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(No55) 桂米朝 落語会 鑑賞記 その3  

 平成19年8月31日(金)、京都府立文化芸術会館で午後6時半より開催・・・・・・の鑑賞記の完結編。

 


  
 中入りに入ったので、トイレに行こうとしたら、若い男性が中年の女性に何やら文句を言っている。
 通りすがりに聞いた感じでは、どうやら電子音か何かと言っているようなので、彼女が雀太や会場側の注意にもかかわらず携帯電話の呼び出し音でも鳴らしたのか?
 まあ、腹も立つだろうが、そんなに荒立てることもあるまいに。あまりしつこいようだと会場側の人を呼んでくるなり、止めに入らねばな、と思いつつ、トイレに。

 トイレから出ると、その男性が、何やら名刺を見ながら携帯電話をかけている。
 休憩場所のロビーでかけているので、聞くともなしに聞いていると、先ほどの女性は記者か何からしく、公演中に写真を撮りまくり、電子音(まあ、ピント合わせの時とか鳴りますよね)で非常に不快な思いをした。いくら取材が許可されているとはいえ、常識に反する。メディアとして失格だ。上司として責任ある回答をせよ。まだ、落語会の後半が残っているから○時に電話して来い。だいたい、こんなとこ。

 私の席では電子音とかは全く聞こえなかった。様子がわからないので、その若者が一方的に中年女性を(たとえ非はあるにせよ)つるし上げているように思えたのだが、会場側の人が来て、仲裁に入るどころか「ほかのお客様に迷惑がかかるような取材はしない、とおっしゃった筈です」と同じように非難している。
 他の人も「私もその近くにいたが、本当に迷惑だった」とか、「私ら、指定席の券がないので、後ろの立ち見席で観てたが、あの人は、勝手に当日の空席に座ってたが、ちゃんと切符は買っているのか」、「私は米朝師匠の高座が聞きたくて、わざわざ東京から足を運んだのに、こんな音聞かされたんじゃたまらないよ」とか次々クレームをつけていた。
 どうやら彼女の取材態度にもかなりの問題があったようである。彼女は中入り後の取材をせず(認められず?)会場を出ていた。

 



(5) 桂すずめ 「禍は下」
   桂すずめとは、女優の三林京子(みつばやしきょうこ)である。

 米朝師匠は女性の弟子はとらないとしていたが、京都南座での共演が縁で正式に弟子入りし、一門最初の女性落語家に。

 堂々たる恰幅(かっぷく)である。これまた豊かに結い上げたボリュームたっぷりの髪は、メッシュか、白髪染めか、黒いとこ、金色のとこ、茶色のとこ、黄色のとこ、白いとこが、ない交(ま)ぜになっている。

 大阪から京阪電車に乗って、京都へ参りました。京都はよろしいね。川があって。涼しげでよろし。ま、暑いのは暑いんですけどね。

 こないだ、鵜飼、宇治川の鵜飼に寄せてもらいました。京都では、あと、嵐山なんかでもやってるそうですが。
 宇治川の鵜飼の何がいいって、人がいませんねん。宇治市の観光協会さんは一生懸命やったはんねんけど、まだまだ知られてへん。鵜が、ここ
(と、自分の近くを指し)まで来てくれる。

 鵜匠に二人、女性の方がいたはるそうです。私、関西で生放送、午後5時15分から番組持ってますねんけど、その女性の鵜匠、沢田さん?あ、沢木さんや。来てもらいましてね。話を聞きました。
 鵜の飼育が難しいそうです。野生でないとあかん。ペットにしてしもては、あかんのです。

 鵜って好きな魚あるんですか?て聞いたら別になくて、何でも食べるそうです。別に鮎しか食べへんわけちゃう。そしたら苦手な魚は?て聞いたらウナギやそうです。ぬるぬるしてるでしょ?つかまえることはできるんやけど、食べられへんそうです。鵜ぅが難儀
(なんぎ。苦労)するからウナギ(鵜難儀)・・・・・・・・・って、これは私が言い出したことやないんですが。

 この宇治川の鵜飼は1800円なんです。安いでしょ?あ、もちろん船の上でお酒飲んだり、料理食べたら別にお金要りますよ。でも、船に乗るだけやったら1800円なんです。9月末くらいまでやってるそうですから、よろしかったら是非どうぞ。

