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(No08) 第25回 市民寄席 米朝一門会鑑賞記
今年の上方名人会では米朝師匠が骨折で欠席された。
それで、その無念を取り戻すべく、8月のサンケイホールの米朝一門会に申し込んだ。
その公演日時は8月14日(土)。このことは「落語」(5)でご紹介したのだが、仕事が入ってしまい、中入り後の米八、南光、ざこば各師匠の高座が聴けなかった。
それで、またまた、その無念さを晴らすべく、ネットで案内が来た堺市民会館での米朝一門会に申し込んだのであるが、ああ何ということであろう。公演当日の10月20日(水)、大阪には台風が来襲し、公演は12月16日(木)に順延となってしまったのだ。
場所は、同じく堺市民会館。平成16年12月16日(木)、午後6時開場、6時30分開演。
数日前から必死で仕事を段取りし、当日も死に物狂いで仕事をやりくりして、急行やタクシーを乗り継ぎ、開演と同時くらいに会場にすべり込んだ。
(1) 桂 吉坊 「もぎとり」
「トップバッターをつとめるのは、桂吉坊。
パンフレットの小佐田定雄氏の解説によると『年齢不詳。人形のようにかわいい若手です』」・・・というのは、前回の鑑賞記の記述。しかし、今回も口開けは吉坊であった。
開口一番「落語界のえなりかずきです」。
場内どっとわいて、「人の名前ゆうて、こない受けたん初めてです」と笑わせる。
ネタは、前回書いた上方名人会(平成16年度)で桂春駒が演じた「軽業」の途中まで。
イタチ(板血)でだまされ、クジャク(九尺)でだまされ、「取ったり見たり」でまたまただまされ、最後に軽業小屋に入り、さあ、これから、というところで、高座をおりる・・・というのも、前回と同じ。 |
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デジャブ(既視感)におそわれまくる。
今回の公演では、いわゆるお茶子さんがいないのか、自分で見台などを抱えて持ち帰り、次の演者の「めくり」をひっくり返して楽屋に引っ込んでいったのが印象的であった。(こごろう以下、その後のお茶子は吉坊がつとめていた)
なお、吉坊は昭和56年8月生まれ。平成11年に桂吉朝に入門。
「わたくし、高座に出ますとたいがい、こんな小ちゃいうちから修行して、とか、特にお年寄りの皆さんから暖かい目で見ていただけるんです。
しかし、実は23歳ということがわかってしまうと、それやったら、もう少ししっかりしてもらわんと、と言われるんです」とのことであった。
(2) 桂 こごろう 「動物園」
吉坊、こごろう入れ替わりの時、入り遅れていたお客さんが10人ほどぞろぞろと移動した。
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高座のこごろうとしたら、客席で突っ立って移動されると、そりゃ気になるだろう。
「早く座ってくださいね・・・・・・・私は、皆さんが座るまで噺を始めません!」と言って、場内の笑いを誘った。
しかし、最前列中央まで歩いて行った二人がなかなか座らない。
全席指定の筈なのだが、どうやら、座席番号がかち合っているのか、座るべき場所に先客がいるようなのだ。 |
ダブルブッキングなのだろうか?
冒頭で書いたとおり、本日の公演はもともと10月20日の筈が台風で本日に順延された。
私のところにも、10月20日のチケットは、12月にもそのまま使えるし、申し出ればお金を払い戻す、という連絡が来た。
何かの手違いで、活きている席をキャンセル扱いにして次の客に売ってしまったのだろうか?それとも、先客は、本当はそこの席ではないのに、特等席が空いているということで厚かましく座っていたのか?いったい結末やいかに?
「どうしたんですか?私がどっちかに決めましょか?スタッフの人、いらっしゃらないんですかねえ?
あのねえ、こうしてると、会場の皆さんの視線が私やなくて、全部あなた方に集まってしまって、私としては非常に困るんですよ。
皆さんも思っておられるでしょう。あのチケットの件は、一体どないなるねんて。
こうやってる間に、私の持ち時間がどんどん短くなっていくんですよ」
やっとのことで、先客か後かわからないのだが、二人が後ろの方へ移動した。
「よろしいですか、それで。もう、文句は出ませんか?
