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(No90) この人・桂米朝ショー DVD鑑賞記 その2   

 1985年3月7日に当初放送されたTV番組・・・・・・の続き。
 


(3) 上方落語愛してやまず

 
舞台には、高座がしつらえてあり、高座の向かって左手に椅子が4脚。
 坂本九、米朝師匠、枝雀の3人が座っている。

坂「落語というのは高座で残っていくものだとおっしゃってましたが、具体的にはどのようなご苦労があったのでしょうか」
米「ずいぶん滅んだ噺もあります。
 誰それが、少し覚えてるとか、別の誰ぞが少し習
(なろ)ぉたとかゆうのをつなぎ合わせたり、粗い速記なんかありゃあ重畳ですし、片言隻語をかき集めたり、東京の落語家さんが、昔大阪の古い師匠に教えてもろたて聞いたら、聞きに行ったりして、そうですな、15、6も復活させたでしょうか」

坂「米朝師匠は、独演会なんかで全国を周っておられると思うのですが、そんな時は枝雀さんなんかも率先して・・・・」
枝「はい、ついて行かせてもろたりします」
米「この頃やったら枝雀の方が、ようけ周ってますわ」

坂「これだけ落語の普及に熱心な米朝師匠が6年前、小米朝さんが落語家になると言われた時には猛反対されたそうですが・・・」
米「いや、別に猛反対はしてまへんねんけど・・・。
 うちには男の子が3人いてますねんけど、あれが一番向いてないように思えてね。噺家に。

 大勢弟子がおんのに自分の息子を弟子にするゆうのもねえ・・・・・。えこひいきするわけにもいかず・・・。
 他の者がひがんでもいかん。
 良かったら良かったで引っ張ったら、ああ、あら自分の息子やから・・・なんて言われますし、悪けりゃ、これほど面目ないこともおまへんしなぁ。
 気ぃ使うだけ損でっしゃろ?よっぽどええタマやったら別やけど、そうでなけりゃ、積極的に噺家にさす気はなかったんです」

坂「小米朝さん、そんなとこに隠れてないで、出てきてくださいよ」

 奥から小米朝が出てきて、一番右の椅子に座った。今度は着物姿である。

小「さっきから聞いてたら、何や出にくくて・・・・。
 一番向いてない小米朝です」
坂「落語家になろうと思われたきっかけは?」
小「まあ、誰がなっても良かったんですけどね。僕でないとあかんということはなかったんです。
 落語は好きは好きやったんですけど、やっぱり噺家の家に生まれた使命感ゆうか。
 誰か一人くらいは噺家なった方がええんちゃうか・・・って、まあ、兄弟同士の暗黙の了解みたいなのがありまして」
米「こんな話は初めて聞きました」
枝「私も、こないだ初めて聞いたんです。えらいもんですなぁ〜」
米「子どもらがそんな話をしてたやなんて初めて知りました。下は双子でね。
 枝雀や朝丸なんかがね、本気でやりたいゆうてますよって、一杯呑んでる時なんかにすすめまして」
枝「ゆうても同じ幹の中の話でしょ。一人でも多い方が、心丈夫
(こころじょうぶ)ですわなぁ。
 それも、ゆうたら幹に近い所におるわけですからな。

 嬉しいですよ。ほんまのところが」

 枝雀のゆう「幹」というのが上方落語界全体を指すのか、それとも米朝一門に限定しての話なのかは、よくわからない。
 「幹に近い」というのが、幹を米朝師匠になぞらえて、息子だから幹そのものに近いという意味なら、やはり米朝一門ということなのだろうか。

 「嬉しいですよ」という枝雀の言葉に米朝師匠も、実に嬉しそうな顔をされた。

米「今日は、ちょっと珍しい噺を聴いてもらおう思います。
 そない
(そんなに)おもしろい噺やないんですが、復活して、まだ間もない噺でして、テレビでもラジオでも本邦初演ゆうことになります」
 と、米朝師匠は高座へ向かう。

