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(No32) 新春吉例 米朝一門会 鑑賞記その2 

 正月2日、3日に開かれる米朝一門会。サンケイホール建替のため、昨春よりヒルトンホテルに会場に移した。
 その鑑賞記の2回目。
 




(3) 桂都丸 「鯛」

 この「鯛」という噺は確か桂三枝が創った新作落語で、以前桂三金で聴いた。

 「ただいまは結構なふぐのお噂(噺)でしたが、今度は鯛の噺を聴いていただきます。
 よお、店の中に水槽、生け簀があって、そこに魚が泳いでる。で、客がこれ、と指名したやつをすくうて活け造りにして食べさすてなお店がちょいちょいありますが、そういうところの噺です。

 でっさかい、こっから全部、人やのうて、鯛の会話なんですな。例えてみりゃ、このヒルトンホテルの大広間を生け簀に見立てて、皆さん方おひとりおひとり鯛になった気分で聴いていただきたいのんで。
 まあ、ちょっと頭のチャンネルを切り換えていただくようにお願い申し上げます」と最初に断りを入れる。

 「おい、新入り」と言うなり、客席に向かい直り「皆さん、切り換えは済んでますか?大丈夫ですか?」と注意を喚起する。

 「おい、新入り。危なかったな」
 「ほんまです。危ういとこでした」
 「お前、今日入ってきたとこやろ。それやのに、いきなりすくわれて、ああ、何と運のないやっちゃ思て見てたら、最後、ぴん!と跳ねて飛び出よった。
 あの時の若い板前の顔見せたかったで。あんな胸のすく思いしたん、久し振りや」
 「もう、無我夢中でした」
 「しかし見事なジャンプやったなあ。どや、何かやってたん?
 「へ?何かって?」
 「いや、スポーツ
 「スポーツって・・・・・別にやってまへんけど。泳ぐのんは得意でした。
 それにしても、人間は、何でわいら鯛ばっかり、あんな焼き方しまんねんやろなあ。他の魚は、こう、普通に焼かれてまっせえ。
 わいらには、ひれんとこ、やたら塩付けて、こ〜んな格好させて」 と、都丸は身体をべちゃ〜っと伸ばし、手をひらひらさせて、正月のにらみ鯛の格好(?)を真似てみせる。

 「あら、化粧塩とかゆうて、それと身体がこう波打ってたら活きが良さそうに見える、ゆうてあんな焼き方しよるねんなあ。”めで鯛”とか言いよるんや」
 「料理ゆうたら、わいらを生姜とかゴンボ(牛蒡)と一緒に煮(た)く、アラ煮(だき)とかゆうやつ。あら、つらいそうですなあ。醤油が眼にしんで(しみて)
 ここで客席がどっと湧いた。

 「しかし、えげつないゆうたら、何と言っても、活け造り、舟盛り料理ゆうやっちゃ。わいらの骨と身ぃの間に包丁入れよるんやさかいな。あまりの痛さ、苦しさに失神してしまうわけや。
 ほんで、身ぃを柳刃包丁で薄〜に切って、それをどうゆうわけか、骨の方に返しよる。この辺でぼちぼち覚醒するわけやが、あまりのわが身の変わりようにもがき、苦しみ、ぴくぴく、ぴくぴくと痙攣する。それ見て、『ああ、活きがええ』とか言いよるんや。そして、ついには絶命するんやな」
 「何で人間は、あんなことしまんねやろなあ」

 ほんま、これから活け造り食べにくなってもたなあ。さて、そうして新入りと先輩が会話しているところに別の鯛が声をかける。
 「あのぉ・・・おふた鯛さん。あのぉ・・・おふた鯛さん」
 「何やねん、そのおふた鯛さんて」
 「いや、人間やったらお二人さんゆうとこやけど、鯛やからおふた鯛さん
 「どうでもええわ。で、何でんねん」
 「いや、その新入りさんを呼んだはりまんねん。ぎんぎろはんが」
 「ぎんぎろはんゆうのが、さっきゆうてたこの生け簀の主やがな。呼んだはんねやったら、行ってちょと挨拶しといで」
 「わかりました」
 と、都丸は、胸のところで手首を着け、両手の先をひらひらさせて新入りが泳いでいる真似をし、「私がこないしてると、鯛やのうてアンコウや、言われまんねけどな」とギャグを飛ばす。

