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(No59) 堺市民寄席 桂米朝一門会 鑑賞記その3   

 平成19年10月4日(木)の一門会の鑑賞記・・・・の完結編。

 


(5) 桂米朝 「よもやま噺」

 
冒頭に書いたように、今日の高座は高い。それにプログラムにも米朝師匠の横に(   )付きでざこば、小米朝と書いてある。
   だから、てっきり以前のヒルトンホテルでの一門会のように、両脇を支えられて出てくるのかな?と思った。

 しかし、楽屋口を出てきたのは米朝師匠ひとり。

 それに、存外しっかりした足取りで高座まで歩いてきて、特に目だってもたつくこともなく、高座に座られた。
  

 最近は、あっこ(と、楽屋口の方を見て)から、ここまで歩くだけで精一杯でございまして。
 入る時は、どないしよか知らん、思て。

 まあ、いつ倒れるや、わからん状態ですからな。
 ここで、倒れたら・・・・・ま、皆さんは最後を見届けた、ゆうて。

 年取るのは仕方ない。
 芸人が舞台で倒れるのは戦場で戦死すんのと同じやぁ、本望やぁゆうて・・・・昔は無責任にゆうてました。

 人間、ほんまにわかりませんからな。一寸先は闇でござます。

 何せ82ぃでございまっさかいな。私ら戦争を体験しているもんは、とても自分がこないな年になるまで生きてられるやなんて想像したことがなかった。

 せやから、最近はこうして高座出てても、あまり責任感じてまへんねん。
 まあ、誰なと、おるやろ思て。ほったらかしには、せんやろと。

 落語てなもん、いったい誰がつくったもんですかな。作者がわかりまへんねん。
 ま、仮にわかったところで、演じるもんが皆、勝手にいじくり回しますからな。

 まとまな人間が寄ってたかって、こんなアホな噺をこしらえるんですから。

 親子のつん○てな話が、こら、ずいぶん昔からありまして。親子揃って耳が遠い。
 で、店のハナ
(表。店頭)に息子が座ってて、奥におとっつぁんが座っとぉる。

「おい、せがれ!・・・・・・似んでええとこが、似たなぁ。あ、やっと、こっち向きよった。おい、せがれ!今、店の前通ったんは、裏の源さんちゃうかってゆうてんねん」
「ええ?何ゆうたはりまんねん。今、店の前を通ったんは裏の源さんでんがな」
(照れたように笑って、キセルで煙草をふかしながら)何や、そうかいな。わいは、また、裏の源さんか思た」

 
 口調もはっきりしており、テンポも良く、場内も大爆笑。

 私も登場シーンも併せて、今日の米朝師匠は・・・・と、期待感がふくらんだ。


 川越しの○んぼゆう話も、昔からある話でして。
 川のこっち側と、向こう側に耳の遠い人がおりまして。

「おお〜い、川の向こうにいたはる、お方ぁ〜。この川は、どのくらいの深さが、あるんでっかなぁ〜?」
「・・・・・・何ぞ聞いとぉるなあ。しやけど、わいは耳が遠いんや。
 おお〜い、わいはなぁ、耳が遠いんやぁ〜」
「・・・・・・教
(おせ)てくれてはんねけどなぁ。どないしょ。と、周りに尋(たん)ねる人もおらず・・・・。
 おお〜い、そっちで教えてくださるお方ぁ〜。すんまへんけど、膝なら膝とか、手まねで教えてもらえませんかなぁ〜」
「・・・・・・まだ、ゆうとるで。わからんのかいな、あいつ。わいわなぁ!耳が遠いんじゃあ!」
(と、耳を指す)
「ええ?あない深かったら、渡れんわ」

 途中から元気がなくなってきた。

 元気な時は、両手をメガホンのような形にして、声にも張りがあるのだが、今日は片手だけだし、その手の形も崩れていた。声にも元気がない。


 ま、こんな話は昔に実際にあったんやないか、と思いますなあ。こしらえよう思てもでけんねや、ないかと。自然にできたもんでっしゃろなぁ。

 まぁ、この川越しの○んぼ、てな話は、もう、えらい昔からありましてな。

 親子のつん○は、息子が店のハナにおって・・・・

 実際にあったんじゃないか。作ろうとおもってもできるもんやない・・・という意見には賛成。

 しかし、また、話がぐるぐる循環してきた。

 で、いよいよ「親子」の方が繰り返されそうになって、場内の雰囲気がひやぁ〜っとしてきた、ちょうど、その時! 

