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(No87) 平成紅梅亭 TV鑑賞記 その1  

 平成18年(2006)1月11日放映分。
 


(1) 露の五郎兵衛 「ねずみ」

 
大工は職の司
(つかさ)と申しますが、飛騨高山の棟梁、左甚五郎利勝のお噂でございます。
 甚五郎は墨縄という人に弟子入りしましたが、はたちの時に師匠からもう教えることは何一つ無いと言われ、京都に出てきて墨染という所に住みました。
 竹の水仙を禁裏におさめ、左官
(ひだりかん)という官位をいただいたので左甚五郎とも、「飛騨の」甚五郎がなまって左甚五郎となったとも、はたまた、江戸で日光東照宮の仕事をした時に右腕を切り落とされ、以後左手一本で仕事をしたので左甚五郎と呼ばれたとも、いろいろな説がございます。
   その後、江戸は日本橋橘町大工の政五郎という棟梁の家に10年居候いたしました。

 居候てなもん、そう何年もするもんやないですが、10年ゆうとする方もするほうですし、させる方もさせる方です。

 何でもこれは、甚五郎が昔政五郎さんに世話になったので、政五郎が亡くなって、若い息子が名前を継いだ時に、彼が一本立ちするまで後見の意味で居候をしていたとも伝えられています。

 政五郎を継いだ息子もだいぶしっかりしてきたんで、もうそろそろよかろうということで、甚五郎は居候をやめ、全国を旅しておりました。
 おりしも仙台の町に入りましたところ、12、3の男の子が声をかけてまいりました。

 この噺は以前都丸で聴いた。

 男の子が客引きをして、甚五郎はその宿に泊まることにした。
 男の子は宿が狭いし、汚いことを告げるが、甚五郎は意に介さない。
 「布団要りますか?」と訊かれ、貸し布団屋に勘定がたまっているので20文先銭をもらわないと貸してくれないというので、金を渡す。
 案内してから布団屋に行くと遅くなるので、大きな虎屋という旅籠の向かいのねずみ屋というところへ一人で行っておいてくれと言われる。

 宿の主人は腰が抜けているので足をおすすぎできないので、そこの草履をはいて裏の小川で自分で洗ってくれと言われる。
 片方、鼻緒が切れているが・・・と言うと「では、ケンケンで」と、これまたアバウトな主人(さっきの子どもの父親)。

 布団を抱えて帰ってきた息子。
「食事します?」と訊かれ、今から飯を炊きおかずを作っていると遅くなるから、五人前ほど寿司でもとらないか、おとっつぁんもあたいも寿司が好きなんだと提案。

 金を渡し、それで寿司と、酒を二合ばかり買ってきてくれと頼むと「あたい、お酒は呑めない」。

 息子が寿司と酒を買いに行ってる間に、親父が宿帳を書こうとして彼が有名な左甚五郎と知る。
 事情を聞かれ、親父は、自分はもと虎屋の主人だったが、客の喧嘩に巻き込まれて腰が立たなくなった。女房を亡くして後添えにもらった女が番頭と通じて、宿屋を乗っ取られ、今では息子と二人で細々と暮らしていると告げる。

 気分が乗らなければ金をいくら積まれても仕事をしない甚五郎が、一晩かけて「福ねずみ」を彫り上げた。
 名人甚五郎の福ねずみは生きたように動くと評判になり、ねずみ屋はたいそう繁昌するようになる。
 一方、閑古鳥の鳴きだした虎屋の元番頭にも言い分があり、もともと後妻になった女中とはデキていた。それを主人が横取りしたんだと思っているので黙ってはいられない。ある職人に虎を彫らせて福ねずみに睨みをきかせると、ねずみはぴくりとも動かなくなった。
 おのれ、どこまで仇(あだ)をするのか、と怒り心頭に達した親父は、悔しさのあまり思わず立ち上がった。
 「私の腰が立ちました。ねずみの腰が抜けました」という訳のわからない手紙をもらって再びねずみ屋を訪れた甚五郎は自作のねずみに語りかける。
「この甚五郎が精魂込めて彫り上げたねずみが、あれしきの虎の威光に負けて動けなくなったのか?」
「え?あれ虎でっか?てっきり猫やとばっかり」というのがサゲ。

 当たり前だが、場所が仙台と岡山の違いがあるとか、宿屋の名前に若干の違いはあるが、都丸の噺とだいたい同じである。

 五郎兵衛師匠は、怪我をされた後なのか、正座せず床机に腰掛けての口演であった。

 それと、発作か何かの後遺症かどうかはわからないが、口調にややもつれがあり、ゆっくりていねいに語っておられたように思う。 

 

 