 小米朝はしゃがみこんで、メクリをめくる。



◆ 桂米朝 「焼き塩」

 今では「焼き塩」という言葉自体がわからんようになってきました。

 今の専売公社の塩は全部機械でできるそうでして、昔みたいに塩田や岩塩でこさえたりはせんそうです。

 塩の性質も変わってしまいまして、今の塩では盛り塩とかできませんなぁ。サラサラで。

 昔の塩の方が夾雑物が含まれてて、そこに味わいがあったようです。ただ、空気中の水分を含んで溶けたりした。
 それで、焼き塩ゆうて、塩を焙烙なんかで炒りましてね。風味があって溶けへん、いわば食卓塩みたいなもんをこさえて、江戸時代から「焼〜き塩ぉ〜」なんてゆうて売ってました。

 また昔は無筆
(むひつ。字の読み書きができない人のこと)が多かった。私ら芸人でも「字ぃなんか覚えたら、芸が悪なる」なんて無茶ゆう先輩も多かったもんです。

「ちょっと字ぃのこと訊きたいねんけど、『司』
(つかさ)ゆう字はどない書くんやったかなあ?」
「それやったら、わいに訊いてもあかん。魚屋のおやっさんに訊き。あのおやっさん、なかなかの学者や」
「ええ?あのおやっさんが?

 おやっさん、すんまへん。『司』ゆう字ぃ、どう書くか教えてほしいねんけど」
「司ぁ?あら『同』じく、ゆう字ぃに似た字ぃやがな。
 そう、『同』を二枚におろして、骨付きの方や」って、まことに魚屋らしい教え方があったもんで。


 ある店の女子衆
(おなごし。女中)さん、国元から気になる手紙が来たんですが、おり悪しくいつも読んでくれる人がおらん。表に出たところ、向こうから若い侍が来たんで、思い切って、
「お願いがございます」
「何じゃ?」
「実は、この文を読んでほしゅうございます。
 先日、村の者に会いましたら、母親が長患いで臥せってると聞いたところに手紙が参りましたので、悪い報せやないかと心配でして。いつも読んでくださるお方がご不在で・・・」

 お侍がこの手紙を手に取り、二、三度目を走らせたか、と思うと、ほろほろ・・と涙を流し、
「残念なこと・・・・・・・・・・もう間に合わん」

「ほな、やっぱり悪い報せでございましたか・・・・・」と女子衆も泣き出した。

 そこへ通りかかりましたのが、焼き塩売り。

「焼ぁ〜きぃ塩ぉ〜〜

 おっ?往来の真ん中で泣いとぉる。はは〜ん、あら身分違いの恋、っちゅうやっちゃなぁ?
 浪人とは言え、商家の女中風情と・・・とか言われたんや。
 手紙持っとぉる。あきらめえ、ゆう手紙やな。

 娘泣いとる。おっ、侍の方も泣いてるがな。男、本気やでぇ。こら心中となるなぁ」・・・て、このおやっさん、だいぶ、芝居の見すぎでして。

「可哀想に、一緒にしたったらええねん。身分がどうとか言わんでも。
 あたら若いつぼみを散らすやなんて・・・・・」

「万さん、あこで三人よって泣いてるでぇ?けったいな取り合わせや。何やねん、あの焼き塩売りは?」
「あの女子衆は、あこの女子衆と違うか?もし、どないしはったんや?」
「ああ、これはご町内の。実は国元の母親が患ったと聞いて心配していたところに手紙がまいりまして、このお侍さんに読んでもらいましたところ、残念な、もう間に合わんておっしゃったんで、もう、うちのかかさんは亡くなったんやと・・・」

