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(No268) 上方演芸ホール & 日本の話芸 TV鑑賞記  
          

 平成22年7月19日(日)の放送(・・・多分)。春若は20日かな?

 



桂 文我(3代目) 「青菜」

 4代目文我(枝雀の弟子の雀司)と落語作家の小佐田定雄との対談。

 4代目文我は、自分の師匠の枝雀による「青菜」は照りつけるような夏の「青菜」だが、3代目文我は涼しい風が吹き渡る「青菜」でしたと述懐している。

 4代目文我の言に従い、枝雀師の「青菜」と今回の3代目文我のそれを比較したい。

 
(1) 3代目文我は酒の銘柄にはこだわらないが、飲み方にはこだわる。

 冷やした柳陰・・・・とこだわるのが枝雀流。柳陰とは焼酎と味醂の日本風カクテルとか書いてある。

 柳陰みたいなん大名酒・・・とベンチャラを言う。鯛を大名魚、青菜を大名菜・・・とエスカレートし、大名菜てなもんがあるかいな、とたしなめられるのが私には常識だったが、文我師は銘柄には全くこだわらない。

 「柳陰」というような単語は一切出てこない。

 通常では、翌日、友人に酒を呑ませようとする時、「あぁた、柳陰呑んでか?」と訊いて「何や。焼酎やないか。それやったらそんでええねん。そっちの方が慣れてんねんから」というやり取りがあるのだが、3代目文我師の噺では、旦さんの家で呑ませてもらう時も「粘り気のある、ええお酒」としか言わないし、翌日、風呂を誘いに来た友人も「かなり口当たりのええ奴」やなと、用意された酒を評価している。

 一方、3代目文我師演ずる植木屋職人は旦那さんが満々と注いでくれた酒を、さかんに舌なめずりしながら「上の方にさざ波が立ちますやろ。これをお姫さんのように口から・・・・・」と迎えに行く描写が秀逸。

(2) 肴にもこだわらない。

 通常(枝雀パターン)では鯉?大名魚?などとこだわるが、3代目文我師はいきなり鯉の洗いへ。

 その代わり。
「鯉、患(わずろ)うてまんの?」
「何で?」
「氷枕してる」
「身ぃ締めるために、氷敷いてんねがな」

というギャグが入る。
 で、ぼそっと小声で「鯉が患うたら、これがほんまの鯉(恋)患い」なんて言っている。

 サゲは、女房に自分の言うべき「義経」まで言われてしまい、「弁慶!」。

 3代目文我師はぶほっ!とむせて、口をぱくぱくして、やや上を向き、「ぐふふぅ・・・・・・・べんけぇ〜〜」。

 これを4代目文我は「困りの極致を分(ぶん)のええ所で」表現すると解説している。

 あと、当時の時代を表すギャグとしては、友人が「贅沢してんなぁ」という台詞に続き「どこぞの竹薮行たんちゃうか?」という台詞が入り、えらい受けていた。
 何年か前、竹薮で○億円の現金を拾ったとかいう事件があったが、多分、それをさしているのだろう。

 

 あと、枝雀(米朝師匠もそうかと思うが)が行う、旦那の家の涼しげな様子と、職人である自分の長屋の暑苦しい様子との対象的な描写などをしない点もあまり暑さを感じない所以であろう。

 

 小佐田氏との対談の中で、4代目文我は枝雀師匠と3代目文我とのやり取りを紹介する。枝雀師が「宿替え」で大いに受けた後、楽屋を訪ねた文我が、
「棚に脱脂綿・・・て言うが、脱脂綿もかたまると重いねんで」
「・・・・・・・なるほど」
「俺やったら徳用のマッチ箱てゆうけどな」
「兄さん、それ使わしてもろてええですか?」

 忠告する文我も文我、聴きいれる枝雀も枝雀。ええ噺である。今までよく紹介されたのは文我の酒癖の悪さ(酔った時の長電話など)ばかりであったが、「自分のつかんだものを惜しみなく後進に分け与えてくれた」という4代目文我の評価も感じがよかった。

 