(2) 桂米朝 「けんげしゃ茶屋」

 
「けんげしゃ」、「けんげし屋」(「験消し屋」?)とは、御幣かつぎ、験(げん)かつぎ、つまり縁起とかジンクス、吉凶を非常に気にする人間のことである。

 この噺は、当たり前の粋な遊びに飽きてしまって、悪趣味なところまで行ってしまった旦那の悪ふざけに周りが翻弄される噺なんで、聴いていてあまり爽やかな噺ではない。

 国鶴にせよ、幇間(たいこもち)連中にせよ、旦那の「金」ゆえに「悪趣味」に耐えているわけだから。ま、別にそう珍しいことでもないか。
   
 大晦日の日、街をぶらぶらしていて又兵衛という男に出会った村上の旦さんは「大晦日は店の誰もが忙しくしていて、身の置き所がない。さすがに大晦日にお茶屋に行くわけにもいかんし・・・」とぼやく。

 又兵衛は、旦さんやったら新町の馴染みのお茶屋に行ったら大晦日やろうと福の神が来たと言われますやろとベンチャラを言うが、実は訳があって、新町へは行きにくいんやと先日の悪戯を告白し始める。

「幾代餅という粟餅(あわもち)を餡を付けずにできるだけ不細工につくねさせて、懐に忍ばせといてな、向こう行って腹の具合が悪いからおまる持ってきてくれ、てゆうたんや。

 そんなことでけまっかいな、ゆうから、わい、隙をみて、その粟餅を足の間に落としといたった。
 出すもん出したらすっきりしたゆうて、のいたら、そいつが落ちてるやろ。大騒動や。
 幇間の一八
(いっぱち)が『ここをどこや思てなさる、新町でっせ。旦さんがそんなことしはる人とは思わなんだ』てぎゃあぎゃあ言いよるから、お前、これを食べる真似だけでもしたら、お前のでぼちん(おでこ)に祝儀で百円札貼ったったのに・・・ってゆうたったんや。

 ほたら、後でほんまに手水場
(ちょうずば。トイレ)行きとぉなってな。そしたら一八がついてきて、『旦さん、百円とは言いまへん。五十円でも、二十円でもけっこうだす』言いよるさかい、今度はほんまもんを落としたったんや。
 ありがたい!ゆうて、そいつに手を伸ばして口へ持っていこうとした時の一八の顔ゆうたら・・・・・・・。

 それ以来、新町行ったら、あ、ババ
(糞)の旦さんや、ババの旦さんや言われてな、ちょっと新町には足向けにくいんや」
  
 通常は、最初の落し物を見て芸妓衆が大騒ぎしたので、旦那が「わいの身体から出たもんやさかい、わいが始末つけたらええねんやろ」と、拾って食べてしまう。
 気の弱い芸妓は反吐(へど)ついて(嘔吐して)倒れてしまう。
 で、一八が上記のようにマジで非難するのに対し、わいがそんなことする人間かどうかわかってて、趣向を見抜いて、お前がもし、「旦さんのお身体から出たもんでしたら・・・・」ゆうて食う真似でもしたら、思い切りチップをはずんでやったのに・・・・・・となじるという演出。

 今回、自分で食べるシーンや、その趣向を見抜いて・・・というセリフを飛ばしてしまっているから、一八に「食べる真似でもしたら・・・」云々のセリフ、また、その後で食べたがるシーンが理解しにくい。 

「せやから・・・ゆうわけやないが、ミナミ(新町は現在の大阪市西区。ミナミは旧南区、現在の中央区)に新しい馴染みができて、店持たせてるねん。

 まだ若い国鶴
(くにつる)ゆうおなごやねんけど、おもろいことに、この国鶴だけやのぉて家内中いたってのけんげしゃでな。カラスの鳴きようがどうやとか、今日、おとむらいに出会うたとか、そんなことばっかり気にしとんねん。

 おもろいさかい、わざとちょいちょい縁起の悪いことゆうたるとゆうと、すぐ顔に稲妻走らせよる。
 この頃はそれを肴に酒を呑むちゅうてな按配や」

 「顔に稲妻走らせる」という表現が、なかなかうまいなと思う。

 旦那は又兵衛に、明日数人で葬式行列の格好をして「冥土から死人(しびと。しぶと)が迎えに来た」ゆうて国鶴の店を訪ねてきて、さんざん縁起のわるいことを並べるよう命じる。

 翌日(元旦)、旦那は国鶴の店を訪れる。

「はい、ごめんを」
「ああ、これは旦さん、暮れにはえらい手厚いお心遣いいただきまして、ゆうべも親父どんと、こうして結構な年が迎えられるのも皆旦さんのおかげや、あだやおろそかにしたら罰があたるゆうて。
 また、うちの国鶴はあのとおり至っての我が侭もんですけど、どうぞ今年もよろしゅうお頼もうしましてございますでございますでございます・・・」
「えらい礼、ゆうたなぁ。そない礼ゆうたら損がいくで。

 親父どんの顔が見えんが?」
「はあ、早々に年始の礼に」
「早々の礼やったら葬礼
(そうれん)やな」

「・・・・・どうぞ、そんなことはおっしゃらんように」
「国鶴は?」
「へえ、二階で髪を・・・」
「おろしてんのか?」
「まあ・・・・・国鶴!はよ
(早く)おりといで!あんたが遅いよって旦さん、意地悪ばっか言わはる」