皆さん、まだ気になってますでしょ。
皆さん方は、私だけを見て、私の話だけを聞いて、あははあ、あははあと笑っていただければ、それでいいんです。
早い話、皆さん方はアホになっていただいたらええんです。
ただ、気いつけてくださいね。会場ではアホになってもろたら、それでええんですが、家帰る前には、ちゃんと元に戻ってください。
ただし、もとからアホの人は、そのままでけっこうです。・・・・・まあ、この会場にはいられないでしょうが」
それで、ようやく本題の噺に入ることができた。
噺自体は、移動動物園のトラが死んでしまい、その場しのぎで、そのトラの毛皮をかぶってごまかす役のアルバイトを募集することになったというもの。
「トラやのに、あぐらかいて、腕組んでたらあかんがな。タバコ?あほなこと言いな」と叱られたり、腹が減ったといって、見物している子供に「ガオ〜!パンくれ。ガオ〜!パンくれ」「お母ちゃん、このトラ、パンくれ言うてる」などがくすぐり所。
オチは、突然の「特別アトラクション、猛獣ショー!百獣の王ライオンと、密林の王者トラの一騎打ち!」というアナウンスとともに、トラの檻にライオンが。
びびりまくる男に近付いてきたライオンが、耳元で「大丈夫。わいも1万円で雇われたんや」
ともかく、前半のアクシデントが気の毒でした。
こごろうは、昭和42年生まれ。平成3年に桂べかこ(現南光)に入門。
(3) 桂 都丸 「強情灸」
京阪電車で、リーゼント頭のツッパリが、そのとんがった頭の先をドアにはさまれた・・・というのがマクラ。
もぐさの袋を抱えている男に、兄貴分が尋ねる。
その男が言うには、先日行った「お灸」の店で、きれいな女性が「皆さんがえらい熱そうにしてはるさかい、何や怖なってしもて。お兄さん、何やったら先にやっとくんなはれ」と順番を譲ってくれた。
その女性にいいところを見せようと思った男は、順番にすえようとした店の者に「それぐらいの灸、いっぺんにすえても大丈夫や」と見栄をはる。
内心、「あんさん、そんな無茶したら身体に毒だっせ」と店の者が止めてくれると思っていたら、あっさり「あ、さよか」といっぺんにすえ始めた。
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女性の手前、最初のうちは我慢していたが、どうにもこらえきれず、とうとう大声をあげて、そこいら中のものを蹴倒して店を飛び出したので、もう恥ずかしくて、その店に行けない。だから、こうして、もぐさを買って、自分ですえているのだと言う男に、兄貴分が、「情けないやっちゃ。わいが『びっくりずえ』というのを見せたるわ」ともぐさを自分の腕に山のように盛り上げ、火をつける。
心配する男に「あほ、こんなもん何が熱いねん。ほれ、火ぃがはよおりるように吹かんかい!」と威勢のいいところを見せていた兄貴分だが、やがて、口数が少なくなり、顔を赤くして、のた打ち回り・・・・・という噺。
場内はよく沸いていたし、熱さをこらえるシーンでは拍手も来ていたが、私には我慢する描写が、ちょっと類型的で繰り返しが多いかなと感じられた。
都丸は、昭和30年生まれ。昭和52年に桂朝丸(現ざこば)に入門。
(4) 桂 米朝 「始末の極意」
前回の公演では、「最近は、朝起きた時の体調で、どの噺をするか決めるんです。
体調のええ時は、長い噺。もひとつの時は、短い噺」と言っていた。
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今日は、小話の連続みたいな感じだったので、体調はもうひとつだったのかもしれない。
「もう80でっさかいな。どこ行くにしても、ここへ来るのはこれが最後かいな、この噺すんのもこれが最後かいなと思うんです」
「昔はね、噺家みたいなもん、楽屋から高座まで歩けたら、そんで商売でけると思てたけど、そうやないんですな。
こないだ話してたら、知らん間に別の噺になってしもてましてな、あれはあわてました。
もう、一体、何の噺してるんやわからんようなところもありまして」と、どうも心細い。 |
「昔から、当たり障りのないのが『三ぼう』の噺てなこと申しまして、耳の不自由な方は、まあ文句を言われることはない。泥棒の噺も『わいは泥棒やけど、この噺はけしからん』と文句を言いに来ることはない。それと、けちん坊は、金払って寄席に来るはずがないちゅうことで」と小噺につなげる。