 これは、大阪で水がきれいで網打ちなどが楽しめた時分のお噂です。
 この「禍は下」という噺は、宗助で初めて聴いた時に詳しく筋を書いておいた。

 すずめの高座で一番おもしろかったとこは、旦那に魚屋で「網でとれたもん買え」と言われたのに、「ちりめんじゃこの一本釣りなんてあるかい。網で取ったんじゃ」などと言われ、目刺しなどを買ったのをおかみさんに説明するところ。

「これ、目刺しやないか」
「そうでんねん、おかみさん。こいつら仲のええ魚でねぇ。こぉ顔ひっつけて泳いでるとこ、旦さん、網で
(と、網を自分の脇へ両手で投げる仕草)ぱぁ〜っ!」
「このちりめんじゃこは?」
「へえ、群れで泳いでるとこ、旦さん、網で、ぱぁ〜っ!」
「これは?」
「へえ、おかみさん。そいつ蒲鉾いいまんねん。ぶっさぁ〜ぃくな魚でねえ。一人でよぉ泳ぎませんねん。せやから、背中に板つけて、ぷ〜かぷか浮かんでるとこ、旦さん、網で、ぱぁ〜っ!」
「アホなこといいな!」

 いかにも、ええ加減にぱぁ〜っと放り投げる「仕草」と「口調」がマッチしてるところと、3回目まで繰り返し、そこでおかみさんがぴしゃっ!と怒るタイミングがよかった。

 あと、宗助との違いは(これまた、記憶頼りなので、誤りかもしれないが)
(1) 定吉に、袴を(お手掛けのおたかさんと同じように、)きれいに畳めるものなら畳んでみろと迫る場面で、「畳んどぉみ」と言っていた。ちょっと耳慣れない。

(2) 一応畳んでみようとチャレンジする場面で、確か、宗助は袴を下に、平(たいら)に置いた状態で、紐がこう・・・とか少し長めに悩んでいた。
 しかし、すずめは、袴を自分の身体の前で両手で持ち上げ、左右に1回ずつ軽くスイングして、すぐ「ばんざ〜い!」とお手上げ状態になっていた。


  女優の趣味の世界・・・・と思っていたが、本格的に噺をしているのだなと感じた。
 ただ、声が少しかん高いように感じ、ちょっと聞いていて違和感があった。おかみさんは、そりゃぴったりである。しかし、旦那は、いかにも女性が男性を演じている感じ、つまり、言ってみりゃ浅香光代の剣劇における男性のようなイメージがつきまとったし、小僧は、恰幅のいい中年女性が、いかにも声を張り上げ、元気でかわいらしく子供を「演じよう」としているような風にとらえてしまった。

 

 ちょっと短めの高座だな、と思っていたら、前座が見台を片付けに来たのに「すんまへんなあ」と言って、袖に引っ込もうとしない。

 と、「酒と女」という踊りを踊ります・・・・といって、踊りを始めた。
 扇子を少しだけ開き、要(かなめ)の部分をつまんでぶら下げる。もちろん、お銚子に見立てているのだ。
 珍しいものを見せてもらった。



(6) 桂小米朝 「くっしゃみ講釈」

 トリは小米朝。

 にこやかに笑いながら、高座に登場。

 なかなかオーラを発するようになってきた感じがする。

 来年のことなんですが、5代目米團治(よねだんじ)を襲名させていただくことになりました。(場内、割れんばかりの拍手)
  
 名前を変えるきっかけは、ざこば兄さんでして、
「ふぅふぅふぅ〜ん
(ざこばが、興奮して、言葉が出てこないところの物まね。突き出した指が震えている)小米朝!お前、名ぁ、変え!変え!」
「名前変え、って、何にするんですか」
「米朝になれ!」
「ええ?・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ・・・・生きてはる」
「かまへん!わいが話つけたる!お前が噺家なるようにゆうたんも、わいや!任せ!名前変えるんも、わいが話つけたる!」
・・・・・・・ゆうてねぇ。二人で米朝師匠んとこ行って。
「師匠!小米朝を米朝にしまひょう!」
 そしたら、師匠が
「・・・・ほな、わしは何になるねん?」
 それで却下ですわ。それから、ほな何にしようゆうて、まあ、ようやく落ち着いたてなことで。

