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上海旅遊記(2)豫園編Part1
花園飯店から豫園(よえん)は東の方向にあたる。旧上海城エリアである。
『地球の歩き方 上海 蘇州・杭州』によると、豫園とは、明代に潘允端という役人が、故郷を懐かしむ父潘恩のため、1559年に着工し19年の歳月をかけて造園した約2万uの庭園だという。
まず、大きな池があって、その池に橋が斜めに(平面でいうと、南西隅から北東隅にかけて)かかっている。
名前は九曲橋といって、その名のとおり、カクカクとジグザグに曲げられている。色は右の写真でおわかりのように、ピンク!
橋の途中にある湖心亭という建物には「茶」という看板が出ていた。今では茶館になっているそうだ。 |
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写真ではわかりにくいが、右上写真中央の楼閣のような建物が湖心亭。亭の右側に見える黄色いものが「茶」の看板。
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背景全体に見える横長の建物は、湖心亭の奥にある緑波廊というレストランなのでお間違えなく。
橋を渡りきると豫園入口。入ってすぐに、江澤民揮毫の石碑があった(左写真)。 |
最初の建物は三穂堂。回廊をまわって奥に進むと、仰山堂に出る。(右下写真) 『歩き方』によると、2階部分を別に巻雨楼というらしい。
仰山堂から池を隔てて北に、大假山という大きな石を14mも積み上げてつくった人工の山が見える。山を仰ぎ見るから仰山堂なのだろうか。
左下の写真は、後で買った絵葉書の1枚。
その絵葉書に写っているあずまやに、家族全員で座って、呉さんに撮ってもらった写真は右下。 |
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豫園の東北部にあるのが点春堂(右下写真)。ここは太平天国の乱に呼応して武装蜂起した小刀会の本部があったことで有名らしい。
点春堂の中には、蜂起した時の文書やら武器が展示されていた。
いろいろなとこを呉さんについてまわっていく。
似たような光景も多く、ガイドブックや地図を片手にまわったわけではないので、だんだんわけがわからなくなってきた。
情けない話である。 |
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ともかく、豫園の南東最奥部にあるのが古戯台(左下写真)。
『歩き方』によると、敷地面積600u、300人が同時に舞台を鑑賞でき、「江南園林第一台」と称されたそうだ。
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「豫園」の絵葉書にも収められており、そこには古大戯台と書いてあった。
ただし、その絵葉書には舞台じゃなく観客席しか写ってなかった。
7m四方の舞台の前で撮ったのが、左の写真である。
この写真で見えている観客席の向かいにも、同じように席がある。
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写真でわかるように観客席は2階建て。呉さんは「上にあがると、別料金」と言っていた。
右の写真は、どこにあったのか正確な場所を覚えていない。
少し分かりにくいが、通路が、たけしの立っている左側、そして右の、徳利みたいな形の通路と、二手に分かれているのである。
呉さんが、「昔は、この通路、男はこちら、女はこちら、と通る道が決まっていました。
さあ、どちらを通りますか?」と言った。 |
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短い通路なのだが、要は男尊女卑の思想で、向かって右の通路は庭園が見えるが、左はごく当たり前の、ただの通路なのである。
「ほんなら、うちはこっち〜!」と長女が右側の通路をズンズン!と押し通ったのは言うまでもない。
上写真の「男女通路(?)」も豫園名物の一つだろうが、ほかにもおもしろいものがあったので、次回に紹介する。
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