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(No31) 新春吉例 米朝一門会 鑑賞記その1 

 正月2日、3日に開かれる米朝一門会。サンケイホール建替のため、昨春よりヒルトンホテルに会場に移した。
 

 



(1) 桂よね吉 「延陽伯」

 開口一番は桂よね吉。正月の大舞台だが、そのような緊張はみじんも感じさせぬ、落ち着いた登場振りであった。
 高座について、「明けましておめでとうございます」。と、会場からも返礼が。

 「いやあ。(返事が)返ってくるとは思っておりませんでした。

 わたくし亥年の年男でございまして、がんばってまいりたいと思います。

 とかく、こういう席ですと前座が出てまりますと、『何や、前座か』てな雰囲気になるもんですが、こちらは違いますな。

 笑(わろ)うてやろうという暖かいものを感じます」と語って本題に入る。

 町内の若い者のところに嫁さんの世話に来た甚兵衛はん。

 釣書(つりしょ)で女性の写真を見せようとする甚兵衛はんに「女子(おなご)はここ(と、横っ面をぴしゃっ!と叩き)より、ここ(と、帯のあたりをぼん!と叩く)だっせえ」と見栄を張る若い衆だが、写真を見るとびっくりするほどの美人(べっぴん)で、でれでれとにやついた若い衆。
 「やっぱ、おなごはここ(腹、心)よりここ(顔)でっさかいなあ」と簡単に宗旨替え。

 甚兵衛はんは「こら、先にゆうとかな、あかんねんけど・・・実は、この娘はん、一つだけキズがあんねん」と切り出す。
 「そら、そうですわ。そやなかったら、こないなべっぴんさんが、うちみたいな汚いとこに来る筈おまへん。そら、そうです。当てまひょか。う〜ん、この写真は、30年前の写真」
 「それやったら、お前のおかんより年上になるやないか」と呆れた甚兵衛はんは、この娘が公家同様の暮らしをしており、言葉使いが難しいんやと白状する。

 そして、先日会った時に、「今日はどちらへ?」と聞いたら
 「わらわ今朝(こんちょう)、高津(こうづ)が社(やしろ)に参詣なし、前なる白酒売茶店(はくしゅばいさてん)に休ろう。遥か西方(さいほう)を眺むれば、六(むつ)の甲(かぶと)の頂きより土風(どふう)激しゅうして、小砂(しょうしゃ)眼入(がんにゅう)す」と言われ、言ってる意味も、どう返せばよいのかもわからず、取りあえず「すたん、びょうぶでございますなあ」と答えたと言う。

 若い衆は全く何のことやらわからないので、えらい甚兵衛はんも難しいこと知ったはりまんなあと感心する。
 女性の台詞は今朝、高津神社に参詣し、白酒を売る茶店で休んで何となしに西の方を見ていたら六甲山から吹き降ろしてきた風で飛ばされた小さな砂が眼に入ってしまいました、ということなのだが、その解説はなかった。
 一応、甚兵衛はんは、とっさに「箪笥」と「屏風」を逆様に言っただけだという解説はあったのだが。

 若い衆は「言葉はわからないが美人の嫁」と「言葉はようわかるが不細工な嫁」のどちらを選ぶかしばし悩むが、「言葉みたいなもん、ちょっとしたら、すぐ慣れまっさかいなあ。そこ行くと、不細工なんはこれから先に良うなるゆうことはおまへんからな。年いくとひどなることはおますけど。
 決めました!この話進めておくんなはれ」

 通常の噺なら、甚兵衛はんに嫁さんを迎えるなら風呂でも行ってさっぱりせえと言われ、風呂で浮かれるところもひとくさりあるのだが、そこは時間の関係か省略された。

 甚兵衛はんがお嫁さんを連れてやって来る。これまた、本来なら名前を聞いて、いろいろ前置き部分も含めて名前と思い込み、この後「寿限無」のようなやり取りが交わされるのが「延陽伯」だが、名前も明かされぬまま、二人は寝てしまう。

 翌朝、女性が若い衆を起こす。
 「あ〜ら、わが君。あ〜ら、わが君」
 「ええ?わい、キミになったん?ほたら、あんたはシロミか?・・・・・あ、笑てるん?こんなんはわかるのん?ああ、よかったぁ」

 彼女が男を起こしたのは飯を炊くのに米のありかがわからなかったから。
 「わが君。”しらげ”はいずこに?」
 「ええ?朝から白髪抜いてくれまんのん?」
 「これは異なことをのたもう男(おのこ)。そは毛髪のシラガなり。わらわが申すは”よね”なり」
 「え?よね?ええぇ?あんた”よね”知ってるん?米田三郎。(※ 石野注 この名前はうろ覚え)あら、わいの幼馴染やねん。知らんかったなあ。あんたが”よね”知ってるとは」
 「またまた、異なことをのたもう男。そは人名の”よね”なり。わらわが申すは”こめ”なり」
 「何や、米かいな。それやったらそれで、最初から日本語でゆうてくれたらええのに」
・・・というようないつものやり取りのあと、味噌汁の「み」を買いに、長屋の前を通りかかった行商人を呼び止める。

