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陶磁器ゼミ(4) 美術史ゼミナール「中国の陶磁器」その4(六朝・隋唐・五代)
★ はじめに
今回も先生の講義内容に、私の調べた内容を注に加えて書いていくこととする。
誤りがあれば、ご指摘いただければ幸いです。
では、さっそく第2回講義「六朝・隋唐の陶磁器」のはじまり、はじまり。
★ 第2回講義「六朝・隋唐の陶磁器」
1.三国・両晋・南北朝の陶磁器(1) 〜 江南の青磁・黒磁 〜
江南→江蘇・安徽・浙江・江西・福建・湖北・四川などが陶磁史では中心
(1) 越窯(えつよう。越州窯)
後漢代に創焼(※注1)し、三国・両晋を経て南朝に至るまで急速に発展。龍窯(※注2)で焼造。
窯跡→呉興(ごこう)・紹興(しょうこう)・上虞(じょうぐ)・余姚(よよう)・鄞県(ぎんけん)・寧波(ねいは・にんぽう)・奉化(ほうか)・臨海(りんかい)・蕭山(しょうざん)・余杭(よこう)・湖州など浙江省の各地。
後漢代には、上虞・寧波で青磁が焼造(※注3)された。
日用品 |
鉢・碗・盤など |
特殊品 |
扁壷(へんこ)・香炉・虎子・熊灯・獅子型燭台・鶏頭壷(※注4?)・鶏冠壷・盤口壷(※注5)など |
明器 |
穀倉(神亭壷※注6、★)・羊・猪圏(ちょけん)・狗圏(くけん)など |
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注1 「越州窯については、朱伯謙氏は、春秋戦国時代にすでに灰釉陶(初期の青磁)を焼く窯が〜浙江省の蕭山県や紹興県に、20数ヶ所も発見されていると報じている」(『中国陶磁の八千年』P78著:矢部良明。平凡社。以下『八千年』と略記)
注2 山の斜面などを利用した細長い窯。龍に似た外観から、この名前がある。
注3 「1980年〜寧波市、上虞県一帯に後漢時代の青磁・黒釉磁が発見され〜後漢時代になって青磁がこの地域で焼造され始めたことが判明した。
後漢・三国・西晋・南北朝時代の越州窯は、のちの唐・五代・北宋時代の越州窯の母胎をなす〜日本では〜その製品は俗に古越磁と称される」(『八千年』P77)
注4 「盤口瓶に鶏、羊などの注口と把手をつけた、いわゆる天鶏壷」(『八千年』P79)
注5 「口造りが盤のような姿につくられるところから、盤口瓶(ばんこうへい)の名があたえられた無耳、双耳、四耳、六耳などの壷」(『八千年』P76)
★ 東京国立博物館HP
青磁四耳壷(越州窯。南朝。重文。世界最古の伝世陶磁と伝えられる。)
★ 東京国立博物館HP
青磁蓮弁文六耳壷(越州窯。南朝)
注6 「大きな丈長の壷の頂に楼閣や人物、動物、まれには仏像などを貼り付けたいわゆる神亭壷(しんていこ)」(『八千年』P76)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP
青磁神亭壷(越州窯。呉〜西晋)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP
青磁天鶏壺(南北朝)
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(2) 越窯近辺の窯
均山窯(きんざんよう。南山窯) |
江蘇省宜興県一帯
越窯の青磁系統に属する |
甌窯(おうよう) |
浙江省(浙南)温州一帯
後漢代には永嘉窯で青磁を焼造
釉薬が剥落しやすい |
婺州窯(ぶしゅうよう) |
浙江省金華地区
白化粧・貫入のある、やや黄みがかった青磁釉などが特徴 |
徳清窯(とくせいよう) |
浙江省
黒磁と青磁を兼焼。主体は青磁
盤口壷・鶏頭壷・香炉など |
※ 製品の内容については、越窯とほぼ同じ
(3) 両湖(湖北・湖南)・江西・四川地区、福建・広東地区の窯
湘陰窯(しょういんよう)
※注1 |
湖南省。西晋・東晋・南朝期 |
豊城窯(ほうじょうよう) |
江西省。南朝〜隋期
唐代、洪州窯と名称が変わる |
成都窯(せいとよう) |
四川省。南朝期〜 |
邛崍窯(きょうらいよう) |
四川省。南朝〜五代 |
※ 貫入ができやすく、剥落しやすい青磁釉が特徴
