要とされ、一方、家庭内では女性が無償労働で家事労働を提供することで生活が維持されてきました。
もし男性が失業や高齢で仕事を失ったら、政府が市場の外で賃金相当分の現金を給付すれば、後は女性が無償でサービスを提供してくれて生活を維持できたのです。
ところが、現代のソフト産業主体の社会では女性も社会に出ます。つまり、育児や高齢者介護を女性が担うことができなくなったのです。そうなると単に現金でなくサービスを提供しないと国民生活が維持されなくなりました。
これが地方分権社会が求められる背景なのです。言い換えると、地方公共団体がサービスを提供しないと格差が拡大してしまうのです。
労働市場において、現在、女性が二極分化しています。
一つは家庭内で家事をしながら、つまり家庭に足を引っ張られながら働きに出る女性。
二つ目に、家事の負担なくフルタイムで働く女性です。
つまりフルタイムとパートタイム。正規と非正規です。
労働市場における二極化は格差の拡大を生んでいます。不況下で「非正規」に苦しんでいるのは主に女性と若者なのです。
ところでサービス給付は地方分権でないと行えません。逆に現金給付は中央集権でないと無理なのです。
国と地方はどこが違うか。国境を管理している、出入りが自由でないのが国です。一方、地方公共団体は出入り自由です。
例えば生活保護で支給する現金の額が地方公共団体で違ったら、高いところに貧しい人が流入してきます。
また、豊かな人に課税するとして、その税率が地方で異なったら、豊かな人は安いところに流出してしまいます。
子ども手当などを含め、現金給付は全国一律でなければなりません。そうでなければ格差が拡大してしまいます。
一方でサービスは国ではなく地方公共団体でないとできません。サービスは地域社会ごとに異なる状況に合わせて異なる形態で提供すべきだからです。
また、産業政策や経済、農業などは、中央国家というより、より国際化すべきです。欧米ではEUなど超国家的機関に委ねられつつあります。
同時に人々の暮らしは地域に根ざす地方公共団体のサービス給付によって支えられるべきで、グローバル化とローカル化が同時進行することをグローカリゼーションといい、今では英和辞典にも載っています。
各々の地域が営みを継続しながら、地域が連帯することで国家が成り立っていくのです。
「自立するが故に連帯する」というのは、私の先輩である大内兵衛氏の言葉です。
「国家の家は砂の上にではなく、岩の上に」というのは聖書の言葉です。
東京は一極集中しています。グローバル化の波に激しく揺り動いています。そんな所に地域社会の「点」を置くべきでしょうか?それは「棒倒し」のようなものではないでしょうか?それよりは、しっかりとした岩の上に築くべきです。
さて、「水平連携」とは何でしょう?
人間は助け合いをしないと生活できない種です。アリストテレスにいう共同体的動物です。
コミュニティとか地域共同体とかの概念がヨーロッパでは可視的です。教会周りに集落が形成されるなど基礎自治体が見えやすい。フランスではコミューン、ドイツではゲマインなどです。
同じような細胞が集まり、腎臓とか心臓といった器官をつくるように、コミュニティが集まり地域社会を形成し、それが集まって国家を形成する。
基礎自治体とか国家などは、そうしたコミュニティや地域社会などに「重ね書き」するような構造であるべきで、本来、上から人為的に造るものではありません。
欧米では「教区」というように、教会を中心に、いわば神がおつくりになった秩序であり、勝手にいじるものではありません。
しかし、大阪市などは、江戸時代までの「自然村」を壊して「行政村」を、いわば電力会社の営業エリアのような感覚で押し付けていった経過があります。
社会システムは人間の暮らしに合わせるべきです。コミュニテイに合わせ重ね書きするような形であるべきです。
殴り書きのメモで勝手に再構成しており、正確なテープ起こしではありません。(以下同じ)
お疲れさまでした。
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