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青銅器(21)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第6回その2
1 はじめに 平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」という講座の、備忘録程度の受
講録。で、第6回ゼミの受講録・・・・・なのだが、今回は美術館を飛び出して現地見学会。その報告の続きです。
2 銅鐸製作現場
前回の報告は、銅鏡製作現場であったが、今回はミニ銅鐸の製作。
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写真が光っていて判別しにくくて申し訳ないのだが、左の写真1をご覧いただきたい。
アルミ缶の手前に銅鐸の母型が二つ並んでいるのがおわかりだろうか。銅鐸の母型は二分割方式になっているのである。
鏡のように中身が詰まっているものは、母型もいわば単純だ。現物そのものの形をした母型が一つあればいい。
今回も0先生が持参してくださった「鏡」を母型として複製の鏡を造った。こうした技法を「踏み返し」という。
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上の写真1のアルミ缶には離型剤という、母型が鋳型の砂から取り出しやすくするための液体が入っており、刷毛でこの母型にペタペタ塗って乾かしていた。
言い忘れていたが、現場ではこうした液体の離型剤のほか、野球でいうロージンバッグのような白い布の袋をパタパタして、うどんや蕎麦を打つ時の打ち粉というか、餅を丸めるときの取り粉のようなものを振り掛けたりもしていた。
木枠の中に銅鐸の母型(半分)を置く。
右の写真2ではわかりにくい(←そんなのばっかし)が、その周りに丸みを帯びた「Y」の字型のものが置かれている。
この「Y」字型のものは、湯の通り道になるのである。
さて、枠の中へ砂を詰め込んでいく。
砂場みたいな所で作業しているのだが、最初は手元の大きなバケツの中の砂を入れ、だいたい埋まってくると砂場の砂を使う。
このバケツの中の砂の方がキメが細かいそうである。 |
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砂の詰め方にも技術が要るようだ。砂を使い分けて盛り込んでいき、まず枠の周囲から「焼き印」みたいに先が四角く平たくなった鉄棒などでスタンプして詰め込んでいく。
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枠の中央には穴が開いているので、そこを手で押さえながら詰め込まないと、そこから砂が漏れてしまう。
いっぱいに詰め込んで、引っ繰り返し、Y字型の枝だけを取り出した状態が左の写真3。
銅鐸の母型はまだ取り出していないので、少し色の濃い母型の内側部分が見えているのが左の写真でお分かりいただけるだろうか。 |
写真の方向が逆になっているが、銅鐸の母型も取り出したのが、右下の写真4。
鋳型に、母型表面の文様が刻されているのがお分かりだろうか。
この文様は流水文。
流水文の銅鐸はかなり実績件数があがってきたのでだいぶ慣れてきたそうである。
この日は、新たに蜻蛉文様の銅鐸の母型を造ってチャレンジし始めたとのことで、その新製品を造ってもらうことになった。 |
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下の写真5も流水文銅鐸の製作工程。
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きっちり位置が合うようにして、もう一方の母型も置いて、もう半分の鋳型を造る。
左下の写真6と右下の写真7は、蜻蛉文様の銅鐸の母型を取り出す前と後。
こちらの方が、写真の向きが同じなので分かりやすいと思う。
上の写真3と違って母型の内側がびっしり詰まっている。
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写真左側の穴から湯が入り、銅鐸両側のY字の溝から湯が流れ込み、銅鐸部分へ入っていくのである。
銅鐸は、まあ釣鐘みたいなものなので、中は空洞となっている。本ゼミ受講録第6回の「製作方法」のところでもご紹介したように、鋳造の場合、内部の空洞をつくるためには、何らかの「実質」が要る。
その実質となるのが、「中子」(なかご)と呼ばれるもの。左下の写真8が中子である。この中子は母型と違い、湯に触れるから耐熱性が要る。セラミックか何かで出来ているようだ。
中子には、また離型剤の液体を塗る。この液体はアルコールとかシンナーのような成分が含まれているようで、職人さんがライターで火をつけると、ボワ〜ンと炎があがる。洋菓子などの「フランベ」のようだ。
燃え尽きるのを待つのかと思っていたがLPガスのバーナーで直接焼き始めた。(右下写真9)
フランベされる洋菓子から「焼き豆腐」に変化したみたい。
焼くと離型剤の定着が良くなり、中子の強度も増すらしい。
鋳型の空洞部分に中子を置いた状態が左下の写真10。写真左に茶色いチューブが見えるが、特殊なボンド。中子のごく一部に塗っていた。
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前掲の写真4や写真7をよく見ると、鋳型に刻まれた文様の肩口のあたりに数ミリの出っ張りが見える。
この出っ張りが、以前受講録第6回でご紹介した「スペーサー」の役割をする。
