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(No215) 新春吉例 米朝一門会 鑑賞記 その3 
          

 平成23年1月2日(日)、サンケイホールブリーゼにおける米朝一門会の鑑賞メモ。

 



桂 米八 曲独楽


 はかま姿で登場。初めて米朝一門会に行った平成16年8月の時、同じように中入り後のトップだったのだが、その日は仕事で観ることができなかった。

 今回が初めて。一尺(約33cm)の江戸ごまを手にしている。 
「ぱらぱらの拍手、ありがとうございます」とイヤミなことを言う。それから客が気を使い、ちょっと普通に回しているだけで拍手が起こる。ちょっとイヤな雰囲気。

「拍手してもらう場合は、一括払いでお願いします」

 まだ、ゆうか? 

 糸渡りということで、お茶子の女の人が椅子の上の糸巻きを手にした。が、糸が椅子の足にからまっていたのか、ちょいと手間取る。

 ようやく糸巻きがフリーになったが、くりくりくりと糸巻きを手で回していくのでやたら時間がかかる。

 みかねて米八が「はい!ありがとう!ありがとう!」と糸巻きを手にする。茶子はじわじわ糸巻き自体を手で回していたが、米八は糸巻きを手に持ってさっさと後ろに進み、勝手に糸が繰り出され糸巻きがそれに合わせて回るに任せる。

 そのあまりのスピードの違いに場内に笑いが起こった。

 私は、同じように面白いなとも思ったが、米八ってあんまり性格が良さそうにみえなかったので、あのお茶子さんが叱れてるんじゃないかと心配になった。

 


桂 南光 「素人浄瑠璃」



 浄瑠璃、常磐津、新内なども一緒なんですが、まあ義太夫ゆうのは竹本義太夫がこさえた大層な芸でして。
 好きと上手は別です。噺家でも大変迷惑します。個人名は出しませんが。人間国宝・・・・。となると一人しかいてませんが。もう85なんでちょっと弱ってこられたんで、まだええですけど。 

 義太夫は、太(ふと。太棹)の三味線がないといけません。ですから、堀江とか、祇園まちとかね。
 7年ほど前ですが、一門会が京都の南座であって。危ないなと思ったざこばさんは、すっと帰ってもたけど、師匠が「南光、ちょっとつき合うてくれるか」と。うまいことゆうんです。
 おまはんのファンの芸妓が3人おるて。
 皆さん、稽古ゆうたら25か30でこぼこ。行っても40くらいと思いまへんか?3人足したら200超えてたんでっせ。

 師匠となじみやからね。目くばせした思たら、一人が太の三味線、継ぎ足してね。そしたら米朝師匠がクサイ芝居するんだ。
「あっ!あんた来てなはったんか?」

 そん時、90分語りはった。もうクタクタですわ。


「よその町内も来はるからな。紫の見台、出しといてや。

 あぁ〜!あぁ〜!調子がええ。仕出し屋さん、まんさくさんに頼んでるか?こないだ、丸い硬いせんべい頼んだやろ。バリボリバリボリやかましゅうて、語られへんかった。

 おぉ〜〜!!ああ!あうぉ〜〜ん!!!(狼の遠吠えのような声)

「洗面器持ってきました。旦さん、えらい苦しんでおられるようで」
「何ゆうてんねん!おぉ〜!おぉ〜!!絶好調や」

 南光は、いぜん「あくびの稽古」でも、「ほぉ〜〜!!」とHGのような雄叫びをあげたことがあったが、今回の「狼の遠吠え」もユニークであった。


 これから、参加者を募りに行った手代の久七っとんの言い訳が始まる。
 提灯屋がありがたかってる、ありがたいにも程があると言っている。

 がんもどきのこしらえ方聞いてんのちゃうぞ。


「裏長屋は、死人が出ました」
「誰や?」
「え?・・・・・・ああ、やもめでございます」
「ええ?やもめと昨日風呂で一緒になったぞ。背中流してくれた
「あ?そうでございますか?まあ、昨日は元気やったけど、今朝、ころっと」


「浄瑠璃くらい目に悪いもんはおまへん!」
と両手で指をさす。 


「うちの家内は?」
「奥さん、何や胸騒ぎするゆうてはって、私、今日旦さん浄瑠璃語られますゆうたら、坊んと一緒に里、帰りはりました」


「久七。お前は?」
「え?わたくしでございますか?私は旦さんの味方でございます」
「味方とか、そんなん聞いてんのちゃうがな」
「ありゃ!人のことばっか考えて自分のこと忘れてた。
 え〜〜。残念ながら達者でございます」

 よく「因果と達者で」と表現するが、今回は「残念ながら・・・」だった。


「わかりました。私一人で、それで物事がおさまるんでし。
 私、丈夫な体だけが、自慢でございます。

 13の時、奉公に来させて以来、旦さんにはひとかたならぬ恩をお受けしました。
 浄瑠璃聞かせていただくくらい。

 おかぁちゃ〜〜ん!!




