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青銅器(10)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第3回その5資料編その3

1 はじめに

 平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」という講座の、備忘録程度の受
講録。で、第3回ゼミの受講録その5「銘文」資料編その3。


3−(5) 銘文:金文 実例3

  O先生からいただいた資料のうち、やや長い文章をあげてみた。


<金文 長文 例1>

金文として、長文のものが資料として出された。字を特定しやすいように行と列にアルファベットと数字を付けた。

  金文 例1
長文1 隹王元年 王在成


周 六月初吉丁


亥 叔「愽−忄」父作丁奠(鄭)


季宝鐘六 金「阝+奠」(尊)


盨四 鼎七 奠季


其子(二)(二)永宝用 

 

金文を可能な限り訳してみる。

読み下し文 解説
これ王の元年 A−1は文字通り「鳥」の形。「唯」や「惟」の部首「」は今でも「ふるとり」という。「隹」や「唯」は「これ」と読んで、冒頭の決まり文句。
ここは、年代を示す「紀年」と呼ばれる項目。
もちろん「西暦」などが使われる筈がないので、王の在位で年代を示す。
王は成周に在り。 『金文の世界』によると、官職の任命や恩賞の贈与は、必ず聖所で行われた。ここでは、いわゆる廷礼として王の所在地や宮名をあげている。
前掲講演会資料によると、成周(新邑)とは現在の河南省洛陽市付近。
六月初吉丁亥 ここで、さらに月日を表わす。
初吉というのは月相という表示。初吉・既生覇・既望・既死覇の四つに分かれるから、ここは「6月第1週の丁亥の日」ということ。
丁亥とは、十干十二支による表示方法。詳しくは前掲亥講演会資料=青銅器ゼミ(2)参照。
叔「愽−忄」父作丁奠
季宝鐘六 金「阝+奠」(尊)
盨四 鼎七 奠季
 ここは、作った器について数量などを挙げているのだと思うが、継続して研究してみる。
其れ子々孫々永く宝用せよ。 嘏辞」(かじ)と呼ばれる寿ぎの決まり文句。なお、「子」、「孫」に付いた小さな「二」の字は、繰り返しを表わす。

(参考)
A−1 :『漢字の世界 2』P289。
A−2 :『漢字の世界 1』P87。「天地人の三才を貫くのが王」という説と、「大きな鉞の刃部を下にした形」という説がある。
A−3 :『漢字の世界 2』P137。元は頭を表わす。
A−4 :『漢字の世界 2』P171。年は稔であり、「みのり」を表わす。
A−5 :『漢字の世界 1』P65。「在」は古くは「才」と同じ。十字架のように縦横に組み合わされた木(神聖・所有の表示)に、呪器としての刃器すなわち「士」を添えた形。
A−6 :『漢字の世界 2』P186。物の終わるのを「咸」とも「吉」というが、類字。成功の礼をいう字。

B−1 :『漢字の世界 2』P201。周は方形の文様ある盾に祝告の「口」を加えたもの。
B−2 :『漢字の世界 2』P111。蔵冰の建物の形。
B−3 :『漢字の世界 1』P20。三日月の中に点を加え、空虚でない(=実体がある)ことを示す。
B−4 :『漢字の世界 1』P43。衣に刀を加えてはじめて衣を裁ち、産衣や神衣を作ること。
B−5 :『漢字の世界 1』P98。祝詞の器の上に、鉞形の器をおいて、これを守る意。
B−7 :『漢字の世界 2』P201。釘頭を意味し、四角形が多いが、ここの例のように三角形のものもある。

C−1 :『漢字の世界 1』P265。呪霊をもつ獣の形。
C−2 :『漢字の世界 2』P213。同書には「繳(しゃく)、すなわち『いぐるみ』の形」としている。「いぐるみ」とは『広辞苑』によると、「矢に糸をつけて、当たるとからみつくようにしたもの」とある。さらに、「叔」は戈の刃部の下に光を示す「小」のような形を添えたものとしている。
C−4 :『漢字の世界 2』P206。
C−5 :『漢字の世界 2』P183。「作」の初字は「乍」で木の枝を撓(た)めた形。束枝編木で垣を作るという意味。
C−6 :『漢字の世界 2』P201。釘頭を示す。B−7と同じ。
C−7 :『漢字の世界 2』P183。祭壇に酒器をおいて、その地を祀るさま。

D−1 :『漢字の世界 2』P213。字形は人が穀霊に扮して舞踊する農耕儀礼を示す「年」、「委」と似る。
D−3 :『漢字の世界 2』P133。
D−4 :『漢字の世界 2』P193。
D−6 :『漢字の世界 2』P81。「金」は、横長の点を二つ重ねた形で表わすこともある。鋳型の全形である「全」に横長の点を加えたもの。
D−7 「阝+奠」は、<銘 例5>と比較すると、聖所を表わす旗のようなものが右側にまわっている点が異なる。ちょうど横のC−7と比べても面白い。

E−1 :『漢字の世界 2』P193。
E−3 :『漢字の世界 2』P193。
E−4 :O先生はゼミの時、「ここは『十』と見えるのに、なぜ『七』となっているのでしょう?」と悩んでおられた。『漢字の世界 1』P34では直接の解説はないのだが、『説文解字』の部首が載っており、そこで「七」は「十」の縦棒の下が少し曲がった、ひらがなの「ち」に似たような形であがっていた。上の拓本をよく見ると、「奠」の右上に「にょろにょろ」があるが、かすれて見えにくいだけのようにも思える。そうすると、やはり「七」なのだろうか。
E−5 :この字自体は既出なのだが、上記で「祭壇に酒器をおいて」という意味であるから、C−7のように「八」みたいな部分は、壷みたいな形の下に置かれるべきではないのだろうか。ここのように上に置かれると蓋のようにしか思えない。

F−2 :いわゆる子どもを表す場合は、ここの例のように両手を上に上げた形。そして「析子孫形」のように王族を表す場合、つまり「王子」の場合は、片手は上げ、片手は下げる形にされるそうである。(『金文の世界』)
F−4 :『漢字の世界 1』P119。「子」の袖に系糸という呪飾を付けた形。
F−5 :『漢字の世界 1』P21 流れの分岐点を表わす。
F−7 :『漢字の世界 1』P208「用」は犠牲を養う牢柵の形。

ここで、ついでに書きとめておきたい。
白川氏の著作には、「これは口ではなく『さい』である」というような表現が頻出する。「さい」というのは、「口」の両側の縦棒が上に伸びた形というか、「日」の一番上の横棒がない形というか、要するに右図のような形である。
「口」ではなくて、一種の容器を示す字であるそうだ。



 あと、いくつか長文の資料をいただいたので、引き続き研究したい。


 それでは、皆さんごきげんよう♪ 


 

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