「いや!そこ済みました!

 ・・・・・・・もう同じことゆうねんもん」

 と、楽屋口からざこばが登場。少し遅れて小米朝も登場し、二人で米朝師匠の両脇に座る。

小「たまに、こうゆうことがあるんです」
ざ「この頃、しょっちゅうや!」

米「何か、もう一つやってから、おりよか?」
ざ「ほな、横で聞かしてもろて、よろしか?」
米「何か違
(ちご)てるとこあったら、ゆうてや。

・・・・・近頃ボケてきてな」
ざ「はい」
小「ご飯食べて、5分後に、まだ食べてない、とか」
米「・・・・・・・そんなことはないで。腹一杯なってたら、食べられへんがな」

小「せやけど、師匠、古いことはよぉ覚えてはりますな」
米「いや、忘れてるで。新しいことは、わからへんし」
ざ「・・・・新しいこと、わからんで、古いこと忘れたら・・・・・・何もあらへんがな」
小「そんなぁ」
ざ「こないだのヒルトンホテルのわたいの還暦パーティん時・・」
小「そう、そう。ざこば兄さんは還暦ですねん」
ざ「
(場内からの大拍手に)いや、そんなんはどっちでもよろしぃねん。

 そのパーティの時、師匠に挨拶してもろたら、『今日は、何の会やったかいな』ゆうて」
米「わいは、こんなん、やってもろたことない」
ざ「やった!やりました!」
小「赤いタキシード贈りましたやん」
ざ「古希も喜寿も、みんなやりました」

小「ま、忘れるのんは便利ですわな」
ざ「師匠、55ぉで死ぬてなこと、ゆうたはりましたもんね」
米「そんなこと、ゆうてたかな」
小「あら、やっぱり師匠の周りで、55ぉで亡くなりはる人が多かったからですか?」
米「別に」
ざ「多かったんですて!師匠の先生の正岡容先生も、米團治師匠も、師匠のお父さんも55ぉで亡くなってはりまんねん!忘れてはりまんのか?」

小「55ぉなった時に明和病院に入院しはりましたなぁ。なかなか出てこれんかった。
 3ヶ月入院して。黄疸が出てね。
 あん時は、ああ、いよいよかなぁ・・・思て」
ざ「自分
(お前)、何、嬉しそうにゆうてんねん!」
小「何でんねん。今まで兄さんかて、さんざん言いたい放題ゆうてたのに、私ばっかり」
ざ「いや。私はきついもんがあるけど、中に愛情がある」
小「私は・・・」
ざ「ない!ま、親子やから愛情がない」
米「え?親子やから・・・愛情がない?親子やったら、あるんちゃうん?」
ざ「い、いやぁ。親子やから、遠慮がないゆうか」

小「せやけど、ざこば兄さん、うちの師匠のこと、お父さんや思てるでしょ?」
ざ「
(間髪いれず)思てるよ。わたい、ほんまの親父、小学校の二年の時に死んでるからね。
 中三の時、初めて千日劇場で師匠の高座観てん。
 すごいオーラが出てたからね。
(両手で大きく手招きするような格好をして)『めんどう見たろかぁ〜』ゆうてねぇ。
 ほんで弟子入りしてん」
小「日本橋中学の時ねえ。私、三つくらいかなあ」
米「オーラ出てたん?」
ざ「へ、へぇ」
小「今は?」
ざ「・・・・・・・アホ!」

米「何の話しよ?」
ざ「あれ、どうでっか?あのかんざしのやつ」
米「せやけど、あんなん小話ちゃうで」
ざ「いや、わたい、あの話好きでんねん」

米「いや、昔はね。金目のもんを簪
(かんざし)とか笄(こうがい)とか、頭に差してたんやな。
 それで、盗人が抜き取るんやけど、頭の上のもんて抜きにくいんやな。

 ほんで、まず、女性の下の方へね、こう手を伸ばす。
 と、女性は、どうしても、そこをかばおうと下を向く。そしたら頭が下がるさかい、しゅっ!と抜くゆう、盗人から聞いた話を、さも自分の話のようにね、ゆうてるだけやねん」
ざ「あの、取り返しまんねやろ?」
米「ああ、そうそう。そのかんざし抜かれた女の人がね。『へへ〜ん、そんなん、夜店で買
(こ)うた、20銭のまがいもんやしぃ!』ゆわれて『ちぃ!凝ったつくりや思たんやが』と腹立ちまぎれにほかしたところを『うそやしぃ』ゆうて取り返したゆう、まあ、そんだけの話や」

