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(No35) 米朝・小米朝の会 鑑賞記 その2 

 平成19年1月31日(水)、午後6時開場、6時30分開演。公演場所は京都府立文化芸術会館にて・・・・の続き。
 



(3) 桂小米朝 「崇徳院」

 高座にあがるなり、親子会を「独演会」と言い間違えて苦笑い。 

「この頃ね、一門会や親子会の売れ行きがいいらしいんです。

 この公演の切符も発売と同時くらいに売り切れたそうで・・・。
 
 ま、何で、そない売れ行きがええかゆうと・・・・・まあ、皆さん、国宝の最後の舞台が観たいんでしょうねえ」


 と、観衆の本音をサラリと。

「ま、この頃の仕事の半分は国宝の管理なんですが。

 あの国宝は動きますからな。
 動くさかい、去年も滑ったんです。寝ござでね。周りは止めてたんでっせ。でも、80過ぎたら、聞きません。


(口を「への字」にして、ちょっと片眉を上げて)『夏は、寝ござや!』 
・・・・・ま、ちょっと血のつながりを見せとこ思て」

 さすが顔真似、声真似はうまいもんだ。

 その現場を目撃したのはヘルパーさんのみ・・・で「家政婦は見た」。そして、そのヘルパーさんが「それはすごい雄叫びが」と言ったが、米朝一門は米朝の雄叫びには慣れているという話から、いつもの「水虫のネタ」へ。

「『見てみい。この頃は水虫の薬がこんな入れもんに入ってんねんな』
 そう言いながら、こう、蓋を取りましてね。
(目薬のように、左手で右目を上下に押し開き、上を向いて、右手で薬の入れもんを持ち上げてみせ)
・・・・ああいう時は言葉が出まへんな。唖然とするゆうか。
 ほんで、ぎやああああ!! 
 もう、こっちにしたら
(指を突き出して)『あんた、水虫ゆうてたやあん!』てなもんですな」

 マクラの最後は、
「まあ、そんな国宝ですから、わたいらとおんなじような拍手ではあきませんでえ。

  米朝が出てきたら、手を合わせて拝んでください。・・・・・・ま、こんなアホなことも、親子なりゃこそ言えるんですが」


 ここんとこは全く同感。親子の小米朝か、まあ、一番弟子のざこば師匠くらいにしか言ってほしくない。
 雀々がこの手のことを言うと私は以前から文句を言っているのだが。

 噺の演出の特徴としては、
(1) てったい(手伝い。大工仕事や雑用を手伝う、大家(たいけ。「おおや」ではない。大店(おおだな)などと呼ばれる大きな商家などのこと)によくいる出入りの職人などのこと・・・・・長い説明やな)の熊五郎が、若旦さんに「おっしゃれ(事情をお言いなさい)」と迫る時に、やたら眉毛を上下にピクピクさせる演出が目立ったくらい。
 小米朝は、その風貌から何だか高田順次に似たような印象を受けることがある。体操の森末にも似てるかな?

 まあ、普通の「崇徳院」でした。

 



(4) 桂米朝 「鹿政談」

 
「この見台は、講釈台で、落語の見台に比べたら、ひとまわり大きいんですなあ。

 まあ、この方が立ち座りの時に助けになりまして。体のため、やむを得ず使こてるんですな。

 しゃべる内容も変わりましたし、演題も減りました。ああ、これは長いなあ、でけんなあとかね。

 声もあんまし出んのです。それでも、ものの3分もしゃべってますと、だんだん声が出てまります。ま、10分もすると、また出んようになるんですが。

 最近覚えたことは、さっぱりあきまへんな。おもろいことに昔に覚えた「三都の名物」なんてものは案外出てくるんです。節がついてるせいもあるんと思うんですが。

 こないだも、江戸の名物が出ましてね。京都の名物も何とか出て、大坂の名物が、だいぶ苦労したんですが、何とか出たんです。

・・・・・・そしたら、次、何ゆうかわからんようになって・・・。
 

 奈良の名物と言いますと、やはり大ぶっつぁん(大仏さん)ですな。大仏に鹿の巻き筆、あられ酒。春日燈籠町の早起きなんて申します。・・・・・・・・今日も出てしまいましたな。