「せがれ、今店の前通ったんは前田はんやないかいな?」
「何言うてまんねん、お父さん。あれは、前田はんやがな」
「何や、そうかいな。わいは、また、てっきり前田はんや思て」
橋のない川を渡ろうとした男は、川向こうにいる男に大声で尋ねる。
「おお〜い、もしぃ、川向こうのお方〜。この川渡りたいんやけど、深いですかなあ、浅いですかなあ〜」
すると、川向こうの男、
「あっ、あの男、何や言うとる。何ぞたんねてる(尋ねてる)んやろなあ。しゃあけど、わいは耳が聞こえんのや。まん(間の)悪いことに、周りにたんねる人もなし。ええい、しゃあない。あのなあ〜、わいは、耳が聞こえんのじゃあ〜」
「あっ、何ぞ言うたはる。教えてくれてはるんやろうなあ。ところが、わいは耳が聞こえんがな。周りにたんねられる人もなし。どないしょ。
おお〜い、川向こうのお方〜。わいは耳が聞こえませんでなあ。手真似で教えてもらえまへんかなあ〜。この川の深さは、膝ぐらいでっか、腰ぐらいでっかぁ〜」
「あっ、あのがき、まだ何ぞ言うとる。わいは、耳が聞こえん言うてんのに。何や手真似しとる。あかん、あかん、わいは耳が聞こえんのや〜」と耳を指差したから、
「ええ〜!そないに深い川はとても渡れん」
泥棒も噺の世界に出てくるのは、そない大物はおりません。天王寺さんへ盗人に入った男が、門番の仁王さんにぐっと踏みつけられて、思わずおならをぶ〜。
「臭う(仁王)か」
けちん坊も、ちょっとやそっとのけちでは噺にならん。
「ちょっと、隣行って、金槌借りといで」
「鉄の釘打ったら、金槌が減るゆうて、貸してくれまへんでした」
「何ちゅうけちなやっちゃ。しゃあない、うちのん使い」
「別におかずがなくても、隣の鰻屋から蒲焼のにおいがしてくるよって、これをおかずに飯食うねん。
せやけど、月末に請求書来たんや。においの嗅ぎ賃よこせ、ゆうて」
「それで、おまはん(お前さん)、払(はろ)たんかいな」
「ああ、財布から銭を、ちゃらちゃらちゃらと出したんや。ほんで手を出そうとするさかい、においの嗅ぎ賃やねんから、音だけでよかろうとなおしたった(しまってやった)」
・・・・・というような噺は、よく聞く噺。
ある男が、目を二つも使うのはもったいないと言って、片方しか使わんようにした。
年取って、運悪くその目を患って見えなくなったが、こんな時のために、ちゃんとスペアが取ってあると、もう一方の目を使ってみると、世間みな知らん人ばっかりやった・・・・・という噺は、何か枝雀のS・Rを思わせる不思議な雰囲気を感じた。
今までのことは枝葉のことや、おまはんに始末の極意(倹約術の真髄)を教えてやろうと言われた男、庭の木の太い枝にぶら下がるように言われる。
「左手を離せ」
「軽業の稽古に来たんちゃうで。へえ、離しました」
「よし、今度は右手の小指を離せ、よし、次は薬指、次は中指」
「いよいよ軽業やな。わいは始末の極意を教わりに来たんやで」
「よっしゃ、次は人指し指を離せ」
「無茶言いなや、こんなもんが離せるかいな」
「よう離さんか。離すなよ。これ離さんのが極意や」
このオチがわかりにくい人は自分でやってみるか、『米朝コレクション』第4巻(ちくま文庫)の表紙写真をご覧いただきたい。
梅干をおかずに飯を食う・・・という小噺のところで、途中で主客が転倒してしまったり、はらはらどきどき、実に何とも心配な高座であった。
米朝師匠は、大正14年11月生まれ。
(5) 桂 ざこば 「肝つぶし」
開口一番、「最近嫁と合いませんねん」といつものマクラ。
湯沸しポットで、ざこばはいつもなみなみと満杯にしておきたいのに、嫁さんは減っていても平気である。
なくなって「ぷしゅ〜 すかっ!すかっ!」ゆうのがいやなんです!・・・というのは前に聞いたことがあるのだが、今日聞いたのは私は初めてのものばかりだった。
ガラスのテーブルに嫁さんが湯飲みを落とし、えらい大きい音がして、びっくりした。
「どないしてん!?」と聞くと
「手ぇすべってん!」
違うやろ、と。それを言うなら「ごめん、手ぇすべってん」やろ。
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魚焼いてくれたけど、真っ黒こげやった。