 こないだ春團治師匠が「・・・・来年からは米朝君が、君のことを師匠ってゆうねんな」て言わはるから、「まあ、そうでんなぁ」と。

 私ら親子の共通点というと慌てもんということでして。

 私も、ヘヤムースとひげそりムースを間違えて、頭に塗ってね。頭ベタベタになりました。東京行った時に、桂歌丸師匠のこと、三遊亭歌丸ゆうてみたり。

 米朝もおさまってまっけど、ええ〜っと言うようなことをけっこうしますからな。一番びっくりしたんは、水虫の薬と目薬を間違えた時でして。

 私にすれば毎度毎度の定番エピソードなんだが、場内には「ええ〜!」という驚嘆の声があがっていたから、ご存じない方も多いのだろう。具体内容は、例えばここで。


「居てるかいな?」
「おぉ、しばらく顔見せなんだやないか」
「ちょっと仕事で堺の方、行ってて、しばらくぶりに帰ってきたら、この辺もだいぶん変わったねぇ。
 横町
(よこまち)の化けもん屋敷行ったら、風呂敷持った化けもんやら、タバコ盆下げた化けもんやらがゾロゾロ出てきてたけど、あら、何か、化けもんの集会か何ぞか?」
「いや、お前らがあの長屋を化けもん屋敷、化けもん屋敷てな風に呼ぶさかい、人が嫌がって住まん。こぉゆう場所は人寄り場所にした方がよかろちゅうんで、講釈の新席をこさえたんや。
 小屋が新しいとこにさして、読みもんが面白い、先生がうまいゆうんで、連日相当の入りや。
 お前が見たんはその講釈の終演
(はて)と違うかえ?」
「先生がうまいて、何ちゅう先生が来てんねん?」
「何や、東京から来た後藤一山
(ごとういっさん)ちゅう先生や」
「ちょっと待ってや、まさやん。後藤一山ゆうたら、でっぷりと肥えた、赤ら顔の・・・」
「そうそう」
「鼻の横にホクロのある・・・」
「そうそう」
「顔の両側に耳のある・・・」
「当たり前やがな」

「まさやん、聞いてぇな。わい、今年で二十八や」
「そんなん、どうでもええ」
「初めて、女
(おなご)がでけたんや!まさや〜ん!」
「二十八にもなって、初めて女ができたて、自慢するよな話ちゃうで」
「ほかの女なら自慢せぇへんけど、相手、小間物屋のみっちゃんやで」
「えぇ? この界隈での今小町て、ゆわれてる女やないか」
「磯屋裏、呼び出して、二人でこちょこちょ喋っててな。磯屋裏、夜なったら、鼻つままれてもわからん。ぼちぼち手ぇでも握ったろかいなぁ思てたら、そこに講釈やった帰りか、来よったんが、その後藤一山や。
 こんなやつに見つかったら、何言われるかわからん思たさかい、わい、壁んとこで、みっちゃん背中にまわして、日が暮れのコウモリみたいにベチャ〜ッとへばり付いてたんや。
 通り過ぎるかいなぁ思てたら、ぴたっと止まりよって『雪駄の裏にニンヤリと、おいでたは、土にしては粘りが少しくこれあり候。犬糞
(けんふん)でなくば、よいが』
 講釈師、大層な物言いしよるで。犬の糞のこと、犬糞て言いよんねん。
 ちょっと臭い嗅ぎよって、『案に違
(たが)わず、犬糞、犬糞。拭くも異なもの。どこぞへ、この辺へ、ぬすくっといてやれ』ちゅうて、フッと来たんがわいの鼻の先やがな。

 わいの鼻、犬糞の雑巾
(ぞっきん)にしやがんねん。
 わいが『わ〜ッ』ちゅうたら、みっちゃんが『きゃ〜ッ』ゆうて逃げてもて、後藤一山も、その声にビックリして『うぉ〜』とかゆうて、逃げてしもた。
 逃げた二人はええわいな。あとに残ったんはわいと犬糞の二人連れや。

 次の日、みっちゃんとこ行て、『夕
(ゆん)べは、えらい首尾が悪かった。悪いけど、もう一晩だけ付っき合いしてんか』ゆうたら、みっちゃんのゆうのも無理ないねん。
『そら夜店や、ゆうたらもう一晩ぐらい出してもらえんことはないけれども、昨日、お布団の中でつらつら考えるに、鼻の頭、犬糞で押さえられるような人、添うても末に出世の見込みがない。
 悪いけど、今度のことはなかったことに』ゆうて・・・・。