 奈良ざらし
(晒し)、奈良墨とかゆうて、「奈良」と名ぁがつくとええもんのたとえになりますな。・・・・おなら・・・なんてのもありますが。
 土地柄ゆいますか、昔、都があったとこの名前がつくと、何でもええもんの例えになります。京美人とかね。
 私は今、尼崎に住んでまんねけど、尼崎美人・・・ゆうてもね。誉めてるんや、どうなんや。いや、そら、尼崎にかてべっぴんさんはいてはりまんねんで。でもねえ・・・」。
(この辺の「京美人」、「尼崎美人」てな話が3回ほどループする)

 
そして、いよいよ衝撃のシーンへ。
「京都は、鹿が名物で」
 
と、私の心は凍りつく。多分、会場の多くの人も同じ心境やと思うが。
「安芸の宮島も鹿の名所です。鹿がおるとこには、不思議と紅葉の名所も多い。ま、もみじも、鹿がおると札(ふだ)でも10点高い」

 
花札で、紅葉の札の10点札には鹿が描かれている。
 ちなみに、うちの家では、正月によく花札(花合わせ)をしていた。
 「桐」という札を4枚集めると「役」が出来て、他の人から10点ずつもらえたのだが、長いこと、何で桐の20点札には鳳凰が描かれているのだろうと不思議に思っていた。
 それが、先日の「京都御所の障壁画」展で、鳳凰は桐の樹に住むという図録の解説を読み、「ああ!!」と納得したのであった。実にありがたいことである。

 なお、もみじは10月の札で、10点札の鹿は、そっぽを向くというか、首を後ろに向けている。ということで、「鹿」の「10」月で、「無視すること」を「鹿」「十(とお)」、つまり「シカト」と言うのである。いわば、シカトするという「若者用語」が、こんな旧来の博打用語に由来するというのは少し意外だが、現実だから仕方ない。

 
で、さらに脇道が長すぎて申し訳ないが、「京都は鹿が名物で」で会場が凍り付いてしまったので、「鹿で10点高い」というとこで、会場は、必要以上に大受けしたのである。
 覚えず、米朝師匠のおっしゃったことで、笑えるところでは、とにかく、笑っておきましょうという心理が働いたのではないだろうか。

「京都の三条横町、豆腐屋の六兵衛さん」

 
ここで、私はさらに凍りついた。私の聞き違いでなければ、確か、米朝師匠は「京都の三条・・・」と言った。
 元の「鹿政談」でも「奈良、三条横町」なのである。だから、私の聞き違いかもしれない。私が、今日、この会場へは、京阪(京都の)三条から二つ先の・・・とか思っていたから「三条」と「京都」を結びつけてしまったのかもしれない。その可能性は否定しないが、とりあえず私は、この瞬間、「京都の三条横町」と聞いたのである。
 で、私は無理やり、米朝師匠がこれからする噺は「鹿政談」ではなく、京都の豆腐屋が出てくる別の噺ではなかろうか、と頭を切り換えたのであった。

「昔は、おからのことを「切らず」とかゆうたんですなあ。この頃は、こんな言い方もめったにせんようになりましたが。
 まあ、何で、おからを「切らず」とゆうかとゆうと、豆腐は切りまっけど、おからは切らん。それで、切らず、と。まあ、こない苦労して言い換えんでええように思うんですが。
 と、朝から、その「きらず」の桶を犬がむしゃむしゃ食うとおる。それで、割り木をほおる(投げる)と、その犬がばたっ!と倒れた。よお見ると、犬やのうて鹿。奈良では春日大社の神さんのお使いゆうて、鹿を殺すと死罪・・・・」

 
ここで、(私だけでなく)しっかり場内中が凍りついたように感じられた。完全に「鹿政談」だ・・・・。

 で、取調べの場へ。びっくりしたのは、お奉行の取調べに対し、鹿の守り役(鹿の世話をする責任者の役職)塚原出雲が、この六兵衛さんが、鹿に割り木を投げつけて殺害する一部始終をこの目で目撃していたと証言するのだ。
 豆腐屋の朝といえば、まだ夜も明けきらぬ暗いうちだろうに、何でそんな偉いさんが、豆腐屋の行動を現認していたのか?こんな演出、今まで聞いたことがない。
 しかし、米朝師匠の噺は塚原出雲に「その方、目撃いたしておったそうじゃが」「鹿には何の罪もございません」と続いていく。大丈夫か?

