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青銅器(24)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第9回
1 はじめに 研究をするよう選んだ2体の青銅器のうち、簋(き)に続く水滴のご紹介を。
まずは、全体像を。10cm強の小さな置物である。
右写真をご覧いただきたい。
背中の所に大きな穴が開いている。 |
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正面から見た左下写真をご覧いただきたい。
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口の真ん中に小さな穴が開いているのがおわかりだろうか。
背中の大き目の穴から水を入れ、傾けて、前面の小さな穴から硯に水を垂らす、いわゆる「水滴」であると考えられる。
Googleで検索してみると、「水滴の美術館」というサイトがあった。
そこのサイトの記述によると、同じ硯に水を注ぐ文房具であっても、
(1) 水を「注ぐ」タイプとして、「急須」的なイメージの「水注」、
(2) 水を汲み置き、「匙で注ぐ」タイプとして、「甕」的なイメージの「水丞」、
(3) 二つの孔があり、一方の孔を指の腹で押さえたり離したりすることで微調整できる、「滴らせる」タイプの「水滴」に、大きく三分できるそうだ。 |
私も、小学校の「習字」の時間に、小さな小判型の水滴を使っていた記憶がある。
さて、この青銅器の用途は、取りあえず「水滴」として、表現されている怪物は何であろうか。
左上の写真で顔を確認しよう。
鼻は大きくあぐらをかいており、いわゆる獅子舞みたいな顔である。
頭上には2本の角。
右写真と一番最初の写真と合わせて、両側の側面を見ていただいたことになる。
肩から背中にかけて波頭のようなものがあるが、これは、やはり翼と見るべきであろう。 |
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となると、有翼の獅子。
後ろ足のところにも、翼というか、羽根のようなものが見える。
全身には鱗。
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下腹部を下から撮ったのが左写真。
尻尾の先が二股に分かれている。
お腹はぷくっと膨れている。
なお、青銅器は手の脂や汗が錆びの原因となる大敵なので、触る時は、左写真のように手袋をする。
逆に、昨年の陶磁器ゼミナールの時は、感覚が鈍って落としては困るから、ということで手袋をつけて触るのはダメと言われた。 |
話を戻す。
九尾の狐はともかく、こんな尻尾の動物は知らないので、O先生に単純に
「これは、怪獣水滴でいいですか?」
と聞いたら、
「いや、この手の動物は辟邪(へきじゃ)と呼ぶことになっています。六朝時代の墓のところに、これと同じような彫刻があって、辟邪と書かれているのです」
とのことであった。
そこで、「辟邪」でGoogle検索してみた。
(註 検索結果の各サイトは、平成16年12月26日現在では存在してますが、今後リンク切れになる可能性もありますので、ご了承ください。
リンク先の画像等をご覧になった後は、ブラウザの「戻る」で、ここへお帰りください。)
たとえば、MIHO MUSEUM所蔵の辟邪をご覧いただきたい。(画像アップはここ、解説文はここ参照)
これは首が長くて、有翼の「ラクダ」のようである。
河南博物院所蔵の辟邪は後漢時代の石造りのもののようだが、首が長く、MIHOタイプに似ている。
咸陽市博物館所蔵の玉製の辟邪(漢代)もやや首が長い。
これはいわゆる和田(ホータン)の玉を使った現代の美術品のようだが、青玉製の辟邪。ご参考までに。
こちらは、南京市にある梁代の石造りの辟邪。
首はやや短く、いわゆる狛犬タイプというか、よくある石獅子そのものという感じ。舌を出している。
海外の方のサイトなのだが、南朝陵墓石刻芸術というページで、麒麟や辟邪が解説されている。
同じサイトで、南京南朝陵墓石刻というページで紹介されている辟邪は、狛犬タイプで、丹陽南朝陵墓石刻というページの辟邪は、やや頸が長めのものが多いようだ。個々の画像をクリックすると、各陵墓ごとのページに飛ぶので、お時間があればお試しいただきたい。
この「江南風景」というサイトで紹介されている南朝石刻辟邪は、やや首長タイプと狛犬タイプの中間くらいか?
この「天禄和辟邪」の辟邪も、似たような感じ。
陝西省咸陽で出土したという白玉製の辟邪は極端に首が短いので、この水滴の辟邪に似ている。ただ、これは1本角。
これも南京市にある梁代の石造りの辟邪である。狛犬タイプだが、これもベロを出しているのが特徴的。
この漢代の玉製の辟邪は、やや首長タイプ。
これは、南北朝時代の青玉石を辟邪形に加工したものと解説されている。首がやや長いし、何かイタチとかフェレットのような体形である。
天禄・辟邪の関係は、秋田魁新報社の「三星堆と金沙遺跡の秘宝展」解説記事に掲載されている。
要は、「辟邪」であるから、邪悪なるものを避ける力がある神獣である。
以前、「北京旅遊記」のコーナー「明の十三陵(3)」で、同じく神獣である麒麟(きりん)と獬豸(かいち)の違いについて考察した。
陵墓に一対で置かれることの多い神獣が天禄(てんろく)と辟邪(へきじゃ)。両者の区別については、1本角が天禄で、2本角を辟邪と呼ぶことが多い。
しかし、辟邪と呼ばれるものが無角であったり1本角であるケースも、けっこうある。
これは越窯で焼かれた西晋時代のやきものの辟邪水注である。
これは、後漢時代の石造りの辟邪だが、かなり体がスマートである。
中国歴史博物館所蔵の南北朝時代の玉辟邪は、やや首が長いタイプ。
これは、硯が仕込まれた鍍金の辟邪である。後漢時代のもので、首が短いので本件の水滴辟邪に形が非常によく似ている。
このサイトの写真は、白黒なのだが、実は私は以前たまたま古本屋で『中華人民共和国古代青銅器展』図録を買っており、そこにこの硯の辟邪がカラーで載っていたのだ。こっそりカラーで見たい人はここで。
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辟邪は現在でも装飾品などで盛んに使われているモチーフのようだ。
南京のあるサッカークラブの紋章に使われているし、マスコットキャラクターにもなっている!
(これは、ぜひご一覧を)
早稲田大学會津八一記念コレクションの辟邪は、どんな形かよくわからない。しかも1本角である。
なお、獅子と狛犬の関係がこのサイトで触れられていた。天禄と辟邪のことも書かれている。
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さて、水滴辟邪を後ろから撮ったのが左上写真。
かなり堂々としたお尻であり、非常に親近感を覚える。
では、最後に斜めからの迫力あるフォルムをご覧いただこう。
(右写真) |
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それでは、また次回までごきげんよう。
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