これも「どないしてん?!」ゆうたら、「焼きすぎてん!」
違うやろ。「焼きすぎてん、ごめん」やろ。昔やったら、「何ぃ?ごめんなさいやろ!」と怒鳴ってるところやけど、「ああ、ぁぁ、焼きすぎたんか。そ、そうか」と自分の胸に収めたんです。私も丸なったもんです。
でもね、私の胸に収めるタカ(容量)は目一杯なんです。それで、ハイヒールのモモコに、どない思う?って聞いたんです。私は、こういうことを耐えていかんとあかんのでしょうか・・・・・などとぼやく。
嫌いで一緒になったんやないんです。惚れて一緒になったんですけど・・・・・・何で惚れたんでしょう。
たまらんくらい好きやったのに・・・。今はたまらんくらい嫌いなんです。
悪口言ってるようにみせて、結局ざこば師匠は嫁さんをノロケてるのだろうか。
噺は、夢に出てきた女性に恋患いした、恩人の息子を助けるため、男が眠っている妹を殺そうとする。(その恋患いは命取りで、ある条件が揃った女性の生肝を食べさせないと助からない。)
いくら恩人の息子の命を救うためとはいえ、可愛い妹を簡単に殺せる筈がない。妹がはっと目を覚ますと、兄が庖丁を振りかざしている。
「兄さん、一体何をしてますねん!?」
「い、いや。今度、町内の余興で、芝居をやる。その稽古なんや」
「はあ、びっくりした。何や、そうですんか。ほんま、肝つぶれたがな」
「ええ?肝つぶれた?あかん、薬にならん」
ざこばは、昭和22年生まれ。
(6) 大喜利
中入り後は、大喜利。
司会は、桂 南光。それで、解答者は、舞台左(南光側)から、順に桂 米平、桂 む雀、桂 こごろう、桂 都んぼ、桂 都丸。
南光は、昭和26年生まれで、故枝雀師匠の弟子。
解答者の自己紹介にツッコミを入れる。
米平は、昭和37年生まれ、昭和56年に桂米朝に入門。「米平さんは、体重が110kgあるんです。これ聞くと皆さん、おおっと驚きはるんです。これがほんとの110のおお(百獣の王)」という具合。
桂む雀は、昭和36年生まれ、昭和56年に桂枝雀に入門。
桂都んぼは、昭和49年生まれ、平成6年に桂都丸に入門。
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まずは、謎掛け。
プロ野球と掛けて、何と解く?
ダイエットと解く。そのココロは?メジャーが気になります。(都丸)
米平さんの糖尿病と解く。そのココロは?合併しよう(合併症)が気になります。(都んぼ)
南光さんと解く。そのココロは?裏表があります。(む雀)
彼岸の人出と解く。そのココロは?中日が一番です。(こごろう) |
扇風機と解く。そのココロは?ファンの風当たりが強いでしょう。(米平)
次のお題は、客席から出題された「台風」。
台風と掛けて、何と解く?
高校三年生と解く。そのココロは?進路が気になるでしょう。(都丸)
ここにいらっしゃる先輩方の芸と解く。そのココロは?大きいと心酔(浸水)します。(都んぼ)
たこ上げと解く。そのココロは?前線(電線)にひっかかると大変です。(む雀)
む雀は、「私、和歌山の出ですからね。”ぜ”と”で”がややこしいんです。全然を”でんでん”と発音しますから」と言って、南光に「うそつけ。お前、さっき、地元堺の出身って言うてたやないか」とつっこまれていた。
納豆と解く。そのココロは?ねってい(練っている。熱低)(米平)
あとは、最初に川柳の下の句5文字を各自に書かせる。
そして、会場から上の句5文字を出題してもらう。そして、川柳を完成させる。
会場からの上の句は「自衛隊」。
こごろうは、「自衛隊」サマワで弁当「おかず何?」
米平は、「自衛隊」涙で送る「家族連れ」など。
会場配布のパンフを見ると、昭和54年から営々と続いているようだ。演者、演目一覧が載っていたが、平成5年は「ざこば、米朝、吉朝、枝雀」、平成9年は「吉朝、枝雀、南光、米朝」、そして平成14年は「吉朝、米朝、南光、ざこば」と豪華なラインナップ。
今回は、南光が大喜利の司会だけで、噺をしなかった点が残念だった。それと、米朝師匠の体調が気がかりである。
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