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(No284) 第5回東西最喬二人会 鑑賞記その4  
          

 平成23年12月16日(金)、大阪市立こども文化センターで開催された二人会の鑑賞メモ(完結)。



柳家 さん喬 「芝浜」

 
 
マクラは、特になし。「芝」のあたりの魚河岸では朝と昼過ぎと二度、魚市場が立った。だから、今の白金あたりの人は日に二へん魚が食えるというのを自慢にした・・・ということくらい。噺の中で「夕河岸」という言葉が出てくるし、何よりタイトルが「芝浜」だから、補足説明として簡にして要を得ている。

 例によって、揺り起こす場面から。 

「ねえ、お前さん。起きとくれよ」
「お・・・・お、あいよ」
「明日から河岸ぃ出る。今日は呑み仕舞だって、ゆんべは二升五ん合も呑んだじゃないか」
「明日から働きに出るから今日は呑ませろ?そんなこと言ったの?俺が?・・・・・酔ってたんじゃねぇか?

 おてんとさまのバチがあたらぁ、二十日も商い休んでたんだからな。
 飯台のたがぁ外れたか?」
「水をはってたから大丈夫」
「出刃ぁサビて」
「磨いて油紙に包んでる」
「わらじは・・」
「買っといた」

「いっつくるよ」と出る旦那におかみさんが「喧嘩しないでね」と声をかける。

 確か、既に2回目。勝五郎が河岸に出なくなった原因は喧嘩か?と思ってしまう。

 上を見て「星が降るようだ。さべぇなぁ」と少しぶるっと震えながら言うところは星空が見えたような気がした。上手い。

 犬に吠えかけられ「やっと分ったか。魚勝だよ」という台詞には一種の哀感。

 今回「数が合わねぇ」というのは切り通しの鐘だった。

「いい匂いだねぇ。俺ぁ磯の香りが好きで魚屋になったんだ。

 おっ、おてんとさまだ。海に灯がついたみてぇだな。早ぇ、早ぇ。真っ赤だよ」

 
 確かに夕陽や朝陽を見てると「早いなぁ」と思う。

 波間に漂う財布を拾い、手を突っ込んで周りを見回し、急いで家に帰る。

 迎えたおかみさんは。また「河岸で喧嘩?」と喧嘩の心配。

 事情説明の時、「きれいだったな」と太陽のことを言ってるのが面白い。財布に話を戻して「数えろ」と言われたおかみさん。
「銭じゃないよ。二分銀、お金だよ」と言うもののおろついてしまい、ろくに数えられない。

「じれってぇな」と亭主が代わり「50両あるよ」。「42両」でない点に違和感。キリはいいが、その分現実味が。


「河岸行っておくれよ。
 お前さん、朝、起こしても起きないから、夕河岸が立つからって言ったら、『手拭いよこせ』って。
 帰ってきたら酒三升、天ぷら十人前って届いて。それだけじゃなく『魚屋です』って尾頭つきが。うち、魚屋よ。
 そうしたら仲間の皆さんが『こんちわ。何かめでてぇ事があるってね?祝い事?』
『いいから、呑みなよ』って、そのうち、あんた、また寝ちまって・・・。

 お前さん、起きとくれよ。仕事に精出すって言ったじゃないか」
「ええ?あの金で何とかすりゃいいじゃねえか」
「何?お金って?」
「だからよ。河岸で拾った・・・」
「あんた、河岸なんか行ってないじゃないか」
「え?よけいな事ゆうなって。切り通しの鐘・・」
「起こされて湯に行ったじゃないか。夢見たの?」
「お前に起こされて・・・・・湯に行った。起こされて湯に行った・・・・・・。

(ぱん!と膝を叩き)夢か?夢だ!情けねえなぁ、昔からはっきりした夢よく見た。情けねえなぁ、俺は」
「夢なんか誰だって見る。その気になって働きゃあ、すぐ返せるじゃないか」

 
 改心した勝五郎は明日と言わず、すぐに出かけるが「飯台には水くれてる。出刃は油紙に包んでる」とのやり取りに「夢ん中でもおんなじこと言ってたなぁ」と首をかしげるのは定番。

 おかみさんから、その後「ややができた」と嬉しいしらせ。3年という月日がたち、店を出し、人も雇う身分に。

「飯台積んだか?出刃重ねるバカがいるか」と店の者を叱る。
 一方、ヤスという若い衆が落ち込んでいるのをおかみさんから「お長屋のろくさんとこに掛取りに行ったんだけど、おかみさん赤ん坊抱いてどうか来年までって言われて勘定が取れなかったってしょげてるのよ」と言われる。
 「いいよ、来年だって、再来年だって。そう言や、去年、グリコの前で・・・」と松喬の「借金取り撃退法」の一節で笑いを取る。

