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(No78) 平成紅梅亭 TV鑑賞記 その2  

 きっちり記録していないので、放送日もよく覚えていないのだが、とりあえず記録しておきたい。
 


(4) 桂小枝 「大安売り」

 
高座に上がるなり、客席にニヤニヤと笑いかける。
   私ねえ、実は落語家でございます。決して・・・・・レポーターじゃないんです。
 名前で判断してくださいねえ。「桂」と付いてるでしょう?桂米朝とか、桂春團治とか、桂と付いてたら落語家なんです。

 例外はありますよ。桂銀淑は落語家じゃないです。

 ブライダルの桂由美も落語家ではありません。

 あと・・・・・・・・パンチョ伊東とかねぇ・・・・・・・・・綾小路きみまろ・・・・とか、さくらパパとかね・・・・。意味、わかるぅ?「桂」と「かつら」を掛けてるんですよ〜。

 まあ、古い社会ですよね。この時代に着物、着てまんねんで。
 私・・・・・・・ええ着物、着てますでしょ?素材が違いまっさかいな。着物の生地としては最上の・・・・・・ポリエステルです。暑い、暑い。皮膚呼吸でけへん。

 次に良いのは・・・・・アクリルです。火気厳禁なんです。煙草とか落したら、じゅじゅじゅ〜ゆうて。ええ着物は・・・・溶ける。



 私、文枝一門ですねん。知ってた?うっそぉやん?私、9番目なんです。
 上から落語協会の会長の三枝ね、きん枝、文珍、文太、お軽、文福、文喬、文弥・・・・・・・小枝てね。異例の出世ゆうか。

 文珍兄さんゆうたら、こないだ自家用飛行機に乗せたるゆうて。八尾南駅で・・・・ゆわはるから待ち合わせしてたら黒いポルシェですわ。それで八尾空港へ。
 ほんで自家用飛行機でっせぇ?生意気っやちゅうねん!

 でも、飛行機ゆうても長さ2mほどでんねん。二人乗り。
 真冬の寒い日ぃでした。エンジンも暖まってなかったんでっしゃろなあ。ブルンブルブルプッスンプス・・・・ブルンブルブルプッスンプス・・・・・。かかりまへんねん。そしたら、文珍さん、降りていって、何するか思たら、飛行機の前へ回って、プロペラ、手ぇで回してまんねん。ゴム飛行機やないっちゅうねん。
 で、文珍兄さんの後ろに乗ったんですけど・・・・。前も落語家、後ろも落語家。・・・・・・・・どぉ、これ?
 飛んでる時、寒い時期やのに、ほっと見たら、文珍兄さん、首筋からだらだら〜っといぃ〜っぱい汗流したはりますねん。何、この汗ぇ〜?恐ろしかったぁ。

 しかし、文枝一門でよかった。自由でね。こんな頭してても、怒られませんからねえ。私も好き好んで、こんな格好してるんやないんですよ。もうちょっとしたら、坊さんの格好して、雪山とか行かな、いかん。まあ、私もいろいろなとこ、行ってます。
 −20度のとことかね、風速50mのとことか。

 ほか、ライオンに貼ったり。つないでないのよ。相手、肉食獣でっせ。ほんで、僕の体は肉で出来ています。
 第一、ライオンはカイロなんか貼られたないっちゅうねん。自分の毛ぇで充分、ぬくい。


 桂春團治一門は、また独特の雰囲気を持ってます。笑福亭一門はねえ、酒飲んで暴れる、人を殴るって感じですよね。
 また、桂米朝一門とゆうと、何か古典落語をやる・・・・・感じですな。
 あの・・・・・・・・・米朝師匠の落語ねえ。今のうちに行っといた方がええですよ。何でか・・・・は、ゆわれへんけど。
 米朝師匠にもしものことがあったら「こべいちょう」になりまんねん。「故・米朝」ゆうてね。

 息子の小米朝が米團治の名前を継ぐそうですが、・・・・・・・個人的には反対。だって、あの男、アホだっせ
 しっかりしてるようで、頼んない。
 こないだ、繁昌亭で「たちきれ線香」やったんですが、「こいと!」て名前呼ぶとこで、あいつ「とてと!」やて。あかんでしょう、そんな人間が米團治を継いでは。

 東京から桂歌丸師匠が来はったんですが、楽屋でお弟子さんがジャケットを掛けてはったんですが、あいつ、それを間違ごうて着て帰りよって。
 そこに、歌丸師匠の帰りの切符から何から入ってたから大騒ぎになったんです。それも、全然似てないんでっせぇ。
 ベルトの上から、またベルト締めたりしよるしねえ。

