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(No09) 第16回 米朝一門会鑑賞記

 平成17年7月18日、サンケイホールに米朝一門会を聴きに行った。
 この春、恒例の上方落語名人会(サンケイホール)の優待券あっせんを申し込んだのだが外れてしまい、それからプレイガイドなどを探したが売り切れであった。

 何でもサンケイホールが建替で2008年まで休むそうだ。ネットで本落語会のお知らせを知ったので、申し込んだ。

 チケットには「1階 I列 ○番」とある。こないだの京劇に引き続き、申し込みは遅かったが落語の神様が降臨して最前列を当ててくれたのだと思い込んでいた。前へ行くと、先客が座っている。「あのう・・・」と声をかけると、「ええ?あんたもここか?A列の○番か?ちょっとチケット見してみいや。ああ、兄ちゃん、あかんわ。これI(アイ)列やがな

 「I」と「1」を見間違え、とんだ恥をかいてしまった。
  


(1) 桂 しん吉 「子ほめ」


 まくらは、「冒頭二つお願いがあります。一つ目、携帯の電源、切っといてくださいね。携帯の電源もう切ったとか、どうせ鳴らへんと思っている人に限って鳴るんです。
 それから二つ目、これからやる落語、知ってても先に言わんように」で、そこそこの笑いをとる。

 本編は、と言うとオーソドックスなネタで、前座としてもごくオーソドックス。

 しん「吉」とあるように、吉朝の弟子。

 


(2) 桂 九雀 「軽石屁」

 出てきた瞬間、九雀の顔が自信ありげに輝いており、すばらしい高座になる予感を感じた・・・・・と言うと、後から取ってつけた「結果論」のように聞こえてしまう。
 
 しかし、冒頭から「光って」見えたのは事実である。

 まくらで、「枝雀師匠の独演会の前座で、初めて高座にあがらせてもらいました。

 当時、師匠の独演会は大変な人気で、チケットは、関係者でもなかなか手に入りませんでした。
 枝雀師匠のチケットはコネを使っても手に入らない。私どものチケットは、コネを使ってもさばけない」と笑わせていた。
 今回のパンフ巻末で見てみると、昭和56年の「枝雀十八番」の二日目で「兵庫船」を演じているのが初出のようだが、このことなのだろうか。確かに、「枝雀十八番」のチケットは、売り出されるやいなやソールドアウトになったと聞いたことがある。

 さて、この話は、喜六、清八の二人組がお伊勢参りをする、いわゆる「東の旅」シリーズの一つのようだが、落語作家小和田定雄氏の演出で復活し、もっぱら九雀専用のネタとなっているようだ。

 伊勢参りも終え、大坂に帰る途中の二人。喜六は、わらじが足に食い込んで、もう歩けないとこぼす。
「何や、まだ、わらじに足食われてるんかいな」
「え?わらじって足食うの?口あるん?ああ、そう言や、下駄には歯ぁ、あるなあ」

「ほな、ぜいたくやが、駕籠頼もか、しかし、疲れてるとこ見せたら、足元見られんで」
「わかってんがな。おい!駕籠屋!わいは、何も疲れてるよって駕籠頼むんやないが、水口の宿まで、足元見なんだら、なんぼや?」
「おお、こら嘘のつけん人が来はったなあ。あんさん、そこの茶店(ちゃみせ)から足引きずってひょこひょこ歩いてきはったん、ここから全部見えてましたで」

 応対(=交渉)代わろと言って清八が出てくる。
 で、何でそんなに意地悪をするのかわからないのだが、「わいは大店(おおだな)の主人で、さっきの喜六はお供。駕籠に乗れるような身分やない。駕籠賃は、供の者(もん)から受け取って」と言って、一人だけ駕籠に乗って出かけてしまう。
 喜六は「お供の衆!」と馬鹿にされたあげく駕籠賃も、茶店の茶代も払わされてぼやく。

 同情した茶店のおばあさんに近道を教えられ、先回りした喜六。荒物屋を兼ねた煮売り屋(軽食堂ってとこだろうか)で一休みしながら、ちょっとした意趣返しを思いつく。
 そこで、主人から酒の五合徳利と軽石を買い求め、金づちを借りて軽石を細かくくだく。
「いったい何しなはんねん?」
「いや、もうちょいしたら、わいの知り合いが駕籠に乗ってここに来るんやが、駕籠屋にこの軽石の粉の入った酒を飲ますんや。昔から軽石の粉(こ)ぉ呑んだら屁ぇが出るゆうやろ。
 これを駕籠屋に飲ませたらどうなる?先棒、後棒、両方から屁を浴びせられて、駕籠ん中でもがき苦しむのを見よっちゅう趣向や」

