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(No270) 演芸図鑑 & 上方落語の会 TV鑑賞記
文珍の演芸図鑑(さん喬)、上方落語の会(あさ吉、春團治)は平成23年8月28日。
もりそばを軽く10枚たいらげ、軽く「どぉ〜も〜〜」と蕎麦屋を出ていった男。 町内の若い衆は、「あいつは誰だ」、「20枚食えるか、そばの賭けをしよう」と話をまとめ、次に会った時に話をもちかける。
このそば清、たまたま深い山中を歩いていた時、猟師を呑みこんで苦しんでいた大蛇(うわばみ)が、何やら赤い草をぺろぺろっと口にすると、ふくらんでいた腹がすっとへこんだ光景を目にし、その草をふところに山をおりた。 ここでさん喬は、解説を始める。 ここで清さんは、腹がふくれて苦しんでたうわばみが赤い草をなめたら楽になった。これさえあれば何枚のそばの賭けでも大丈夫だと思ったのですが、それが清さんの間違いだった。 うすうすお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、もう一歩踏み込んでお話をしましょう。(と、座布団の上を少し前方ににじり寄る) 昔、アルマイトの弁当箱には日の丸弁当といって飯の真ん中に梅干が乗ってましたね。すると、梅干が当たってる弁当箱の蓋が腐食してしまいました。梅干の酸は金属を溶かしました。でも・・・・・ご飯は溶けてませんでしたね。つまり、梅干は触れるもの全てを溶かしてしまうわけではない。 同じように、この赤い草ってのは、食べたものを何でも溶かすものではなかったのです。このことをしっかりインプットしてもらって噺の後半を聴いてくださいね。ここが一番肝心なとこですから。
50杯のそばの賭けを持ちかけられたそば清、47枚までは難なくたいらげたが、そこで箸が止まった。「ちょっと休憩をさせてくれ」と申し出たそば清に連中は「少しだけだよ」と縁側に出させて障子を閉める。こっそりふところから赤い草を出し、ぺろぺろなめるそば清。気配がしないので障子を開けると、そこにはそばが羽織を着て座ってた・・・・というサゲ。 もちろん、上方落語では「蛇含草」。
桂 あさ吉 「酒の粕」 吉朝の一番弟子で、入門当時の話がマクラ。桂米朝師匠に弟子入りしたくて頼んだが、「年齢の加減で、他人を指導するようなことはできないので、もう弟子は取りません」と断りの手紙をもらったらしい。
それで、ご自宅おたずねしたら、奥さんに会えまして。今、出てるけど、もうじき帰ってくる、と。段々近づいてる、思て。 そうしたら、「手紙にも書いた通り、私はもう弟子は取りません。でも、どうしても弟子入りしたいゆうんやったら・・・・今、上方落語を教えられるゆうたら・・・・吉朝か」とおっしゃいました。 で、吉朝師匠は、今、王子寄席ゆうとこに出てはるとゆうことで訪ねていきました。でも、現地行って、気ぃついたんですが、私、吉朝師匠の顔、知らんかったんです。 で、「弟子入りさせてください」ゆうたら「あかん、あかん、そんなんいきなりゆうたかて」と断られたんですが「僕、米朝師匠のご推薦です」ゆうたら「・・・・・米朝師匠の?」と誤解されて、無事弟子入りできたんですが。 で、吉朝師匠がおっしゃるのは、弟子入りすんねんやったら3年間、内弟子として修業してもらいたいんやけど、うちは狭(せも)ぉておられへんから、米朝師匠の家に内弟子行ってくれるか、ゆいはるんです。 それで、米朝師匠の家で寝泊りさせていただけるようになって、ご飯の時も、目の前にあこがれの米朝師匠がいてはるんですよ。私、ず〜っと米朝師匠の顔ばっかり見ながら飯、食うてました。おかずなくても、米朝師匠の顔だけで、飯、3杯はいける。 せやけど、米朝師匠の顔ばっか見て、食べてたせいでしょう。口んとこに飯粒がついてたみたいなんです。師匠が私の顔指差して、「飯、ついてる」って言いはったんですね。でも、私、急にそう言われてウロ来てしもたんですね。なぜか、つい師匠に「どうしましょう?!」てゆうてもたんです。 そん時、私、ほんま逆上してしもたんですね。もう、自分でも何やわけわからんようになって、その飯粒、思わず米朝師匠の口に入れようとしてしもて。 そしたら、米朝師匠のツッコミが若い。「わしらは恋人どうしか!」
桂 春團治 「高尾」 「紺屋高尾」と思ったが、違った。そりゃそうだな。
山ほど買ってかえり、七輪にくすべるが何も反応がない。ああ、あの坊主のは粉やったけど、わいのは粒。安もんや、とヤケになり、全部くすべてもうもうたる煙。 家の中も煙だらけで何も見えない。何やら、女の声で自分の名を呼んでいる。 「そちゃ、女房のおちょねかえ?」 ・・・がサゲだが、すっきりしたサゲではない。
どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。 |