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注1 「この湘陰窯は文献で名高い岳州窯にあたると考えられており〜」(『八千年』P90) |
★ 三国〜六朝時代の窯址分布図はここをクリック
2.三国・両晋・南北朝の陶磁器(2) 〜北方の青磁・白磁・黒磁・鉛釉〜
(1) 北方青磁
蓮花弁尊・高足盤・四耳壷・唾壷などの特殊品が特徴的
淄博寨里窯(しはくさいりよう)
山東省。北斉時期
河北省(※注1)、河南省など
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注1 「東魏興和3年(541)〜(河北省河間県)からは青磁が出土しており〜華北における青磁の創始をたしかめる最初の資料」(『八千年』P104) |
(2) 白磁・黒磁
白磁 |
青磁の基礎の上に白磁が誕生(※注1)
原料中の鉄含有量
中性炎焼成による焼き上がり
北斉時期
白釉緑彩・黄釉緑彩 |
黒磁 |
青磁に鉄分を加えて黒磁が成立
北斉時期 |
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注1 「カオリン質の高い白色粘土を選良し、これを胎土につかって、透明度の高い釉薬をかけると白地透明釉陶磁ができる。この新技術の開発は、北斉初年には始められていた」(『八千年』P105)
注1(その2) 「高火度の白磁釉が、青磁の釉から分派し、青磁釉中に含まれる鉄分を作為的に除いて呈色分を取り去り、透明度を増大させた努力の所産」(『八千年』P106) |
(3) 鉛釉陶器
後漢初め(前漢末)に創始。三国時代に衰亡(※注1)
北魏時代以降流行(※注2)→北斉期→隋唐期
緑釉・褐釉・黄釉。二彩(黄釉緑彩)
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注1 「華北では後漢王朝の終焉をもってあれだけ盛行した緑釉や褐釉などを施す鉛釉陶がばったりとその消息を絶ってしまった」(『八千年』P93)
注2 「北魏王朝中興の祖であった孝文帝の治世に、華北の地にはたたび低火度の鉛釉陶の製作技術が復活した」(『八千年』P102) |
★ 三国〜六朝時代の窯址分布図はここをクリック
3.隋の陶磁器
主要な青磁窯
賈璧村窯(こへきそんよう。賈璧窯とも) |
河北省磁県 |
安陽窯(あんようよう) |
河南省安陽市 |
鞏県窯(きょうけんよう) |
河南省 |
淮南窯(わいなんよう) |
安徽省 |
湘陰窯(しょういんよう) |
湖南省。唐代の岳州窯に発展 |
邛崍窯(きょうらいよう) |
四川省 |
※ 主要なものは白磁・青磁。白磁窯については、まだあまり詳細がわかっていない。
4 唐・五代の陶磁器
「南青北白」※注1
(1) 青磁
陸羽(?〜804) 『茶経』(758〜761頃)
「越州の瓷、岳州の瓷は皆青く、青ければ則ち茶に益す」
越窯(えつよう。越州窯)
※注2 |
上虞・余姚・寧波・紹興・鄞県・奉化・臨海などにも拡大。
五代期には、呉越国銭氏の庇護(※注3)のもとに「秘色磁」(※注4)が生まれた
※ 法門寺
※注5、★ |
甌窯(おうよう)、婺州窯(ぶしゅうよう) |
浙江省温州地区・金華地区 |
岳州窯(がくしゅうよう) |
湖南省湘陰県 |
長沙窯(ちょうさよう)
※注6 |
湖南省長沙市
青磁・黄釉褐彩・黄釉褐緑彩・白釉緑彩・緑釉 |
洪州窯(こうしゅうよう) |
江西省豊城県
「洪州の瓷は褐、茶は色黒く、悉く宜しからず」 |
邛崍窯(きょうらいよう)
※注7 |
四川省
青磁・黄釉褐彩・黄釉褐緑彩・白釉緑彩・緑釉 |
寿州窯(じゅしゅうよう)
※注8 |
安徽省淮南市
「寿州の瓷は黄にして、茶の色紫なり」 |
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注1 「江南の青磁に対して、華北では白磁や三彩、黒釉陶が焼物の主力製品となっている」(『八千年』P142)
注2 「盛唐白磁の伝統を受け継いだ華北の白磁(邢州窯や定窯など)が荘重な表情をもっていながら、気品や格の点で越磁におよばない
〜放散する美の香りは越磁のほうが数段麗しい」(『八千年』P153)