「あんさん、大坂のお方でっしゃろ。そうでっしゃろう。せや思たわ。そんなん大坂のお方やないと思いつきまへんわ」
 主人は呆れ果ててるのかと思いのほか、「そんな粉のまま入れては、上に浮いてばれてしまいます。ほれ、このぬか袋。この袋の中に入れまひょう」と軽石のティーバッグのアイデアを出したり、「五ん合では入りにくいですなあ。一升どっくりにしまひょう。銭?そんなもん要りまへん」とノリノリ。

 やがて、喜六の待つ店先にやって来た清八の駕籠。喜んで喜六の差し出す酒をすっくり(すっかり)飲み干した駕籠屋。ほな、一服も済んだよって、出発しょうかと、棒を肩にかつぎ、杖をついて、ぐい!と力を込めて立ち上がろうとした瞬間にぶい!

 「なぜ軽石の粉でおならが出るのか、その原理をご説明します。引っ掛かってる人もいてはるみたいなんで。
 軽石は火山のガスがぎゅぎゅぎゅ〜〜っと凝縮したものでございますから、その粉を体に入れるとガスが出るのは至極理屈の通ったことなのでございます」という九雀の解説も大受け。
 それから、一歩歩くたびにぶ〜!何かしゃべるたびにぷり!と後ろから前からガス責めに遭い、たまらず駕籠からまろび出た清八に喜六が
「あはははぁ〜 清やん、今のはわいの趣向や」
「何でそんなことすんねん」
「お前へのあてこすりや」
「ははあ、それで軽石使こたんか」・・・・・というのがオチ。

 初めて聴く噺であったが、非常におもしろく、場内も大爆笑であった。



(3) 桂 小米朝 「狸賽」

 
開口一番、「御曹司です」と言って笑わせた後、米朝の息子であるがゆえの悩みを語る。一門の諸先輩方が袖で聴いているのがすごいプレッシャーだ、とか、初めてピン(単独)で落語会に呼んでもらって喜んでいた。高座にあがり、めくり(演者の名前を書いた札)を見ると「子米朝」となっていたとか。
「いつ米朝になんねん」とか聞かれるんですけど、先代の「桂小米朝」が継いだ名前ゆうのが月亭可朝でっさかいねえ。私も、次、月亭可朝にならんとしゃあないんです。

 それから、可朝とざこばはギャンブル好きという話になり、何でもバクチにするざこばが、TV局で「次来るやつが男か女か1000円いこ」と言った。待ってると、カルーセル麻紀さんが手ぇ振ってやって来たという話へ。

 噺は、浦島太郎の亀みたいに子供に捕まってるところを助けてもらった子狸が「恩を返さんやつは人間も同じや」と母狸に言われて、恩返しに来る。
 男はサイコロに化けるように頼む。男が賭場に行き、胴を張らせてもらい(賽を振って、親になる。子が張っていない目が出れば、親の総取り)、「たーちゃん、六やでえ、六。一番多いやつやでえ」とか「たーちゃん、今度は三やでえ、三。斜めにしいや。まっすぐはあかんで」などで連勝する。

 気味悪がった周りの者が「数字を口に出すな」と注文をつける。
「へへんだ。数字みたいなもん、口にせんかて、ちゃあんと、わいとたーちゃんの間では符牒が決めたぁるよってに何でもないわい。ほほう、今度は二が空き目か。わかったぁる。数字は言わへんがな。たーーーちゃん!」
「またかいな」
「次は目ん玉やでえ。一番楽なやつや。上向いて、目ん玉やでえ」

 次の「一」も「逆立ちして、おいどの穴」という化け方を聞いていたので良かったが、「五」で困ってしまう。「何てゆうたら、ええんかなあ。あの、ほれ、梅鉢のご紋みたいに、周りにぽんぽんぽんと。わかるか、梅鉢の紋、天神さんの紋や。あ、そうそう、天神さん、天神さん、頼むで、天神さんやで」すーと開けたら、狸が冠かぶって、笏(しゃく)持って・・・・・というお馴染みの噺でした。


