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(No70) 「互助寄席」 鑑賞記 その3 ある団体が大阪府下在住の人を対象に寄席に招待してくれた。幸い抽選に当たったので聴きに行った・・・・・の完結編。
(5) 桂米朝 「よもやま噺」
私の席の前は、お年寄りのご夫婦と若い(・・・といっても30代かな)カップルだった。別にこの4人は親戚とかじゃなくたまたま隣り合わせたようなのだが、おばあさんの方が一つずれて座っており、後から来たカップルが「あのぉ〜そこは・・・・」と声をかけたのがきっかけで、「小米朝の声色似てるわぁ。ほんま、鼻声やねん」「ああ、そうですかぁ」などと言葉を交わすようになっていた。
さて、小米朝が終わり中入り。みんなトイレ休憩をする。
戻ってきた若い旦那の方が、先に座っていたおばあさんに「いやぁ、今、トイレ行ってたら、ちょっと楽屋が見えましてね。びっくりしましたわ。米朝師匠、ガラスのケースに入ってはりますねん。やっぱ、国宝やからでしょうかねえ?」
すると、おばあさんもびっくりした様子で、横のおじいさんの肩を叩き「いやぁ、お父さん聞いた?米朝さん、ガラスのケースに入ってんねんて」
若い旦那、やや慌てて「いや、冗談です、冗談です。阿弥陀が行けと言いました・・・・・・ですやん」。自分も「阿弥陀池」の噺みたいにウソのニュースを言ったんだ、とのこと。なかなかシャレた若旦那である。
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ようやく(高座に)上がることがでけました。また、下りるのんが大変でございます。
身体もガタガタになってしまいましてな。
ま、古い珍しい噺でもやろか、思うんですが、なかなか出てこんようになりまして。
小話ゆうと、昔からしょーもない噺がようけございます。
一番しょーもないんでは「鳩が何ぞ落としていったで」「ふ〜ん」・・・・・・・。
ま、こんなあほらしい噺だけで終るわけにはいかんのですが。
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と、いつもの「川越しの○んぼ」の噺。これまでだと、最低「親子の○んぼ」とセットだったのだが、今日は「川越し」単品で、「それでは渡れん」とオチがついたとこでいきなりドン!ドン!と太鼓が鳴り、小米朝と宗助が袖から出てきて、米朝師匠の両脇に座った。
今日、会場に入ると、受付の先に机がセットされ、その上にはノートが置いてあった。そして「今日、会場で米朝師匠に質問コーナーを設けますので、聞きたいことがあれば、何でもお書き下さい」との貼り紙があった。
私も一問だけ書いて、会場に入っていたのだが・・・・・・・。 |
小「それでは、これからよもやま噺ということで、先ほど会場で米朝師匠への質問ということでいろいろ書いていただきましたので、それをいくつかピックアップしてお聞きしていきたいと思います。
それでは、最初に、一番印象に残っている弟子は?」
米「何人かおるけど。ええ方もあるしな。
こいつは難儀(困る、大変)やなぁゆうのは、なんちゅうても米蔵(よねぞう)やな。みな、米やん、米やんゆうてたけど」
小「今、山梨県の方に居たはるようですな」
宗「どない難儀やったんですか?」
米「いや、おかしいで、あの人て、言われてな。まあ、話し出したらあれだけで30分かかるから」
小「仲間には好かれていたそうですが」
米「枝雀は、米やんの面倒見すぎて早死にした、なんて言われてるなあ」
小「それでは次の質問です。
米朝師匠は最初から「米朝」ですが、
襲名したい名前はありますか?
これ、ちょっとさっきの私の噺にもありましたが、どうです?米朝でずっと行きはるんですか?」
米「もうじゃまくさいな。いろいろ手続取らんならんし」
小「師匠、私の襲名披露には一緒に並んでくらはりますよね?」
米「生きてたらな」
小「まあ、私の襲名披露は来年の秋なんですが、実は師匠は昨日がお誕生日でして。(会場から盛大な拍手)」
米「大正15年11月6日で」
小「師匠は、前、よぉ55歳で死ぬゆうたはりましたけど」
米「死なんならん事情が重なってな。胆石手術もしたしな。命にかかわることもないことはない・・・・て言われてな。
実の親父も、師匠の米團治も、もう一人の師匠の正岡容(まさおかいるる)も55ぉで死んだんで」
小「3ヶ月入院しはった時は、ほんまに行きはるんか、と」
米「せわしないな。まあ、82ぃになりました」
小「では、次の質問ですが、
小米朝の失敗で、これは許せんと思ったことは?