 
いわゆる「寝床」だったが、「何で泣いてんねん?」「そこが私の寝床でございます」というサゲまでいかずに「『素人浄瑠璃』の半ばでございます」と終った。

 

 


 

桂 塩鯛 「はてなの茶碗」


 8月6日に襲名させていただきまして。塩鯛て。・・・・どう思いますか?

 米朝師匠が「都丸を塩鯛にしたらどないや?」て言わはりましたんで。でも、「そんなこと、わしゃゆうたかえ?」って。もう、仕方ございません。(会場から笑い)裏で聞いたはりますんで。

 では、今日はこの辺で。

 落語ゆうのは値打ちつけんとあかんのです。

 仕入れと売値が違うんです。仕入れはただです。師匠からただで教えてもろてる。元手ゼロ。

 時々、事務所を通さずに直で来る仕事があるんです。
「いくらくらいお出ししたら、お話いただけるんでしょうか?」
「いや、そんなん。おいくらでもお気持ちで」
「いや、以後の参考に・・・」
「・・・・まあ、15万いただくこともあるんですが」
「予算、2万5千円しかないんですけど」
「それでけっこうです」

 人間国宝で頂点立ってはる米朝師匠でもトチりはるんですよ。

 私らトチったら「アホや!」て言われるんですけどね。
 高津神社ん中に高倉稲荷てあるんですが、「高倉稲荷て、どこにあんねん?」「こう、ず〜っと行って」ちゅう、しょうもない小噺なんですが、米朝師匠が言わはるとめちゃめちゃ受けるんですよ。
 そない面白い、爆笑するような噺やないんですけどね。

 こないだ、「高津神社て、どこにあんねん?」て言わはったんです。そしたら、米朝師匠、「はは、間違えました」て。
 そのまんまやがな!

 米朝師匠がほんまに間違えた時はね。し〜んとするんです。私らみたいに誰も「アホやぁ〜!!」て言わへん。
 師匠は間違うてません。私らが聞き間違えました!!て。

 

 米朝師匠は、だいぶ前は落語をしていたが、段々ぐるぐる循環するようになり、「よもやま噺」という対談形式に移った。

 そのうち、対談もうまく運べなくなって、今回も対談はない。

 その「ぐるぐる循環」になってきた頃、確かに、聴いている側が「い、いや。違う。違う。国宝が間違えるわけない。私らが聴き間違えてるんですぅ〜〜」てな雰囲気になっていた。
 はらはら、はらはらして、リラックスして聴くのが難しかった。


 本編は、特に目立った演出があったわけでなく、まずまずオーソドックスな「はてなの茶碗」であった。

 気がついたのは、3両で買おう、1000両で売れた半分を渡そうと言われた時「あほなこと言いなはんな!何ゆうてまんねん!」と、最初はえらいきつく否定するなぁという点。

 それと、最初の茶屋の親父に茶碗を譲ってくれと頼む場面で「あかんの?もうええ!頼まへんわい!・・・・・・・売ってぇな」と開き直るように見えて一転、頼み込む場面。
 そこは、けっこう塩鯛のもともとのキャラにも合って、笑いも取れていた。しかし、私の感覚でいくと、ちょっと繰り返しがくどかった。あと1回、繰り返しが少なければ良かったのに・・・と思った。

 塩鯛の性格が出てるなぁ、正直な人だなぁと感じたのは、「はてなの茶碗」のことを公家さんの中で評判になったという会話の描写のところで、「一応、お公家さんのつもりでやってますが、育ちが育ちなんで、この辺の描写がうまくいきません」といったところ。

 南光は、帝の台詞の後で初めて「・・・・こんな風に言わはったかどうか分かりませんが」と言っているが、塩鯛は、公家段階で「自分には向いてない」と告白している。
 もっと言えば、塩鯛は油屋の台詞はぴったり来るが、茶金さんの台詞でも、ちょっとしんどい。

 逆に米朝師匠なんかは茶金さんなんかは本人じゃねえかな?と思うくらいぴったりだ。でも、その分、野卑な油屋の描写なんかは、ひょっとすると塩鯛や南光の方がよかったかもしれない。

 

 落語って、いろいろあって、いろいろ面白い。

 

 


 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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