 犬糞のために、わいとみっちゃんの話がメチャメチャにされるなんて・・・・
(泣きながら)こんなクソおもろもない」
「泣きながら、にわか
(コント、ギャグ)してんのかいな」

「わい、後藤一山て聞いたら、じっとしてられん。今から講釈場暴れこんで、ボコボコにどついて・・・」
「そんなことしたら、臭い飯の三日も食わな、いかん。たとえ、一ときでも恥をかかすことができたら、ええのやな?」
「え?そんなんできるん?それでは『しばらく、ご貴殿のお知恵を拝借〜!』」
「お前が講釈して、どないすんねん。

 あのな、横町
(よこまち)の八百屋行って、胡椒(こしょう)の粉(こ)ぉ二銭がん(二銭分ほど)(こ)うといで。
 胡椒の粉ぉ火鉢にくすべて、その煙が鼻に入ったらえらいくっしゃみ出て、講釈なんかやってられへん。そこ、ボロクソにゆうたるちゅうのは、どないや?」
「なぁるほど。行っこ〜〜
(と、片手の人差し指を振り)、行こ!(もう一方の人差し指を振る)

「行こうゆうたかて、肝心のもん買わな、あかんがな」
「せやせや、何やら買うねんなあ?」
「胡椒の粉ぉ買うねがな」
「どこ行たら売ってる?」
「横町の八百屋行たら、売ってるがな」
「なんぼほど買
(こ)うてこ?」
「二銭がんも買うてきたらええがな」

「何やら買
(こ)うてくんねんなあ?」
「・・・・・今ゆうたとこやでぇ?胡椒の粉ぉや!」
「どこ行たら、売ってる?」
「お前、”忘れ”
(物忘れのひどい人間)やな。・・・・・横町の八百屋に行たら・・・・(と、見台を扇子でバシッ!と叩いて)売ってるがな!」
「ほたら、何ぼほど・・・・
(同じように叩いて)買お!!」
「お前が怒ってどないすんねん?」
「わい、あんまりものが覚えられへんさかい、イライラ〜っとしてくんねん。わい、水虫の薬と目薬を間違うような人間やで」
「・・・・信じられん男やな。
 ほたら、思い出す、ええ目安教えたろ。
 お前、のぞきからくり知ってるか?」
「ああ、ふとん叩くみたいな、長い棒で調子とるやつ。わい、好っきゃあ」
「知っとりゃ重畳
(ちょうじょう。好都合)や。

 のぞきからくりで多いんが『八百屋お七』。
 お七の思い者が駒込吉祥寺、小姓の吉三
(きちざ)。これで『胡椒』を思い出さんかい」
「・・・何ぼほど買うてこ?」
「 まだ、そんなことゆうてんのか?一銭玉二枚握って、横町の八百屋、行たらええねん!」


「はははは。わいが忘れのとこにさして、まさやんイラチ
(せっかち)と来てるよってに、いっつもえらい怒りよる。

(八百屋に着いて)おくれんか?」
「へぇ。何さし上げましょ?」
「くっしゃみの出るもん」
「そんなもん、おまへん」
「あれやがな、あれ。わかるやろ?」
「分かりまへんわ」
「思い出しぃな。そう、あれ、あれ、あれ・・・・・・ホエェ〜」
「何でんねん?」


「小伝馬町
(おでんまちょう)よぉ〜り引き出〜されぇ、ホェ〜、
 先にぃ〜は制札
(せぇさつ)、紙のぉ〜ぼりぃ、ホェ〜、
 同心与力を供に連れぇ〜 ・・・・・・ちゅうの二銭がん」
「・・・・あんた、店、間違えなはった」

ホエェ〜!」
「まだかいな」
はだか馬にぃ〜と乗せられてぇ、ホォ〜レェ、
 白い襟にぃて顔、隠
(かぁ〜く)す〜、ホォ〜レェ、
 あれは、見る影、姿が人形町
(にんぎょちょ)のぉ〜、今日で命が尾張町(おわりちょ)のっ・・・・・ちゅうの、二銭・・・」

