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(No23) 米朝一門会 鑑賞記その3 

 平成18年8月12日(土)午後2時よりヒルトン大阪(桜の間)にて開催された米朝一門会の鑑賞記その3。

 ご存知かもしれないが、先日米朝師匠が骨折で入院され、取りあえず8月中の落語会は休演となる・・・・・という報道があった。よって、急きょ代演ということになったのである。

 昼の部は小米朝、夜の部は雀々が代演する。

 3時半に中入りで15分休憩。

 



(5) 桂雀三郎 「ちしゃ医者」

 雀三郎のマクラは「噺家になってよかったなと思うのは、この商売あまり責任というもんがないんですな。別にとちろうが、うけなからろうが、責任がないんちゅうんか、まあ、人さんの命にかかわるわけやないですからな。もっともあんまり受けんとこちらの命とりになるかはしれまへん。
 そこ行くとお医者さんゆうのは大変です。それこそもろに人の命にかかわりますからな。」
 「しかし、中には考えられんようなことがありますな。
 手術したけど体の中にメスを忘れた、てなことがあるとゆうことを私も手塚治虫先生のブラックジャックとゆう漫画で知りました。

 手術は終わったけど何やチクチクするゆうんでレントゲンでみたら、ああ!メスが残ってます、すんませんゆうて、あわてて、また開いて、あとを、こう縫うて(針でちくちく縫って、最後、肘をついて引っ張りあげる、畳を縫うような仕草)、しばらくすると、またチクチクする。

 
 ああ、ハサミを忘れてたぁゆうて、また開いて、出して、あとを縫う、そしたら、またまたチクチクする。
 ああ、針を忘れてたぁ、開いて、出して、縫うて、ああ、今度はガーゼ忘れたゆうたら患者さんが『すんまへん、もうファスナーにしといてもらえまへんか』・・・て、こんなのんきなことはゆうてられまへんが」

 「昔は医者ゆうても国家試験てなもんはなかったそうです。明日から(手を上げ)『わたい、医者やります』ゆうたら、そんで医者になれた時代があったそうで。

 藪医者ゆう言葉も昔からありますが、あら、普段は客がおらんが、風邪が流行った時には、医者の人手も足らんし、まあ、風邪くらいやったら、あの医者でも何とかなるやろういうことで患者が来る。
 風で動くゆうので藪医者というらしいです。まあ、よそでは言わんようにした方がええと思いますが」

 で、藪医者の典型ということで、寿命医者、手遅れ医者、葛根湯(かっこんとう)医者をあげる。
 「寿命医者、こらええ言葉ですな。寿命。こないなりますと、天の決めるこってさかいな。
 手遅れ。これも便利な言葉です。お前が連れてくるのが遅かったのだと相手に責任を持って行ってますのでな。」

 しかし、患者も反撃に出る。
 「『何でもっと、はよう連れてこんのじゃあ!・・・・・こらあ、手遅れですな』
 『せやけど、先生、いっつも手遅れ、手遅れ言わはりまっけど、こいつ、いんま(今)の今、屋根から落ちたんでっせ。それで、落ちるなりすぐ連れてきたんだ。ほやほやでんねん。
 先生いっつも手遅れ、手遅れ言わはるから、いっぺんこないな患者おらんか思て、こないだから探してましてん。今日、ほんま、まんのええ(都合のいい)のが手回って(用意できて)・・・これで手遅れやったら、いつ連れてきたらよろしぃねん!』
 『・・・・・・・落ちる前やったら・・・』」

 葛根湯医者とゆうのは、どんな患者にも葛根湯を出す医者のことだ。
 「『おたくぅ、どうしました?』
 『いえ、わたいは、こいつの付き添いで来たんです』
 『ああ、そうかいな。しかし、じっと待ってはったら、のどが渇きますやろ。葛根湯をおあがり』・・・・って、おやつ代わりにだしてはいけまへんが」

