移動メニューにジャンプ


陶磁器ゼミ(6) 美術史ゼミナール「中国の陶磁器」その5(宋・遼・金)

はじめに

 今回も先生の講義内容に、私の調べた内容を注として加えて書いていくこととする。
 誤りがあれば、ご指摘いただければ幸いです。
 では、さっそく第3回講義「宋・遼・金時代(960〜1260)の陶磁器」のはじまり、はじまり。




 第3回講義「宋・遼・金時代(960〜1260)の陶磁器」
<宋代の陶磁器>

1.定窯(ていよう)

所在地 河北省曲陽県(澗磁村・東西燕山村)
開始時期 邢州窯(河北省臨城県)と同様に、晩唐9世紀に開窯
五代・北宋・金代まで続くが、廃窯の時期は明らかでない
特徴 白磁の優品を焼造
伏焼」という焼成方法
涙痕」という釉の流れと溜まり
片切彫の劃花技法 ※注1
鋭い印花文様
牙白色の釉調 ※注2
※覆輪
技法 白磁(★)、黒磁・柿釉磁(※注3)、褐釉陶・緑釉陶、金箔貼付文様・銹花文様(★)・掻落文様
※白磁金彩(※注4、★)
役所の刻銘(「官」、「新官」、「尚食局」、「尚薬局」、「五王府」など)
宮殿名称の刻銘(「奉華」、「鳳華」、「滋福」、「聚秀」、「禁苑」、「徳寿」など)
※ 宮廷文化とのかかわりが強い

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック

注1 「五代において定窯はごく単純な彫り文様をあらわすことのほか、めったに文様を刻みつけなかった〜北宋様式の定窯白磁が、流麗な毛彫り・片切り彫り文様で特色づけられる」(『中国陶磁の八千年』P191。著:矢部良明。平凡社。以下『八千年』と略記)

注2 「牙白(「げはく」又は「がはく」)色ともよばれる、淡い黄味のただよう緻密な白磁釉
〜定窯は、石炭が重視されたので、どうしても焔が短く、酸化気味の焼焔となるために、わずかにふくまれている釉中の鉄分が淡い黄味になって作用する」(『八千年』P190)

注2(その2)「牙白色〜の最も最初の資料は、1968年に河北省定県城内〜で発見された静志寺塔基の出土品〜太平興国2年(977)の建塔であった〜とくに釉色の美しかった浄瓶は、かなりはっきりとクリーム色に呈発し〜青味はすっかり消えていた」(『八千年』P190)

★ 東京国立博物館HP 白磁蓮花文皿(定窯。北宋。)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 白磁刻花牡丹文瓶(定窯。北宋)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 白磁刻花蓮花文洗(定窯。北宋。重文
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 白磁印花花喰鳥文盤(定窯。北宋)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 白磁銹花牡丹唐草文瓶(定窯。北宋。重文

注3
 「柿釉(黒釉よりもおおく、釉中に約10%以上鉄をふくませ、黒釉の表面に緻密な褐色があらわれたもの)」(『八千年』P218)

★ 東京国立博物館HP 柿釉金銀彩牡丹文碗(定窯。北宋。重文
★ 東京国立博物館HP 柿釉金彩蝶牡丹文碗(定窯。北宋。重文

注4 「定窯の金花定碗(金箔文様を焼きつけた定窯の白磁碗、黒磁碗、柿釉碗など)の多くは半島の出土品である」(『八千年』P172)

★ 東京国立博物館HP 白磁金彩雲鶴唐草文碗(定窯。北宋。重文

★ 故宮博物院(台湾)HP 嬰児枕(定窯。宋代)




2.磁州窯(じしゅうよう)

