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(No243) 立川談春 独演会 鑑賞記その2   
          

 平成23年3月27日(日)、堺市民会館での立川談春 独演会の鑑賞メモ。

 



立川 談春 「子別れ」


 落語聴くのに、どんなお作法があるんでしょうかって訊いた人がいたね。普通に聴いてれば分かるもんだって思われてない。
 この「子別れ」ってのは、三遊亭円朝が「女の子別れ」ってのを作ってね。・・・・円朝から説明しだすと大変だから、いいか。
 
 
 「子別れ」ってのは上・中・下に分かれていて。
 上は「強飯
(こわめし)の女郎買い」って言うんです。
 下は、上方でもお馴染みの「子は鎹
(かすがい)」。
 中は・・・・ない。「子別れ」中としか言いようがない。この中ってのは、面白くない割りに難しい。私ゃあ好きなんですけど。

 まあ、あんまり上や中はやんなくて、もっぱら「泣き」の下、「子は鎹」が演られる。
 だけど談志は下をやらないんです。落語会なんかで師匠が「子別れ」を始めるとね、場内がざわつくんです。え?談志が「子別れ」?って。上の間なんて、みんなろくに聴いてやしない。
 で、ようやく中の頃におさまって、さあ、これから!って時に「この後、親子はどうなりますか。『子別れ』、お時間でございます」と言って
(高座を)降りちゃう。すごいでしょ?

 でも、何年か前から師匠も下をやるようになった。

 
 談志一門てのは、師匠はどの弟子も身びいきしない。弟子も、師匠を尊敬しなければならない・・・って「決め」はない。そういう一門なんです。
 で、ある日、どうした訳か、二人きりで話す機会があって、師匠が、
「・・・・俺の『子別れ』はいい。
(下をやるのに)40年かかった」
「はい、そう思います」
「だが、俺は情けねぇ。弟子ん中で誰も受け継ごうとしない。教えてくれって言う奴もない」

 私ゃあ、ここはチャンスだなと思って。
「みんな、やりたいんです。でも、師匠の苦労を知ってるから、簡単に教えてくれって言えないんです」
「・・・・・そうか。じゃあ、お前、やってくれ」

 談志一門の中で「やってくれ」と言われたのは私一人なんです。・・・・・これで終われば「いい話」なんですが。
 で、高座にかけさせてもらって、ある人がそれを聴いて、師匠に話したみたいなんですね。
「談春さんの『子別れ』聴いたんだけど、とっても良かった!」
「・・・・どこが?」
「ここにこんな工夫があって、ここは、こんな工夫で・・・・」
 そしたら、談志がカチ〜ン!と来たんですね。それも、これも全部俺がこさえた工夫じゃねえか!談春は破門だ!ってね。

 これも、直接聞いたんなら、まだマシなんですけど。志らくから私が電話があった。一番効果的にダメージを与える方法で伝わった。

 談志一門じゃ志の輔、私
(談春)、志らくと、この3人は1年か、1年半ずつ離れてる。世間で言われてるほどすごく仲が悪い訳じゃないんだけど・・・・・良くもない。
 談志と円楽の関係みたいなもんでしょうか。関西でゆうと・・・・・やめときましょう。

「ははははは、兄さん、破門だってね。師匠の『子別れ』パクったでしょ?」
・・・・何でそうゆう傷つく言い方をするかねぇ。師匠の工夫を弟子が受け継ぐ。そして、私がまた後の者に伝える。それで類型が伝統になっていくんでしょう?

 米朝さんなら、そういうこと言わないと思う。
 勝手にやっても「教えてやるから、来い」って言ってくれるのが米朝。やってくれと言ったのに、やったら怒るのが談志。
 でも・・・・ウワサってのは一人歩きするでしょ?どうしようかな?って思って。私の落ち度、しくじりにしたら、また喜ぶ奴がたんといるし。
 そしたら電話がかかってきたんです。
(受話器を取るが、元気なく)「はい、もしもし・・・」傷心だからね。そしたら師匠。
 談志からの電話なんて二度目だから。こりゃ、いよいよ本当に破門かな、って思ったら、
「・・・あ、いや・・・違うんだ。・・・・・・聴いてる?」
 弱気なんですよ。
「・・・・思い出したよ。俺がやれって言ったんだよな。・・・・・・・・これからもやってくれ」
(「いい加減にしろ!」というような感じで、扇子を高座に叩きつける。で、それを拾い上げて「子別れ」の上へ)





 江戸には、品川、新宿など四宿(ししゅく)という盛り場がありまして。四宿の近くには、寺町がありました。寺町というのは、徳川家が、自分の家を守っていくためにこさえたんです。寺町は、いざという時、駐屯地になりますからね。浅草とか山谷がそうした寺町です。

「弔いが 山谷と聞いて 親父行き」という川柳があります。山谷の近くには、いいとこ
(吉原)があるんで、若い息子には危なくて行かせられないという意味です。

 だいたい、江戸じゃ何かってぇと女郎買いですからね。花見というと女郎買い、雪見というと女郎買い、お弔いの帰りというと女郎買いです。
「親父まだ 西に行かずに 北へ行く」という川柳もあります。江戸の中心部から吉原は北にあたるんですね。ですから北国
(ほっこく)
 ミナミが品川です。この辺で、ミナミってぇと、あの辺でしょ?それくらいは知ってるんです。