 まあ、落語ゆうたら古い社会です。あと、歌舞伎とか、浄瑠璃なんかも古い社会ですが、何とゆうても一番古いんは相撲の社会ですなあ。
 今の時代に、ちょんまげしてまんねんで。ほんで、仕事着がマワシ。
 昔は、相撲取りゆうと一年を二十日で暮らすええ男・・・と申しました。本場所が十日で年二回、まあ巡業はあったんですが、
「おい!」「何や?」・・・・・・・・・もう、本編に入ってるんですよ。は、は、は、は、は

 
 扇子でパタパタ扇ぎながら高笑い。

「横で、松之助師匠が待ってはるから、はよせなあかん。はははははは」と言って、いよいよ本編へ。
 マクラとゆうか、脈絡のない漫談が続いてたんで、このまま終るのかと思った。

 「玉二つ」という四股名の相撲取りに、しばらく見なんだが?と聞くと江戸の本場所に出ていたという。
 戦績は?と聞くと「勝ったり、負けたり」。
 遠く離れた江戸の話、全部勝ったと言ってもばれないのに正直に負けたことも言う、こういう相撲取りは贔屓にせないかんと感心し、さらに詳しく聞く。 



「初日は?」
「緊張して、気が付いたら負けてました」
「こら、しゃあない。場所負けちゅうやつや。二日目は?」
「このままじゃあ、親方衆、ご贔屓衆に申し訳が立たん。
 立ち上がるなり、得意のぶちかましで一気に土俵際まで」
「寄り切ったんか?」
「うっちゃりで負けました」
「・・・・・・・・・・三日目は?」
「このままじゃあ、親方衆、ご贔屓衆に申し訳が立たん。
 立ち上がるなり、得意の足取りで」
「ああ、まあ、何でも勝ちゃあええからね。相手はこけましたんか?」
「相手が上にこけてきたんで、体の小さい私は・・・・・・負けました」
「四日目は?」
「このままじゃあ、親方衆、ご贔屓衆に申し訳が立たん。
 立ち上がるなり、得意のもろ差しで。ところが相手は私の腕を極めて、腹の上に乗せたかと思うと、ひきょうにもつり出しで」
「何が卑怯やねん。つり出しは立派な決まり手でんがな」
「えっ!」
「大丈夫かいな。五日目は?」
「このままじゃあ・・・」
「もうよろし。それ聞いたら何や勝ったんかと」
「立ち上がるなり、得意の張り手を五つ、六つ」
「あんた、何でも得意やねんな。まあええ、張ったんなはれ、張ったんなはれ」
「痛かった・・・・・気がついたら、土俵の下で目ぇ回してました」
「張られたんかいな。六日目は?」
「相手見ると、足に包帯しとる。ははあん、こら、そこ怪我しとんな思たから卑怯なようですが、そこへ内掛けを掛けて・・・・・・・・・負けました」
「何で、あんたが内掛けで負けるねん?」
「相手は外掛け掛けて、この方が効いた」
「七日目は?」
「上手投げで負けました」
「八日目は?」
「下手投げで負けました。九日目、十日目も、ついでやから・・・・・・負けました」
「花のお江戸の本場所で、ついでに負けたりしいなや。せやけど、あんた、最前勝ったり負けたりゆうたがな」
「はあ、相手が勝ったり、私が負けたり」
「ほな、負けっぱなしやがな」
「その後で、名古屋へ巡業へ行ったんですが、そこでは黒星なしの大相撲」
「ははあん。やっぱり強いねんがな。最初に弱いようにゆうといてて。全部勝ったん?」
「風邪ひいて場所の間中、寝てましたんで、全部『や』ぁで」
「全部負けやがな」
「その後、京都へ巡業しましたが、その時は土つかずの大相撲」
「ほんまかいな」
「きれいに土俵の外まで出されたんで体に土がつかずにサラッサラッ。おかげで場所中、風呂に入らんでよかった」
「風呂くらい入りなはれ」
「その後、奈良へ巡業がありまして。まあ、その時は前座相撲というか花相撲というか。素人衆相手に相撲取りましたが、こら五番とって、五つ勝たせてもらいました」
「ほお。やっぱり強いねんな。素人ゆうても力自慢の大男とかおるもんやけど、どんな奴と相撲取ったんや?」
「はあ、九つになる男の子」
「子供やないか。そら全部勝って当たり前や」
「ところが六番目に負けました」
「・・・・・・・もうやめたらどないや」
「はあ、私もそう思たんで、親方に、もう相撲やめて田舎に帰り、百姓をするとゆうたら親方にえらい怒られまして」
「へえ。見込みあんねんがな」
「はあ、お前がやめたら、ちゃんこは誰が煮
(た)くと」