注3 「小山冨士夫氏はこの越州窯の秘色青磁を〜呉越国の支配者、銭氏一族があつい庇護を加えたことによって、かくも美しい青磁が完成したが〜太平興国3年(978)以後は、越州窯は銭氏の庇護をはなれたため、凋落の一途をたどっていったと説明した
〜(越州窯は)中唐におこり、北宋時代にいたるおよそ300年間の製陶活動があり〜呉越国の存続した72年間をはるかに凌ぐ長期間の展開であったので〜銭氏の家運の推移が越州窯の起伏消長とは密接でない」
(『八千年』P152)
注4 「唐末の詩人のひとり、徐夤(じょいん)は、「貢余秘色茶盞」という詩をつくって〜そのなめらかにとけた青緑色の釉を「翠をねじり、青を融かして瑞色新なり」と形容し、「秘色」の美称をたてまつった
〜浙江省余姚県、紹興市や蕭山県などにひろがる越州窯の代表的古窯址には、眼が覚めるほど美しい、淡い碧玉とでもたたえたい見事な緑色の青磁が破片として山積している」(『八千年』P152)
注5 「形のほかに文様も他の晩唐・五代の陶磁にはるかにすぐれて〜越磁の加飾法には貼り付け文様、毛彫り文様、片切彫り文様、透彫り文様、浮彫り文様、スタンプ文様があり、その多様な表現技法は当時の陶磁界で右に出る窯はない」
★ 京都国立博物館HP
青磁水注(越州窯。五代〜宋。重文)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP
青磁六耳壷(越州窯。五代)
注6 「長沙窯とは〜長沙市の郊外、瓦渣坪(がさへい)に窯址がある大規模な陶窯で〜青磁の質が低下した黄釉陶をベースにして、鉄や銅で釉下に文様を描く鉄絵や釉裏紅を装飾技法につかって、粗雑ではあるが量産型の製品を焼いて、越州窯とならぶ二大輸出窯に急成長していった。
〜長沙窯は黄釉陶のほか、白釉緑彩陶、緑釉陶なども併焼している」
(『八千年』P141)
注6(その2) 「長沙窯の名で親しまれているこの窯は、11世紀に入ると〜消息が途絶えてしまう」(『八千年』P161)
注7 「(長沙窯と)ほとんど同じ内容の陶器は四川省邛崍県の邛崍窯においても同じ磁器に焼かれている」(『八千年』P141)
注7(その2) 「型抜きの貼り付け文様や釉下の筆彩文様で異彩を放つ湖南省の銅官窯(長沙窯ともよばれる)、四川省の邛崍窯」(『八千年』P154)
注8 「(北宋時代に)六朝以来の伝統をもつ〜寿州窯が姿を消(す)」(『八千年』P161)
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(2) 白磁・黒磁
邢州窯(けいしゅうよう)
※注1 |
河北省臨城県※注2
※ 河北省内邱県(『八千年』P129) |
定窯(ていよう)※注3 |
河北省曲陽県 |
鞏県窯(きょうけんよう)
※注4 |
河南省鞏県
白磁・三彩・黄釉・黒釉 |
密県窯(みっけんよう) |
河南省密県
白釉・黄釉・黒釉 |
耀州窯(ようしゅうよう) |
※ 陝西省銅川市黄堡鎮(『八千年』P129)
黒磁・白釉・白釉黒彩・三彩
白化粧を多用 |
景徳鎮窯(けいとくちんよう)※注5 |
江西省景徳鎮 |
淄博窯(しはくよう)※注6 |
山東省淄博市 |
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注1 「臨城き村窯の白磁〜は口縁を玉縁につくり、高台は畳付が幅広い、低い立ちあがりの、日本で蛇の目高台とよぶ晩唐・五代特有の特色をもつ碗であり、内外総体に乳白色の潤いのある白磁釉がかかり、畳付だけを釉剥ぎするという〜見慣れた白磁碗」(『八千年』P185)
注1(その2) 「晩唐時代の白磁の窯として近年確認され、文献に名高い邢州窯のこととされている河北省臨城県の白磁窯も、宋代まで存続することはできなかった」(『八千年』P162)
注2 「時代は晩唐になるが、李肇(りちょう)が『唐国史補』をあらわし、そのなかで「内邱(ないきゅう)の白瓷(はくじ)の瓶と端渓の紫の石硯は、天下貴賎なく通用した」という有名な一文は、まさしく華北における白磁の知名度を象徴するもの
〜内邱県の邢州窯は近年になって、隣の臨城県にまたがって広い地域に築窯されていたことが判明した」(『八千年』P184)
注3 「盛唐以来の伝統をもって白磁を焼造していた邢州窯は定窯に主役の座をうばわれ、五代の10世紀には、定窯が華北の白磁の中心的な存在となっていた」(『八千年』P185)
