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(No281) 第5回東西最喬二人会 鑑賞記その1  
          

 平成23年12月16日(金)、大阪市立こども文化センターで開催された二人会の鑑賞メモ。



笑福亭 右喬 「米揚げいかき」

 
 
松喬の弟子。

 「問うは一時の恥 問わぬは末代の恥」を言い間違えるところで「問うは砥ぎ屋のさび、問わぬは真っ赤ぃけのさび」とか「問うは豆腐屋の恥、問わぬは松茸屋の恥」などと言うのだが、聴いていて思わず「下手やなぁ・・・・」とつぶやいてしまった。
 ちょっと批判的なイメージを抱いてしまったせいか、今まで聴いていたのと違うとこがやたら気になる。

「突き当たる?ははぁ、頭打つな」と、「でぼちん」と言わないことに違和感。

「ガチガチの強気」と、「カンカンの強気」と言わないことに違和感。 

 右喬には気の毒な話だが、枝雀師匠が改変したところをオーソドックスにやっているところまで違和感を覚えてしまった。

 「上る」連発で旦那から祝儀をもらい続けていたが、うっかり「下がる」と言ってしまって機嫌を損ねる。

 そこで番頭が「そんな強気ばかりでは高つぶれにつぶれまっせ」ととりなして、「つぶれるような品物と、品物が違いまんがな」がサゲ。
 枝雀師匠は、いかき屋に失敗させずに終る。確かに、言い間違えて風向きが変わり、右喬演じる主人公が不安げな顔になると、ちょっと雰囲気が盛り下がる。

 右喬のおかげで、枝雀師匠の演出を再評価した私であった。




柳家 さん喬「徳ちゃん」

 きれいなお茶子さんが、高座を整える。それをみながら静かに高座に座る。
 急に寒くなりまして。銀杏の葉が転がって・・・・。ご機嫌はいかがでしょうか?それでは、さようなら。(と、高座をおりる真似)

 (さっきのお茶子が整えてくれた座布団の房を触り)東京(の座布団)に房はないんです。この房は四方を守るためのものなんでそうで。東京は守ってくれない・・・・・・。

 あんなきれいな人に世話してもらったら、上る前からドキドキする。東京は前座がぞんざいにやるから・・・・芯を食わない。(座布団の位置が正面にぴったりと合わない)

 志ん朝、談志と次々に・・・・そんなシンとしないで。

 談志は兄弟子に当たりまして。あの人は五代目小さんが好きで好きで・・・・。「戻ってこないか」という話もあって、でも照れちゃって、来なかった。

 家元なんてとんでもないものになっちゃって・・・・。冥加料取るんですよ。ヤクザに近い。

 あの人は正攻法に弱い。正論に弱いんですよ。たじろいじゃう。「・・・・そ、そうだよ」なんてね。

 間違って政務次官なんかになって1週間でやめるなんて。

 志ん朝さんが楽屋に入ると空気が変わるんですね。明るくなる。
 談志さんがだと重くなる。どよぉ〜ん、って。

 でも、まあ、あの二人を見てると、俺たちのめざしう落語家はあれだ・・・って思えました。

 「硬すぎるよ」なんて。「(硬いのは)おめえだろ?」って思いました。

(マクラを始める) おとむらいごっこなんてものが流行りましてな。
「おめえが仏様だよ」
「やだな〜。昨日、一周忌済ませたばかりなのに」

(という、マクラを終えたさん喬に談志が)
「新しいのやれよ」
「でも、うけるんですよ」
「・・・それが困るんだ」

 これから、どんどん・・・・・・悪口は山のようにあるんで。いいとこは二つぐらいしかない。

 酒癖が悪くて。小島三児って人が小さん一門の新年会に来たことがあるんですが、白い大島(紬)でね。100万くらいしたって自慢して。すると(談志が)酔ったふりして、酒かけた。そん時はね、「ああ、いい人なんだ」と。

 師匠の還暦には赤いふんどし買って・・・・本当にいい人でした。それぐらいでして。

 ケチでね。つっぱって、つっぱって。

「だった」と言い切れと言われましたね。吉原のことを見たことも行ったこともなくても「あったそうです」とか言うとダメだ、と。

 人を育てる努力もしました。池袋演芸場でビルの4階で金曜夜席というのを演っていて。これが「笑点」の原点なんです。
 なぜ、うちの師匠と喧嘩別れしたんだか。

 吉原遊女三千人。松葉屋って店で落語会をやりましたけどね。明暦3年の振袖火事で吉原も場所が変わりました。吉原の真ん中には交番がありまして。で、その交番では周りがみんな法律に触れることをやっていることを知っているのですが・・・・・店と仲がいい。
 江戸は80万人くらい人口があったそうです。ニューヨークやパリは当時8万人くらいしかいなかったそうで。遊女3000人、店の者が3000人、で、客が3000人で吉原だけで1万人くらいいたことになります。