ざ「師匠、これは?
(と、両手をこしこし動かす。包丁を砥石で研いでいる感じ)
米「ええ?あら、外国ダネやで?」
小「どんな話なんですか?」
米「いや、昔の話やさかい、牛か馬かが死んで、家で皮を剥ぐことになったんやな。
 それが包丁の刃ぁが脂
(あぶら)回って、すぐ切れんように、なんねんな。
 ほんで、牛と砥石と、並べとったら便利や、ちゅうて・・」
ざ「師匠、ちゃいまんがな。砥石は上の方に置いてまんねんがな」
米「い、いや。うん、せや。脂まわって、切れんようになるたんびに、二階あがって、砥石で包丁を研いで、ほんでまた続き、切んねんけど、そんなん何べんもやってたら、横で見てたもんが、そんなん牛と砥石、横に並べたら便利やのに、ゆうて。
 そしたら、その男、ああ、なるほどゆうて、牛の死骸を二階までかたげて
(担いで)行った・・・・ゆう、元はフランスかなんかの話や。

 なんで、こんな話、思い出したんや?」
ざ「これは師匠のためでんがな」
米「よぉ覚えてたな」
ざ「そら、わたいら、師匠のゆうこと、一言も聞き逃したらあかん思て、高座の袖でいつもびし〜っと聞いてましたもん」

小「で、この場は、どうやって締めたらええんですか?」
ざ「そんなもん、師匠がさいなら〜っゆうたら、ええねや」
小「ところで、師匠。私の襲名の件は覚えてはりますよね?」
米「さあ〜?」
小「ええ?覚えたはりませんのぉ?」
米「そんな話、あったねえ」
小「新聞報道では、来年の10月ゆうことになってまんねんけど」
米「新聞に出た?ほな、やらなしゃあない」
小「襲名披露には出ていただけますよねえ?」
米「生きてたらな」
ざ「ほな、師匠、帰りまひょか」
一同「・・・・・ありがとうございました」

 
 両脇を支えられて高座をおり、歩き出す前に少し客席を振り返って軽くおじぎをされ、楽屋口へ消えて行った米朝師匠。

 ざこば兄さんにとっても、小米朝にとっても、私にとっても「たからもの」やなあ、人間国宝やのうて「ひとのたからもの」なんやなあ、と感じた。

 





(6) 桂南光 「はてなの茶わん」

 トリは南光。

 何やら照れ笑いというか、苦笑いを浮かべながらの登場。

 私も長いこと噺家やってますけど、今日ほどやりにくいことはおまへんな。
 高座出る時、楽屋で米朝師匠とすれ違(ちご)うたんでっけど、そん時、師匠が「しっかりやれ!」って・・・・・。


 最近、いろいろ新製品が出てまいりますねぇ。特に家電製品とかね。
 そん中でも一番進歩したんが、私は携帯電話やないかと思います。
 昔は電話ゆうたら、座布団ひいてましたからね。あの、黒電話ゆうやつ。上にふくさかかって、受話器取るたんびに拝んだりして。

 あら、最初は自動車電話が初めやったんです。お金持がね、家にちゃんと電話はあんねんけど、自動車ん中でも電話がかけられるようにして。
 それが便利やし、かっこええゆうことで、そのうち、ごぉ〜ついショルダーバッグみたいな、肩掛け式のかばんみたいな電話が最初でした。それが拍子木みたいな大きさになって、今では、もう、こんなんでっしゃろ?