 「これ、門前に市をなす男(おのこ)。男や男」
 「へ?何や、おかしな人出てきなはったで。お〜い、オノコは〜ん。(周りを見回し)誰もおらんのかいな。ええ?誰も付き添いは、いてへんのん?一人で出したらあかんがな・・・・・へ、へえ。何ですやろ?」
 「そもじの携える白根草(しらねぐさ)、一束(いっそく)値(あたい)いくばくなるや?」
 「何をゆうたはんねん、この人は・・・・。ん、待てよ。そう言や、ネギのこと、白根草とか”ひともじ”草ともゆうって聞いたことあんでえ。値段聞いたはるんかなあ。へえ、こら500です」
 「何、500とな。わが君の御意に召すや召さぬや伺う間、しばらく門前に控えておじゃ〜」
 「へ、へぇ〜・・・って、何さすねん」
という、これまた定番のやり取り。

 しばらくすると、すっかり言葉も慣れてきたとして、若い衆を起こすシーン。手をかけて揺すぶって、
 「ちょっと、はよ起きなはれ、遅れまっせ、旦さん・・・・のわが君!はよ起きな、遅れまっせ・・・で候」

 「あいつもすっかり慣れてきよったな。あ、また味噌汁の実買いに出よった」
 「これ、男(おのこ)。男や男」
 「またや。あれやりだすと長なるんや。また、この頃は、あれに乗りよる八百屋もおるさかいな」

 今日の行商人は、女性の歌舞伎口調にもええ調子で合わせ、「値段は白根草(知らね草)」「ならば、ひともじ草(人)に尋ねては・・・」 なんて歌合わせで答える。

 感心した旦那が行商人の法被を見ると「宮内庁御用達(くないちょうごようたし)」と書いておりました・・・というのがオチ。初めて聞くサゲでした。 

 はっきり言って、「延陽伯」で名前を「父はもと京都の産にして、姓は安藤・・・・・」という前振りの所からが全部名前だと思い込み、こない長い名前、いちいち呼ぶのん大変やなあと悩むくだりは先ほども言ったように「寿限無」の同工異曲でそれほどおもしろいものではない。そこはすっぱりカットして、歌舞伎口調のやり取りで盛り上げる演出はなかなかのものだと思う。

 ただ、「最近はこの口調に合わせる八百屋がいる」と先に匂わせるより、互角に渡り合う八百屋がいきなり出現という演出の方が良いのではないだろうか。(女房も、きっちり問い返され、思わずごくっと息をのむシーンもあったし)

 それにしても、よね吉はええと思うなあ。これから、ますます伸びるんとちゃうやろか。
 



(2) 桂米左 「ふぐ鍋」

 米左という噺家は、聴くのが初めて。

 「ふぐ鍋」なんで、ふぐに関するマクラをひとくさり。

 「こないだ黒門市場で14万するふぐが売れたそうです。まあ、あんまりええ商売してる人やないでしょう。  

 大阪ではてっちりとか申しますな。鉄砲、弾(たま)に当たる、たんまに当たるというので鉄砲というんですな。
 これが下関の方では”ふぐ”と濁らずに”ふく”と申します。こら、なかなかええ名ぁですな。
 所変われば品変わる・・・と申します。しかし、こらよお考えたらえらいことですな。
 これが例えた話、大阪から東京へ引越しするゆう時、大阪では冷蔵庫やったもんが、そうですな、ちょうど名古屋のあたりで洗濯機に変わるゆうなもんで。

 所変わっても品は変わらんと思うんですが、呼び名は変わります。

 銚子のあたりでは、”とみ”というそうですな。富くじ、つまり宝くじで、”めったに当たらん”という意味らしいです。いや、いかにも太平洋に面した地域らしい楽観的なネーミングです」。

 この辺はけっこうおもしろかったのだが、
 「昔はふぐを食べる時のまじないがあったそうですな。”測候所”と三べん唱えるんやそうです。測候所ゆうたら今でゆう気象庁ですな。天気予報はめったに当たらんゆうのんで、ええまじないがあったもんです。  

 ある方がふぐをたべて、『測候所、測候所、測候所・・・』と唱えて食べたが苦しみだす。『おかしいな、ちゃんとまじないゆうたのに・・・。ああ、天気予報も、たまには当たるんか・・・・』」

 えらい回りくどく、しつこいクスグリやし、最近は天気予報もけっこう当たるから、聴いていて、何かセンスないなあと感じた。

 あとは、ほぼスタンダートな「ふぐ鍋」。「何の鍋?」という質問に対し「信楽の・・・」と答えるとこが新鮮で、おもしろかったかな。
 「鉄?鉄橋作る?」というのは吉朝の「軍艦作る?」の方がおもしろかった。

 何せこないだ吉朝の「ふぐ鍋」を聴いたとこなんで、米左には少し気の毒だったかな。

 

 
 


 まだ途中ですが、ちょっと長くなったので、ここでいったん切らせていただく。

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音等してませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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