(4) 桂 都丸 「ろくろ首」

 
小学生のうちに落語のファンにしておくと効果が長いということで、最近では小学生を狙っています。先日も吹田の南山田小学校という所へ行ってきましたと始める。

 そう言えば、少し前子供の間で「寿限無(じゅげむ)」の歌が流行ったし、落語の絵本みたいなのも売っている。

 で、都丸の噺が受けたか、というと大受けだったらしい。
 

「鳥が何か落としていったでえ」「ふ〜ん」でどっか〜ん!
「お母ちゃんパンツ破れた」「又(股)か」でどっか〜ん!あまりうけるんで、何や、ここは刑務所かいなと思いましたとのこと。(言わずもがなだが、服役囚は娯楽に飢えているので刑務所の慰問はやたらウケるらしい)

 それで、あと「桃太郎」という噺をやって帰ってきたんですが、生徒さんたちが作文を書いたそうで、先生がわざわざ持ってきてくれはったんです、とふところから文集を取り出す。どうやら、ネタではなく実話のようだ。

 先生は「どうか寛大な気持ちで読んでください」ゆうて渡しはったんですが、ちょっと読んでみましょか、とページをめくる。

「私が行く前にも落語の授業ゆうのがあったらしくて、クラスの○○君ゆう子ぉが、その『桃太郎』をやったそうです。どれどれ、『都丸さんは、うちのクラスでやった○○君よりおもしろかったです』・・・当たり前や!こっちは28年やってんねん!小学生に負けてどないすんねん!ええと、こっちは・・・『あなたは出川(哲朗)に似ている』ほっとけ!」

 さて、噺ではご隠居さんが、アホに養子の世話をしようとする。
「へえ、わたい、養子に行ったことおますでぇ」
「あるんかいな」
「姉やのうて、妹の方」
「ああ、そうゆうことはあるな。妹やのうて、姉が縁遠いゆうことなあ」
「この姉がえらいべっぴんでねえ。つい抱いてしもて」
「何をすんねんな」
「そしたら、妹がえらい泣いて」
「そらそうや」
「しゃあないから、妹抱きますやろ。そしたら、今度は姉が泣きますねん」
「板ばさみゆうやっちゃな」
「困ってしもおて、妹抱いて、姉の方は負うて」
「ちょっと待ちいな。そら子守り奉公ちゃうんかい」
「そうだんねん。子守りの用(を)しぃに」
「・・・そら、ちょっと間違え方に無理があんのんちゃうか」

 落語中の人物が、ふと素(す)に戻って客観的につっこむのは枝雀もよくやったが、今回の都丸のもおもしろかった。

 ご養子先の紙屋さんは、えらい大店(おおだな)やし、娘さんは、そらべっぴんや。ただ、先に言うとかなあかんのやが、実は、この娘さん、一つだけキズがある・・・と説明をしようとすると、「皆まで言いなはんな。わかってま、わかってま。その娘さんのキズゆうのは、何でっしゃろ。えらい、しゃべりなんでっしゃろ」と早合点の間違いを三度ほど繰り返し、「お前、わかってま、わかってまゆうて、さいぜんからいっこも(さっきから少しも)わかってへんやないか」と叱られる。で、ご隠居さんは、ようやく、その娘さんは、真夜中になると首が伸びるのだというキズを説明する。

「でや、(養子に)行くか」
「そんなもん、行けまっかいな」
「やめとくか」
「そう言われると、何や行きとなるなあ」
「行くねんな」
「そら、かなん」
「ほな、やめい」
「やめぇて、もしわいが断ったら、松っちゃんとか、竹やんに話持って行きまんねやろ。今は医学が発達してるさかいに、お医者はんに、この病気しゅっと治してもろて、べっぴんの嫁はんと夫婦仲良お歩いて、銭あるよってぜいたくし放題してんの見て、ああ、わいが行ったら良かったって悔しがらへんやろか?」
「知るかいな、そんなもん」
「ええい、ここは一番、清水(きよみず)の舞台から飛び降りたつもりで・・・」
「行くんやな」
「やめとこ」
「やめんねやったら、飛び降りるな、アホ!ほなやめとけ」
「う〜ん・・行きたいぃ〜んん」と変な声を出すので、場内大爆笑。 