 それで最近では携帯にいろんなもんがつくようになって。カメラとかね。最近はTVも見れまんねんな。あんなちっちゃいとこで見てても阪神応援する気になれん思いまんねんけど。
 来年の夏には、携帯にエアコンがつきまっせぇ。

 一方では、古いもんにも値打ちが出てまいりまして、「何でも鑑定団」なんてこと申しまして、骨董品が人気出たりしております。
 古道具屋さんゆうのは、やはり歴史のある町に多いんですな。京都とか、奈良とかね。あと、鎌倉・・・金沢。

 神社仏閣の中で一番観光客が多いんが清水さん
(きよみずさん。京都の清水寺)だそうですな。あちらの森管主さんが、一年を代表する字ぃてなもんをよぉ書いておられますけど。
 あの清水さんの本堂からちょっと降りて行ったところに滝が3本、落ちてます。音羽の滝。
 そこのたもとの茶店で、年の頃なら55、6。上品な身なりをされた旦那がお茶を飲んでおられるのですが、どうしたもんか、飲んだ茶わんをのぞきこんだり、底を見たり、日に透かしたり、さんざんひねり回したあげくに、「う〜ん」とうなって、一言「はてな?」とつぶやいて茶わんを置き、茶代を払
(はろ)ぉて、席を立ちはった。

 その横に座ってたんが、かつぎの油屋さん。昔のこってっさかい
(ことですから)、電球てなもんがおまへんから、灯心なんぞに使う油を担ぎ売りする商売です。

「あっ、おやっさん。わいも、もうぼちぼち出かけるわ」
「ああ、何じゃ、もっとゆっくりしていたらええのに」
「いやあ、わいら、ここで油売ってても銭んならんねん。表、行って油売らんとな」
「ははは、どっちにしたかて、油売らな、あかんねんな」

「ほんで、おやっさん。ちょっと頼みがあんねんけどな。

 こうやって表、歩いてたらのどがかわくやろ?そら、どこでも頼んだら気持ちよぉお茶でもお湯でもくんでくらはるで。しゃあけど、商売中は、わい、手ぇ油でベタベタやろ?ひょっと、茶わんを汚したりしたら・・・・思うと気兼ねでな。
 ほたら、自分の茶わん持って歩いたら、遠慮なしに、すんまへん、ここへ入れとくんなはれ、てゆえるんやないか思て。
 でやろ、すまんけど、茶わんを一つ、分けてもらうわけにはいかんやろか?」
「何や、そんなことかいな。こんな商売してたら、日に二つや三つ、割れたり欠けたりすんねん。銭なんかいらんさかい、どれでも持っていたらええがな」
「ええ、そうかぁ。ほなぁ・・・・・・・・・これ、もらおか」
「・・・そんな人の使いさし、使わんかて、そこのざるに洗
(あろ)て伏せたぁる中から持っていたら、ええがな」
「いや、わいは、この茶わんでええねん。その茶わんもこの茶わんもおんなじ茶わんやろ?」
「・・・・・・・おんなじ茶わんやったら、おまはんも、こっちの茶わん使
(つこ)たらええがな。

 いや、ちゃうねん。おまはん、知らんやろけど、最前、そこに座ったはったんは、衣の棚に住んではる茶道具屋の金兵衛さん、人呼んで、茶金さんゆう方や。
 京都一・・・ゆうことは、おそらく日本一の道具屋さんで、茶金さんが目利きして、指を指したら10両、首をひねったら100両の値ぇがつくゆわれてんのや。

 その茶金さんがその茶わんをせんど
(千度?何回も)ひねくり回したあげくに『はてな?』とゆわはったんや。こら、ひょっとして1000両からの値打ちもんかわからん。そやさかい、その茶わんはあげられんのや。こっちの茶わん持って行って」

「なぁ〜んや。おやっさんも知ってたんかいな。
 わい、うまいことゆうて持って行ったれ思て」
「悪いやっちゃな」
「ほな、改めて話しするわ。ここに・・・・小判が2枚、2両あんねん。わいが3年間、油屋商売して、ようやく貯めた金や。これ全部出すよって、この茶わん、譲って」
「いや、そら、そうゆうわけには・・・」
「ああ〜?!おやっさん、これで一山当てよとか、儲けようとか思てんねやろぉ」
「そら、お前やろ。
 いや、これが1000両の値打ちがあるんや、ないんや、そんなんはどっちでもええねんけど、まあ話のタネにな、持っときたいんで、譲るゆうわけにはいかんねん」
「そんなんゆわんと。どうか、頼んます。この通りや・・・・・・・って、そっち向いて洗いもんなんかしぃないな
(しなさんな)。
 聞く耳持たんゆうわけか。・・・・・・よし、わかった!もうええ。もう頼まん。
 その代わりなぁ、おやっさんにも儲けささんでぇ。この場で、この茶わん、叩きつけて割ってもたる。それがいややったら売ってくれ。
 何?出るところへ出る?ああ、どこへでも訴えて出たら、ええがな。せやけどな、わいは、この通り、油屋やで。
 手ぇはいっつも油でベタベタや。そんなつもりはなかったけど、つい、粗相で手ぇが滑って割れてしまいましたゆうたら、どこでも申し開きはでけるんや。