「おお、金坊、こっちにおいで。(あやして)何を言ってもアバアバか。

 おい、今年は借金取りは来ねぇのか?」
「何言ってんだい。取るとこはあるけど、向こうさんも事情があるからって行ってない。取られるとこなんてないよ」
「そうか。変われば変わるもんだな。そうだ。取るのはいつだっていいぞ。こっちだって身に覚えがあるんだから。

 覚えてるか。俺が押入れの中で風呂敷かぶって隠れてたら、まき屋の爺さん、粋だったなぁ。今年の冬ぁずいぶん寒いようだね。風呂敷がガタガタ震えてらぁって

 ん?これが福茶か?(少し飲んで)あんまりうめえもんじゃねえな」

 おかみさんは意を決した表情で「おしまいまで聞いとくれ」と切り出すが亭主は相変わらず、せがれに「何を言ってもアバアバか」とあやしながら、のんびりしたもの。

 おかみさんは財布を置く。男は数えろと言われ「へそくりか?・・・・・・・女のやることってなぁすごいねぇ。・・・・・・・・・50両?」

 これは冒頭のシーンでもそうだったが、落語では上下(かみしも)と言って、右を向き、左を向くことで人物を演じ分ける。

 例えば、おかみさんが正面から向かって右を向き(もちろん真右を向くのではなく、身体を斜めにして右を向く)、財布に見立てた手拭いを床に置く。斜め右を向いた状態で自分の前方に置くのだから、当然正面から向かって右の所に財布は置かれることになる。

 今度は、亭主。おかみさんの話を受けるのに、向かって左を向く。視線も向かって斜め左へ。金を数えるのに財布を手に取らねばならない。

 本来、財布は亭主とおかみさんの中間に位置している筈。
 しかし、床の財布は、亭主から見るとはるか右に置き去りにされている格好。手に取るためには、ぐ〜っと手を横に伸ばさねばならない。
 冒頭のシーンで、その不自然さが気になり、ここではどうか?と思っていたが、やはり同じだった。
 今まであまりこうゆうことが気になった記憶がないのは、ぼや〜っと観ていたせいなのか、談志などでは何か工夫があったのか?今度、機会があったら、その辺に注意して観ようと思った。

「遊んで暮らせる。酒が呑める。誰が働くものかって。大家さんがそんなことしたら、亭主の首は胴についちゃいないぞって。亭主がそうなってもいいのかって。

 いいわけないじゃないか!・・・・・・・・・・・・いいわけないじゃないか・・・・・。

 どんなウソついたらいいんだろって一晩中。いっそのこと、これが夢だったらどんなにいいだろう。そうだ、夢にしてしまったらって思って。
 あんた、どうゆう育ちしてんだか、バカに素直で、信じ込んでくれた。

 1年たったらお下げ渡しがあったんだけど・・・・・怖かったの。明日は謝ろう。明後日は話そうって。あたし、怖かった。
 でも、今年の夏、『勝っつぁん、昨日のコチは美味かった。寿命が二、三年伸びたって言われたよ。俺ぁ魚屋になって良かった』って、あんた涙流して喜んで・・・。だから、大晦日になったら、何があっても話そうと。

 あたし、大晦日、昔から大嫌いだった。うちのおとっつぁんもおっかさんも、何も悪いことしてないのに、いろんな人が来て、ごめんなさい、かんにんしてくださいって、ひどい事言われて・・・・・。でも今年の大晦日は・・・・(言葉にならず、ただただ頭を下げるおかみさん)

「・・・・・・・・・・お手をお上げになってください
・・・・・・・つらかっただろうなぁ、3年の間、ウソをつきとおすってぇのはよぉ」
「怒らないのかい?ぶたないのかい?」
(それには答えず、照れたように膝の上の倅を抱き上げて、おかみさんの方を向かせ)おめえのおっかさんだぞ。・・・・・・何を言ってもアバアバか。

 酒?そりゃ、今日みてぇな嬉しい日に・・・・・おめえが呑んでくれってゆうから呑むんだぞ。

(注がれた杯に)どうも。ごぶさた。・・・・お元気で何より。・・・・・・・・・・・・・・・やめた」
「私のおしゃくじゃ美味くないんだろうなぁ」
「また、夢になるといけねえ」


 

 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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