 「ぎんぎろ」はんは、この店開店以来生き延びているという古参。新入りに、
 「お前、天然やな
 「わかりますか」
 「わからいでか。この辺、みんな養殖もんばっかや。天然もんは滅多におらん。それもお前みたいな立派な姿の鯛は初めてや。
 お前の身代わりになった奴、あいつも養殖もんで、何せ人間にエサもろて大きなったやつやから、なんぼ人間に気ぃ付けゆうたってもわかりよらへんかった。ほんで、あのありさまや。

 お前、育ちは明石やろ」
 「そんなことまでわかりますか」
 「当たり前や。あの辺は潮の流れがきつい。その流れに逆らって泳ぐさかい、身ぃが、筋肉が締まってくるんや。そういう鯛だけが本鯛、真鯛と呼ばれるんや。
 鼻んとこに泳ぎこぶゆうこぶがあるやろ。どや?ほれ、やっぱ、あるやないかい。それが明石の鯛の『証し』ゆうやっちゃな。
 何を隠そう、わいも本鯛、真鯛や。

 お前にな、この生け簀で生き延びていく秘訣を教えたるわ。気力、体力、若さ。こんなもんも、もちろん必要やけど、そうゆうもんはやがて衰えていく。大切なんは、何とゆうても、ここ、頭や。ちょっと耳貸し。・・・・何してんねん?」
 「いや、どこが耳か、ようわかりまへんねん」
 「どこでもええがな。とにかくな、客の目、板前の目、これをよう見とくこっちゃ。
 客が見ている時は、わいは活きが悪いぞ〜、わいを食べたら当たるぞ〜てな感じで、こう漂え。腹、上向けて泳ぐのんはなかなか難しいねんで。
 しかし、ここの主人は商売上手やから、客が見てへん思たら、活きの悪い奴から出していこうとするさかい、客が見てへんとこではしゅっ!しゅっ!と泳ぐんや。この見極めがまことに難しい。でや、わかるか」
 「わかります。客の見てるとこではキビキビ泳ぐ」
 「・・・・・お前、泳ぎは達者やけど、頭はあんまり良おないな。とにかく、客の性格をつかむことも大事や。

 今、座ってんのが電気屋の尾崎さんや。あの人はケチやさかい、よっぽど大事な得意先を接待でもせん限り鯛は食わんから大丈夫や。そやな、あの人が前に鯛注文したんは、かれこれ2年半ほど前かな」
 「そんなことまで覚えてはるんでっか」
 「わいは、この頃大体血液型で分けてるんや。あの尾崎さんはA型や。A型の人は真面目やさかいな、いっぺん注文したもんは変えへん。
 B型の人間も結構変わり者が多いんやが、不思議と注文したもんは変えんな。
 かなんのはO型や。あいつらは、ころころ変えよる。鯛ゆうてたかと思たら、急にやっぱシマアジにするとか言いよって、そのたんびにウロウロせんならん」
 「はあ、そうですか。で、AB型は」
 「エビが好きやな・・・」と小ギャグを飛ばす。

 「ともかく、わいはお前には夢を持って生きてほしいんや」
 「夢ゆうたかて・・・・こないな生け簀の中で夢持ってもしゃあないでしょう」
 「さみしいことをゆうな。お前の前にもな、天然もののデコゆう奴がおってな。わいが何ぼ目立つようなことすなゆうても、板前の鼻明かしたるゆうて、泳いどった。そいつが、一瞬のすきをつかれて、とうとうすくわれてしもた。
 ところがや、たまたま、そいつは活け造りやのうて、あるお客さんが『鯛を釣りに行く。今日は晩飯のおかずはいらん!』ゆうて家を出てきたのに坊主で、土産に鯛を買(こ)うて帰らなならんゆう人の注文やったんや。
 そやさかい、ビニール袋に酸素入れてもろて、持って帰れるようにしたんたったんやが、そのお客さんが待ってる間、別の魚で一杯やってるうちにすっかり出来上がってしもてな。店を出る時分にはえらい千鳥足や。