 さあ!売るか、売らんのか、どっちや!」

 えらい激しい買物があったもので。買うというより強奪するように、手に入れまして。
 どっから手回ししたもんか
(どこで手に入れてきたものか)、古びた箱に入れて、更紗の風呂敷ゆうのに包みまして、茶金さんの店へやってまいりました。

「すんまへん。ちょっと、茶金さんに見てもらいたいもんがあんねんけど」
「主
(あるじ)、ただ今、ちょっと手の離せん用事がございまして。また、どのようなお品であっても、まずは番頭のわたくしが拝見いたしましてから、主に・・・と、こうゆうことになっておりますので」
「そうでっかぁ?いや、あんさんではあかん、ゆうてんのとちゃいまんねけど・・・。
 これ、茶金さんやったらねぇ、よぉ持ってきてくれた。おっきぃ
(おおきに。まことに)ありがとぉっ!500両!1000両!・・・・ゆうことになんねんけどなぁ。
 まあ、店のきまりやったら、しゃあおまへんわ
(仕方ない)。けどねぇ。あんさん、笑いなはんなや。
 これ、ちょっと見たとこ、スカみたいな茶わんでんねん。
 わい、こう見えてもムカツキやさかいにねぇ。もし笑
(わろ)たらゴォ〜ン!といきまっせぇ」
「そんな、お客様の品を拝見して笑うてなことは。
・・・・・・・・・おお、なかなか結構な更紗ですな」
「風呂敷は褒めぃでええねん」
「・・・・・この茶わん?これに間違いおへんか?
 すんまへん。ちょっと、私どもでは、眼が届きかねますので」
「せやろ?せやから、最初から茶金さんでないとわからん、ゆうてんねん」
「いやぁ、こら主が拝見させていただいても同じことでございます。

 この茶わんは、清水焼でも一番安手の数茶わん
(かずぢゃわん。大量生産の茶わん)
 この茶わんの、どこをどうしたら、500両の、1000両の、と・・・はははは・・・痛っ!何なさんねん!」
「最初から、笑たらどつくゆうてるやないか。茶金さん出さんかい!茶金さん!」

「どぉしたんや。えらい、表が騒がしいけど」
「ああ、こら、茶金さん。お騒がせして、えらいすんまへん。いえね、この番頭が、わいの持ってきたもん見て、笑いよったから、ゴォ〜ン!と、いったったんです」
「これ、番頭。人様のお品を拝見して笑うやなんて、そんな失礼なことがありますか。

 あんさんかて、どつかんかてよろしぃ。わたくしが拝見させていただきます」
「茶金さんに見てもろたら千人力や!ど、どうです?500両でっか?せ、1000両でっか!!」
「・・・・・・・お気を静めなされ。

 これどすか?茶わんどすな。
(・・・と、扇子の先でふくさを持ち上げて、チラリとのぞいて)え?この茶わん?フフフ」
「ええ?あんたに笑われたら心細いがな」
「ちょいちょい、あんさんのような方がお越しになる。おかしなもんを持ってきて、こっちが割るかキズでもつけたら、それを因縁に金を取る・・・・いや、あんさんがそうや、ゆうてんのやおまへんで。そうゆう方もいてるゆう話をしてますのや。また、そう思われても仕方がない。
 こら、うちの番頭が笑
(わろ)ぉたのも、道理。
 この茶わんは、清水焼の中でも一番安手の数茶わん。サラ
(新品)で買(こ)うても、まあ2文か3文ゆうとこですわ。どこを押したら500両の、1000両の、と」
「いや、茶金さん。あんた箱から出しもしてへんがな。ちゃんと手に取って見とくんなはれ」
(仕方なく手に取って)見れば見るほど・・・・・・・安もんの茶わんでんなあ」

「ええ?ほんま?ほんまに安もん?