 この噺はやはり藪医者の話。往診を頼みに来たお百姓に下男の久助が、悪いことは言わん。いま、寝てるからよそに行けと忠告するのに、声を出し続けるお百姓。

 「ほれ見てみい。あんたの声が耳に入って、起きてきてしもたがな。人助けや思てゆうたってんのに」と毒づく久助。しかし、お百姓も負けていない。
 「いやあ、わしも、こちらさんが大層やぶさんやゆうのは承知しとるんです。
 身内のもんも、じっさまは、もう助からんじゃろう、もうほっとけばええがっちゅうもんもおったんですが、それじゃやっぱり外聞が悪いじゃろう。
 まあ、何でもええから医者の格好したもんを、横に置いとくだけでええじゃろゆうことになりまして、決して、こちらさんに病気を治してもらおうなんて、そんな大それたことは考えておらんのです」

 医者の赤壁周庵先生も「えらい言いようやな」と苦笑いするものの、断りはしない。それどころか、駕籠かきは給料未払いでとっくに逃げられているのに「駕籠の者!駕籠の者!」と呼ぶふりをして見栄を張る。

 駕籠も古びて、底が抜けてしまっているので、久助がとりあえず駕籠の底に横木を渡す。
 「この木ぃの上、乗ってなはれ。ははあ、棒にとまるとは、先生、まるで雀ですな。雀医者・・・・これから藪へ進んでいくゆうことですな」

 前のかじ棒をお百姓、後ろのかじ棒を久助がかつぐが、やたら揺れる。
 「もしい!えらい揺れますな」
 「先生すんません。わしもえらい慌てておりまして、かたっぽの足に高下駄、かたっぽの足にぞうり履いて来てしまいまして」
 「こない揺れてはどんならん(どうにもならない)。かたっぽ脱ぎなはれ」
 「へい」
 「ああ、ちょっと、もし、これ!最前(さいぜん)より、余計揺れてまっせえ!ちゃんと脱ぎなはったんか?」   「へえ、ぞうりを」というおなじみのギャグ。

 村に着いたものの、それこそ「手遅れ」で、じっさまは死んでしまっていた。

 「ええ?じっさま亡くなったぁ?じゃが、この通りお医者さまぁ、もう着いとるがな。どうしたらええ?」
 「どうしたらええ、て・・・・どうせ、大した医者じゃないんじゃろう?葬儀で忙しなんのに、相手しとられん。もう、その辺にうっちゃっとけ」と、気の毒に駕籠の中ですやすや寝息を立ててる周庵先生は道端に放り出されてしまった。

 久助は帰るのに、先生に降りて先棒をかつげという。至ってのんきな先生は「あれえ?重い、重いゆうけど、そない大したことないねえ」とにこにこし「当たり前や。あんた降りてまんがな」と久助が馬鹿にする。

 しかし、先生はそんな揶揄にもめげずに「ほい!ほい!」とうれしそうにかついでいる。

 そこに通りがかったのが、肥えたごをかついだ手水(ちょうず)屋(汲み取り屋)さん。
 「いやあ、遠くから見てたら紋付袴はいた駕籠屋って、今日は駕籠屋の寄り合いでもあんのんかいな、思てたら、先生でっかいな。
 あきまへん、あきまへん。先生が駕籠なんぞかついだら。わいがかつぎまんがな。中入んなはれ。で、ずうぅっと後ろん方寄んなはれ。そ、そう。
 ほんでね、この肥えたご、これ、かたっぽは空なんで、これは、こう外にくくりつけて。で、この入ってる方は、ちょっとその、先生の前に。そう、後ろから抱くような感じで。
 え?かっこ悪い?そんなん、ほれ、『垂れ』おろしてたら外からは見えまへんがな。
 よろしいか、ほな、行きまっせぇ」と走り出す。

