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(No268) 上方演芸ホール & 日本の話芸 TV鑑賞記
平成22年7月19日(日)の放送(・・・多分)。春若は20日かな?
4代目文我(枝雀の弟子の雀司)と落語作家の小佐田定雄との対談。 4代目文我は、自分の師匠の枝雀による「青菜」は照りつけるような夏の「青菜」だが、3代目文我は涼しい風が吹き渡る「青菜」でしたと述懐している。 4代目文我の言に従い、枝雀師の「青菜」と今回の3代目文我のそれを比較したい。
(2) 肴にもこだわらない。 通常(枝雀パターン)では鯉?大名魚?などとこだわるが、3代目文我師はいきなり鯉の洗いへ。 サゲは、女房に自分の言うべき「義経」まで言われてしまい、「弁慶!」。 3代目文我師はぶほっ!とむせて、口をぱくぱくして、やや上を向き、「ぐふふぅ・・・・・・・べんけぇ〜〜」。 あと、当時の時代を表すギャグとしては、友人が「贅沢してんなぁ」という台詞に続き「どこぞの竹薮行たんちゃうか?」という台詞が入り、えらい受けていた。
あと、枝雀(米朝師匠もそうかと思うが)が行う、旦那の家の涼しげな様子と、職人である自分の長屋の暑苦しい様子との対象的な描写などをしない点もあまり暑さを感じない所以であろう。
小佐田氏との対談の中で、4代目文我は枝雀師匠と3代目文我とのやり取りを紹介する。枝雀師が「宿替え」で大いに受けた後、楽屋を訪ねた文我が、 忠告する文我も文我、聴きいれる枝雀も枝雀。ええ噺である。今までよく紹介されたのは文我の酒癖の悪さ(酔った時の長電話など)ばかりであったが、「自分のつかんだものを惜しみなく後進に分け与えてくれた」という4代目文我の評価も感じがよかった。
林家 木久扇 「彦六伝」 にこやかに登場。
終っちゃったけどNHKの「その時、歴史が動いた」が好きだったという話に入る。 江戸城無血開城、勝海舟と西郷・・・・・輝彦。隆盛って知ってるんですよ。そこをボケる。緻密な計算があるんです。緻密(ちみつ。ひみつのシャレ)のアッコちゃん・・・・・なんちゃって〜〜とまた、ぼける。 「新撰組が好きでして、香取慎吾君が近藤勇やってましたが、少し貫禄不足ですね。忍者ハットリくんかと思った」という台詞の後、アラカンとか月形、千恵蔵、大河内・・・・・などの話へ。
ぞうり取りから天下を取った豊臣秀吉・・・・・・なかなか彦六の話に入りません。自分でも困ってます。こん平さんは秀吉を「ひできち」と読んでました。
昭和36年、8代目正蔵、彦六に入門しました。 コード付きの黒の電話でダイヤルをジーコ、ジーコ。爺公がジーコを回している。NHKの苦情係に電話して、 で、五時半とか六時くらいに、放送が始まる。富士山バックに国旗が上がるんですね。そしたら、師匠は嬉しくなっちゃって、奥さんに「ご覧。日本の夜明けだ。万歳〜〜」
昭和36年くらいの話ですけどね。師匠がね、TVを観てる。何を観てるのかな、と思ったら、バスケの試合なんですよ。師匠が観ながら「誰か教えてやりゃあいいじゃねぇか〜」って言ってる。 「底がねぇのを知らねぇんだ〜」って。面白いことが沢山ありました。
師匠にも誕生日はあります。生まれたんですから。小朝さんがね、結婚する前でした。あの人は気の利く人でね。弟子からの誕生日プレゼントは負担にならないよう1000円程度で・・・って決めてたんです。 せっかくだからってんで、さっそくつまんだ。で・・・・・・・・・(梅干か何かのように、口の中でモゴモゴして)
うちの師匠は古典落語が350くらい入ってた。だから普段も走ったり、飛んだりしない。まざっちまうから。 ヒマな時間が出来ると稽古をしてくれる。最初は小噺です。
どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。 |