 有名な紙縒(こよ)りの場(アホは挨拶もわからないので、足の指に3本、紙縒りを結び付け、ご隠居が、ある指の紙縒りを引くと「さよう、さよう」、別の指は「なかなか」、別の指が「ごもっとも」と決めておいたのだが、猫が来て、その紙縒りにじゃれつき出して、「なかなか、なかなか、なかなか、さようさよう、ごもっとも、なかなか、なかなか、なかなか」とハチャメチャになる)をこえて、お床入り。
 初日から首が伸び、ぎゃっ!と叫ぶや飛び出してきて、隠居の家の戸を叩く。
 隠居は、アホをなだめ、養子先に帰るよう説得する。
「せやけど、いきなり叫んで逃げ出したりしたから、お嫁さんもきっと怒ってはる」
「大丈夫や。お前の帰るのん待ったはるよ」
「せやろか」
「おお、首長(なご)して待ってるがな」

 都丸も、なかなかおもしろい。



(5) 桂 米朝 「あくびの稽古」

 「最近は、何をしゃべろか決めんと話し始めてまして、気ぃついたら途中で違う話になることがあります。・・・・・ま、そんでも驚かんようになりました
 昨年の堺の市民寄席では、確か「こないだ話してたら、知らん間に別の噺になってしもてましてな、あれはあわてました」と言ってたと思うのだが、米朝師匠は、また進化を遂げたようだ。
「ま、何の噺をするかは、・・・・・何ぞしゃべってたら、そのうちに決まるもんです。ただ、噺の中でねえ、・・・・・・・・絶句せえへんか、と。・・・・それだけは心配します」と、今にも絶句しそうな「間(ま)」で話すので、こちらもハラハラする。

 「こないだの高座で、三都の名物とかゆうてねえ。あれも、節(ふし)がついてるから、ちょっとしゃべり出すと、何とか出てきまして、安心しました。あれも一つゆうてしまうと、他、言わんわけにいきまへんのでな」

 で、その三都の名物というのをあらためて語り始める。 

 これは、「鹿政談」のまくらなどで出てくる、江戸の名物は「武士鰹、大名小路(こうじ)生鰯、茶店紫(むらさき)、火消し錦絵」、京都の名物は「水壬生菜(みぶな)、女羽二重みすや針、寺に織屋に人形焼き物」、大坂は「橋に船、お城芝居に米相場、問屋揚屋に石屋植木屋」、そして、三都に加えて奈良の名物として「大仏に、鹿の巻き筆あられ酒、春日燈籠(かすがどうろう)町の早起き」と続けるものだ。
 途中でつっかえないか、場内のみんながハラハラしながら、固唾を呑んで見守る。奈良まで無事語り終えた時には、会場に安堵のため息がもれたような気がする。
 で、てっきりそのまま「鹿政談」に移行するかと思っていたら、(しかも、大仏修理で「目から鼻に抜ける」というとこまでやったのだ)また、マクラが続く。

「楽屋には、ネタ帳ゆうものがございましてな、前の人が何をやったか、つけておく。で、これを見まして、自分がするネタは、前の人が子供の出てくるネタをやったから、子供のんはやめとこか、とか、商売の噺をやったさかい、商売人の出てくるネタはやめとことか、ともかく、後に出るもんほど、範囲が狭まるんですな。まあ、最近は、それも気にしませんけど」
 米朝師匠は、ともかくすべてを気にしないようになってきているようだが、聴いているこっちとしては、同じ「後になればなるほど範囲が狭まる」ということを2度繰り返したことがとても気になる。

「汚い話ゆうのが、ありましてな。まあ、『ししばば』ゆうて大小便の話とかですな。そんで、汚い話の中でもきれいな話ゆうのがございまして。
 ある男が、夜中にはばかり(便所)に行きとおなったんやが、遠くまで行くのが邪魔くさい。ええい、庭でしたれと雨戸を開けようとしたんやが、夕方に降った雨が、夜の冷え込みで凍り付いてしもたとみえて、どないもこないも開かない。
 そこを無理に開けようと力をこめた拍子に小便(しょんべん)がだ〜っと出てしもて、途中で止まらん。
 ところが、そのしょんべんが雨戸に流れて、凍り付いてた氷をば溶かしまして、開くようになった。さて、雨戸をがらがらがら〜っと開けはなちまして、縁側にでたんやが、はて、もう用事がない・・・・・ってこんなんを我々はきれいな話とゆうてるんですなあ。まあ、ええ加減なもんです」