・・・・・・・・・世間では、みんなあんたのこと知ってるのやで。ややこしぃ茶ぁの飲みよぉ
(飲み方)しなはんな!」

「ややこしい茶ぁの飲みようとは・・・?」
「あんた、四、五日前、清水さんの音羽の滝の前の茶店で茶ぁ飲んでたやろう!」
「・・・・・・・・・・・ああ、最前からどっかでお見かけしたような・・・と思てましたが、あんさん、あの時、茶店で私の隣にいたはったお方でんな。確か、一言、二言、ものゆうた・・・・・あん時の油屋さん?」
「油屋さん、やないわい!あんた、あん時、この茶わんをさんざんひねくり回したあげく、う〜んとうなって、『はてな』ゆうて置いて行ったんや。
 世間ではな、あんたが指をさしただけで10両、首をひねったら100両からの値ぇがつく言われてんねんで。
 わい、この茶わんは、どんだけの値打ちもんかわからん思て、茶店の親父と喧嘩までして、3年間、油ぁ売って必死でこさえた2両はたいて、買うたんや。
 安もんの茶わんやったら、何であない、ややこしい飲みよう、さらしたんじゃ!」

「大きぃ声、出しなはんな。・・・・・・・・・・はあ、これ、あん時の茶わんどすかぁ。そう言われてみれば、そうでんなぁ。
 いや、あの時、茶をいただいてますとな、ポタリ、ポタリと漏りますのや。のぞきこんだり、ひっくり返して底を調べたりしましたが、どこにもキズやひびのようなもんはない。
 日に透かしてみたりもしましたが、別に釉
(うわぐすり)に障りがあるようにも見えん。不思議なこともあるこっちゃなあ・・・・・・はてな・・・・ゆうて」
「え、え〜〜?この茶わん、漏りまんのん?・・・・・・ほたら、『漏るなぁ』で、よろしやん・・・・・・。ただのキズもんでっかぁ・・・・。

 いや、実はわい、大坂の人間でんねん。道楽がすぎて、親父に勘当くろて、こうして京で油売って歩いてまんねんけど、うだつがあがらん。いっぺん、顔見ぃに帰りたい思ても、ちぃ〜とは、まとまったもん持ってないと敷居が高
(たこ)ぉて帰られへん。どこぞで一山当てて・・・と思てたとこへ、茶金さん、あんたに会(お)うたさかい、身代限り放り出したけど・・・・・・・漏る茶わんでしたんか。
 こら、えらいお騒がせしました。ああ、番頭さん、手荒なことして、ほんまにすんまへんでした。堪忍しとくんなはれ。ほなお店の皆さんもえらいお騒がせを・・・」

「あぁ、しばらく、しばらく。ちょっとお待ちを。・・・・・・・あんさん、大坂のお方?そうでっしゃろなぁ。とてもやないが、京の人間には、こないな真似はでけまへんわ。やっぱり、商いゆうたら大坂どすなぁ。
 失礼やけど、2両ゆうたら、あんさんにとっては大金でっしゃろ?それを、たったそんだけの思惑で放り出しなはる。いわば、茶金とゆう名前を買
(こ)うていただいたようなもの。嬉しゅうございますな。茶金、商人(あきんど)冥利につきます。あんさんにご損かけては、私の気が済みまへん。
 この茶わん、私が買わせてもらいます」
「え!1000両で?」
「・・・・・1000両ではよぉ買わん。元値の2両に1両足して、こら、まぁここまでの足代、箱代、風呂敷代とゆうことで。
 まあ、一山当てよ、てな気ぃ起こしたらあきまへん。長年、この商売してる私らでも損をするのが、この世界。地道にかせぐんが一番です。
 親御さんかて憎ぅて勘当したわけやない思いまっせぇ。あんさんが3年間まじめに商売をした、その顔見せてあげるのが何よりの土産ですわ。この3円持って、ちっとも
(ちょっとでも)(はよ)ぉ、親御さんを安心させたげなはれ」
「いや、そら何ゆうたはりまんねん。何でて?そら、そうでっしゃろ。わいは、ゆうたらバクチ張ったんでんがな。バクチの目ぇが外れたゆうて、まどうて
(弁償して)もらうてな、そんなアホな話がおますか?
 え?ハイ・・ハイ・・ハイ。いや、そんな。・・・・・あかん、ちゅうねん。・・・・・わいの男がすたりまんがな・・・・・・えっ?・・っですかぁっ?・・・ほんま?・・・・・・・・・・さよかぁ?・・・・あ、ほたら、こうしまひょ。えらい、すんまへんけど、この3円は、いただくんやのぉて、しばらくお借りする、ゆうことで。また、都合ついたら、お返しにあがる、ゆうことで。・・・・・・実、言いますと、明日仕入れる油の元手ものぉて難儀しとったんです。助かります。