「せやから、おまへんて。
(店の前の野次馬に)いや、ちゃいまんねん(違うんです)
 この人、何買いに来たか忘れて、こんなことに。
 いや、あんたが立ち止まったら、後がつかえまっしゃろ。通りなはれ、通りなはれ。」

ホエェ〜!」
「まだでっかいな」
「いま、どんどん〜と渡るぅ〜橋ぃ、ホォレ、
 悲し悲しぃの涙橋
(なんだばし)、ホォレ、
 品川女郎衆
(しながわじょろしゅ)も、飛んで出ぇるぅ〜・・・・・ちゅうの、二銭がん」

(ますます増えてくる野次馬に)押したらあかん、押したら。
 うわぁ、ニンジンの束ひっくり返った!大根、持って逃げたがな。

 あんさん、いったい何、買いに、おいなはってん
(来られたのですか)?」
ホエェ〜!」
「まだでっか?!」

「これよりかかればぁ〜天下
(てんが)の仕置き場ぁ〜、鈴ケ森じゃあ〜、どぉじゃ〜、どぉじゃあ〜!!」
「・・・・・すんまへん。頼むさかい、帰っとくんなはれ」
(疲労困憊だが、怒って)おい!八百屋ぁ!わいはなあ、伊達や酔狂でやってんのちゃうぞ。
 わいのやってんのは、こら、いったい何じゃ!」
「そら、のぞきからくりでっしゃろ」
「そう、そう。からくり二銭・・・・・・、ちゃうちゃう。こら、何のからくりや?」
「八百屋お七のからくりと違いますのんか?」
「お七二銭・・・・・・う〜ん、見えてきた、見えてきた。
 お七の色男は?」
「駒込吉祥寺、小姓の吉三でっしゃろ」
「こしょうぉ・・・・・・・?そいっちゃ〜ぁ、そいっちゃ!
(と、両手の人差し指を、順にぴっと突き出す)

 ・・・・・・はぁ〜あ。・・・えらかったぁ〜
(大変だった。疲れた)・・・・・」

「あんさん、胡椒の粉ぉ買いに、おいなはったんかいな。
・・・・・・あっ、胡椒、売り切れですわ」
 よく薬種問屋などでは、壁一面に作り付けの箪笥というか、小さな引き出しが縦横いくつもついた戸棚があって、該当する引き出しを引いて、さじのようなもので紙袋に入れて商売をしている。
 この八百屋も、スパイス的なものは店頭でなく、そうした棚に入れているようで、膝立ちになって、高い所の引き出しを開けて覗き込み、あっさりと「売り切れ」と言う。
 それを聞いた男のリアクションで、小米朝は派手にずっこけ、高座で転がってしまった。

「 そら、殺生(せっしょう。ひどい)やで。
 わい、ここまで思い出すのん並や大抵やないねん。わい、普通の人間ちゃうんやから。

 切れたら、あと買
(こ)うとかな。わいが買いに来んのん、わかったぁるやろ?」
「わかってまへん、わかってまへん」
「でや、胡椒の粉ぉくすべたら、くっしゃみ出るか?」
「そら、えぐいのが出るそうでんな」
「ほかに何ぞくっしゃみの出るもんないか?」
「ほたら、唐辛子
(とんがらし)の皮むいて、種、火ぃにくべたら黄色い煙が出て、この煙、鼻に入ったら、そら、えらいくっしゃみが出まっせぇ」
「ほな、それでもええわ。唐辛子、二銭がんおくれ」
「・・・・・・・・・・・唐辛子の二銭やそこら買うのに、からくり一段語るやなんて・・・・・・あんた、今時のお人やおまへんなぁ。
(唐辛子を紙袋に詰め、くるっと袋の口をひねり、差し出しながら)へぇ、おまけしてまっせぇ」