「高野山のね、お寺の便所は、谷んとこにせり出してつくってありましてな。そこで用を足しますとゆうと、しゅう〜〜っと下の川へと落ちまして、さあ〜っと流れていく。いわゆる水洗便所ちゅうやつですなあ。谷を吹き渡る風で、においなんぞちっともせえへん。こらええ、ゆうのんで、ある金持ちが、自分の家でも、こんなんをこしらえようと考えました。そしたら、近所で評判になりましてな。おいおい、あの辺で路ぉ地に行くな、上からばばが降ってくる、ゆうて・・・・・・・・・・・・・・こない、汚い話するつもりやなかった・・・
 ご自分でしゃべったのに、そない、言われても・・・。

「ししばばだけやのうて、屁ぇの話ゆうのもありまして」 え?まだ続くん?
「屁の競争ゆうのがあって、出た屁をぎゅうっと握って歩いて、どこまで臭いがするかゆう競争でして、まあ、たいがいの人は、少ぉ〜し歩いたら臭いが消えてしまいますんやが、一人だけ、淀屋橋を抜けても、まだ臭いまして、何でこない、いつまでも臭うんやろうとよお見てみたら、正味掴んでた」

 突然、桂文団治ゆう人は、長いネタを時間どおりに「はしょる」名人だったという話になる。落語会に出てて、文団治師匠が長いネタをかけはって、かなんなあ、この後、掛け持ちで別んとこ行かんならのに・・・とやきもきしてたら、どんなネタでも10分やったら10分、15分やったら15分でおさめはるんです。ちゃんと辻褄は合(お)うとるんです。ただ、おもしろいとこも飛ばしてまうんでねえ・・・という話。

 で、桂文団治師匠は、噺を短くする名人で、話の辻褄はちゃんと合わせるんやけど、おもしろい所もはしょってしまうので、どうしてもつまらんもんになるという話がもう一度繰り返される。なぜなんでしょう?

 ようやく、「喧嘩(けんか)指南」という場になる。
「ここかい、喧嘩指南ちゅうのは!」
「なんじゃい、いきなり大声出して!もういっぺん入り直せ!」
「なんぬかしてけつかんねん!喧嘩みたいなもん、お前らに教えてもらわんでもええわ!」
「ああ、ちょっと待ちなはれ。あんた、なかなか筋がよろしい」

 何か、ネタバレのような前振りを経て、「あくび指南」へ。教えてもらうのは、本来初心者には教えない高度な「将棋のあくび」。
「将棋というのは、相手が指さんことには、自分が指せん。そういうもんです。(煙管で煙草を一服つける手真似をして)『まだか?どない考えても、もう詰んだぁるねん。まだか?将棋もええが、こない待たされると、退屈で、退屈で・・・はぁああぁ たまらんわい』・・とこれが将棋のあくびです」

 喜ぃ公は、ついついセカセカと煙草をふかしてしまい、師匠に何度も注意される。ついてきた連れの男が退屈して「よう真面目な顔して、あんなことゆうとるな。習う奴が習う奴なら、おせえる(教える)奴もおせえる奴や。喜ぃ公が阿呆やゆうのは、前からわかっとったけど、あの先生ちゅ奴もまともやないで。待たされてるもんの身にもなってみぃや。(煙草に火をつけ)よっぽどこっちの方が退屈で、退屈で・・・ふわ〜あぁぁ たまらんわい」
「おおっ、お連れさんはご器用な」

 以前、京劇の鑑賞記で、羅長徳というベテラン俳優の立ち回りは晩年のジャイアント馬場の試合を想起させた、と書いた。
 すなわち、羅が斬るのではなく、周りが斬られに来て、転がっていく。
 晩年のジャイアント馬場も、相手を蹴るのではなく、馬場が足を上げて待っている所へ、相手レスラーが吸い寄せられていくという感じだった。
 それが「おかしいじゃないか!」と文句を言う人間は、全日本プロレスの会場にはいなかった。そこに集まっている人間は、「馬場がリングの上に存在している」だけでよかったのである。
 