 で、この相撲取りが名前を「大安売り」に変えると言う。理由を尋ねると、「これからは、何ぼでもまけてやります」というのがサゲ。
 何か、わけのわからんつまらんサゲだなあと思う。

 


(5) 笑福亭松之助 「後家殺し」

 
松之助師匠は、米朝師匠と同い年と聞く。米朝師匠と違い、とりあえず体はだいぶ達者なようだ。
 
 先日も、スイミングに通っており「バタフライのできる82歳」だと聞いた。

 どうも収録は、だいぶ遅くなっていたようだ。

「えらい遅くまでご苦労さんですな。

 私も高齢の方になってきたので、夕方んなったらねむとうなるんで。まあねむたいのを押して、ここに座ってるわけで、非常に不機嫌な状態。
 そっちがニコニコ笑ってんのを見ると、あまりおもしろくない。

 これから、日本で一番おもろない落語をやりまんのんで。

 まあ、歌舞伎の世界では、大向こうなんて言いまして、団十郎が出てくると「成田屋!」。藤十郎だと「成駒屋!」。勘三郎だと「中村屋!」、吉衛門だと「播磨屋!」などと声が掛かる。
 新聞なら読売!
 ここで、いかにもベンチャラだとばかりにぺろっと舌を出してみせる。「平成紅梅亭」は読売TVで放映される。収録も、大阪城の近くの読売TV社内の特設ホールで行われる。

 私も先日NGK(吉本のなんばグランド花月劇場のこと)でやった時、「待ってました!」て声が掛かりましてな。まあ、落語終って、入る時でしてんけど。

 浄瑠璃、義太夫では「後家殺し!」と掛け声を掛けます。物騒な言葉ですが、浄瑠璃ゆうのは情を語るものですから、陶酔の極みに「後家殺し!」と声を掛けるんですな。

 二十後家は立つが、三十後家は立たんてなことを申します。これは秘密に属することなんですが、二十代で後家さんになってもまだ夫婦生活の経験も少ないもんやから、まあ、無(の)ぉても我慢できるんやが、三十代となると、もぉ辛抱できんとゆうことですな。

 ちょっと都都逸を。声の悪いとこは・・・・・節の下手なとこでカバーいたしまして。

♪ 後家という字は 後ろの家よ 前の空き家は 誰に貸す〜〜♪

 歌い終えた後、元気良く片手を上げて「貸して〜!」。元気なおっさんだ。

 で、「あっ、落語やんの忘れてた!」と言って「よっさん、いてるか?」と本編に入った。

 大阪一の美人と評判の高い伊勢屋の後家さんが、亡くなった主人の一周忌に主人が好きだった浄瑠璃を供えたいというので、天狗連に相談に来た・・・という設定で始まる。

「後家さんゆうのは色気あるなぁ。うちの嫁さんも、はよ後家さんにしたい」なんてボケをかましつつ、連中は伊勢屋で浄瑠璃を語る。

 芳三の所へ手紙が来て、店に招かれる。伊勢屋の後家が礼をのべ、酒をすすめる。

 飲み慣れぬ酒で気分の悪くなったよっさんは、横になるようにすすめられる。ふと気が付くとふかふかの布団に寝かされている。そして、伊勢屋の後家が襦袢姿で横に・・・・・・・・。   

 さあ、これから・・・とゆうとこで、本が破れてまして・・・・・・・。私、こっから後をやらせたら日本一なんですが。まあ、TVなんで、やれませんけど。
 男と女の仲になった伊勢屋の後家とよっさん。「枯れてた畑に水入れるみたいなもんで、きりがおまへん」とのことだったが、しばらくすると音沙汰がなくなった。

 おかしいな、と思ってると、要らんこと言いの友達が来て「伊勢屋の後家は、笹川という小料理屋の板場の喜助と出来ているという噂はほんまやってんなあ」と教える。

 問い質しに行ったよっさんは、「私は伊勢屋の主人で何をしようととやかく言われる筋合いもないし、あんたに『お前』と言われるような仲でもない」とか「あれは、ゆうたらほんの一時の慰み」とか言われて完全に逆上。
 その場にあった火箸で後家さんの胸をぐさっ!

 親類縁者に累が及ばんように無宿芳三と呼ばれて、お奉行の判決を受ける。
 その前に・・・・とよっさんは思わず得意の浄瑠璃で「♪ 妻や子は〜 さぞや嘆かんかなぁ〜 ♪」で語る。

 するとお奉行が「・・・・・後家殺し」。 


 珍しい噺でした。

 

 



 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが録画はしたのですが、きっちり聴き直してないので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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