 あっちへふらふら、こっちにふらふらして歩いてる時、拍子の悪い、この先に橋があるんやけど、そこの欄干んとこでバランス崩して、あっ!と思た時にはうっかり、その袋を橋の下に落としてしもたんやな。
 折からの雨で川が増水してて、流れがきつい。ビニール袋は見る見る間に下流に流されていく。と、川の真ん中に杭が立っとって、そこに袋が引っ掛かって、ばりっ!とビニールが破けた。と、デコはその破れ目から外へ飛び出して、そのまんま、その流れに乗ってずば〜っ!と海まで流されていって、無事ふるさとへ帰っていった・・・とこうゆうわけや」
 「・・・・・それ、一体誰が見てましたんや
 「いや、デコが帰った海でな、横で泳いどった奴が、後で捕まってうちへ来て、そいつがデコがこうゆうてたって聞いたんやがな」
 一応、理屈は合っている。

 「実はわたいにも夢はありまんねん。わたし、瀬戸内海におりましたやろ。そやから、日本海にはちょいちょい遊びに行ってましてん。せやけど、いつでも行ける思て、まだ太平洋に行ったことおまへんねん。
 せやさかい、いっぺん太平洋で泳いでみたい思て。広いんでっしゃろなあ。
 ぎんぎろはんは太平洋で泳いだことおますか」
 「そら、あるがな。広いでえ。わい、いっぺん和歌山の沖で泳いでる時、鯨と会(お)うたことあるけど、すれ違うのに小一時間かかったわ。
 それと、その後に、これまた大きいジンベエザメと会うてな。赤い甚兵衛着てたわ」
 「ほんまでっかぁ?それで、ぎんぎろはんの夢て何です?やっぱ、故郷に帰ることでっか?」
 「今さら帰ったってしゃあないからな。わいの夢はなあ、老衰で死ぬこっちゃ
 「へ?」
 「いや、こいつら店のやつらの思うようになんかなってたまるかい。ここで天寿を全うするのが夢なんや。それとな、お前も、もし捕まったりするようなことがあってもじたばたしたらあかんぞ。
 まな板の上に乗ったらぴくりとも動かんと、口はきっと結んで、眼ぇだけはぎろっと板前を睨み付けたるんや。それでわいら本鯛、真鯛の潔さを見せたれ。まな板の上の鯛ゆうやっちゃ」
 「そら、鯉とちゃいまんのか」
 「腐っても鯛ゆうやないかい。あっ、見てみ。お前の身代わりですくわれた奴、舟盛りなって出てきよった。おい、みんな出て来い」
 「どうしたんです」
 「いや、犠牲者が出たら、みんなで黙祷すんのがしきたりになってんねん。はよ、来(こ)んかいな。ヘイ!カムヒヤ!
 「英語でっか?」
 「最近、輸入もんが多いからな。そうゆうやつは目ぇが青い。

 
あ、今度入ってきたんは不動産屋の南部はんや。南部はんはな、ひとみゆう女とでけてんねん。いや、会社の経理やっててな。本名本田ひとみ。26歳。今、天満にマンション買うてもろとんねん」
 「何でもよお知ったはりますなあ」
 「カウンターの会話聞いてたらこれくらいわかるがな。いや、心配せえでもええ。今日連れとんのは女房らしい。日本の男ゆうのは、どうゆうわけか女房と来た時には高いもん頼まんねん。釣った魚にエサはやらんゆうのかなあ」

 と、ここで珍しく人間同士の会話となる。南部さんは、今日は嫁さんの誕生日で、ふぐでも食べようとこの店に来たのだが、主人が私から鯛の活け造りをプレゼントしましょうと生け簀に網をつっこんだ。

 その網に入ったのはぎんぎろはん。突然のことで油断していた新入りがすくわれてしまったところを突き飛ばして自分が身代わりとなったのだ。
 新入りに将来を託して犠牲となったぎんぎろはんの最期をきっちり見届けさせてもらおと、かたずをのんで見守る鯛たち。