 しかし、米朝師匠の地のセリフとして、
「何もかも原因がはっきりしていて、どうにも救いようがない。内心では、人の命と、鹿の命が一緒にはならんと思っているのですが・・・・
『これまで、鹿を殺して人が死罪となった前例はあるか?』
『はい、過去にかくかくしかじかの前例が・・・』
・・・と、どないしようもない」
 、と更に展開。

 で、米朝師匠・・・ではない、お奉行が、やおら
「・・・これは、その実、犬ではないか?」
と塚原や同役に尋ねる。

 で、その方向で噺が収束するかと思ったら、
「鹿のような所もございますなあ」と同調する同役もいる一方、
「こういう場面では、役人というものは、とかく上役の腹の探り合いということになります」として、大勢がはっきりしない。

 肝心の塚原出雲も「困ったな・・・」となかなか旗幟を鮮明にしない。あくまで「鹿」と言い張るのか、奉行に合わせて「犬」と言うのか?

 と、いきなり奉行が「3000石の餌料をいただきながら、それを金子に代え、高利で貸し付けておる者の噂は奉行の耳にも届いておる」と脅す。

 「犬か?鹿か?」「犬・・・鹿・・・蝶」というギャグはあった。しかし、「たって、これを鹿と言い張るならば、餌料横領の儀から吟味いたすが、どうじゃ!」と迫るシーンはなかったように思う。

 そのほか、何度も同役の意見を聞く中で「そもそも鹿の命と人の命を同列に扱う、この取り決め自体に無理があると存じます」という、いささか青臭いというか、無垢な正義感を表明する役人もおり、また、奉行が「よくぞ申した。みどももそう思う」と同調する一幕もあった。
 それはいいんだが、いっこうに噺が前に進まん

 「”きらず”を食す。これは鹿によくあること」と、せっかくまとまりかけた噺を振り出しに戻すようなセリフがあり、ええ?と思ったのだが、次の瞬間、
「きらずにおくぞ」
元気に帰ります」

 そこで、ドン!ドン!と太鼓が鳴った。

 えええ???そう思ったのだが、米朝師匠自身が、袖に向かって「ちょっと待ってくれ!」と言っている。

 要するにこれは、大豆を原料とする”おから”を「きらず」と呼ぶことから、「”斬らず”におくぞ=斬罪には処さないぞ」という奉行の優しい問いかけに「おかげさまで元気に(「まめ」で)帰れます」と返すというオチである。そのまんま「元気」と言ってしまうとおから、大豆というオチにならない。

 「まめで帰ります」というオチだけを言い直して引っ込むのか、と思ったらそうではなかった。

「もともと、このオチが気に入らなんで、何とかできんかな?と思てたんですが、出る前にはっきり決めかねたまま、出てしもて・・・・・」

 そこで、会場がどっと湧く。

「まあ、この「鹿政談」という噺、結論出さんまま・・・。
 いろんなサゲ(落ち)があるんです。『一つまうとは』『半なり』とかね。
 えらい、ものものしい噺に仕立て上げてしもた例もあります。まあ、これまで先輩方がいろいろ工夫してきたんですが。
 ・・・・・・・・・・まあ、大体がしょうもない噺でございます。

