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青銅器(15)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第5回その2
1 はじめに 平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」という講座の、備忘録程度の受
講録。で、第5回ゼミの受講録その2。
2 本日のテーマ
今日のテーマは「鏡について」。
内容は、
1.部分名称と形体
2.鏡の使用形態
3.戦国時代の鏡
4.漢時代の鏡
5.唐時代の鏡
6.鏡に表れた精神
7.製作技法
8.日本への影響・・・・・の8項目。
ただし、実際の講義は、このレジュメの順番ではなく、アトランダムにあっち飛び、こっち飛びした。
講義の順番にこだわらず、レジュメの順番に再構成しようと思うのだが、今回は、続いて「2.鏡の使用形態」から。
3 講座内容の概要
2.鏡の使用形態
O先生からいただいたレジュメには、こうあった。
鏡を実際に、どのようにして使っていたのか・・・という点について、O先生から、いろいろ写真や図版で説明していただいた。
冒頭に、日本で出土する古鏡は柄鏡、つまり持ち手のついた、いわゆる「手鏡」形式のものが多いが、中国では柄鏡はまれであるという説明があった。
その理由については「う〜ん、手鏡というのは、こう自分で持って、後頭部などを見たりするものですよねえ。中国では、そういった層は、あまり鏡を使わなかった。お付きの者が持ってくれたってことでしょうか。よくわかりません」とのことであった。
鏡袋とは、その名の通り、鏡を入れる袋である。持ち手がついて、携帯用ポーチのような形をしているものもあったようだ。(写真を見せていただいたのだが、少し場所が離れていたこともあって、詳しい内容はよくわからない)
続いて、鏡盒について。盒というのは、組み合わせ式の容れものである。大きな容れものの中に、化粧品などを入れる小さな容れものがびっしりつまっている、コンパクトな収納ケース。
鏡盒の例として、O先生が中国絵画のカラーコピーを回覧してくださった。顧ト之の作と伝えられる「女史箴図」の一部で、鏡を使って化粧しているシーン。
googleでその絵を探してみた。大英博物館関係のHPで、全体の画像や、当該部分が挙げられている。
女史箴図・巻 (全体)
女史箴図・巻 (当該部分)
それを大正期の小林古径という画家が模写したものであるが、東北大学HPで挙げられた「臨顧ト之女史箴図巻」にも、当該場面が描かれている。
画面左で、足下のところに丸い裁縫箱のようなものがある。丸い外箱の中に化粧道具を入れた小箱を詰め、最後に鏡を乗せて、上蓋をするらしい。これが鏡盒。
左側の女性は、鈕のところに漆塗りの棒を差した鏡のスタンドのようなものを使っている。これが鏡架なのだろうか。
右側の女性は、鑑賞者に背中を見せているが、鏡に顔が映っているというのがなかなか斬新なデザイン。
次に回覧された王詵の作の「繍碎暁鏡図」は宋代のものだが、折り畳み式のような鏡をセットする台を使っている。これも鏡架?
繍碎暁鏡図 王詵筆
続いて、元代の「梅花仕女図」という絵が回覧された。
これは、インターネット上で探すことはできなかった。
梅の樹の下で、侍女風の女性が鏡を手にして、額に紅・・・というか、白いもので小さな梅花のような模様を描いていた。
受講生の間で話題になったのだが、この女性、相当大きな鏡なのだが、中央の鈕を片手、しかも2本指でつまんで持っている。
なよなよしているようだが、実はめちゃめちゃ握力強いんちゃうか?空手のマス大山みたいに、二本指で硬貨が曲げられたりして・・・。
「鏡台」というタイトルがついた写真も回覧していただいた。
三日月(しかも受け月)というか、半円形の、ちょうど自転車やバイクのタイヤカバーを引っ繰り返したようなものが、台に付けられている。
後漢時代のもので直径約25cmとのことであった。
三日月形のところは、一応、双頭の龍みたいな感じに細工してある。
前から見るとU字形のところに、上から鏡を差し込んで固定するというわけだ。
「女史箴図」のスタンドは、鈕の穴に棒を差し込むみたいで、いかにも不安定そうに見えたが、これはしっかりしていて、安心してお化粧に専念できそうだった。
一番古い鏡は、新石器末頃、およそ4500年くらい前のものが婦王墓から出土しているとのことであった。
この辺は、また機会があれば調べてみたい。
それでは、皆さんごきげんよう♪
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