 最近、米朝師匠は、「この会場に来るのもこれで最後か」、「この噺すんのも、これが最後か」などという話ばかりをする。
「そんなことないで!」と思う一方、あと何回聞けるかなあとも思う。

 口調ももたつくし、足取りもおぼつかない。会場中の観客が、米朝師匠の一挙手一投足をハラハラドキドキしながら見守っている。でも、米朝師匠がそこに存在しているだけで、とても嬉しい。


(6) 桂 雀三郎 「時うどん」

 雀三郎も、九雀とは違った意味で、登場の時から「光って」いた。
 雀三郎の本日のマクラは、「クロスの美学」。同じ酒をお酌するのでも、右側の徳利を右手でつかんで、そのまま注ぐよりは、逆の手で、ひねるようにして注ぐ方が何とのお(何となく)色気がある。
 長い髪の女性が、髪の毛をかき上げながらスパゲッティやラーメンを食べたりしますねえ。私も、こう、前の方は光っておりますが、後ろに束ねてるのをほどくと、肩くらいまでありますからねえ。ですから、私もこうやった方が・・・・と、やたら不自然に腕をひねくり返して、髪の毛をかき上げてみせる。

 さて、江戸の落語と上方落語の違いを「時そば」(上方では「時うどん」)で、よく感じる。
 「時そば」では、脇でたまたま見ていた男が「何で、あいつは、やたら世辞ばかり言いながらそばを食ったんだろう」と不審に思い、「今、何時(なんどき)だい?」のトリックに自分で気付くのだ。
 ずいぶん頭のいい男ではないか。それなのに、翌日失敗ばかりするのが不自然だ。

 その点、「時うどん」の阿呆は、連れからトリックを説明されても「ええ?それで合ってるんじゃないの?」となかなか理解できない。
 翌日も、とにかく昨日のとおり、一字一句違わんようにやらなあかんという強い思い込みがあるというのが前提となっている。
 だから、例えば昨日は二人だったシチュエーションを、自分一人なのに忠実に再現しようとするところに笑いが生まれる。
「お連れさんはどないしまひょ、って勧めな、あかへんがな」
「ええっ〜?わたい、おたくさんお一人しか見えまへんねけど、どなたか、いてはるんでっか?」

「引っ張りなって!(と、横から袖を引っ張られ、それを振りほどいている仕草)、ちゃんと後でやるから。・・・・・せやから引っ張りなってゆうてるやろ!」
「えっえぇ〜??やっぱり、あんさん、どなたか見えはるんでっか?」

 阿呆は、昨日と同じ時刻に出かけるべきであったのだが、待ちきれずに暗くなったかならないかくらいで、出かけてしまう。
 昨日は「早いなあ。やっぱ、屋台のうどんゆうのは早(はよ)ないとな。熱(あつ)!お前とこのうどんは熱いなあ。いや、怒ってるんちゃうで。うどんてなもん、熱ないと、うもぉ(美味く)ない。ぬるかったら気色悪いがな」と言いたいところであったが、「ええ?お客さんでっか?まさか、こないはように(こんな早くに)お客さん来るて思てなかったから、まだ湯ぅ沸いてまへんねん」と言われ、さんざん待たされたあげく、まだ沸いてないぬるいうどんを食わされる。
 で、たいがいの演者は、こと志(こころざし)と違っても、自分を納得させ、あきらめてしまうように演ずる。
「うどんは腰が強(つよ)ないとな。そこいくと、おまはんとこのうどんは・・・・・べちゃべちゃやな。まあええわ。やらかい(軟らかい)方が消化がええ。
汁がな、たいがいのうどん屋は、塩辛いばっかで、だしがきいてへんもんやけど、おまはんとこのは・・・(ズズズっと汁をすする)かっら〜(辛い)。えらいしょっからい(塩辛い)なあ。ああ、せや。もうそろそろ湯ぅも沸いてきたやろ。ちょっと、湯でうめてぇな。そしたら、温(ぬく)くなるし、一石二鳥や」といった具合。
 ところが、雀三郎の「阿呆」であれ?と思ったのが、あきらめが悪いというか、しつこいというか、麺をすくっては、落胆した口調で「べちゃべちゃやあ〜」、汁をすすり込んでは、「かっら〜」と大声でぼやく。それを何度か繰り返すので、ちょっとくどいように感じた。