 たっぽん!たっぽん!揺れる度に中で悲鳴をあげる先生。
 えらいしもた。一軒汲み忘れてた、とある家の前で駕籠をおろした手水屋。
 その家のおばあさんは
 「おお、手水屋さんかい。あんた、よそじゃ、大根だの何だの持ってくるくせに、うちにゃあ何も持ってきてくれんのお。お、今日は駕籠かいな。今日は何ぞ、うちに持ってきてくれたんやな。あの駕籠ん中にゃあ、何が入っとるんじゃ?」
 肥えを汲むのに忙しい手水屋がええ加減に
 「違う、違う。中におるんは医者じゃ」と言ったのを、ばあさんが「ちしゃ(チシャ菜。日本レタス)」と聞き違える。
 喜んだばあさんが駕籠の中へ手を伸ばし、肥えたごに突っ込んだ手で顔を撫で回したので、またも中で眠り込んでいた先生があっ!と驚き、伸ばした足がおばあさんを蹴り飛ばした格好になった。

 それを見た息子が「ばぁさんに何、乱暴するんじゃ」と先生を引きずり降ろしてぽかぽか殴る。
 久助は先生の災難を見てげらげら笑う。
 息子は怒って
 「うちのばぁさんが、足かけられたのに、何笑っとるんじゃ」
 「足でよかった。この先生の手にかかったら命を落とすとこやった」。

 ところで「夏の医者」という噺がある。ずっと昔に円楽で聴いた。
 どうも「夏のちしゃは腹に障(さわ)る」(夏に食べるちしゃ菜は、腹痛を起こすことが多い)ということわざがあるようだ。
 往診途中でうわばみ(大蛇)に呑まれた医者が、腹の中で下剤をまいて出てきたが、中に薬箱を忘れる。 取りに行きたいからもう一度呑んでくれと頼む医者にうわばみが「夏の医者は腹に障る」と返すのがオチ。  
 で、私はこの「夏の医者」と「ちしゃ医者」を混同していたが、全然別の噺のようだ。

 少し前に『桂枝雀爆笑コレクション』第1巻(ちくま文庫)で初めて「ちしゃ医者」を読んだ。読んだとき、小佐田定雄氏の解題にもあったが、普段はぽんぽんと言う久助が、お百姓に放り出されたが、知らずに中で寝ている先生のことを「悪い人やないねん。ちょっと運がないだけや」などと述懐するシーンなど、ちょっとじんと来る、実に味わい深い演出だった。

 人殺しの先生などと評判されているが、心優しいので手遅れとわかりつつ断りきれずに診療したが、動転した家族に人殺し!と言われ、だんだん病人も来んようになったと久助の口で説明する。

 「うちの先生〜貧乏な人からは、もう一銭も薬代とらんもんなあ。けど、世間の人はそうは思わんはなあ。『こんな効かん薬、薬代の取りようがない』と、だんだんてれこてれこ(食い違い。逆逆)になったあんねん。
 〜この先生のそばにおらしてもらえるだけで安心するわ。生涯おらしてもらお。
 ああ、星流れた。うちの先生にちょっとでもええ仕事・・・・あっ、消えてもうた。あ・・・運がないねね」と、本当にきめ細かい。

 それに比べると雀三郎の演出では、久助は底意地が悪く、周庵先生を馬鹿にしきっているように感じた。また、先生自身も、けっこう商売っ気がある感じの演出だった。

 で、本で読んだ枝雀師匠のそれと比べると、かなり後味が悪く感じたのであった。

 それと、ばあさんが「よそへは大根・・・」というのは、今ならごみやし尿は当然収集してもらう方が手数料を払うものであるが、当時はし尿が肥料として農家に売れたので、礼で野菜などを渡していたのだろう。
 よく新聞屋さんに「よその新聞屋さんは、遊園地の切符とか持ってきてくれるのに、あんたとこは何もないな。もう◎◎新聞に替えよかな?」なんて言う主婦を連想した。

 



 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音等してませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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