所在地 河北省磁県(観台鎮・東艾口村(とうがいこうそん)・治子村・彭城鎮)。観台窯が代表
開始時期 五代末(※注1)から北宋初期に開窯
特徴 基本的制作方法は、素地に白化粧をして釉薬を施す方法 ※注2
技法 白釉(※注3)・白釉緑彩(※注4)・白釉劃花(★)・白釉劃花・白釉剔花(白地掻落注5)・白釉釉下黒彩劃花(白地黒掻落注6)・珍珠地(※注7)劃花・緑釉下黒彩劃花(★)・白釉釉下黒彩(白地鉄絵、★)・白釉紅緑彩(宋赤絵注8)・三彩・黒釉(★)・褐釉など
「張家造」、「趙家造」、「王家造」、「李家造」、「陳家造」、「劉家造」などの銘があり、非常に多数の、小さい工房が同時に存在したと思われる
窯の形状 馬蹄形などの平面形をした饅頭窯
燃料 石炭
生産地 磁州窯系諸窯→広く河北・河南・山西の3省に分布(※注9)。
河南省の窯跡が一番多く、晩唐代に遡る北方民窯が始祖。

河北省磁県磁州窯、
河南省修武県当陽峪窯(とうようこくよう)、河南省鶴壁(集)窯、河南省禹県扒村窯(はいそんよう)、河南省登封窯(曲河)、河南省密県窯、※注
山西省長治窯、山西省介休窯、山西省大同窯

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック

注1 「開窯の年次は詳らかではないが〜青磁の粗悪化した黄釉陶や黒釉とともに、白磁の代替品として白地透明釉陶を併せ焼造して、五代(10世紀)には確かに活動を始めていた」(『八千年』P146)

注1(その2) 「磁州窯の開窯時期は、晩唐の9世紀であったことは疑いない」((『八千年』P223)

注2 「邢州窯(けいしゅうよう)や定窯のような純良な白磁素地が入手できないこれら河南の新窯にとって、時の陶磁の主役である白磁を焼造することは宿願であった
灰色の素地に白化粧をあつく施して、純透明の高火度釉をかけた白地透明釉陶という代用品をつくって量産
〜どの窯も玉縁、蛇の目高台を持つ碗に代表される晩唐の邢州窯・定窯の白磁と同じ器形の白地透明釉陶を焼造していた」(『八千年』P146)

注3 「白釉(正確には白地透明釉)〜」(『八千年』P146)

★ 東京国立博物館HP 白釉刻花唐草文水注(磁州窯。北宋)
★ 東京国立博物館HP 白釉瓶(磁州窯。北宋)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 白釉劃花牡丹文面盤(磁州窯。北宋)

注4 「晩唐三彩の流れをくむ白釉緑彩、すなわち白地透明釉地に緑釉をたらし込む鉛釉法を高火度釉でおこなう手法」

注5 「鼠色の素地という悪条件を逆手にとって、これを新しい装飾のための素地として見立てるようになった。
〜およそ950年代以後になって、まず白化粧の一部を削り落とし、さらに下の素地にまで深く喰い込んで大胆にも文様をあらわす掻き落しの技法が案出された。
そしてその全面に透明釉をかけると、白化粧地と素地の部分が白と茶褐色の色相の対比となって〜白掻き落しとよばれるこの加飾法は〜鋭い箆(へら)使いの跡をみせて、大柄な図様がくっきりと浮かびあがり〜好んであらわされた図様は宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)であり、花房文様であった」(『八千年』P146)

注6 「北宋後期になると、白化粧地にいま一度全面に酸化鉄をくまなくかけて二重の化粧をおこない、下の白化粧をそのまま残しながら上層の酸化鉄をていねいに掻き落して文様をあらわしたのち、全体に透明釉をかけて焼きあげた白地黒掻き落し法が考案された」(『八千年』P229)

注6(その2) 「北宋末の大観2年(1108)に河北省の漳河(しょうが)が氾濫して鉅鹿(きょろく)という街を埋めつくして〜1900年のはじめにその廃墟が掘りおこされて、おおくの磁州窯製品が世に紹介された〜白地黒掻き落し陶の最盛期が12世紀初葉であったことを知ることができる」」(『八千年』P231)

注7 「中国で珍珠地とよぶ、細やかな象嵌(ぞうがん)技法が〜西暦1000年前後に始められたようである。

この場合は全面に白化粧したあと毛彫りして文様をあらわし、余白には管の先で丸い文様を細かくうめる
この技法は金工でいう魚子地(ななこじ)の効果を出したうえに、赤土をかぶせ、丁寧に赤土を削りとって刻み文様の中に赤土を嵌入させる。
さらに透明釉をかける
ことによって白化粧土や赤土を定着させ、これまで焼物では表現することができなかった軽快な赭(しゃ)褐色の毛彫り文様が鮮やかに器面にくりひろげられることになった」(『八千年』P147)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 緑釉黒花牡丹文瓶(磁州窯。北宋。重文

