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(No271) 演芸図鑑&扇町寄席&日本の話芸 TV鑑賞記
文珍の演芸図鑑は平成23年9月4日。雀松の「扇町寄席」、初出は09年8月だが、再放送は最近。小柳枝「船徳」は「日本の話芸」で2011年7月9日くらい。楽太郎「薮入り」は、「日本の話芸」だったと思うが、放送日は覚えていない。
淡々と養老院に慰問に行った時の話をマクラに。
帰る時もね、玄関先まで来てくれてね。最後まで見送ってくれるんです。最後まで見送らな、あかんのはこっちやのに・・・・・。 そこいくと、おじいさんはね。 おじいさんの脈を測りながら、
「おめえ、ボケてきたかぁ・・・・」
「どうだった?」
「おい!」
「何してたのよ!銀行出てもおもらしするから、その後、追われてすぐつかまったじゃない! いい防犯訓練になったって、警察署長から感謝状もらったじゃない。
桂 雀松 「替わり目」 冒頭の南光と八光のおしゃべりで、べかちゃんが「雀松は頭が大きいから雀松やのぉて、あたまっちゃんて言われてました」なんて裏話が好き。
「いいおかあさんだなぁ」と素直に妻への感謝の気持ちがあふれているのが、雀松の「替わり目」の特徴だろう。 聴いていて決していやな印象はない。人柄の出た佳編と言えよう。
春風亭 小柳枝 「船徳」 マクラで、昔は梅雨時などの除湿対策の話。
もう一つは「夕立屋」の小噺。「夕立屋でござい!」と言っている男に金を渡すとみごとに夕立を降らせてみせた。訊いてみると雨を司る龍神で、小遣い稼ぎでこんなことをやっていると言う。 「夕立を降らせてくれて、暑かったが爽やかになった。逆に寒い時は何とかできるのかい?」と訊くと「冬は子供のこたつ(炬燵と小龍のシャレ)に任せてます」
道楽して家を勘当された若旦那が船宿に厄介になっている。 まともに船もあやつれないが、一人で船宿でぶらぶらしていたのである客に雇われる。 途中で止まって岸を突くのに客の傘を使って、取れなくなったり、どたばたを繰り返したあげくに、自分でもギブアップして「船頭を雇ってくれ」というのがサゲ。 全般的に、ベテランと言われる世代だろうに、こんなに下手で(少しも笑えなくて)いいんだろうか、と思う。 小朝とか、昇太とかが「今の東京の寄席ってのは、聴きたい噺家の落語を聴くまで下手な噺を何人も聴かないといけない」という趣旨のことを言うが、今日なんかがその一例なんだろうなぁ。
円楽襲名前。 ぐうたら息子を叱るマクラ。
私は、おかげさまで大学に行かせてもらってんですがね。 今じゃ、そんなに珍しくないんですが、当時は円楽師匠のお師匠である円生師匠が私のところにわざわざ来てくださったことがありました。 「ああ、あなたが楽太郎さん?大学行ってんだって?」 ・・・・・・・あれは何だったんでしょう?
どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。 |