 ほんなら、まあ、この茶わんはそちらへ」
「こんな茶わん、要りまへんさかい、お持ち帰りを」
「いえ、百貫のかた
(抵当、担保)に網笠一つゆうこともおまっさかい、これはどうぞお納めを。ほな、お騒がせしました。さいなら、ご免」・・・・・と、逃げるように店を出ました。

 茶金さんともなりますと、いろいろ結構なところへお出入りもございます。関白鷹司公のお屋敷に参上したおり「どうじゃ、茶金。最近、世上でおもしろきことはないか」とのお尋ねに、この茶わんのことを申し上げたところ、「ほぉ、それは面白い。麿
(まろ)も一度見てみたいものじゃ」ということで、お目にかけました。
 すると確かに、ひびもキズもないのにポタリ、ポタリと水が漏る。「ふむ、なるほど面白い」と短冊を取り上げられましてサラリ、サラリ。「清水の音羽の滝のおとしてや 茶わんもひびにもりの下露」と面白い歌が添いました。

 お公家さんの間では、これがえらい評判になりまして、御所ん中は、この噂で持ちきりでございます。
「聞かれましたか?」
(笏を持って公家風の格好で、寄っていく感じで)
「聞かれましたか?」
(同じような格好で、応える感じで)

 ついには時の帝の耳にまで届きまして・・・・・・・・「朕も・・・・・・見たい!」・・・・・・と、まあ、こんなことをおっしゃったかどうかはわかりませんが、茶金さんは精進潔斎して、御所に茶わんを持参いたしました。
 帝が茶わんをお手に取る。控えたところでは、お公家さんたちが揃って、どうなることかと見つめている。これで、ひょっと漏らなんだらえらいことですが、いつものとおりポタリ、ポタリと水が漏り、御裳
(おんぞ)の裾を濡らします。
「はてな、おもしろき茶わんである」と、筆をお取り上げになられまして、箱の上に万葉仮名で「はてな」(「波手奈」?)と、いわゆる箱書きがすわりまして、えらい値打ちもんになって返ってまいりました。

 これを聞きつけましたのが当時日本一の金満家
(きんまんか。金持ち)の鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)さん、
「なあ、茶金さん。はてなの茶わん売ってぇなぁ!今度、住友さんや淀屋さん呼んで茶会すんねん。
 紋付はかま履いて、ポタポタ漏らしながら茶わんまわすねん。おもろいやろぉ?なあ、売ってぇえやぁ」
「尊いお方のお筆の染まりましたもの。お売りするわけには・・・」
「ほなら、わいがお宅へ1000両貸すよって、その”かた”で預からせてくれ。まあゆうたら、質に入れるようなもんや。ほんで、はよ流して」

 ややこしい話ですが、はよゆうたら1000両で売れた。こら、あの油屋にゆうたらないかん
(言ってやらないといけない)と思いはったんですが、油屋はきまりが悪いもんやさかい、商売する時も茶金さんの町内だけ避けて、通らんようにしてるもんやから、なかなか見つけられん。ある日ぃ、
「旦さん。こないだの油屋さんが、お隣の町内を売り歩いてはりました」
「おお、そうか。ほな、どないしてでも来てもろておくれ」


「え?何?どこの丁稚さんや。え?茶金さんとこの丁稚さん?店来てくれ、て呼んではる?あかん、あかん。そない引っ張ったら、油がこぼれるがな。あかんて、そない引っ張ったら・・」
「ああ、こら油屋さん。久しぶりやな」
「うわぁ、こら茶金さん。面目
(めんぼく)ない。こないだお借りした3両、もうおまへんねん」
「いや、お金やのうて、茶わんの話やねんけど・・」
「もう、その話は堪忍しとくんなはれ。わたい、茶わんて聞いただけで冷や汗出まんねん。最近では、茶ぁも飲まんように・・・」
「いや、こないだの茶わんですけどな。あれ、1000両で売れました」
「・・・・・・・・・・・・あんたはそうゆう人間か。・・・京都の人間は、えげつないとは聞いてたけど・・。わいから3両で買
(こ)うといて、1000両で売るやなんて、あんた何ぼ口銭(こうせん。仲介手数料)取りまんねん。