注8 「磁州窯系の諸窯が金代の陶磁史上に印した大きな足跡は色絵色絵は〜白化粧下地の透明釉陶〜を素地にして、赤を基調として、緑と黄の上絵具をつかって釉面に絵筆で文様をえがき、再び小規模の絵付用の窯〜で焼きつける加飾法である」(『八千年』P261)

注8(その2) 「上絵具とは、三彩につかわれる低火度鉛釉に属する緑釉や黄褐釉を絵具として利用した〜灰釉系の高火度釉を素地にして、低火度の鉛釉を絵具につかって焼きつけたのが色絵」(『八千年』P265)

注8(その3) 「草創期の金代の色絵については、日本では宋赤絵の愛称で親しまれてきた」(『八千年』P266)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 黒釉刻花牡丹文梅瓶(磁州窯。北宋)

注9 「実際にはまず河南省にひらかれ、北宋時代になって河北省にも浸潤し、北宋から金代にかかる11〜12世紀には山西省が重要な窯場となり、金・元・明代はむしろ河南省より優勢であった」(『八千年』P225)




3.耀州窯(ようしゅうよう)

所在地 陝西省銅川市(黄堡鎮・鎮炉鎮・立地坡・上店・玉華宮)
開始時期 五代10世紀に開窯。当初黒釉磁器や白磁黒彩などを焼造したが、北宋初期の11世紀に青磁窯に転じた ※注1
特徴 オリーブグリーンの釉色の作品が多く、片切彫りの流麗な劃花文様が著名。印花文様の碗類にも優品が多い。
釉調が粉青色に近く、澄んだ色調のものは「東窯」と呼ばれている。
技法 金代に作風は低下し、元代には黄色の下手な青磁を生産した
生産地 北方青磁には、陝西省耀州窯のほか、河南省臨汝窯、河南省宜陽窯、河南省新安県城関窯など

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック

注1 「西暦1000年前後に耀州窯が青磁窯へと変身したことが推察される」(『八千年』P165)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青磁刻花牡丹唐草文瓶(耀州窯。北宋。重文

 



4.鈞窯(きんよう)

所在地 河南省禹県(八卦洞・鈞台鎮)
禹県には100箇所以上の窯跡が分布
特徴 澱青釉(でんせいゆう)あるいは月白釉(げっぱくゆう)といわれる、やや白濁した青磁(※注1、★)の作品で著名。
澱青釉紅斑(※注2)、紫紅釉(※注3、作例は「金代の陶磁器」参照)などの作品も著名

注4
技法 同じ窯で白釉・白釉鉄絵・青白磁・青磁なども焼造。
禹県城の城内にある八卦洞窯では宋代の宮廷用の澱青釉・紫紅釉の作品を焼いていたことも判明

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック

注1 「月白釉とも澱青釉ともよばれる独特の失透性のあつい釉〜青磁釉の一種と考えて大過ない
〜原理的には青磁よりもずっとケイ酸分のおおい灰をつかっている点がこの呈色の秘訣」(『八千年』P232)

★ 東京国立博物館HP 澱青釉輪花鉢(鈞窯。北宋〜金)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 月白釉碗(鈞窯。北宋)

注2 「紅斑は時によっては青色や紫色に窯変することがあるが、これらはいずれも銅による呈色で、青紫色に近い呈発は、還元された鉄やオパール現象の青い色が、銅による紅色と組み合って複雑な色調になった」(『八千年』P237)

注3 「紫紅釉は銅呈色」(『八千年』P239)

注4 「総釉として、細い針(目という)をもって器を浮きあげて焼造する伝統をもっている」(『八千年』P240)


 



5.汝窯(じょよう)