 「大将、この鯛古いんとちゃうか。ぴくりとも動かんで。口も閉じてるし、眼ぇだけこっちにらんで。けったいな鯛やで、これ」
 「古いて、今、目の前ですくいましてんがな。ええ?あら。ほんま、なんぼつついても動きまへんなあ。
 ものは間違いないんでっけど、古いなんて疑われたらけったくそ悪いし、わかりました。ほな、もう一匹すくいまっさ」
 「あっ!大将、もうええわ。もう一匹すくうゆうたとたんに、急にぴちぴち動きだしよった」
  
 
 前も書いたが、ほんまよおできたオチですな。
 
 

 



(4) 桂米朝 「鹿政談」

 私が観ていたのは○列の31番席といって、けっこう前だが、一番右の端だった。この席が後で若干の意味を持ってくる。

 「まあ、来年の正月は迎えられんやろうと思います」といういつものマクラで始まる。

 「やはり、正月ゆうたら、何とのう、さわやかなもんですな」
 「まあ、さわやかゆうても80過ぎると、どうちゅこたぁないですが」
 「ほんでも、やはり気分のええもんです」
 「去年はどやったかいな」
 「忘れるくらいさわやかゆうことで」
 「まあ、別に変わりまへんな」
・・・・と、結局どやねん?という感じのつぶやきが続く。
 「土地土地の名物というのがございまして・・・」と語りだしたので内心どきぃ〜!とする。

 これは江戸の名物、京都の名物、大坂の名物を次々にテンポよく並べ立てていくものである。

 ちなみに江戸名物は武士鰹大名小路生鰯、茶店紫火消し錦絵・・・といった具合に五七調で歌として詠みこんでいる。

 案外とこうゆうもんは「もう出てこんやろう」と思てても、調子がついてまっさかい、節をつけると出てくるもんですなあと師匠は言うのだが、最近はやはりなかなか出てこない場合が多く、そのたびに会場は異様な緊張感に包まれる。

 米朝師匠も、あえて自分の記憶力に挑戦するつもりでおられるのだろう。

 で、今回、ついにその時が来てしまった。江戸はまずまず順調に終わった。京都はだいぶ苦戦した。で、大坂が途中で終わってしまった。で、あわてて残りを搾り出そうとされるので、片目をしかめ苦しそうにされている。胸が締め付けられる思いだ。
 まあ、何とか、「石屋植木屋」という残りの部分も出てきた。
 途中なかなか続きが出てこずヤキモキするのは最近ではいつもだが、途中でいったん終わってしまったのは、私は初めて聴いた。
 そのうち、残りも結局出てこない、本当に「その時」も来ちゃうのだろうか。

 奈良の名物の鹿と灯篭。この数を全部数えることが出来たら長者になるというが
 「鹿を数えるのは難しゅうございます。何せあら動きますからな。それも、全部同んなじ顔してますし。しかとは(鹿とは)わからん・・・・」
 「ほな灯篭やったら数えられるかゆうたら、あれも数が多いですからな。とうろう(とうとう)わからなんだ、ゆうて」
 2回くらい繰り返してのギャグである。本来、この辺で「かねとクジラ」とか「目から鼻へ」のくすぐりが入るのだが、それはすっ飛ばされたようだ。

 豆腐屋六兵衛さんの鹿撲殺シーンだが、私の聞き間違いかもしれないが手にした「ほうき」を投げて・・・とおっしゃったように聞こえた。やっぱ、最低「割り木」(薪)でないと、ほうきを投げつけただけじゃ、なかなか死なないと思う。

 お白洲での吟味の時、固有名詞が出てこなかったのか、扇子を下の方で広げ、ちらりと目を落とされた。扇子の片面に、小さく人名とかが書いてあるのではないだろうか。
 上方落語なので、見台と膝隠しが置いてある。正面からでは(視線を落としているから想像はつくだろうが、)扇子そのものは見えないだろう。
 しかし、私は座席が会場右端だったもので、その扇子がきれいに見えてしまった。

 犬か、鹿かと問い詰められ「犬・・・・鹿・・・・蝶」というところは無事受けた。

 そのほう、たって鹿だと言い張るなら餌料横領の件から吟味いたすが、どうじゃ!と責めるところはていねいに2回繰り返された。

 まあ、今年も米朝師匠の噺が聴けてよかった、よかった。

 


  中入り後の南光・ざこば両師匠の高座は、次の回で。

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音等してませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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