「まさや〜ん」
「まさやんやないわい。ほんまに、お前は、し甲斐のない男やのぉ。
 おてんとさん高いうちに出かけていって、もう、日ぃ暮れたぁるがな。どこ行ってたんや!」
「わい、ちゃんと横町の八百屋、行てたんやで」
「ほぉ。ほたら、横町の八百屋がどこぞに宿替え
(やどがえ。引越し)でもしたんか?」
「そんな皮肉な物言い、しいないや
(しないでください)。わい、向こぉ行て、何買うか忘れてるがな」
「そのために、ちゃんと目安まで・・」
「せやから、向こうで ホゥエェ〜 小伝馬町よぉ〜り引き出〜され〜ホイ、って・・」
「そんなアホなこと、やったん?」
「一段、すっくり語ったった」
「八百屋の親父、笑
(わろ)てたやろ?」
「いんや。誉めてたで。『あんた、今時の人やない』ゆうて」
「なぶられてんねがな。

 え?ほんで胡椒の粉ぉは、あったんか?なかったけど、唐辛子の粉ぉ買うてきた?
 わしゃ唐辛子やったこた、ないが出りゃあ重畳や。

 しやけど、早よ出なあかへんがな。何で?て、そらせやないかい。ああゆうとこは、どこの柱はどこの旦那、どこの隅はどこの隠居ちゅうて、座る場所まで決まったぁんねん。早よ行かなんだら前行かれへんやないか」

 ・・・と、怒られ倒して、講釈場へと、参ります。

 

 寄席といいますと、大阪では昨年の秋、天満天神繁昌亭ゆう、寄席の定席がでけました。
 関西人が寄付をする・・・・・というまことに珍しい現象で、何と2億円も集まったのでございますが、寄席と違
(ちご)うて講釈場とゆうと、何とのぉ陰気なもんでして、「講釈場 要らぬ親父の捨て所」てな川柳がございます。

 表も、あまり提灯も下がってない。お姐さんが派手に客を呼び込むわけでもなく、髭だらけの汚い親父が股火鉢、上目遣いで「まあ、お入り。まぁわいり。まぁわぃ」て、蛙みたいな声出しとぉる。

「ささ、前行くで」
「まさやん、あまり前やと、首が痛
(いと)なんで」
「あほ、わいら何のために来たんや」
「あっ、そうか。あ、すんまへん。ちょと通しとくんなはれ。あ、すんまへん。
(と、無事席に着き、にこにこと)まさやん、前の真ん中座れて、よかったなぁ」
「よかったなぁやあるか。肝心のもん、もらわなあかんやないかい。何かって?、火鉢や、火鉢」
「あ、せや、せや。
(ポン、ポンと手を叩き、手を口の横に当て)(ねえ)はん!姐(ねぇ〜え)はん!」
「どっから声出してんねん」
「火鉢持ってきて。炭、ようさん入れて。後で唐辛子くすべ・・」
「いらんこと、ゆうな!」

 火鉢を抱え、にこにこしていた男だったが、何を思ったか、いきなり唐辛子の粉を火鉢に注ぎ、扇子で横(まさやんのいる方向)に扇ぎ始める。

(鼻をムズムズさせ)お、おい。何してんねん。まだ、先生、出てはらへんやないか。・・・・・何で、こっちに扇ぐねん。・・・・・・・・ハァ〜クション!」
「こら、唐辛子でも大丈夫や」
「人、試験にすな」
 わあわあゆうてますところへ出てまりますのが講釈師。あまりにこにこしてまへんなあ。そこいくと、噺家なぞは、出るだけで、こう
(揉み手をしながら)お客さんに媚びようと、してますが。


「お早々
(はやばや)からのお詰めかけ様にて、ありがたく御礼(おんれい)申し上げます。

 毎夜読み上げておりまするのは、いずくの島々、津々浦々へまいりましても、おん馴染み深きとぉこぉろは、
元禄快挙録は義士銘々伝のお噂。
 後席は浪花侠客伝、誰
(た)が袖の音吉。
 前席、お人固めとしてうかがいまするは、慶元両度
(けいげんりょうど)は難波戦記のお噂」

 どうやら、ここは演目紹介といったところ。だいたい、長いものを少しずつ切って語り、「お後は明日(みょうにち)のお楽しみ」と、続けて来るよう興味をつなぐのであろう。
 そうしたメインが「元禄快挙録」というから、いわゆる赤穂浪士の講談のようだ。
 後席(ごせき)というからラストの講談かと思うが、音吉という侠客の講談。
 そして、前席(まえぜき)、人固めというから開場直後のざわついた雰囲気をおさめるため、まず語るのが、これからの大坂冬の陣、夏の陣に関する講談なのであろう。