所在地 河南省宝豊県(清涼寺村)
特徴 伝世する汝窯の青磁は、碗・皿・水仙盆(★)などがほとんど。
ほぼ全面に施釉されて、底部に小さな白色の目跡がつく。※注1

青磁釉(※注2)は、空色に近似した、白色がかった青味の強い粉青色の発色をする。
生産地 南宋時代の『坦斎筆衡(たんさいひっこう)』(著:葉ゥ)、『清波雑志』(著:周W)などの文献には、北宋王朝末期に汝窯という官窯を築いたことが記載されていた。

また、故宮には汝窯の題箋のある青磁作品が伝世していたが、長い間生産地がよくわからなかった。

近年、河南省清涼寺窯から伝世の汝窯と類似した陶片が出土し、生産地がほぼ確定するに至った

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青磁水仙盆(汝窯。北宋)

★ 故宮博物院(台湾)
HP 蓮花式温碗(汝窯。宋代)

注1
 「高台をすべて釉でおおいつくし、高台の内側に小さな支柱をたてて、匣鉢(さや)のなかで焼く」(『八千年』P210)

注2 「青磁釉の美しさは越磁の秘色釉とは内容がちがう。失透性の釉は、淡白な味わいをふくむ穏やかな青味が基調であり、柔らかい感触の貫入が細かく入って、その高貴な気分はとても筆舌にはつくし難い」(『八千年』P200)

注2(その2) 「遺品はすべて総釉となり、胎土ははっきりしないものの、釉にはごく細かい貫入がびっしり走って、滋味な気品を生んでいる」(『八千年』P208)





6.南宋官窯
(※注1

(1) 修内司官窯(しゅうないじかんよう) 
所在地 浙江省杭州市 鳳凰山麓、杭州老虎洞窯跡

『坦斎筆衡(たんさいひっこう)』(著:葉ゥ)には「故京の遺製をついで窯を修内司に置き、青器を造り内窯と名づく。
〜のち郊壇下に別に新窯を立つ。旧窯に比すれば大いにr(ひと)しからず」とある。
米内山庸夫(よねうちやまつねお。杭州領事)が鳳凰山山麓で発見したと報道。
近年、鳳凰山麓の杭州老虎洞窯址で発見されたと報道される
特徴 二重貫入の青磁(網の目のように広がった黒く大きな貫入の間に、白く小さな貫入が現れたもの)

哥窯的な青磁(黒胎で青味の少ない白っぽい釉薬が厚くかかり、一面に紫褐色の大きな貫入と淡黄褐色の小さな貫入が表れている青磁。出土例は元・明代が多い)


(2) 郊壇官窯(こうだんかんよう)
所在地 浙江省杭州市 南郊烏亀山麓、郊壇下官窯・郊壇下新官窯
開始時期 『坦斎筆衡(たんさいひっこう)』(著:葉ゥ)の記載から、南宋中期から後期の官窯と考えられている
特徴 灰色から灰黒色の薄い胎土(紫口鉄足)に、粉青色の青磁釉が厚く重ね焼きされて、複雑な貫入がはいることが特徴。

米色青磁(酸化炎焼成気味に焼き上がった作品)

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック
注1 「南宋王朝は臨安の近郊に官窯をひらき、伝統にしたがって超絶の技巧をもって清冽なる青磁を焼造させた。
二重貫入とよばれる複雑に貫入がはいった清浄無垢、澄みわたる幽邃な青磁釉がかかった焼物は、かつての研究者・愛陶家が夢にえがいていた姿そのもの」(『八千年』P200)

注1(その2) 「南宋官窯は〜雨過天青を地で行くような、すばらしい青の青磁を確認することができた。
〜天青色の青磁釉が、おおい場合では三層にも重なって厚く掛けられている。
釉と胎土との収縮率はおおいに異なるから、焼成後にヒビ割れ、いわゆる貫入が釉面をはしることになる」(『八千年』P207)

注1(その3) 「南宋官窯は北宋汝官窯と同じ高台造りを守り、総釉の施釉法もつづけながら〜高台の畳付の部分をほんの少し釉剥ぎして、直接匣鉢に立てて、支柱を省略する焼造法を導入している」(『八千年』P210)

★ 根津美術館HP 青磁筒花生 銘 大内筒(修内司官窯。南宋。重文)