林家 木久扇 「彦六伝」

 にこやかに登場。
 3万通以上、名前の応募があったが、ろくな名前がなかったというのは「昭和芸能史」と同じ。

 毎日、7種の新聞を読んでいる。ただの馬鹿じゃない・・・・・と格好をつけて「漢字を抜いて」と自らお馬鹿キャラに戻る。

 終っちゃったけどNHKの「その時、歴史が動いた」が好きだったという話に入る。
「映像は分かりやすくてええぞう」というシャレは受けずに流される。

 江戸城無血開城、勝海舟と西郷・・・・・輝彦。隆盛って知ってるんですよ。そこをボケる。緻密な計算があるんです。緻密(ちみつ。ひみつのシャレ)のアッコちゃん・・・・・なんちゃって〜〜とまた、ぼける。

 「新撰組が好きでして、香取慎吾君が近藤勇やってましたが、少し貫禄不足ですね。忍者ハットリくんかと思った」という台詞の後、アラカンとか月形、千恵蔵、大河内・・・・・などの話へ。
 この辺、「昭和芸能史」と同じ。

 

 ぞうり取りから天下を取った豊臣秀吉・・・・・・なかなか彦六の話に入りません。自分でも困ってます。こん平さんは秀吉を「ひできち」と読んでました。

 
 これは全くの余談だが大阪市の京阪電車京橋駅構内の「秀吉うどん」という店は、マジで「ひできち」うどんと読む。大阪城も近いのにねぇ。

 昭和36年、8代目正蔵、彦六に入門しました。
 22歳の頃は清水昆のもとで、漫画描いてたんですが、そこじゃ物真似ばかりしてた。

 弟子入りした稲荷町の師匠の家は四軒長屋でね。家の中が暗かったですねぇ。朝の8時半には行くんですが、師匠はその前に起きて待っていてくれる。
(のべつ揺れてるから陽炎(かげろう)みたい・・・というギャグも「昭和芸能史」と同じ)

 おかみさんから聴いたんですが、
「朝の4時に起きちゃうの。それでTVつけるのよ。やってないのよ」

 コード付きの黒の電話でダイヤルをジーコ、ジーコ。爺公がジーコを回している。NHKの苦情係に電話して、
「やってないんだよぉ〜。こっちゃぁちゃんと受信料払ってんだよぉ〜。なめんなよぉ〜」

 で、五時半とか六時くらいに、放送が始まる。富士山バックに国旗が上がるんですね。そしたら、師匠は嬉しくなっちゃって、奥さんに「ご覧。日本の夜明けだ。万歳〜〜」
 ウソみたいですが、本当の話です。

 

 昭和36年くらいの話ですけどね。師匠がね、TVを観てる。何を観てるのかな、と思ったら、バスケの試合なんですよ。師匠が観ながら「誰か教えてやりゃあいいじゃねぇか〜」って言ってる。

 「底がねぇのを知らねぇんだ〜」って。面白いことが沢山ありました。

 
 TVでバスケって、ずいぶんシャレてるなぁ。何かの大会だったんだろうか?

 師匠にも誕生日はあります。生まれたんですから。小朝さんがね、結婚する前でした。あの人は気の利く人でね。弟子からの誕生日プレゼントは負担にならないよう1000円程度で・・・って決めてたんです。
 小朝さんはピアノも弾ける。まあ天才なんです。当時流行ってたアーモンドチョコにしようって。師匠はコーヒーが好きなんですが、コーヒーにも合うだろうって、買ってきて、自分で包み直してね。

「おかみさんも一緒に召し上がってください」って。これはなかなか言えませんよ。つい目の前の者だけ見ちゃいますが、甘いものだから奥さんも一緒に食べられる。

 師匠は、孫弟子がこんな可愛いことを言ってくれた。年取ってますから涙もろい。涙と一緒に水っパナやよだれ、耳だれ、下の方じゃションベン・・・・・そりゃウソですが。

 せっかくだからってんで、さっそくつまんだ。で・・・・・・・・・(梅干か何かのように、口の中でモゴモゴして)
 「やい、小朝。このチョコレートには種がある」。

 

 うちの師匠は古典落語が350くらい入ってた。だから普段も走ったり、飛んだりしない。まざっちまうから。

 ヒマな時間が出来ると稽古をしてくれる。最初は小噺です。

 
「お前は揺れなくていいんだ」
「何でそんなに声が震えるんだ」

 俺のやる通りにやれと言われてやったら、36回くらい「破門だ〜〜!!」って言われたってのがサゲでした。 

 結局「昭和芸能史」も「彦六伝」もネタの順序が多少違う程度?

 



 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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