注3(その2) 「邢州窯・定窯もふくめて、晩唐・五代の白磁は〜青味をおびていることが多い
〜この時期の焼成法は還元焼成が基本であった」(『八千年』P185)
注4 「盛唐時代に三彩をつくり、晩唐時代にあっても黒釉陶、黄釉陶そして三釉陶を焼いて注目をあつめている〜鞏県窯も、やはり宋代には存続しえなかった」(『八千年』P161)
注5 「景徳鎮窯は10世紀後半には白磁へと脱皮しはじめた。
〜華北に遅れること400年ほどして、はじめて華南に白磁焼成の事跡を打ちたてた」(『八千年』P187)
注6 「1987年に〜淄博窯の場合、晩唐から五代にかけてもまだ木材を燃料としていたことが報告されている」(『八千年』P186)
★ 東京国立博物館HP
白磁鳳首瓶(唐。重文)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP
黒釉白斑壺(唐) |
(3) 三彩・花釉
耀州窯・鞏県窯 |
三彩(※注1、★) |
陜県窯(河南省陜県)・黄道窯(河南省陜県)※注2 |
花釉磁器 |
魯山窯(ろざんよう) |
花釉磁器 |
※ 花釉 黒磁に花状の釉
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注1 「武后の専制政治がおこなわれるなかで、世に盛唐とよばれる時代様式が急速に醸成され
〜かつて、透明釉と褐釉や緑釉をたらし込むだけの三彩技法はおおいに工夫されて、蝋抜き技法で大小の鹿の子斑文様をあらわしたり、緑釉や褐釉を濃厚に呈発させたうえに透明釉をたっぷりとかけて暈(ぼか)し染めにする、いかにも艶冶な表現を可能にし、あらかじめ印花(スタンプ)で文様をあらわしておき、三色の色釉を染めわける一種の色絵の装飾法も編み出した。
そして地釉に西アジア伝来といわれているコバルト呈色による藍釉を創案〜」(『八千年』P123)
注1(その2) 「かつては貴族墓の副葬品としてつくられたとする明器専焼説がつよかった唐三彩が、調査がすすんだ今では、二つの都の生活遺跡からもかなり認められるようになった」(『八千年』P127)
★ 東京国立博物館HP
三彩龍耳瓶(唐。重文)
★ 東京国立博物館HP
三彩梅花文壷(唐。いわゆる万年壷)
★ 東京国立博物館HP 三彩鳳首瓶(唐)
★ 京都国立博物館HP 唐三彩馬俑(唐)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 三彩貼花宝相華文水注(唐)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 三彩貼花宝相華文壺(唐)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 三彩獅子(唐)
注2 「河南省郟県の黒虎洞窯と黄道窯は晩唐・五代時代には白釉、黄釉、黒釉陶を焼いて雄名をはせたが、宋代になると焼造活動をやめ(る)」(『八千年』P162) |
★ 隋・唐・五代の窯址分布図はここをクリック
5.おわりに
長沙窯・唐三彩→貿易陶磁(※注1)の始まり
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注1 「盛唐の三彩は、この時代海を渡って外国にも運ばれていた〜朝鮮半島では〜三足のついた〜三彩が〜出土した〜サラセン帝国アッバース朝の都であったエジプトのカイロ郊外のフスタート遺跡から出土した〜。
盛唐の三彩がたくさん出土するのは何といっても日本である。
〜8世紀前半の段階で、日本ではすぐに唐三彩の倣製がはじまる〜」(『八千年』P129)
その他
★ 京都国立博物館HP 加彩婦女立俑(唐)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 加彩宮女俑(唐)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 加彩婦女俑(唐) |
それでは、次回のゼミ受講録まで、ごきげんよう♪
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