★ 東京国立博物館HP 青磁j形瓶(官窯。南宋。重文
★ 東京国立博物館HP 青磁輪花鉢(官窯。南宋。重文

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青磁八角瓶(官窯。南宋)




7.龍泉窯(りゅうせんよう)

所在地 浙江省龍泉市周辺
開始時期 唐代(※注1)から清代にかけて焼造された青磁窯
特徴 釉調は、空色の粉青色に近いもの、明るいものから、やや黒ずんだ緑褐色のものまで幅広い。

ガラス質で細かい気泡が多い。
胎土は、磁質化が比較的強い
(1)五代・北宋初期の10世紀中葉
→本格的な青磁(※注2)の焼造が始まる。龍泉県の大窯・金村窯など
(2)北宋末〜南宋期の12〜13世紀
→生産が増加。龍泉県東部地域・雲和県・麗水県などに拡大。
 釉調も安定し、黒胎青磁なども焼造。貿易陶磁として日本・朝鮮半島・東南アジア・中近東などに確固たる地位を築く
(3)13〜14世紀前半
→我が国に伝世する砧青磁(きぬたせいじ。※注3、★)は、龍泉窯青磁の釉調の美しさの到達点を示す
(4)南宋後半期〜元代
→貼花技術や劃花技法による文様で器面が装飾される
窯の形状 全長50m、幅・高さ2mの龍窯で、傾斜角10〜20度の床面に匣鉢(さや)を並べ、一度に2万〜3万個の製品を焼造
燃料 燃料は薪
生産地 龍泉・慶元・雲和・景寧。遂昌・松陽・麗水・縉雲・永嘉・泰順・文成など400箇所以上の窯跡が発見されている

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック
注1 浙江省はおおよそ五代・北宋時代には、越州窯が各地にひらかれていった。
〜未開拓であった浙江省南部にやはり越州窯が浸潤していった。
浙江省南部の越州窯こそ龍泉窯そのものである」

注2 「龍泉窯は北宋11世紀中葉ごろに越州窯の一窯として開かれた
〜いったいに北宋時代の龍泉窯の青磁は〜深い緑色を基調としていた。
〜こうした緑のふかい呈色は、数おおい越州窯のなかでも黄岩窯とか、永嘉窯とか、いわゆる東甌窯系の窯に共通している」(『八千年』P205)

注3 「越州窯の一窯として発祥した龍泉窯が南宋官窯の青磁を手本にして、粗雑な一般の青磁器皿とちがった、俗にいう粉青色の青磁を完成させた。
それが砧(きぬた)青磁であり、砧青磁はあまたある龍泉窯のなかでも、大窯、渓口窯をはじめとして、主力の窯でのみ焼かれた」(『八千年』P200)

注3(その2) 「緑の青磁釉は越州窯系列の器に施され、青の青磁釉は官窯系列の器形に施された」(『八千年』P208)

注3(その3) 「(てい)、(れん)、(れき)、(き)、(こ)、j(そう)、(ゆう)といった青銅器ならではの形が砧青磁の重要な手本となっている」(『八千年』P209)

注3(その4) 「龍泉窯の砧青磁では(高台の)釉の剥ぎ取りの部分をさらに拡大して、側でみていても、釉の削り落しが眼に写るまでになっている。
その削り落しも南宋から元になるに従って、かなり露骨になっていく」(『八千年』P210)

注3(その5) 「砧青磁は形が硬いことに気付く。歩留まりの悪い陶胎より安定した品質を期待し、量産するためにはやはり磁胎に如くものはない。
〜南宋官窯青磁のもつふくよかな荘重感は、こうした採算を度外視している姿勢から生みだされた」(『八千年』P210)

注3(その6) 「1963年6月に、湖北省武昌市郊外〜で発見された〜合葬墓(嘉定6、1213年に合葬)出土の青磁長頸瓶がいちばん早い砧青磁の資料である。
1100年代の中後期には龍泉窯で砧青磁がはじまっていてもおかしくはない」(『八千年』P211)

★ 根津美術館HP 青磁筍花瓶(龍泉窯。南宋。重文

★ 東京国立博物館HP 青磁香炉(龍泉窯。南宋)
★ 東京国立博物館HP 青磁鳳凰耳瓶(龍泉窯。南宋〜元)
★ 東京国立博物館HP 青磁輪花碗 銘 馬蝗絆龍泉窯。南宋。重文