 ええ?違うて?・・・・・え?なになに・・・・・、えっ!お天子さんに!・・・・・・・・・・・はぁ、はぁ。そうゆや、町で”はてなの茶わん”ゆうのがえらい噂になってましたけど、へぇえ、あれ、あいつのことだしたんか?はぁあ、出世しよりましたなぁ・・・・・・・・・。

 人徳
(にんとく)でんなぁ・・・・・。わいが持ってたら、ただのキズもんの茶わんやのに、茶金さんの手に入ったさかい、これだけの箔がついた。あんた偉い人やなぁ・・・・・・・。
 こら、ええ話聞かせてもろた。わい、茶金さんにお金をいただいたもんの、しょうもない博打やって、恥かいた思たら、何やむしゃくしゃして、おもろなかったけど、今の話で胸のつかえがスゥ〜っといたしました。おおきに、おおきに。これで気持ちよぉ商売に行けます。ほな・・・」
「いや、しばらくお待ちを。
 私は、この1000両、自分のもんにする気はおません。
 ついては、半分の500両、これはあんさんに取ってもろて、残りの500両は、この頃京にもずいぶん困ったはるお方も多いようやから、わずかずつでも施しをして、残ったお金で、お祝いの大酒盛りをしたいと思てます。まあ、そん時はあんさんにもお知らせしますけど、ともかく、この500両は持ってお帰りを・・・」
「いや、茶金さん。そら、あきまへん。何で?て、そらせやおまへんか
(そりゃあそうじゃないですか)。わいと、この茶わんとは3両いただいたとこでスッパリ縁が切れてまんねん。
 それを今さら・・・・・えぇ?・・・・へぇ、へぇ、へぇ・・・・。何?・・・それでは、茶金さんが困りはる?つらいなぁ〜。・・・・・・番頭はん、どないしたらよろしぃ?もうときなはれ?・・・・・・・・・っですか?・・・・・ほな、えらい厚かましぃでっけど。せや。
(小判の紙包みを、カンカン!とぶつけて中身を出して)、ほな、この3両はお返しして・・」
「そんな、3両はどうでもよろし」
「いえ、ほんで、これ、番頭さんに。いや、こないだは、どついて、ほんまにすんまへんでした。これは、膏薬代ゆうことで。
 あ、それと、わいのこと見つけてくれた丁稚さん・・・・、ああ、あんたや、あんた。よお見つけてくれたなあ。これ、ちょっと小遣いに、取っといて。
 それから、後は、お店の皆さんで・・・」
「これこれ、店ん中で小判撒いたりしぃないや」
「へい。清水さんの茶店の親父さんにも、この話して喜ばせたります。おおきに、ありがとう」・・・・・と喜んで帰りました。茶金さんも、これで喜んで大坂に帰ったやろう、ああ、ええことしたな、と喜んでおりますと、四、五日たったある日、えらい店の表の方が騒がしい。
 ふと見ますと、大勢の大男がよいしょ、よいしょと何やら重たそうなもんを、おみこしのようにかついでやって参ります。その先頭で、「え〜らいやっちゃ、え〜らいやっちゃ」と扇子広げて音頭取ってんのが、こないだの油屋。

「ええ?あないなとこで何してんねん?これ、油屋さん」
「ああ!茶金さん!今度は10万8000両の金儲けでっせぇ!」
「10万8000両の儲け?どうしたんや?」
「水がめの漏るのんを見つけてきたんや」

 


 


 



 南光は安定しているが、やっぱ米朝師匠のインパクトが大きすぎた。

 昨年までの会場配布のリーフレットは4ページで、真ん中2ページ見開きで出演の噺家の写真とプロフィールの文章が掲載されていた。
 今年のは裏表印刷の1枚もの。表の上半分には「桂米朝一門会」というタイトルや開催日時等、下半分には「本日の演目」と題して、出演者の名前が印刷されている。名前の上は空白になっており、当日会場に貼り出される演目を自分で書き込めというもの。
 裏は、昭和54年以来の毎年の出演者と演目の一覧。下の方に小さく一門の系図が載ってある。
 要は昨年の分から写真とプロフィールを抜き、圧縮して2ページに収めたのである。印刷経費も安くなっただろうが、写真や文章の提供を受けなくてよくなったのでデザイン料関係で激減しているだろう。おそらく予算が厳しい関係なのだろうが、非常に寂しい感じがした。

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音などをしてませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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