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上海旅遊記(9) 周荘編Part1
旅行3日目、今日は上海郊外の水郷「周荘」と、蘇州を巡ることになっている。遠出になるため、早朝8時に出発であった。
そうそう、今日はちょっとした事件があった。ホテルへ迎えにきた呉さんの横に、うら若い女性が立っているのだ。
何でも、呉さんは蘇州の人で、現地で旅行社を経営しているらしい。
それで、地元でちょっとしたトラブルが起こり、呉さんが乗り出さないと解決しないため、本来は全日程ガイドする予定であったのだが、今日蘇州の案内を終えたら、ガイドを交代し、そのまま蘇州に留まるというのだ。
で、横の女性は、今日、蘇州から上海に戻っての夕食と、明日出発までの自由時間を案内するという。
経験豊かな呉さんのガイドだからこそ安心して任せられ、楽しい旅行ができるのだ。途中で代わるなんて、話が違う!・・・と、激高するようなことでもないので、ああ、けっこうですよとあっさり了解した。
(さすがに、当日いきなり事後承諾を求めるなんてことではなく、昨日の内に打診はあった)
その女性も名前は呉というらしい。別に親戚筋ではないそうだ。ややこしいので呉嬢と書き分けることにする。呉嬢は、なかなか日本語が流暢であった。
車を駆ること約1時間半、周荘の町に着いた。呉嬢は車の中に残るという。
なぜか、というと呉嬢はまだ正式な観光ガイドの資格をもっていないので、観光地の中には入れないのだそうだ。
呉さんが、(「私は正式なガイドなんですよ」と口にこそ出さないが、)何かえらく誇らしげな感じでそう説明した。
自分が「客」の立場で入るのならもちろんよいのだろうが、観光客を連れて業務としては入れないらしい。入場料の問題がからんだりするのではないか、と思った。
つまり、正式なガイドなら、免除になるか、又は客に「つける」ことが許されているのでは?
まあ、ともかく呉さんと周荘に入る。
(『地球の歩き方』では、「周荘」で、現地表示が「周庄」とある。北京在住のともこ=ぽんずさんに「荘」の簡体字が「庄」なので、日本語表現なら周「荘」の方が相応しいのでは?とアドバイスいただいた。私は、このページを最初にアップしたとき周「庄」と書いていたのだ)
ガイドブックによると、「上海市と江蘇省の境にある900年以上の歴史を誇る〜国内でも数少ない水郷古鎮のひとつ」だそうだ。
元時代の大富豪瀋万山がひらいた村とのこと。
昆劇の会館があった。(右写真)
昆劇とは、京劇より歴史のある地方演劇であるが、上演している様子などはなかった。
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夜になったら雰囲気も変わるのだろうか?
道の脇には、名物であるらしく、「萬三家蹄」という看板を掲げ、ボリュームのある肉のかたまりを並べて売っている店が軒を連ねている。(左写真)
これまた『歩き方』によると、瀋氏が客をもてなす時にふるまったスペシャルフードを商品化したものを「瀋万三系列食品」といい、有名なのがこの萬三蹄(豚もも肉)だそうだ。 |
家の屋根のところ、背の高い小さな壁のようなものが乗っている。(右下写真)
呉さんに聞くと、隣家の延焼を防ぐ防火壁らしい。
つまり、日本で言うところの「うだつ」である。
日本では、この防火壁がだんだん実用的なものから装飾的なものに、そして富裕さを示すものに変質していった。
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甲斐性がなくて、「うだつ」があるような家を建てられないことを、うだつを屋根に上げることができない、転じて「うだつがあがらない」というようだ。
「双橋」という場所があった。
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左写真でたけしが写真を撮っている石碑の文句を自分なりに想像して(「訳して」なんて偉そうなことは言えない)書いてみる。
「双橋 世徳橋と永安橋が連なっているのでこう呼ぶ。また、形が昔使われた「カギ」に似ているため「カギ橋」とも呼ばれる。
明の万暦年間に建造され、清の乾隆年間につくり直された。 |
双橋と周辺の建築物は、「小橋や家並みの間を水が流れる」江南水郷の典型として世人から称賛されている」
正確ではないが、字面からして、そんなに外れてもいないと思う。
こんな石碑が据えられているし、中国の人たちがこの橋をバックに次々にポーズを取って写真を撮っているから、かなりの名所なのだろう。(右写真)
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この場所を描いた有名な絵もあると、呉さんが言っていた。『歩き方』によると、富安橋に並んで周荘を代表する美古橋として有名らしい。
この周荘をひらいた瀋万山の子孫の屋敷「瀋庁」に入る。なかなか趣きのある調度品なのだろうが、(下写真)もうひとつよくわからない。
さて、瀋庁を出て船着き場へ向かう。
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