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青銅器(6)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第3回
1 はじめに 平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」という講座の、備忘録程度ではあるが、受講録を掲載していきたい・・・の第3回目。
2 本日のテーマ
今日のテーマは「殷周時代の青銅器について」。
内容は、
1.製作法
2.青銅器の誕生
3.器形・名称・用途
4.文様
5.銘文
6.地方性・・・・・の6項目。うち、「6.地方性」について、資料では「四川省三星堆、江西省新干県」とあったが、説明はなかった。
順次、概要を紹介していく。
3 講座内容の概要
3−(1) 製作法
A 造形 |
a 鋳造 |
ア 土范、石范・・・・・片范・合范・分鋳法(接合、溶接) |
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イ 蝋型(蝋模法、失蝋法) |
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b 鍛造(打ち出し) |
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B 整形 |
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削り、ろくろ、磨き、加飾 |
鋳造による造形とは、鋳型に溶けた金属を流し込み、器形をつくるものである。
固形のチョコレートを溶かして、型に流し込んでつくる、バレンタイン・デーの手作りチョコを思い浮かべればわかりやすいのではないだろうか。
しかし、単に、型の凹んだ部分に上から流し込むだけでは、上部(というか、ひっくり返したら底部)は平面にしかならない。
「剣」のようなものは、左右同じようなくぼみのある型を二つあわせ、中に溶けた金属を充填させる感じ。
タイヤキをイメージするといいかもしれない。まあ、タイヤキの場合は、同じような魚の模様が刻まれた型の一方にメリケン粉やアンコをてんこ盛りにして、そこへもう一方の型をかぶせて、ぎゅう〜っと押し付けて型内部に満たすってとこが違うけど。
ところが、鼎なんかの「いれもの」の場合は、器の中に空間が必要である。O先生によると、その場合の造形の手順は、およそ、このようなものらしい。
(1) |
粘土で、まず造りたい青銅器そのものの形を造る。
文様なども施しておく。 |
(2) |
(1)で造った内側の型を粘土でくるむ。 |
(3) |
(2)において、内側の型をくるんだ外側の型を、いくつかに分割して切り取り、内側の型を取り出す。 |
(4) |
(3)で切り取った外側の型を再び合体し、焼き上げ、外側の型を完成させる。 |
(5) |
(3)で取り出した内側の型の表面を削る。
ここで削り取った厚みが、(1)における最初の内側の型と、(5)で削った最終的な内側の型との厚みの差となり、最終的に青銅器の厚みとなる。 |
(6) |
削った後の内側の型を焼き上げ、内側の型を完成させる。 |
(7) |
完成した内側の型と、完成した外側の型を組み合わせ、内外の型の間の隙間に熔かした青銅を流し込む。 |
(8) |
青銅が冷えて固まったら、型を壊して、青銅器を取り出す。 |
ざっと言うと、こんな工程のようだがイメージがわくだろうか。
<第1図>
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非常に拙い絵で解説してみる。
例としては、あまりややこしい事例ではわかりにくいので、三本足の器を例にとってみる。
また文様も緻密な饕餮文なんてのは表現できないので、ただの丸い突起が出べそみたいに胴の部分にあるものを考える。
まず粘土で、造りたい器の形をつくる。上記工程では(1)の部分。
この段階では中身はくりぬかず、ぎっしり詰まった感じでよい。
この内側の型をAとしよう。