 



(7) 桂 南光 「ちりとてちん」

 さて、前回の堺市の一門会では大喜利の司会のみで、噺が聞けなかった待望の南光登場。
 しゃがれた声が妙に耳に快い。

 マクラはグルメ番組。私は、TV向きやないっちゅうか、嘘がつけんというか、うもないもんを美味い!と言えない性格なんです。そんな時に私がどうゆうか、今日は特別にお教えします。そんな時、私は「しゃれてますねえ」と言うんですと企業秘密を公開する。
 
 出入りの職人の喜いさんが、旦那さんの誕生日の酒のお相手で、お呼びがかかる。
「いや、喜いさん。忙しいのに悪かったな。酒みたいなもん、一人で飲んでても、うもないんでな。ちょっと付き合いしてくれるか。何もないねんけどな、ま、ま、酒でも飲んでくれるか。何でも白菊(しらぎく)とかゆう酒らしいで」

「え?旦さん、白菊ゆうたら大名酒(だいみょうしゅ)ゆうて、昔はお殿さんしか飲まれへんかった酒でっせ。わたいも名前だけ知ってますけど、わたいらみたいなもんの口に入りまっかいな。初めてです。初もん食うたら、寿命が75日伸びるとか言いまんなあ。はい、はい、いただきます。(くい、くい、くい)・・・ぷはぁ〜!こら、酒の方ですぅ〜と勝手にのどん中に入ってきまんなあ」
「ああ、そうか。あ、茶碗蒸しができてきたようや。でや、喜いさん、あんた茶碗蒸し食べるか」
「え?茶碗蒸し?初めてです。え?これが茶碗蒸しですか。湯気があがってまんなあ。えらいもんでんなあ。こない蒸したら、あの硬い茶碗が食べられるようになるんでっか?
え?茶碗食うんやのうて、蓋を開けて中身を食うんやて?旦さん、冗談でんがな。どないでした、今の冗談。え?むっとした?何も言わんといただきます。
おお、いろんなもんが入ってまんなあ。これは何でっか?え?アナゴ?ああ、よお田んぼで飛んでる。それはイナゴ?えらい、すんまへん。
 あっ、これ何でっか?え?ぎんなん?ああ、ぎんなんってよう名前は聞いたことおましてんけど、どんなんか、思てましたんや。ぎんなん、どんなん?こんなん?
「よお遊ぶなあ、あんたは。しかし、喜いさんは物喜びするよって嬉しいな。何でも美味しい、美味しいゆうて食べてくれるよって、こっちも何ぞ手回ったら(酒や食べものが手に入ったら)、ちょっと喜いさん呼んだげなはれという気持ちになるゆうもんや。
 そこ行くと、あの裏におる竹!あいつだけは何を飲んでも何を食べても感謝するっちゅうことがない。何でも『しょうもない』、『しょうもない』。それに何でも知ったかぶりをする」と時ならぬ糾弾会となる。

 ちょうどその時、旦さんが水屋の中にしまったまま忘れていた豆腐がカビだらけになっているのが発見される。そこで、これを珍味だと偽って竹に食べさせよう、あいつは「知らん」とは言わんはずやという話になる。
「名前はどうしよう?いかにもありそうで、ないような名前にせんと怪しまれるさかいなあ」「ほんなら旦さん、こないな名前はどうでやす?長崎名物『ありそで、ない』」
「う〜ん、そら、ないなあ」
「おや、奥から聞こえてきてまんのは、お三味線でっか。あ、旦さん、こんなんはどうでやす、長崎名物『ちりとてちん』ちゅうのは」
「おっ、ええがな。ああ、これこれ。この豆腐なあ、ちょっときれいな桐の箱にでも入れて、こぎれいに包んで。ああ、ちょっと箱には『長崎名物 ちりとてちん』と書いといてくれるか。あ、そうそう、横に小そう、『元祖』と書いといてくれるか」
「旦さん、お誕生日が盛り上がってきましたなあ」

