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(No248) 京都・らくご博物館【春】〜新緑寄席〜 鑑賞記その1   
          

 平成23年4月22日(金)の落語会のメモ。

 



桂 鯛蔵 「みかん屋」


 鳴り物の位置が近すぎるというか、太鼓の音がやたら腹に響くし、鉦や笛の高音部がやや耳にキンキンする。まあ、贅沢な悩みか。

 
高座には見台。出てきたとたん、ぎろぎろっと目をむく。ちょっと神経質な感じのする顔。


 
 私の師匠は塩鯛を襲名しましたが、それまでは都丸(とまる)を名乗っておりました。京都出身なんでね。少し前、京都で落語会がありまして、師匠がトリなったんです。

 師匠が、さあ、高座に出ようかという時、前の方に座ってはったあるお客さんがいきなり立ち上がって、帰り支度を始めはった。

 私、舞台の袖で見てたんですが、まあ、お客さんもそれぞれ都合あるしね。そしたら、何や、そのお客さんの周りがざわついてるんです。

 よぉ聴いてたら、客同士がもめてるんですね。今日の落語会は、まあゆうたら、トリの師匠の落語を聴きに来たようなもんやないか。
 それを、そのトリの噺を聴かんと帰るて、何で、もう少し待って、聴いて帰ることができんねん・・・とね。

 どうです?素晴らしいでしょ?客が客を止める。師匠は「とまる」。同じ噺家になるんやったら、師匠みたいな噺家にならなあかんなぁと思いました。
 で、先日、若手4人で落語会やらせてもろて、一応、私がトリをやらせてもらいました。まあ小さい会ですから、トリてな大層なもんやないんですが、それでも最後に出るとなると緊張します。
 さあ、高座上がろうか思ったら、最前列のお客さんがいきなり立ち上がって帰り支度を始めた。
 こら、おもろなってきたぞ、思ってね。どないなるやろ、思てたら、連鎖反応起こして、皆、ゾロゾロと帰ろうとした。
 「ちょっ、ちょっ、ちょっと!!」・・・・・・噺家が客を止めるゆう、情けない話に。


 お馴染みの噺。ご隠居からみかんの行商を薦められた男、「上見ぃや。上見た分で女房、子を養うんやで」と言われた意味が分からず、原価の一つ1円で300個売ってしまう。

 今度は適正価格まで親切に教えられ、「また買うたる」と言われた先ほどの長屋へ再びやって来る。

 「さっきのみかん、えらい安い思ったら、元値で売って叱られて、ほんでまた来よったんですわ。早い話・・・・・アホや。可哀想やから買うたげまひょか?」

 やさしい長屋の人に買ってもらい、年を訊ねられて「68」と言う。なんで、そんなことゆうたんじゃ?上見た分で・・・・がオチ。

 ここの高座、ライトが近く熱いのだろう。汗が噴き出し光っている。時折手ぬぐいで顔の汗を拭くが、あまり長々と拭いていては・・・と思うのだろう。
 さっと、頬の辺を拭くくらい。でこに光る汗粒が気になって仕方ない。

 退場の時、見台に汗が落ちたのであろう。手拭で2回ほど拭いた。そして、「お茶子さん」に変身し、メクリや座布団を返し、最後、袖に引っ込む時にひょこひょこと頭を下げたので、また拍手がわいた。
 いつも思うが、やさしいというか、笑いの沸点の低い人が多い落語会である。みかん屋が「せや、最前(さいぜん。さっきの)の長屋、行ったろ」とつぶやくだけで場内大爆笑だった。

 



桂 ひろば 「天災」


 ただ今拍手いただきましたお客様に限り・・・・・・厚く御礼申し上げます・・・・という桂宗助のようなギャグを飛ばし、笑いながら拍手した客に、

 中途半端な拍手、ありがとうございます・・・・といやみなギャグ。
 
 続いて、持ちネタ。

 メクリを指差し、

 ひろばでございます。決して「むちば」ではございません。

 師匠のざこばから示された名前は、

 大阪の高級住宅地・・・・・・西成に住んでいるので近くの「なんば」。あと、「ふろば」と「はかば」・・・・・・・といういつものギャグ。

 最近は、いろいろな所で落語をやらせてもらってます。こないだ200人入るライブハウスでやったんですが、客が3人。楽屋に噺家が5人控えてまして。客よりこっちの方が多い。

 3人でも、前で3人横になってくれたらやりやすいんですが、どういうわけか縦に1列・・・・・。

 この前は山梨の老人ホーム行かせてもらいました。全員が車いす。1人ずつ介護の人がついてるんです。何か膝のところに持ってはるなあと思ったんですが、よく分かりませんでした。

 で、高座あがったら、手作りで「ひ・ろ・ば・ラ・ブ」って応援のプレート作ってくれてはった。嬉しいでしょう?それを皆さん手に持ってくれてはんねんけど、しばらくしたらパタッ!って音がしました。
 おじいちゃん、おばあちゃんのね、握力がもたんのです。

 ほんで、落ちてんから、もうほっといてくれたらええのに、介護の人が私に気ぃ使こたのか、そのプレートを拾って、また、持たせはるんです。でも、すぐに落とす。

 みんながそうやから、落語やってる間、あっちでパタッ、こっちでパタッ、15分、パタパタパタパタ・・・・・・・。

 終ってから、せっかくやからお食事でも一緒にどうですか?て言われまして。
 職員さんがね、このご夫婦は、このホームでも一番仲のいいご夫婦なんですよと紹介してくれました。どこに行くのも一緒、散歩に行くのも一緒、トイレ行くのも一緒、食事も一緒・・・・て聴いてたのに、おじいさんが食べてる間、おばあさんはじ〜っと待ってはる。

 あれ?一緒に食べはらへんのですか?て訊いたら、私の入れ歯、今、おじいさんが使こてるんです・・・・・。究極の「一緒」ですな。

 この頃、よく聴く「天災」という噺。

 今まで聴いた「天災」と違った特徴をいくつか列挙する。

(1) ご隠居の手紙を読みながら「はいはい。なるほど。ご無沙汰はお互いです」などと返事をするのは共通だが、母親を蹴るというくだりで、手をぶるぶると震わせ、手紙を落としそうになる。

(2) 「あなたのなさりそうなことじゃ。〜お分かりかな?・・・・・・・分からんでしょうなあ」と、やたら繰り返す。

(3) いろいろ考えるなあ、後から言うな、などと言いつつも、夕立で濡れたらどうすると詰め寄られ、答に窮する。

「小僧にわずか水をかけられてもお怒りになるあなたじゃ。全身濡れ鼠になって黙ってられる筈がないでしょう?何とかしましょう」
「・・・・もうええがな」
「それはおかしい。これこれ、こうだからいいのだ、と理由を述べなさい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「こらっ!!」

 おい!とか言うのは多いが、まともにコラ!は珍しいかな。

(4) これは大きな特徴だと思うが、本人が短気を自覚し反省しているのだ。

「友だち減ってるねん。何とかせなあかんとは思てたけど・・・・」

(5) 「孝行をしたい時には親はなし。さればとて、墓に布団もきせられず」を「こうこぉを漬けたい時には茄子はなし。さればとて、きゅうりは生ではかじられず」

「ならぬ堪忍、するが堪忍」を「奈良の観音、駿河の観音」

 

 紅羅坊先生の家を訪ねた時の「おい、いてるか!」という声は、会場が思わずひいてしまうほど大きかった。

 力業の噺だが、粗い。

 

 
 



 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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