★ 京都国立博物館HP 青磁貼花牡丹唐草文瓢瓶 銘 顔回(龍泉窯。南宋〜元)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青磁鳳凰耳花生(龍泉窯。南宋。重文。)

★ 青磁鳳凰耳瓶 銘 万声(龍泉窯。南宋。国宝大阪府和泉市久保惣記念美術館公式サイトの表紙から「デジタルミュージアム(収蔵品の検索)」をクリック→「簡易検索」をクリック→検索画面で作品名に「万声」と入力)




8.景徳鎮窯(けいとくちんよう)

所在地 江西省景徳鎮市
開始時期 五代(10世紀)から現代までの中国の中心的な窯業地
特徴 (1)五代の時期
→越州窯の青磁や華北の白磁を模倣した白磁 ※注1
(2)北宋初期
→白磁が主体
(3)北宋中後期
→青緑色を帯びた青白磁が完成される。※注2
薄手に成形され、鋭く伸びた器形を持ち、勢いのある劃花文様の作品がつくられ、国外にも輸出された
(4)南宋〜元
→青白磁は引き続き焼造されるが、だんだんと鋭さがなくなり、印花技法が増えていく
※ 青白磁は、福建省徳化窯などでも北宋〜元時代に焼造された

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック
注1 「五代の景徳鎮窯がつくりだした白磁の特色は〜華北の白磁と〜際立って異なった所はなかった
〜見込に細かく目跡をおいた独特の焼成法をしめす碗皿は、明らかに越州窯における青磁焼成法と共通しており」(『八千年』P175)

注2 「11世紀初頭には景徳鎮窯は青白磁を完成していたことはまず疑う必要はないようだ」(『八千年』P164)

注2(その2) 「景徳鎮窯は、次代の主流が青磁ではなくして白磁であろうと見定め、越州窯以来の青磁窯の体質をすてて、白磁焼造主体に絞りこんでいく。
路線変更がおよそ西暦1000年頃におこなわれ、焼造方針の変更は青白磁の創始につらなっていた」(『八千年』P176)

注2(その3) 「景徳鎮窯の白磁は釉に青味をふくむ清らかな白磁となった。
これを一般に青白磁とよび、かつては中国人の呼称にしたがって影青(いんちん)とも呼んでいた」(『八千年』P188)

注2(その4) 「景徳鎮窯白磁の青味は、燃料としておそらく油脂の多い松材などが用いられた結果、焔の長い焼焔がえられ、窯中で強い還元焔となって釉中の鉄分を還元し、青味を呈発する」(『八千年』P190)






9.建窯(けんよう)

所在地 福建省建陽市(水吉鎮芦)
開始時期 晩唐から元代にかけて焼造された生産地
特徴 (1)晩唐・五代
→青磁窯がわずかにある
(2)北宋初期〜南宋末期
喫茶用の黒釉碗を専門的に焼造
※鉄分を多く含む黒色・褐色の荒い胎土に漆黒の釉(※注1)が厚くかかる。
 焼成時の釉表面の結晶の出方によって、兎毫(とごう。禾目=「のぎめ」ともいう ※注2、★)・油滴(※注3、★)・曜変(※注4、★)などの変化を見せる。

※伝統的な建窯産の茶碗(建盞=けんさん)の特徴
→口縁下に段をつけた深めの碗で、高台は小さい。
 腰部以下は器壁が厚く、高台脇以下は露胎で、高台内は浅く削る。

注5
『茶録』(著:蔡襄。北宋)「茶、色は白にして黒盞を宜しとす。建安の新造するものは紺黒にして、紋は兎毫の如し」
『大観茶論』(著:徽宗。北宋)「盞色は青黒を貴とし、玉毫の達するものを上となす」
※ 貿易陶磁としても日本・東南アジアなどに大量に輸出
→博多遺跡の12世紀前半の遺構からの発掘例あり
(3)元代
→青白磁窯がわずかにある
窯の形状 最大のものは長さ135.6m、幅1〜1.5mという巨大な龍窯