「この短冊は?」
「へえ、おとっつぁん還暦やさかい、林松右衛門という名前をおりこんだ祝いの句ぅを書いてもらいましてん。

 のどかなる 林にかかる 松右衛門 ゆいますの」
「ほぉ・・・・・、なかなか悟った句ぅやな。 喉が鳴る 早や死にかかる 松右衛門  とはなぁ」
「こんな短冊、ほってしまう!!」

「旦さんも、そない縁起の悪いことばっかりおっしゃらんと。
 お屠蘇をどうぞ」
「薬酒かぁ・・・・・・。今年も薬と縁が切れんのやなぁ」

 酒のくだりでは、旦那が酒を燗してくれと言い、「”ひかん”やなんて、また、そんなことを」と嘆く場面があった。

 これは、持って来られた燗酒に対し「これは火燗(ひかん。直火にかけて酒を温める)やな」と言う旦那に、「いえ、ちゃんと銅壷(どうこ)の湯ぅで」と言い返したところ、「ほな湯灌か」と言われて嘆くという場面である。
 いきなり火燗で嘆いては意味が通らない。

「お煮しめでございます」
「ほぉ・・・。重箱の蓋をあけても煮しめがじかに見えんように青海苔が一枚敷きつめたぁる。洒落た仕事やな。
 煮しめが草葉の陰から顔出して・・・・」
「黒豆を・・・」
「苦労豆やな」
「数の子を・・・」
「貧乏人の子沢山」

「・・・・・あっ、忘れるとこだした。
 いつもの一竜
(いちりょう)はんに芝竜(しばりょう)はん、絹松っつぁんに小伝(こでん)さん、線香三本でええさかい、この家から初出がしたいゆうてたんでっけど、知らしてやってよろしいやろか?」
「おうおう、ちょっとでも早い方がええ。すぐ電報でも打って・・・」
 落語「たちきれ線香」でわかるように、昔、芸妓の花代(お座敷代)は線香一本燃え尽きる時間が一単位となっていた。
 だから「線香三本でええから」というのは、ごく短時間でもいいからという意味だろう。初出とは新年の初座敷。「知らす」とは、お茶屋に連絡して座敷にお呼びをかけるということである。

 電報云々は、当然死亡、危篤など危急の事態を告げる不吉なものを連想させる。

 また、四人が来たら天神さん(天満天神社)に初詣に行きたいという国鶴に「天神さんは、恨みをのんで死んでいった菅原道真公をお祀りしている」と言い、「ほな、生玉さん(生玉神社)にお参りを」に対しては、生玉さんやったら、まっちゃまち(松屋町)筋から迷わずまっすぐに・・・・と言って「もうどこへも行かへん!」とキレさせる。

 そこへやって来たのが、かねて手配の又兵衛の葬式行列の一行。

「ええ、旦さん。冥土から死ぶとが迎えにまいりました」
「ひぇ〜。なんちゅうこっちゃろ、くわばら、くわばら」
「いや、京都に御影堂
(みえどう)ゆうとこがあって、そこに渋谷藤兵衛(しぶやとうべえ)ゆうもんがおんねん。略してみぇどのしぶとや」
「途中で天満の勘兵衛さんが怒りはって」
「ええ?てんかん
(天勘。癲癇)が起こったら大変やがな。泡ふいて・・・・。

 おう、引き合わせてとくわ。一竜さんに芝竜さん。絹松さんに小伝さんや」
「へえ、変わった名前でんなあ。生霊に死霊。死ぬ松に香典でっか?」

 そこに来合わせたのが幇間の茂八(しげはち)。
 心得顔で二階に上がりこみ、験直しをしようと「おめでとうございます」を連発する。
 趣向を台無しにされた旦那は、「知らしもせん座敷に勝手にあがってきて偉いもんやのぉ。お前みたいな向こ先の見えん幇間は二度と贔屓にせんさかい、帰れ!」と一喝。

 しもた、しくじったと思った茂八は、外へ出るなりどこで手回した(調達した)か、白い死に装束、頭には三角の白いキレ、手には小さな位牌を持って引き返してきた。

「正月早々、旦那のような結構な方から暇を出されるようでは、先に見込みはおまへん。

 今日から茂八改めまして『死に恥』。これは、心ばかりの位牌
(祝い)でございます」
「ほぉ〜。ヒネは後からはじけるとゆうが・・・。
 よぉでけた!これからも贔屓にしてやるぞ」

 サゲは、「ご機嫌が直りましたか?」と喜びのあまり茂八が、また「おめでとうございます」と言ってしまい、演者が素(す)に戻って「また、しくじりよった」。

 「ヒネは後からはじける」とは、晩稲は、他の稲より遅れて実を熟させるという意から転じて、出遅れた冴えない芸人も、最後にはいいとこを見せるというような意味だろうか。

 米朝師匠の高座は、やはり聴いていてなかなかスリルがある。



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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