 いよいよ竹が呼んでこられる。
「白菊?しょうもな。ようこんな酒飲んでまんなあ。あま、こんな甘い酒飲んでられへんわ。ああ、甘。ええから注ぎなはれ」
「何や、飲むんかいな」
「わいを呼ぶんやったら、聞いたこともないような珍味でも用意しとくんなはれ」
「ああ、それそれ。ちょっと珍しい珍味が手に入ったんでな。おまはん、こないだ長崎に行ってたんやろ。長崎名物ちりとてちんって知ってるか」
「え?長崎名物ちりとて・・・ちん?・・・ええ、ええ知ってまんがな。ちりとてちんでっしゃろ。わたいら、長崎おる時は朝、昼、晩と食べてました。しゃあけど旦さん、気ぃ付けなあかんのは、にせもんが出回ってまんねん。え?『元祖』って書いたぁる?ほな、大丈夫です。にせもんは『本家』って書いてまんねん」

「ちりとてちんに”にせもん”・・・・・?そこまでゆうかあ?」とあきれながら、食べさせる。
「でや、うまいか?どないな味や」
「いや、もう、豆腐が腐ったような味ですわ」




 iいったん緞帳がおりて、小米朝が出てきて、サンケイホールの思い出話を語り始める。オープンしたのが昭和27年7月18日というから、昭和33年生まれの小米朝はまだ生まれていないのだが。
 最近の演奏会場では防音の関係でたいてい二重扉になっているが、ここは朝比奈隆氏の意見で、その分座席を増やそうということになりました、とか、ここのステージには「せり」も、「回り舞台」もない。もし回り舞台があったら、もっと早く舞台転換ができるんですが・・・と、とんかんとんかん物音がしている舞台裏を見て、笑いを誘う。
 要するに小米朝は、寄席の高座から、「さよなら サンケイホール」という座談会へ舞台転換する時間を稼いでいるのだ。

 あと、笑ったのは、小米朝が「先ほど米朝は、どこか別の場所にサンケイホールが建替えられるみたいなことを高座でゆうておりましたが、あれ、ちゃいますからね!ここ、この場所で建替えられるんです。あれ、袖で聞いていた時には『ああ、さよならサンケイホールやのうて、さよなら米朝やなあ』、て思いました」と言った時。
  新しいサンケイホールができるのは2008年。米朝師匠は、会場配布のパンフの「ごあいさつ」でも「新しいサンケイホールができた時には、おそらく私はもう生きてはおらんと思います」と書いている。

 さて、座談会の用意ができて、サンケイホールにまつわる思い出話を語り合うのは、日舞の飛鳥峯王氏、上方舞の山村楽正氏、バイオリニストの辻久子氏、指揮者の佐渡裕氏、津軽三味線の(二代目)高橋竹山氏、指揮者で朝比奈隆氏の長男、朝比奈ちたる(?よく聞き取れなかった)氏の6人。

 しばらくすると、米朝師匠、ざこば、南光も合流する。ざこばは、最近酔って転んだとかで、片足にギプスをしている。

 座談会も終え、米朝一門全員が出てくる。ここのところ体調不良で公演を休んでいた吉朝も顔を見せていた。
 小米朝が米朝一門の手締めというのを紹介する。手締めというのは、こうした宴会ごとの「しめ」の部分で、手拍子をうつことで、一番ポピュラーなのは「3、3、4拍子」というか、手を「ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃんちゃん」とたたくもの。
 一本締めというのは、何度もたたかずに「いよ〜〜っ!ちゃん!!」と1回で決めるもの。
 そうそう、米朝一門の手締めというのは、一番最初は人さし指一本だけでたたき合わせる。二回目は人さし指と中指の2本。この辺まであまり音がしない。三回目には、さらに薬指を加えるので、かなり音が大きくなってくる。
 次には、小指も加えて四本でたたく。この辺で「ぱぱぱん、ぱぱぱん、ぱぱぱんぱん!」という音が会場中に響く。
 そして、いよいよ5本揃った普通の拍手となる。「もういっちょう!」という小米朝の声が響き、会場中が手拍子で一体となり、クラッカーの音とともに光り輝く金属リボンが飛び交い、紙吹雪が舞う。
 上向きに吹き上げられた紙吹雪が天井附近から客席へひらひらと舞い落ちて いくなか、緞帳は少しずつ下りていき、舞台の皆さんは三々五々舞台下手(しもて)へと散っていく。

 かくしてサンケイホール最後の幕はおろされたのであった。 



 

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