★ 宋代の窯址分布図ここをクリック
注1 「わが国では黒釉陶のことを単に天目(てんもく)といい、また天目陶ともいう。
〜その釉についても天目釉と称するようになった。
 この天目釉の特色は、鉄を呈色剤とした高火度釉であり、酸化物によって酸化鉄呈色の色調を得たもので、黄褐、褐、黒、柿色など、かなり幅広い発色となる」(『八千年』P213)

注2 「兎毫の文様は、俗に日本で禾目とよばれている細かくやわらかな風情のある白銀・褐銀色の斑文」(『八千年』P216)

★ 永青文庫HP 禾目天目(建窯。宋代。)

注2(その2) 「最も確かな出土事例は、1971年に江蘇省〜で発見された、南宋慶元元年(1195)の張同之墓から発掘された兎毫盞(日本では禾目天目とよぶ)である」(『八千年』P216)

注3 「黒釉地の斑文には、黄金色、銀白色にかがやく小粒の丸い斑文を呈する作例が、極めて例は少ない
〜日本ではその名を油滴(ゆてき)天目と称し、中国では滴珠盞とよびならわしている」(『八千年』P220)

★ 藤田美術館HP 油滴天目(金代?磁州窯?)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 油滴天目茶碗(建窯。南宋。国宝

注4 「漆黒釉地に虹彩とよばれる隈取りがあらわれた、その比較的大粒の斑文が妖幻な趣きを呈する曜変(ようへん)天目が君臨し、黒釉技の頂点に位置づけられている。
そして、日本に静嘉堂文庫蔵の稲葉天目の愛称をもつ作品を筆頭にして、三点だけが知られているにすぎない」(『八千年』P220)

★ 藤田美術館HP 曜変天目(建窯。南宋。国宝

★ 静嘉堂文庫HP 曜変天目(稲葉天目)(建窯。南宋。国宝

※注5 『清異録』(著:陶穀。五代)「閩(びん。福建省北部一帯の古名)中には(さん)が焼かれ、その文様は鷓鴣斑(しゃこはん。ウズラの羽の文様)に似ており、茶家はこれで試飲する」






10.その他の宋代の生産地


(1) 越州窯
所在地 (既述)
(開始)時期 北宋になっても青磁を引き続き焼造するが、北宋中期から衰退し、龍泉窯に地位を譲る
特徴 (既述)

(2) 吉州窯
所在地 江西省吉安県永和鎮
開始時期 北宋時代に青白磁の焼造を始める。(南宋〜元代中期に最盛期を迎える)
技法 黒釉・鉄絵・黒釉白花、印花白磁・緑釉など
特徴 鼈甲釉(べっこうゆう。黒釉の地に白濁性の黄釉を振りかける※注1
※マスキング(※注2)による龍天目、(らん)天目(★)、文字天目や、天然の木の葉を焼き付ける木の葉天目(★)など
注3

 
注1 「中国風によんで鼈盞(べっさん)・玳皮盞(たいひさん)、わが国では玳皮天目とよばれる」

注2 「絵模様を型紙であらわして、海鼠釉を剥ぎ取った、まことに巧緻な文様表現」

★ 東京国立博物館HP 玳玻釉梅花文碗(吉州窯。南宋)

★ 京都国立博物館HP 玳玻天目鸞文碗(吉州窯。宋代。)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 木葉天目茶碗(吉州窯。南宋。重文

注3 「黒釉地に黄、褐、白、青などの色調がいりまじった、いわゆる海鼠釉(なまこぐすり)をさらに霜降り風にかけた幽妙な二重掛け釉法を考案した」(『八千年』P220)




(3) 同安窯
所在地 福建省同安県
開始時期 北宋後半(12世紀前半)
特徴 主に碗を焼造
猫掻き手→外面に櫛目による線条文、内面に箆による劃花文の中に櫛による地文を多用
鹿・鳥・双魚などの印花を見込にいれることもある
(1)北宋後半(12世紀前半)
→龍泉窯の模倣品として焼造を開始
(2)南宋中期
→施文が簡略化されて大量生産
平安末期から鎌倉時代にかけて日本に輸出
珠光青磁
猫掻き手の作品は福建省安渓窯などでも製作されている