後で脚の部分で湯(溶けた青銅)を注ぎ込む関係があるので、天地を反対にして、このAを別の粘土でくるんでいこう。上記工程では(2)の部分。 |
次に、何とかがんばって、外側の型を切り割って、内側の型を取り出したい。
下の図は、3本足のところで外側の型を三つに割って、中の型を取り出したところのイメージ。手前のとこにも、もう1枚外型があるのだが、それを描くと中の型が見えないので省略している。
<第2図>
上記工程では(3)の部分である。
Aの粘土型が天地引っくり返ったのが右図「7」にあたる。
Aの表面の丸い突起が、外側の型の内側のくぼみとなっている。
これが最終的には、完成形の文様となるわけだ。
切り割った外側の型「5」を再び組み合わせたら、その内部には、A=「7」と同じだけの空洞が空いていることになる。 |
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ただし、その空洞に青銅を流し込むだけでは、粘土でできたAが青銅に置き換わるだけで、「容器」にはならない。
ものを入れる「空洞」をつくるためには、その分の「実質」が必要なのである。
そこで、内側の型(A=「7」)を削る。上記工程では(5)の部分。
単純なコップや鍋の形であれば、全体を削ればいいが、今回の例では脚がついている。
「鬲(れき)」という器形では、脚の内部が袋状、つまり空洞になっている。今回の例では、袋状ではない、いわば鼎タイプで考えているので、脚全部を削ってしまっていい。
また、器の内面には突起はいらないので、突起も削ってしまう。
<第3図>
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左図の「7」が、最初のAを削った後の形と考えてよい。
左図で見るように、最初のAによってできた空洞と、削った後の「7」との間の隙間が器の厚みとなるわけだ。
その隙間に溶けた青銅を流し込むわけだが、流し込む際のフタのような役をするのが左図Bの部分。「2」が注ぎ込む口で、入れやすいように漏斗状になっている点にご注意いただきたい。で、「1」は何かと言うと、空気穴。
当然隙間部分には空気がつまっているわけだから、溶けた青銅で満たすには、うまく空気穴から抜いてやらないといけない。 |
「2」から注ぎ続けて、「1」からあふれ出してきたら、中の空隙は青銅で満たされたという目安にもなるわけだ。
流し込んだ青銅が下へだだ漏れになっちゃいかんので、底になるのが上図のD(=「8」)である。
上図を見ていただくとおわかりだろうが、大きな空洞の中心部分に正しく内側の型=「7」を置くことが大事である。そうでなければ器の厚みが不均等になってしまう。また、「4」と「7」の間もくっついてしまいそうだ。
そこで「スペーサー」というものが登場するらしい。上記<第3図>では★部分。
これは別の青銅器の細片を内側型(上図「7」)の表面に重ね貼りして外型、内型の隙間を確保するものである。
これも単純な例をあげる。元の内型Aの直径が10cmとする。当然、外型内部の空洞も直径10cm。そして内型Aを削った「7」の直径が8cmとする。
そして、「7」の表面に例えば厚さ5mmの細片を2枚重ねて貼るとする。すると、「7」と「5」又は「4」との間はきっちり1cmの隙間(完成後には1cmの厚み)が確保されることになる。
で、この細片は、熱い青銅を流し込んだら、後は溶けて青銅器に一体化してしまうというわけである。
一番上の表、A−a−アに分鋳法という言葉がある。
古い時代の青銅器は、一鋳法というか、一度に鋳造してしまうのだが、脚や耳などややこしい部分は別に鋳造しておいて、後で本体にくっつけるのが分鋳法である。
上記<第2図>などは、脚も一緒に鋳造してしまう古い時代の青銅器に見られるタイプ。ちょうど脚のところに、外型の合わせ目が来ることになる。
およそ春秋時代頃からは脚は別に鋳造することが多くなった。その場合、脚は中空のものとなり、また脚の位置も型合わせの跡からずらした位置となることが多いとのことである。
さて、ここで『神と獣の紋様学』(著:林巳奈夫。吉川弘文館)に、参考になる文章が載っていたので、長いが引用してみる。