 近くに紙屋の職人が多くいて、その職人たちがすいた紙を冷やかしている間、ヒマなんで吉原に行って遊女を眺めて時間をつぶしてた。それで、「ひやかす」という言葉が生まれたそうですね。

 で、ああゆう男と女の居てる場所ですから、恋に落ちて、店を飛び出して逃げ出そうとする。「足抜き」ってやつですね。店の者は金をかけた花魁に逃げられちゃたまんないから、棒だの刀だのさげて追いかけていく。それをかばう役どころが杉良太郎・・・・ってとこですが。

 ご存知のように今は遊郭だの、お女郎屋とは言いません。ちょっと前まではトルコ風呂と言いましたが、ご存知のとおりトルコの青年が祖国を侮辱するのかと談じこんで、今ではソープランド。トルコ風呂というと暗い感じがします。ソープランドというと夢がある。ほら、丘の向こうにソープランドがあるよ・・・・って。

 
 何かまとまりのないマクラが延々と続いたが、おはやしが入って、ようやく本編に。 

 遊郭の呼び込みで噺家二人を呼び止める。
「ええ?俺たちが芸人って分かるのかい?」という問いに、今どき紋付着てるのは大神宮のお札配りか大学野球の応援団ぐらい・・・と見透かされる。

 ただ、はがれ紋、二重紋で(磨り減った)モーターボートのげたを履いているので、ごく安直なコースで上楼(あが)る。

「何、ここ、まわし部屋?鶏小屋かい?ん?牛ときつねの落書きがあるね。『もう、コンコン(来ん)』か。なるほど。

 こっちは?横を見ろ?こっちか?上を見ろ?どれどれ?キョロキョロすんな?

 何?そっちに行くの?その狭いとこ。古今亭円菊という形?」(意味がよく分らない。円菊という噺家は、何か芝居噺みたいなので、こういう仕草をするんだろうか)

 
 特別室と言われて案内されたのが、店と店の間に板を渡して作った「屋形船の部屋」。

 徳ちゃんは「僕、こうゆう部屋好き」とはじゃいで、かっぽれを踊ったが、落っこちて消えてしまった。聞こえるのはうなり声だけ。

 「うなってるってゆうのは生きてる証拠だ」なんて言いながら助けようとするが狭いとこなんで助けに行けない。紐にカギをつけて、帯にひっかけて引き上げようとするが「雷魚釣りの難しさが分るなぁ」。
 引き上げられた時は血だらけの虫の息。一方、もう一人は・・・・。

「何、この布団?これ、布団?」
「あまり触らないでください、ワラが出るから」
「ワラ?綿じゃなく?」
「その代わり、毛布は上等ですよ。軍馬が風邪ひいた時の毛布です」

 こんなとこのおいらんだから、伊達巻なんかも柄をつけたらハタキになりそうなのを着てね。イモをかじりながら、180cmあるような女が・・・・。

「こんばんは〜!」
「何かご用?君、おいらん?俺ぁ、女遊びに来たんだよ。度胸試しに来たんじゃねえ

「あんた、芸人さん?めんこいねぇ」
「まあ、俺ぁ噺家だよ」
「はなしかって何?鼻から鹿出すの?ああ、あの一人きちげえ?芸人っていったら、昔、でんでろ三味線の太兵衛さんが、おらのこと『おめえのことは一度見たら忘れねぇ』って」
「まあ、そらそうだろうけどよぉ」
「チューしよう」
「よそうよ。ハラいてぇや」
「女に恥かかせるもんでねぇ」

 
 女が男を追いかけまわす。でかい女がどたどた古ぼけた廊下を走り回るものだから、板を踏み抜いてしまう。

 イタタタと苦しむ女。

「おい、足から血が出てるじゃねぇか?おい!若ぇ衆、ちょおとおいらんの足、抜かせてやってくれよ」
「バカ言っちゃいけねぇ。おいらんに足抜かれたら商売
(しょうべぇ)にならねぇ」

 
 初めて聴く噺。ほぼ、談志関連のマクラの「おまけ」と言ってよい小品だった。

 


 

 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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