(4) 西村窯
所在地 広東省広州市(広州市の西北に位置する)
開始時期 五代〜宋代の窯
特徴 (1)五代
→五代十国の一つ、南漢の首都で青磁を生産
(2)宋代
→白磁・青白磁・青磁をはじめ、白磁彩絵・黒釉・褐釉・緑釉磁なども生産
※ 劃花・刻花の白磁盤や白磁鳳首瓶などが有名


★ 宋代の窯址分布図ここをクリック



11.遼代の陶磁器


遼の建国 916年に契丹族が北方で建国
北宋への侵略を繰り返す
遼代の製陶業 定窯・磁州窯などの生産地、および渤海との関係
中国の陶工が遼に連れ去られた可能性もある ※注1
主要生産地 遼寧省林東遼上京窯(※注2 定窯系の白磁・黒釉、緑釉陶
遼代後期の官窯の可能性あり
遼寧省赤峰市乾瓦(けんが)窯(※注3 磁州窯系の白釉・白釉黒花・緑釉・三彩(※注4)など
定窯系の白磁
太宗・世宗期の官窯の可能性あり
遼寧省遼陽市江官屯窯(※注5 磁州窯系の白釉・白釉黒花・三彩
北京市龍泉務窯(※注6 白釉器。形態などは定窯の影響が大
製品 鶏冠壷(※注7)・鶏腿壷・盤口瓶・鳳首瓶・海棠形長盤など遊牧系の造形品


注1 「『遼史』には〜天賛2年(923)に〜「磁窯務」、「磁窯鎮」を攻めたと記している。
〜陶磁器の略奪のほか〜陶工を拉致していった可能性も考えなくてはならない」(『八千年』P242)

注2 「上京臨潢府がおかれていた遼寧省巴林左旗(ぱりんさき)林東市に林東窯および林東南山窯林東白音才勒(バインゴロ)窯」(『八千年』P243)

注2(その2) 「林東窯は、10世紀に開かれていたと判じてかまわない」(『八千年』P244)

注3 「薛正が〜『行程録』をしたためており〜官窯館という場所があることを記している。
その位置は〜赤峰県の乾瓦窯を想いおこさざるを得ない」(『八千年』P242)

注4 「遼三彩が一挙に花ひらくのは11世紀後半になってから〜」(『八千年』P247)

注4(その2)「三彩は、いかにも大量生産になった時期の量産品として粗製濫造の誹(そしり)はまぬがれない
〜1125年〜遊牧民の国家「遼」はあえなく滅亡する。三彩もこの時期を境にしてばったり消息が途絶える」(『八千年』P249)

注5 「東京(とうけい)遼陽府の近くに位置する遼寧省遼陽市郊外の缸官屯(こうかんとん)窯」(『八千年』P243)

注5(その2) 「缸官屯窯の場合ははたして遼の開窯と断定できるか疑問があり、金代の窯の可能性がつよい」(『八千年』P244)

注6 「南京析津府のおかれていた現在の北京市の門頭溝窯」(『八千年』P243) 

注7 「今は中国では皮嚢壷(ひのうこ。皮袋の形)とよぶ、いわゆる鶏冠壷」(『八千年』P245)

★ 遼代・金代の主要窯址分布図はここをクリック



12.金代の陶磁器

※注 「金代における定窯は技術においても作風においても、まったく北宋時代の延長線上にある」(『八千年』P253)

 「色絵の発明ほど、金代磁州窯の創意を端的に示すものはほかにあるまい」(『八千年』P261)

 「唐代に貴族の明器であった三彩は、金代には庶民の明器として脚光をあびる」(『八千年』P268)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 白釉黒花風花雪月字梅瓶(磁州窯。金代)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青磁貼花虁鳳文香炉(耀州窯。金代)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 紫紅釉盆(鈞窯。金代)

★ 東京国立博物館HP 黒釉褐彩牡丹文大瓶(いわゆる河南天目。金〜元)

★ 遼代・金代の主要窯址分布図はここをクリック



 それでは、次回のゼミ受講録まで、ごきげんよう♪

 

inserted by FC2 system