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(No279) 京都・らくご博物館【秋】〜紅葉寄席〜 鑑賞記その2  
          

 平成23年10月28日(金)、ハイアットリージェンシー京都で開催された。



桂 雀々 「八五郎坊主」

 この後、中入りです。
34年前、私、16でしたが、師匠のとこに入門いたしました。
「どうぞお願いします。何もかもすべて、師匠のために尽くします」
・・・・そんな気持ち、10日ももちませんね。

 名前もね、ある日、師匠に呼び出されてね。
「あ〜〜
(枝雀師匠の「ヌケ声」の物真似)あなたの名前やけどね、
今日から、桂雀々と名乗りなさい。分かったね」・・・・・てな、そういう儀式があると思ってたんです。

 忘れもしません、6月1日、師匠、冷麺を食べてはったんです。

(んぐ、んぐ、んぐと必死に冷麺をむさぼり食っているさま)

 そしたら奥さんがね、「ああた、松本君のね、名前、考えてはりますのん?」

(やはり、んぐ、んぐ冷麺を食べ続け、ちらっと前方を見たかと思うと、また、冷麺に視線を戻し)
「・・・・・・・雀々・・・・・・」

 2年間、住み込みをいたしました。子どもさん、上が5歳で、生後3ヶ月の赤ちゃんが生まれたとこでした。

 当時、師匠も若かったんで、厳しかったです。あいさつでも、おじきの角度までね。
 何で、こんなん言われなあかんねん、とも思いました。

 特に難しかったんが電話の応対でね。^当時、四天王と言われた大師匠からの電話とか。

 一番特徴があったんが6代目松鶴師匠ですな。
「もへ もへ!」入れ歯の加減でね。「わしや!」て。そしたら、師匠に「6代目です!」ゆうて渡しました。

 小文枝師匠も独特の調子でね。
「もぉ〜しぃ〜もぉ〜しぃ〜いい」 
 粘るなぁ!思いました。

 米朝師匠は怖かったですな。今は86で、ヨボヨボ・・・・いや、いや、いや、お客様ぁ!私のマクラは、よぉ暴走しますのでねぇ。

 後は春團治師匠。なで肩でね、羽織をストン!と落としはるのが名人芸になってまして。
 出囃子も「野崎」に乗ってね、チャン、チャン、チャチャン
(・・・と「野崎」の口三味線)

 で、ゆっくり歩いてね、出てきはるんです。
 気持ちの中ではね、
(いらだった調子で)「早ょ、座れよ!」・・・・・ダメですよ。
 春團治師匠の場合は、客が演者に合わせるゆうことで。

 高座でも、声を張りはらへんでしょ。
(春團治師匠の真似で、高座に座り、お辞儀をして顔を上げ、何かしゃべっているのだが、声を出さない)

「何?え?ええ?何々?え?」
 みんな耳だけ、高座に向けて。
 ほんで、そのまま帰っていきはる。

 電話でもね、ごっつ遠ぉくの方から、向こうの方ぉでしゃべってはる。
 悪いことに、師匠の家、豊中でね。上空をよぉ飛行機が飛ぶんです。

「え?は?どなたですか?あの?もしもし!」

 こんなんゆうてたら、師匠が、
誰なの!誰なの!何、もめてるの!あだぁ〜〜
・・・・・「あだぁ〜〜」は舞台でしか言いはりませんが。
 ほんで、しまいに、受話器に向かって「切ってまえ!」

 で、私も思わず切ってしもたら、すぐ、またかかってきて。
 そしたら、さっきまで遠〜くのほうにいてた春團治師匠が、すぐ近くで
「桂春團治です!」

 私、びっくりしてね。師匠に向かって受話器、突き出して
「は、はるだんじ〜〜!!!」

 春團治師匠のこと、呼び捨てにしてしもた
 師匠も慌てて、受話器奪い取って「もしもし!すいません!」ゆうたんですが、そん時には「ぷーぷーぷー」。

 すぐにこちらからかけ直してね、師匠も、うちの弟子がしたことですが、えらいすみませんでした、てフォローしてくれる思てたんですが、師匠、
今のん、雀々なんです
 あれ、人間なって間もないんです。
 言うなればアホなんです。アホ、アホなんです」