 


「熊さん!寝てちゃ仕方ないな。弔い酒、そんなに呑まなくてもいいのに。だから、この人は酒にだらしがない。よく働いたのは分かってるけど。おい、ちょいと起きなよ」
「う?う〜ん、
(ようやく、起き出して)弔い、ばらしたのか?どうすんの?」
「どうすんのって、うちに帰るんだよ。一緒に帰ろう。同じ長屋なんだから」
「え?精進落とし、厄落とし。なか
(吉原)行こうよ」
「・・・そんな無駄遣いよしなよ。言っちゃなんだけど、亀ちゃん、いつも腹減らしてるよ。おかみさん、汚い服装
(なり)してる。なか(吉原)で遣う金あんなら・・・」
「うるせえよ!俺のがきが腹すかそうが、かみさんがどんな服装(なり)しようが、いっぺんでもおめえに何とかしてくれって頼んだか!いいよ、独りで行くから。

『色には なまじ 連れは野暮』ってね。

 おっ!紙屑屋の長公!どうした?」
「ああ、隠居の弔いにね。ずいぶん世話になったから、何もできないけど、せめて線香でもあげようと思って」
「おお、そうか。俺も隠居の弔いの帰りなんだ。しかし、お前、えれぇな。『何もできないから・・』とか言う奴は多いけど、実際に正直に『何もできない』って言って、ちゃんと線香あげに行く奴はめったにねぇぜ。気に入った。俺ぁ好きだな。
 どうでぇ、弔いの後、そのまま帰ると死神がとっつくってゆうだろ?なか
(吉原)行かねぇか?」 
「いいなぁ。でも・・・」
「ああ、懐か?まあ、俺が出してもいいんだがな、それじゃおめえも気兼ねだろ?こうしよう。お前も割り前でいくらか出して、後は俺が。そうすりゃ、お互い気兼ねなしだ。お前もからっきしねえわけじゃないだろ?」
「そりゃあ、男は外に出ると七人の敵
(かたき)がいるってぇからね」
「おっ!えれぇ事知ってるな。じゃあ、一両、1円くれぇ持ってんのか?」
「いや、ねえ」
「・・・・そうか、50銭は?」
「ない」
「25銭」
「ない」
「・・・・・・5銭」
「近い!」
「え?3銭?」
「当たった!」
「・・・・・・・よくまぁ、大の大人が、3銭ばかり持って、外ぉ歩いてるなぁ。それで、どうやって七人の敵にむかうんだ。一人あたま5厘っぱもねぇじゃねぇか。

 しかし、おめえ、いい服装(なり)してるな。俺ぁ半纏、腹掛けだが、羽織がしゃれてるじゃねぇか。あけぼの染めってゆうのか?袖の色が違う」
「こりゃ、袖がはげてんだよ」
「そうか。足袋もいいな。白足袋は汚れやすい。紺足袋は礼にないって、ねずみの足袋とは」
「・・・白足袋が汚れてんだよ」
「おい、それは下駄か?よくそれだけちびさせたなぁ。紙屑屋。地べたに鼻緒すげてるようだな。なぁ、紙屑屋」
「俺ぁ行くのよすよ。向こうで紙屑屋、紙屑屋って言われたら、もてやしない」
「紙屑屋を紙屑屋って言って何が悪いんだ。分かったよ。言わないよ」
「あっ!水たまりだよ!棟梁
(とうりゅう)!危ない!」
「ああ!何しやがる!何で背を叩くんだよ!妙に猫背だと思わなかったか!弔いで弁当が出ただろ。強飯
(こわめし)にがんもどき、信田巻き、日光唐辛子、茄子のからし漬け。全部もらって、背中に背負ってたんだ。それをおめぇ叩くから、がんもどきの汁が全部ふんどしにしみて・・・。今、俺を焼いたら照り焼きになっちまう。

 おっ、大門だ。いいねぇ、紙く・・・いや、紙ちゃん!」
「お二人さん、どうですか、うちに上楼
(あが)ってもらえませんか?お気軽にわっ!と・・」
「お気軽はいいがな。俺ぁ職人だが、あちらはすごいよ。紙屋の旦那だ。もっとも、あまり新しい紙は扱わないがな。まあ、古い紙、つまり紙屑屋だ。はははは。言っちまった。
 いや、先に言っとくがな。俺たちゃ、とむらぇ帰りなんだ。後で縁起悪いって、帰りに塩なんぞまかれたりしたら、いやだから、先に言っとくがな」
「いえ、そうゆうお客様は探したいくらいで。え?はかゆきがすると申しまして」
「おお、うめぇことゆうじゃねぇか。よし!気に入った。この弁当、食え!」
「ああ、そうですか。ありがとうございます。・・・・・ん、なかなか、結構な味付けですな。しかし、このがんもどき、いささか汁気が足りないような・・・」
「ああ?やっぱ、そうか?いや、がんもの汁が全部ふんどしにしみこんじまったんだ。どうだ?ふんどし、しぼろうか?


 


 

 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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