「なるほど、そら、おまはんが泣くのも無理はないわなぁ。
 ほんで、お武家さん、手紙にはそう書いてあったんでっか?」
「いや、そうではござらん。
 身共は、小さい頃より武芸にばかり心を用いてまいった。死んだ父上は文武両道を心がけよとおっしゃったが、親の代からの浪人暮らし。もはや宮仕え、城仕えもあるまいと、読み書きには一向に身を入れなんだ。
 今日、手紙を読めと言われ、お女中の手紙、かなの拾い読みでも・・・と手に取ったが、見覚えのない漢字が並んでおる。
 ああ、こんなところで思わぬ恥をかいた。残念な、しかし、もう間に合わん・・・と」

「こら、話が違うがな。
 すんまへん、ちょっと手紙貸しておくんんはれ。

 なになに・・・・作次郎さんからお前が案じていたと聞いたので、この文を書く。病は本復いたし、床払いも間もなく、どうぞご安心くだされたく・・・・・・。
 安心しぃ!元気になったようや。

・・・・・・・・・・・・と、わからんのは、この焼き塩屋や。
 おまはんは、なんで泣いてんねん?」

「え?うぅ・・・・・わいは、商売が・・・・・泣ぁ〜きぃ塩ぉ〜〜」 
  


 


(4) 米朝独白 末路哀れは・・・・・

 
暗いステージにスポットライトを浴びて、一人立っている米朝師匠。

 私の師匠の四代目米團治という人は一生不遇でした。
 金もなく、年中おけら
(「からっけつ」、お金のない状態)でしたが、それをちっとも苦にせん人で。

 よぉ師匠の家で、晩の寝酒を付き合いさせられました。
 小ちゃいちゃぶ台、あぐらかかん人でね。きっちり正座して。
 横には、火鉢。あの当時のことですから、そん中に電熱器。それに鍋か何かがかかってる。
 前には焼酎。小ちゃい湯呑でね。情けない肴か何か並べまして。

 呑ましてはもらえませんねん。注がしてもらうだけですけど、よぉ芸の話をしてもらいました。

 米團治は貧乏で焼酎しか呑めんまま死んだけど、それをちょっとも苦にしない。
 清貧という言葉がありますが、むしろ貧乏を楽しんでるようなとこがありました。

 ある時私に言わはったことで、いまだに忘れられんので、いろんなとこで書いたり、しゃべったりしたことがあります。

 「芸人ゆうのは、米一粒、糸一本こさえられへんのに、酒の味がええの、魚が悪いのってゆうんやから貪ったらあかん。
 値打ちは世間が決めてくれはる。
 芸人となった以上は、末路哀れは覚悟の前やで」

 軽ぅ聴いてたけど、こらなかなか、きびしい言葉です。

 のっけ
(最初)から末路哀れを覚悟せんとあかん。うまいこといっても、そらたまたまでっさかいな。
 長年努力してもうまいこといかん、それでも後悔しない人が、何の芸でも芸人になるべきなんでしょう。

 私もこれだけ売れさせてもろて、これからは何も望むことはありません。
 ただ、落語という芸だけは、末路哀れにしとぉない。

 私が習った落語と、今の落語はずいぶん変わりました。これからも時代に合わせて変わっていくでしょう。

 私は落語というものは、これくらい洗練された笑いの芸は世界にもないと思てます。
 泥まみれにするくらいやったら、残しとないが、これからも残ると私は思います。

 これから先、相も変わらん、同じようなことを続けていくしかありません。私に言えるのはそれだけです。

 米朝師匠が礼をされ、ステージが明るくなる。

 右手から小沢昭一と小米朝が入り小沢が花束を渡す。
 左手からは枝雀と九ちゃんが入り、枝雀が花束を渡す。

「枝雀から花、もろたって嬉しいことも何もあらへんがな」と言う米朝師匠の、心底嬉しそうな表情がとてもいい。

 本当に、米朝一門ファンにとっては宝物のような番組であった。
 お貸しくださった○○さん(ハンドルネームを書きたいが、ご本人が匿名希望なので)には深く深く感謝を捧げたい。




  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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