この出っ張りが、鋳型と中子の間の空間を形成する。
つまり、この隙間が銅鐸の「厚み」となるわけだ。
わずか数ミリの空間に熔けた青銅を、しかも細かい文様の隅々にまで充たしていくのは至難の業だという。 |
以前に教えていただいたスペーサーは、青銅の細片を重ねたものなので、最終的には鼎などの壁面に一体化してしまう。
しかし、今回の場合は鋳型そのものの出っ張りなので、出来上がりの銅鐸表面では「穴」が開いたようになる。これを「型持孔」(かたもちこう)と呼ぶ。
この孔は、音の響きが良くなる効果もあるそうだ。
左上の写真11と右上の写真12は、銅鐸の解説から銅鏡に戻っているのでお間違えなく。
何をしているか、と言うと鈕の孔をつくっているのである。繰り返しで申し訳ないが、空間をつくるためには「実質」がいる。ここで押し込んだセラミック製の棒が鈕の吊り紐を通す孔となるのである。
銅鐸の鋳型が入った木枠を二つ重ねてワンセットにして、いくつか積み重ねて「万力」のような仕組みでキリキリ締め上げていく。
右の写真13は流水文の銅鐸を6個重ねたところ。
写真は省略したが、この横には、蜻蛉文様の銅鐸の木枠が2個、やはり同じように重ねて締め上げられている。
炉では再度、原料が入れられ熱せられている。
噴きあがる炎の色が変わってきた。
赤っぽい色から、黄色、緑色が混じってきたように見える。 |
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だいぶ温度が上がってきたようだ。
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いろいろお話を聞かせていただいていたU社長が、炎の色を見て「1000度超えたみたいやなあ」とつぶやいたかと思うと、身軽に炉の上にあがり、湯(熔けた青銅)をかき回しているのが左の写真14。
♪ い〜い 湯だなァん ♪なんて鼻歌も飛び出す余裕ぶり。 |
左下写真15は、柄杓から鋳型に湯が注がれているところのアップ。それを少しロングで撮ったのが、右下の写真16。
右下の写真17は、鏡の鋳型に湯を流し込んでいるところ。
いずれも腰を落とし、柄杓の鉄棒を太ももの上に置いて安定させているのがわかる。
さて、湯が冷めるまで、約1時間ほど待つ。
待つことしばし、いよいよ取り出す瞬間がやって来た。
まずは、左下の写真18。木枠ごと、ど〜ん!と放り投げると、砂は熱を受けたせいか、灰のようになっていて、ぼろっ!と一気に崩れ、中から銅鐸が現れる。 |
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右下の写真19は、鏡を取り出しているところ。
左下の写真20は、取り出した鏡のアップ。
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中央に見えているのが鏡の背面。
鏡の左側に細長いシメジ茸のようなものが見える。右側には茶色い太い筒が。
鏡右側の穴へ湯を注いだ。その穴いっぱいの青銅が固まったので太いパイプ状になっている。
真ん中の鏡を満たし、左側の細い穴から出て行った。その細い穴いっぱいの青銅が固まったので鉛筆のような細い柱ができている。 |
細い穴を伝わって上がっていった湯は、鋳型の外へ出て周りへあふれる。そして固まるから、シメジ茸のような、又は細い鉛筆の先に傘が付いたような形になっているのだ。
右の写真21は、台車に銅鐸や鏡を載せたところ。
全体に鋳型の砂がこびり付いているし、周りの「枝」が付いたままだ。
これから枝から鏡や銅鐸の本体を切り離し、バリを削り落とし、砂を落として、銅鐸の場合は中子を外して、磨き上げて
ようやく完成だ。 |
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だから、なかなか完成品のイメージは湧かない。
今日の見学会では、O先生ほか数人が鏡の製作を、そして講習生のMさんは銅鐸の製作を注文された。
私を含む他の者はおかげで、一般的な見学ではなく、鏡や銅鐸の製作現場を間近で見ることができたのである。
製品として仕上げられたものは数日後に引き取りということになるらしい。きっとO先生やMさんは、次回のゼミの時に完成品を持ってきてくれるのではないか。(カメラを持っていくのを忘れなければ)その時には写真を撮らせてもらおうと皮算用する私であった。
この見学会は、毎月第4土曜日に開催されているそうだ。
参加料はわずか1000円。しかも、その参加証を工場の近所の喫茶店で見せると、お昼の定食を食べることができる。
その日のメニューはカツカレーで厚切りハムサラダ付き。しかも食後の飲み物付きなので、別に頼めば800円也。
さらに、その日は朝から夕方までのロングランだったせいか、缶入りのお茶やコーヒーのサービスが2回もあり、うち1回はおやつ(もみじ饅頭だった)まで付いていた。
よって1000円の参加料を取っても実質は無料。いや持ち出しか。
これはなかなか頭のいいやり方だと思う。無料というより、少しでもお金を出した方が話を聞くにも身が入るのではないだろうか。
しかも、地場産業振興というか、受講生は地理不案内のところで昼食場所を探しに行かなくていいし、喫茶店は貴重なお客さんを得られるし、U合金さんには喫茶店から何らかのサービスがあるだろうし。
しかし、それにしても本当に貴重な体験をさせてもらったと感謝している。
それでは、皆さんごきげんよう♪
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