まあ、こんな質問は、どうでもよろしいな」
米「時間かかってしゃあないしな」
小「次は小学生の女の子からの質問です。
落語は何年前からあるのですか?」
宗「こら、ええ質問ですな」
米「ええ質問です。
江戸時代には”おとしばなし”があったとか言いますが、原型でゆうと、1000年どころやない。
『竹取物語』で不老不死の薬として子安貝を探したが、見つからない。”貝なし”(甲斐なし)とは、これより始まりける・・・・・なんて一節があります。
元禄時代には、いわゆる商売人といいますか、プロが生まれたようです」
宗「そしたら、だいたい300年前・・・・ということで」
小「あと二つほど。
どんな女性がお好きですか?
何歳から何歳までお付き合いしていただけますか?50代の母と20代の娘より・・・・。これ書きはったん、どなたですか?
どうですか?」
米「今、わしより年上ゆうたら、保護者がいるからな」
小「介護ゆうかね」
米「若いと、とりあえず自分で歩きはるからね」
小「では、次です。
今、誰か会ってみたい人は?」
米「じゃまくさいな。
昔は、皇后陛下とかゆうてたけど」
小「いま、皇后陛下、おいくつになりはりました?どなたか知ったはります?」(と、会場の人に聞く)
米「72ぃ?えらい年になりはったなぁ。他人のことゆうてる場合やない」
小「何べんか会(お)うたこと、あるでしょ?」
米「心安う、物ゆうたことない」
小「どんな話、しはりました?」
米「忘れた」
小「喜味こいし師匠と話すのんが一番落ち着くゆうたはりましたけど」
米「しばらく会うてまへんなぁ。一月前、ラジオで会うたかなぁ」
小「横山ホットブラザースのあきらさんやまことさんと仲よろしぃなあ」
米「別に仲ええちゅうわけちゃうけど・・・。まあ、今はあの辺が一番古手やからなぁ」
小「それでは、最後の質問です。
そもそも何で落語家になったんですか?」
米「好きやったから」
小「なるほど。宗助さん、この機会に何か聞きたいことは?」
宗「え?・・・・全然考えてなかった。今、一緒に並んで座ってるのんが精一杯で」
小「宗助さんは、小さい頃からの米朝師匠のファンでしたんやろ?」
宗「ええ、そうです」
米「いくつになった?」
宗「43になります」
米「こうやって並んでたら地蔵盆みたいやなぁ」
小「ええ、最後に今後の抱負は?」
米「あれへん、あれへん」
小「次、ざこば兄さんが出ますが、何かお言葉は?」
米「ざこば、こないだご馳走してくれるゆうてたけど、あれどないなってる?」
小「そうゆうことは、また楽屋の方で」
一同「どうもありがとうございました」
(6) 桂ざこば 「子はかすがい」
ざこばの「子はかすがい」は3度目。
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(高座に座るなり、羽織を脱ぎ)すぐ脱ぐんやったら着てこいでも(着てこなくても)ええんですが。まあ、持ってるゆうとこ見せとかんとあかんさかい。
落語ブームやそうで。
私も還暦を迎えるんですが、今度、12月8日に落語のドラマやるんです。私が主役で。
「子はかすがい」ゆう落語のパロディで。
かすがいって説明が難しいんですが、今日、持ってきました。(と、懐からかすがいを取り出して掲げる)
ちいそうて(小さくて)見えまへんか?
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大きいの、これです。(懐から、さっきより相当大き目のかすがいを取り出す)
持って歩かな、しゃあない。へっついさん(かまど)なんかやと、しんどぉてしゃあない。おてかけさんやおめかけさん、なんかどないしょうか。
まあ、一人だけ阿弥陀池に囲てますので。
それで、本編へ。内容は本サイトのここやここで。
今日の高座で気付いた点。
(1) 久しぶりに親子が対面するシーンで、とらちゃんが「おとっつぁんやろ?」と先に気付き、熊はんはしばらくわからない。これが聴いていて少し不自然に思えた。
どうしても理由をつけるなら、子供は6歳から2年間でだいぶ成長して変わったが、父親の方は変わらないからすぐ気付いた・・・・という解釈だが、それにしても自分の息子がすぐわからないのはぴんと来ない。
(2) とらちゃんがうなぎをご馳走になりに出かけるところで、おはなさんは、質素ながら洗いたての糊のきいた着物を着せたうえ、「ぱっぱっ!とつばをべぇ〜〜っと頭になでつけ」てセットしてやる場面。
少しでもきれいな格好をさせてやりたい親心はわかる。(整髪剤が「つば」とはなぁ・・・・・とは思うが)
どうも、お退屈さまでした。いつものことですが録音等はしてませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。
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