そしたら春團治師匠も「・・・・・アホなれば仕方ないな

 



 世の中には人生を決める出会いというものがございます。
 今日の落語会も、ま、、一つの出会い、縁なのでございます。非常にリーズナブルなお値段での、ね。

「はっつぁんかいな?」と本編が始まる。マクラの途中で入ったので、体が斜めを向いたままなので、上下(かみしも)がうまく取れていない(まあ、雀々は大概そうだが)。

「私、なんや、もう何もかもいやんなってもてねぇ」とけっこう深刻な悩みを打ち明ける八五郎。
 
職を変えたい、坊さんになりたいと甚兵衛さんに相談に来た。
「ボンサン、ボンサンて、そない汚らしそうにゆうねやないがな」
 
枝雀師匠は、「そないコツコツ・・・」と表現していたが、その方が好きかな。

 
紹介状の封をするので、飯粒を取ってこいと言われた八五郎。「勝手知ったる他人の・・・」で、おひつをあけるが、「炊きたてや。うまそやな」とむさぼり食う。

 時間がかかっているので「どないしてんねん?」と訊かれ「いや、ちょっとおひつが見当たらんので・・・・」とごまかす。
 
甚兵衛さん、ちょっと困ったような口調で「うそつけ。こっから、よぉ見えたぁる

 
どうぞ!と手の平一杯の飯を突き出す。「そんなようけあっても・・・」と言われ「ほな、おひつに返しまひょか?」
「おまはん、手はきれいなか?」
「いや、いんまの今までちんちんさわって・・・・」
「食べてしないなはれ」
 
再びむさぼり食う八五郎。手の平、指の間に残った米粒もちゅいちゅい、と丁寧にたいらげて・・・
「一粒、残したか?」
「え?」

 
結局、もう一度、今度は一粒だけ差し出す。
 甚兵衛さんは、米粒を半分に分け、手紙の封をする「のり」にし、残る半分は口に入れ、
「一粒と言いじょう、こないなもん、半粒もあったら用は足りる。残りの半粒は・・・・こうして食てしまう」
「え?甚兵衛はん、あぁた、今の米粒、食べなはったん?あれ、猫のご飯でっせ」
「そら、何をすんねん。・・・・・いやいや。昔の飯
(めし)の佐太郎というお方は、お便所に落ちた米粒も大事に食うて、大きな身代、こさえはった。猫のご飯なんか何でもないで」
「へえ?甚兵衛はん、猫の飯、好きでっか?ほなお代わりを・・・」

 
下寺町のずく念寺に紹介状を書いてもらい、寺の大きな引き戸(がらがら格子)を「がらがらがらがらがらがら・・・・」と派手な仕草で開けながら「これはうちのお家芸・・・」とつぶやく。

 
声をかけるが、誰もでない。広いお堂に声が響く。面白がって、いろいろな声をかける八五郎。
坊主!坊主、坊主、坊主・・・・ど坊主!ど坊主、ど坊主、ど坊主・・・・・ズルムケ!・・」

 
ここで奥から、両手を上に突き出し、手をひらひら動かしている僧侶が出てくる。
「これは阿波踊りを踊っているのではございません。衣の袖をたぐっているところ・・・」
と解説が入る。




「おじゅっさん
(住職)でっか?」
「伴僧
(ばんそう。おつきの僧侶)じゃ」
「昼出るのに晩僧とは、これいかに?うまい!」
(というような会話を経て、住職が紹介状を読み上げる。)

「甚兵衛さんからのお使いとはお前さんかな?」
「当寺の上坊主とはお前さんかな?」
「お手紙には、この者、少々愚かしいとあるが・・」
「へい!わたい、愚かしいんでんねん!何やったら近所で聞いてごらん・・・」
「・・・・・・うそやとは思やしません。
(別の僧を呼び)智円や、智円や」
「二円や、三円や」
(智円をたしなめるように)相手になるのではない」