「青銅とは銅と錫の合金で、銅より軟らかすぎない利点がある。その代わり銅のように金槌でたたきのばし、形をつけるのが困難である。そこでこの合金は鋳物で形をつけるより仕方ない。
鋳物とは金属を溶かしてドロドロになったものを型に流し込んで、冷えて固まったものを、型を壊してとり出す方法である。
庖丁のような単純な形のものは型を作るのが簡単だが、鍋や薬罐のようなものを作るには複雑な工程が要る。
中国で昔行われた方法ではこうする。こねた粘土で作るべき鍋、薬罐の忠実な形を作り、乾いたらそれを芯として粘土をかぶせ、鋳物の外型をとる。
円い外型はそのままでは外せないから、二つとか三つとかそれ以上に分割して外す。
残った粘土の芯は、作ろうとする器物の厚さだけ削って小さくし、それを中型に利用する。
乾かしてこの中型を中心にして先に切り割って外した外型を再び円く組み立て、外型と中型がくっつき合わないよう金属の小片を挟み、外型同士を接合する。鍋の把手や薬罐のつるを接合すべき耳は外型を切って用意する。
これに溶けた青銅を流しこみ、固まるのを待って粘土の型を壊せばでき上がり。薬罐のつるなどは別に鋳造して結合する。」
再び、上記<第3図>で☆印をご覧いただきたい。よく青銅器の内部に文字や図形が鋳込まれていることがある。
もちろん中型(=「7」)に直接刻み込んでもよい。しかし、その場合は、中型のくぼみに青銅が入り込み、その文字や図形は浮彫りになる。器の内部に出っ張りができるのはあまり好ましくない。
そこで、よく、別の粘土で名前や図形用の凸版のようなものをつくり、内型の表面に貼ったりするそうだ。小学校の頃とか、名前のスタンプ(持ち手は平べったい木で、先に名前が浮彫りになったゴムがくっつけてあるやつ)がよく使われていたが、それのゴムんところをイメージしてもらえばいいかもしれない。
そうすれば、器の内部に文字や図形が彫りこまれたようになるというわけである。
続いて、一番上の表のA−a−イ。蝋型(蝋模法、失蝋法)について。
これまで説明してきたのは、粘土や石を使う土范(泥范とか陶范ということもある。また、「范」は「範」と同字だから「泥範」などということもある)、石范。
蝋型は、その名のとおり蝋で母型をつくる手法である。蝋は粘土に比べると細かい細工がしやすいので、より複雑な装飾も可能になった。
上記図でいくと、いわば<第3図>の「7」のようなものを先につくり、その上に蝋をかぶせる。そして、その蝋に細かい文様などを施す。
そして、その上に粘土などをかぶせて外型にする。
熱を加えれば蝋は簡単に溶けてなくなってしまうから、いわば塗っていた蝋の厚みが、出来上がりの青銅器の厚みになるというわけだ。
O先生の解説では、「蝋模法」も「失蝋法」も用語が違うだけで、内容は同じだそうだ。現在でも精巧な鋳造手法で「ロストワックス」という手法があるようだが、それがそのまま「失蝋」法ということなのだろう。
こうした蝋型の技法がいつ頃から使われていたか、については議論があるそうで、少なくとも戦国時代初期には使われていたということだ。
なお、この辺のことについて、『人民中国』HPに参考になるページがあったので、ここをクリックしていただきたい。
続いて、一番上の表のA−b。「鍛造」とか「打ち出し」による造形。
よく、ゆきひらの鍋とか、おでんなんかの鍋は、打ち出しでつくられる。
受講生の中に鍛造とか彫金をされている方がいるが、当てがねをつかってたたいていくのだが、あまり複雑な形を作るのには向いていないとのことであった。
鍛造による青銅器は、戦国初期(又は春秋後期)にならないと現れないし、薄作りで模様もほとんどない単純なものが多いそうだ。
余談だが、打ち出しでつくる銅のおでん鍋については、『美味しんぼ』22巻(作:雁屋哲、画:花咲アキラ。小学館文庫)の「道具の心」という一編に詳しい。
あと、Bの整形については、文字通り出来上がってから、形を整えるために事後的にすることなので、説明は省略する。
「1.製作法」でずいぶん長くなってしまったので、続きは次回まわしといたします。
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