 なお、この辺とか、「のぞきからくり」のセリフはとても正確にはメモしきれない。それで、これまではずっと「あらすじ」で済ませていたのだが、今回は一度、おおよそのところを載せておこうと考えた。
 私が持っているテキストとしては『桂米朝 コレクション 7』『桂枝雀 爆笑コレクション1』(いずれもちくま文庫)。これらを参照して、「ああ、こう語っていたのでは・・・」と思われるものを再現してみる。
 記憶をたどってみると、小米朝の「くっしゃみ講釈」は米朝師匠のそれより、枝雀師匠に近いようだ。

「頃は慶長も相改まり、明くれば元和元年五月七日の儀に候や。
 大坂城中、千畳敷、御御上段
(おんごじょうだん)の間には内大臣秀頼公、おん左側には御母公(ごぼこう)淀君、介添えとして大野道犬(おおのどうけん)、主馬修理亮数馬(しゅめしゅりのすけかずま)
 軍師には真田左衛門尉海野幸村
(さなださえもんのじょううんのゆきむら)。同名大助幸安(どうみょうだいすけゆきやす)
 四天王の面々には、木村長門守重成
(きむらながとのかみしげなり)、長曽我部宮内少輔秦元親(ちょうそかべくないのしょうゆうはたもとちか)、薄田隼人正紀兼相(すすきだはいとのしょうきのかねすけ)、後藤又兵衛基次(ごとうまたびょうえもとつぐ)
 七手組番頭
(ななてぐみばんがしら)には、伊藤丹後守(いとうたんごのかみ)、早水甲斐守(はやみかいのかみ)ら、いずれも持ち口、持ち口を間配(まくば)ったりし〜が、今や遅し〜と相待ったるところぉへ〜、

 関東方の同勢五万三千余騎、辰の一点より城中
(じょうちゅ)めがけて押し寄せたりしぃ〜がぁ〜、
 中にも先手
(さきて)の大将、その日の出で立ち、いかにと見てあらば、黒革威(くろかわおどし)の大鎧には、白檀磨(びゃくだんみが)きの籠手脛当(こてすねあ)て、
 鹿
(か)の角前立(つのまえだ)て打ったる五枚錣(ごまいしころ)の兜を猪首(いくび)に着なぁ〜し、
 駒は名にし負う嵐鹿毛
(あらしかげ)と名づけたる名馬には金覆輪(きんぷくりん)の鞍を掛け、ゆぅ〜らりぃガッシ!とうちまたがり、
 黒白
(こくびゃく)二段の手綱をかいぐり、あ〜た〜かぁ〜もぉ城中目がけて、はいよ〜〜〜とう、とう、とう、とう、とうっと、うち寄せたりしぃ〜がぁ〜」

「何してんねん・・」
「待って!今、ええとこ。あぁ、この先生、好きになってきた・・」
「みっちゃんの仇わぃ?」

 やっと、本来の使命を思い出した男、火鉢に唐辛子をくすべて、講釈師の鼻先に煙を扇ぎ立てる。

「はいよ〜〜〜・・・・ふぇ、へ、は、はぁっくしょん!!(と、客席を眺めまわしながら、笑ってごまかす)
 これは、これは失礼をいたしました。やつがれも、うたたねをして、風邪をひいたかに相みえますが、いや、もう大丈夫。
 ぶはっ!
(と、大きく咳払い)
 はいよ〜〜〜 とう、とう、とう・・・・ふぇふぇ、へ・・へ・・・へ・・・・・
(いかにもくしゃみが出そうだったが、やっとのことでこらえ、やや、得意そうな顔をする。。しかし、すぐに)ふぇ、は、はぁ〜っくしょん!!

  これは、たびたび失敬をば、いたしました。どうやら、これが出納めらしゅうございます。
 お客さん方もご用心遊ばさんと、この頃の風邪は、ひくと、しつこぉて治りにくい」

 講釈師、えぇ加減なことゆぅとぉる。
(アホは、ここぞ!とばかり扇ぎまくる)

「城中めがけて、はいよ〜〜へっくしょん!!とう、とう、とう、とうと打ち寄せたりしが・・・・・ぶぇっくしょん!!

