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陶磁器ゼミ(14) 美術史ゼミナール「中国の陶磁器」その8(明(1368〜1644)・清(1644〜1911)時代の陶磁器)Part4<明・清代の地方窯>

はじめに

 今回は明・清ということで、講義としては最終回。
 いつもどおり、先生の講義内容に、『中国陶磁の八千年』(著:矢部良明。平凡社。以下『八千年』と略記)を中心に注をちょこっと追加します。
 では、さっそくはじまり、はじまり・・・・・のPart4。


4.明・清時代の地方窯について

明時代 日用陶磁器は宋・元代に続いて河北省磁州窯・浙江省龍泉窯などで焼造された。
その他、山西省、河南省、甘粛省、江蘇省、江西省、広東省、広西省、福建省などで粗製陶磁器を生産
〇山西省の法花器(※注1)、江蘇省宜興窯(※注2)の紫砂器、福建省徳化窯(※注3)の白磁器、福建省漳州窯の青花・五彩は、この時期の出色
清時代 江蘇省宜興窯の紫砂器(紫泥・朱泥・黒泥)・琺瑯彩器・海鼠釉炉灼釉
福建省徳化窯の白磁・青花
広東省石湾窯の彫塑・倣鈞窯・褐釉・白釉など

 

注1 明代には法花とよばれる独特の三彩が焼かれて特色をつくった。
 あらかじめ素地の上に粘土を絞りだす技法でイッチン描きして、文様の界線をあらわしておき、この界線に従って色釉をそれぞれ染め分けていく手法が考案された。(『八千年』P390)

注1の2 清末期の許之衡が著した『飲流斎説瓷』では、法花は北方の窯の作であるとし、浦州(今の山西省永済県)の製品が最良で、このほか平陽、霍州、西安、河南でも焼かれたと伝えている。(『八千年』P390)

注1の3 法花が二種類にわかれることは衆目の一致するところである。

 一つは白色の陶胎をベースにして、花瓶・鉢・香炉などをつくり、大柄な牡丹、蓮などの花卉をイッチン描きして、紫・青の色釉を基調にし、透明釉、緑釉などをあしらった、一見して軟らかい作りで、おおよそ華北の産と推定されている。

 もう一つは、素地はかなり固く焼き締まった半磁胎を示し、広口壺、梅瓶(めいぴん)、とくに広口壺に遺品が集中している。

 ゆるぎない構築性、モチーフ一つ一つに至るまで景徳鎮民窯の色絵や染付と一致するし、胴の半ばで上下を接ぎあわせる成形法や、高台畳付を幅広くとって丸味をつける削り出しの手ぐせにまで両者は共通の作行きをみせている。(『八千年』P391)

注1の4 半磁胎法花が、景徳鎮系列の窯でつくられたと考えて相違はない。
 しっとりとして光沢を失い、深く沈潜するような青や濃紺の色釉を余白にぬりつめ、この同じ青・紺の色釉をこんどは装飾画題の色釉の基調にして、所々に淡い黄色や透明の釉をさしていく賦彩には、色絵磁器の明るい幸福感は少しもない。
 内省的な剛健さはさすが中国陶磁と賞嘆せずにはおられない。精神の雄渾さは色絵磁器の比ではない。(『八千年』P394)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 法花花鳥文壺 (明代 重文
★ 東京国立博物館HP 法花騎馬人物図壺 (明代)

注2 世に宜興窯といえば、清代には煎茶用の無釉焼き締め陶をつくる窯が世界的に名が高い。
 この焼物は典型的なストーンウェアであり、わが国でいうb器(せっき)に分類されよう。(『八千年』P462)

注2の2 宜興窯には素地肌が赤褐色にこげるいわゆる朱泥と、紫褐色にこげる紫泥とがあり、赤味のつよい呈色は酸化焔焼成でおこなわれ、その温度は900度内外とされるのに対して、紫がかった呈色のためには1100度内外の還元焔が必要とされる。(『八千年』P463)

注3 徳化窯は清朝になって白磁の名窯として登場してくる。
 まるで象牙をみるような、光沢のある黄白色の白磁は象牙よりずっと純度が高く、またつややかなので、その魅力は汚れをしらない無垢の天使のような清艶な美しさがある。
 徳化窯白磁はまず観音像や如来像に指を屈しなければならない。
 明代以前の年紀をきざむ徳化窯白磁は後世の偽款とすべきものばかりのようで、信ずべき紀年史料は、英国デビッド・ファンデーション所蔵の康煕23年(1684)の刻銘をもつ白磁碗が最初の例ではあるまいかとするのは、英国の研究者R・カー女史である。(『八千年』P465)

★ 故宮博物院(北京)HP 白釉達磨像(徳化窯 明) ※「収蔵品精粋」のページ

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 五彩仙人図盤 (漳州窯 明)




 
 それでは、次回のゼミ受講録まで、ごきげんよう♪

 

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