「さっそく、頭を丸めましょう」「ヤスリかペーパー(紙やすり)で?」という会話を経て、智円が水を用意する。

「その水で頭を湿しますのじゃ。飲むのではない。・・・ブクブクするのではない!」

 
剃りあがって、「すご〜〜い!!何、これ!」とはしゃぐ八五郎だが、住職は「はい、はい」と取り合わない。



「名前を付けんければいけんが、あぁた、名前は何と言いなさる?」
「わてでっか?八ぃ!皆、がらっ八て、言います」
「出家ががらっ八とは呼べぬので、どうじゃ、八の字を取って、八と法で八法とは?」
はっぽう?・・・・あんまり好きやないな。もっといかんのは八光
(はちみつ)・・・」
「いかんか?」
「八方ふさがり、言いますやろ」
「なれば、六の字と法で六法はどうじゃ?」
「ろっぽう?・・・・つらいなぁ」
「つらいか?」
(座布団の下から花札の札を引いたような格好をし、札をにらみながら)ここで、三を引いたら、
六、三のはやカブやけどなぁ。五ぉ引いたら、インケツやし。ええい、もう一丁!」

 雀々は、ここで素に戻り「ここで笑わな、笑うとこないよ」と自分で茶々を入れる。

 
結局、法に春で法春という名前をもらい、「麻疹(はしか)も軽けりゃ、疱瘡(ほうそう)も軽い」というシャレができたと上機嫌。

「魚類はならぬぞ」
「わたい、行水より風呂の方が・・・・・」
「何を言われても、はいはい、愚僧かな、と」
「はいぃ〜〜はい!小諸〜〜♪
ととんちんかんな会話を繰り返し、伴僧には
「愉快な仲間たちになれて嬉しい。今日は鶏しめて、すき焼きで一杯飲も!
と声をかけ、甚兵衛さんのもとへあいさつへ。





♪えぇ〜え〜 坊主 山道 破れた衣 行きし戻りが 気にかかる チョンコ チョンコ ♪
♪えぇ〜え〜 坊主抱いて寝りゃ かわゆうてならぬ どこが尻やら 頭やら チョンコ チョンコ ♪

「よしま!
(芳さんの愛称)えらい、向こうから派手な坊さん来たでぇ。尻からげして、チョンコ節、うとて」
「え?竹やん、あらがらっ八やがな。お〜い!八ぃ!何してんねん?」
「おう!芳ぃ!竹ぇ!・・・・・いやいや、それはならぬぞ。はいはい、愚僧かな?」

(名前を聞かれて、思い出せないため)
「あわてることはない」
「お前が慌てんかい」
「ここに書いてもろたんや」
「ははあ、やっぱ坊さんは字ぃがうまいなぁ。
 法に春
(はる)で、”ほうばる”か?」
「”ほうばる”ぅ〜?
(おと)的に違う、思うなぁ。他に読みよう、ないか?」
「他に?ああ、春日
(はるひ)神社と書いて”かすが”じんじゃて読むさかい、法に”かす”で”ほかす”(関西弁で「捨てる」という意味)か?」
「ええ?なったとこやのに、まだほかさんとってくれよ。他に読みようは?」
「御法
(おんほう)と書いて”みのり”て読むさかい、”のりかす”か?」
「何や、段々遠なってきた感じがすんなぁ。
 他に読みよう、ないか?」
「他て?・・・ああ、春を”しゅん”と読むさかい、”ほうしゅん”か?」
「ほうしゅん・・・・・・?来た、来た、来たぁ〜!ハシカも軽けりゃ、疱瘡も軽い!ハシカも軽けりゃ、疱瘡も軽い!」
「何のこっちゃねん?」
「わいの名前な、ハシカちゅうねん」

 いつもながらの大熱演。着物はえりの所など汗じみだらけになっていた。

 会場もよく受けていた。

 


 

 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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