 大手の門前、鞍笠間に突っ立ち上り、天地も割るる大音声
(だいおんじょう)・・・うぇっくしょんん!!
 やぁ〜やぁ〜・・・・ぶぅえっくしょん!!くしょん!やぁ〜、やぁ〜・・・・・へ、へっくしょん!!・・・やぁ〜やぁ〜遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ・・いぇっくしっ!
 我こそは〜・・・はくしょ〜ん!駿、遠、三
(すんえんさん。駿河、遠江、三河)、三国においてさる者ありと、わっくしょん!知られたる本多・・・へっくしょん!!ほん、ほん、本多平八郎忠勝・・・・・・・うぇっくしょい!!くしょい!!・・・・・・・・くしょい!くしょい!!・・・・・・・ふ〜、ふ〜・・・え、くしょい!!・・・・

 今日は、なぜ、このようにくしゃみが出るのであろうか。
 皆さん方、半札
(はんふだ。半額割引券)とは思いますれど、丸札(まるふだ。招待券)を差し上げますによって、どうぞお帰りを」

「さあ、ここやぞ。
 こら!講釈師、貝杓子
(かいじゃくし)、お玉杓子。お前は、粥もすくえん貝杓子やのぉ。
 わいら、お前のくっしゃみ聴きに来たんちゃうぞ、講釈聴きに来たんじゃ。前の方、おのれのツバでべちゃべちゃじゃ、ほんまにもう。こんなん食ろとけ!かぁ〜ぺっ!

 お前もゆうたれ!」
「おう、おう・・・言わいでか・・・・・・・・・おったぁ〜ん」
「しっかりせえ」
「わいら、お前の講釈聴きに来たんちゃうぞ、くっしゃみ聴きに来たんじゃ」
「あべこべじゃ」
「そうじゃ、そのあべこべじゃ。こんなん食ろとけ。
(唾を)ぁべっ」
「お前は子供か」
「まさやん、ぽんぽ〜ん!とゆうたったら、胸すぅ〜っとした」
「ほんまかぁ?」
「去
(い)の、去の〜。♪ おけら、毛虫、ゲジ、蚊に、ボウフリ、せみ、かわず、やんま、ちょうちょに、キリギリスには〜たはた、ブンブの背中はぴ〜かぴか ♪」
「どこの歌や?」

「あいや、そこのお二方。他のお客さんは皆、気の毒じゃ、気の毒じゃとゆうてお帰り下されたが、あんた方二人、私に何ぞ故障
(差し障り。文句)でもあるのですか?」
「なあに、胡椒ないさかい、唐辛子くすべたんや」

 最後の歌の「ゲジ」はゲジゲジ。ボウフリはボウフラ。はたはたは、機織(はたおり)バッタ。私(石野陽虎)の小さい頃はキチキチバッタと呼んでいた。飛ぶ時にキチキチキチ・・・という音を出す。後ろ足の先を揃えて持つと、身体をがくんがくんと振るので、米搗きバッタとか機織バッタとか呼ぶ。
 ブンブはコガネムシ。カナブンとも呼ぶ。
 私は、最初の頃は「〜かに〜」と聴こえるので、てっきり「蟹」だと思っていた。

 この『難波戦記』というのは実際の講談にあるのだが、この落語中のそれは、いかにもそれっぽくつなぎ合わせてあり、いろいろ史実などとも異なっているそうだ。

 一山の講釈のところで最初のくしゃみをいつ出すか、というタイミングがあるが、今日の小米朝は、かなり長めに語らせていた。
 仇を討ちにきた男がすっかり聞き惚れてしまうというのが面白みの一つなので、ある程度じっくり語らせるのは良いと思う。

 「くしゃみ」もいろいろである。雀三郎で聴いたくしゃみは非常に派手であったし、福団治で聴いたくしゃみは、毎度毎度鼻の横で手をひらひらさせる、かなり様式的なものだった。
 今日の小米朝のくしゃみは、かなり素(す)に近いものだった。雀三郎は、講談の張り上げた調子と同じような調子で、かなり派手にくしゃみをぶっ放す。それに比べると、小米朝は、くしゃみ部分はずいぶん低音で、何か普通というか、地味な感じのくしゃみであった。もう少し派手でも良かったのでは?と思う。

 あと、感じたことは、小米朝は、この男をずいぶん可愛い感じ(両手の指先を突き出すところとか)に演出していたなあということ。


 



 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音とかしてませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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