 『一つまうとは』『半なり』・・・・・これは丁半博打のことで。

 ま、鹿政談には悪いサゲばかり。
 大体が、この噺は講釈題(講談から発展した噺)でして。

・・・・・・・・・・頭もボケてしまいました」

 
噺が無限ループに入りそうになったのだが、米朝師匠が、やや自嘲的に「ボケて・・・」とおっしゃったので、会場も再びどっと湧いた。
 てゆうか、会場の聴衆(私自身も含む)も早いとこ一定のけりをつけたかったのだろう。しかし、国宝の暴走は止まらない。

「私のような古手(ベテラン)でも(この「鹿政談」はサゲが悪いから)やりにくいとこ、今後、若い連中がどんなサゲ付けてくれるか。
 この噺(「鹿政談」)は、東西にあるんです。しかし、あまり皆がやらんのは、サゲが悪いせい。
 何とかしたいなあとは思うんですが、それができまへん」

 「鹿政談」の江戸バージョンがどんな噺か、はよく知らないが、とりあえず、師匠が言うほどひどいサゲでもないように思う。
 これ、どうやって収拾つけるんやろう?と思ってたら、袖から小米朝が出てきて、米朝師匠の横にぺたっと座った。

「このサゲは『まめで帰ります』と違いますのか?」
「いや、それが・・・・・・・」

 素直に納得しようとしない「国宝」を扱いかねたふうで、小米朝が話題を変えるべく、
「今日は”豆”と名前のつく芸妓(げいこ)はんも来たはりまっせえ」、と言うと、米朝師匠は勢い込んだふうで、
「あっ、そう?」と、会場を見回してみせた。

 実は、今日開場は6時なのだが、私は会場に5分ほど前に着いた。会館入り口前には開場を待ちかねた人が長蛇の列をつくっていた。
 私は、それをチラリと見て、会場は指定席だから並んでも意味がない。京都御苑を歩き回って疲れてるしな、と会場前のバス亭のベンチでしばし座ることにした。
 と、私の目の前に1台のタクシーが止まり、そこから置屋の女将さん風のおばさん二人と、若い芸妓さんが降りてきた。
 で、その「祇園グループ」は、会館の人に案内され、我々一般人とは別入り口から入っていった。
 その後、私は、あの人たちはどこで観ているのだろうと思って、会場を眺めたのだが、所在を確認できなかった。

 そして、さらに、小米朝の「崇徳院」が終わって中入になりトイレに立った時、「関係者以外立入禁止」の楽屋口からこそっと出てくる芸妓さんグループを再び目撃したのであった。
 思うに、あの芸妓はんが「豆奴」とか、「豆菊」とかゆうんではないだろうか。

 さらに、小米朝は米朝師匠の気をひきたてようとしてか、
「どうです、これから祇園町で飲みにいくゆうのは」
 これに対し、国宝は、
「いやあ・・・、気持ちはあるけど・・・」とまんざらでもない様子。

「どない変えたいんでんねん?」
「それがなあ・・・・・もう、やめるわ

 思いもよらぬ展開に少しあわてた小米朝は、ちょっと「おちゃらけ」でまぎらわすべく、先ほどの、「観衆は国宝最後の舞台が観たがっている」というネタもからめつつ、
「ええ?ということは、今日が最後の高座?」と客席に向かって声を張り上げてみせる。

 そして、何とかその収拾をつけようとして、国宝に「何ぞ別の噺をしはったら」と提案した。
「いや、そないなると、また長なる」と抵抗する国宝に、
「長い噺やのうて。長い曲やった後のアンコールみたいな感じで、小噺さらっとやって」と再提案。

 で、国宝が始めたのが、最近多用する「親子のつ○ぼ」というネタ。

「息子、今通ったん、○○さんちゃうか?」、「何ゆうてんねん、おとっつぁん。あら、○○さんやないか」、「ああ、そうか。わいは、また、てっきり○○さんか思た」というやつ。

 それでドン!ドン!と太鼓が鳴ったが、国宝は席を立たない。 

 で、次にこれも多用している「川越えのつ○ぼ」のネタへ。

 そのオチを迎え、ついに国宝の高座は終わった。 



 
 


 トリの小米朝の高座については次回へ。
 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音等してませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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